祈念公園のコンペ

12月8日のブログで、気仙沼市の陣山に整備される復興祈念公園のアイデアを一般公募するとの新聞記事を紹介しました。そのアイデアコンペの内容がきのう1月10日に発表され、同日の三陸新報もその内容を伝えています。

三陸コンペ記事

三陸新報1月10日記事の一部イメージ


以前の新聞記事では、どのような募集内容になるのかがちょっとわかりにくかったのですが、〈総合部門〉と〈モニュメント部門〉の2部門で実施するのですね。総合部門の中にも〈モニュメント〉提案が含まれているのですが、モニュメントについてのみの応募も可能としたことで、ハードルが少し低くなったような気がします。

記事によれば、市は今回の応募目標を20〜30作品程度としているそうですが、より多くの応募に期待を寄せているとのこと。公園は来年度末着工、2020年3月の開園を目指しています。

応募期間は、1月15日(月)~2月23日(金)。詳細は、市の公式サイト中の「気仙沼市復興祈念公園アイデアコンペ」をご覧ください。

2017年12月8日ブログ「復興祈念デザイン」

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3/4は美由紀さん

今年も、東京・めぐろパーシモンホールで、「東日本大震災復興支援コンサート」が開催されます。3月4日(日)。第1部は昨年同様に気仙沼市民吹奏楽団とヤマハ目黒吹奏楽団の混成楽団による演奏。そして第2部は、気仙沼市出身のシンガーソングライター畠山美由紀さんが出演します。司会も気仙沼出身、おなじみのフリーアナウンサー佐藤千晶さんです。

パーシモン
画像クリックで、公式サイトにジャンプします。

◎東日本大震災 復興支援コンサート
日時:3月4日(日)13:30開場/14:00開演/16:00終演予定
会場:めぐろパーシモンホール 小ホール
(〒152-0023 東京都目黒区八雲1-1-1)
アクセス:東急東横線「都立大学」駅より徒歩7分
チケット料金:全席指定 1,000円
チケット取扱:めぐろパーシモンホールチケットセンター
TEL 03-5701-2904(10:00〜19:00)

公式サイト公演情報

昨年のコンサート2部は、熊谷育美さんと岡本優子さんが出演し、その歌やピアノを楽しむことができました。一昨年2016年は熊谷育美さんと畠山美由紀さんでした。これもとてもよかった。

きのうホールのチケット予約に電話したのですが、残席がわずかということでした。イープラスやチケットぴあでも予約可能ですが、座席表をながめながら電話で空席を確認することをお勧めします。3月4日、久しぶりの畠山美由紀さんの歌をとても楽しみにしています。

なお、2016年、2017年の復興支援コンサートの様子については、つぎのブログで紹介しております。

2016「目黒のコンサート」
2017「気仙沼アーチスト」

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新成人に贈る言葉

きのう1月8日は〈成人の日〉でした。本日紹介するのは、前日7日に三陸新報に掲載されていた広告です。

あさひ鮨広告

三陸新報1月7日掲載広告の一部イメージ


成人の日にあたっての気仙沼「あさひ鮨」さんの広告です。新成人の皆様へ贈る言葉として「青雲の志」が掲げられていました。お名前こそ記してありませんが、会長である村上力男さんの言葉にちがいありません。以下に引用します。

〈青雲とは高い空とそこに浮かぶ雲である。どこまで行っても手が届かない。それでもその雲を目指してあくまで努力を続ける。そういう意味もあるようです。その第一歩が身近な小さい地域貢献です。

大震災直後、南町紫市場仮設店舗建設当初から、毎週金曜日夜行バスで東京大学の学生30人が被災地支援に来てくれておりました。その中の一人、横浜出身の青木健吾君はこの後も被災地の力になりたいと、3年前あえて国土交通省に就職し、今尚事有るごとに気仙沼に足を運び支援を続けています。

本年新成人を迎える当地の若い人達にも、是非「青雲の志」を持ちつつ、将来、何らかの形で気仙沼の未来に役立つ志を持って一日一日を大切に生きていただきたいと願っております。〉(引用は以上。改行位置を調整)

これが、新聞や雑誌での著名企業社長のメッセージであれば、特に目をとめることもなかったのでしょうが、私がよく知る村上力男さんの言葉と思い読ませてもらいました。そして、村上さんがこの文章を書き記したとき、50年前に気仙沼の南町に〈あさひ鮨〉を開店創業したときのことを思い出していただろうと感じました。半世紀前、力男さんの胸のなかにあったのは、まさしくこの〈青雲の志〉だったのではないかと。

魚町のご近所だった佐々木徹君(3年1組)の姉、良恵さんが力男さんと結婚した関係で、開店当初から家族ぐるみで親しくさせていただきました。毎年の正月、我が家に年始の挨拶でいらしたときにはいつも、前年の経営の概況や新たな年にあたっての抱負などを父に語っていたことを懐かしく思い出します。はじめはご夫婦ふたりでしたが、じきに息子さんや娘さんを伴うようになり、その息子さんはお嫁さんを、そしてお孫さんまでも一緒に訪れてくれました。そんなこんな、あさひ鮨の開店当時は15歳だったんだなあと、この広告を見て、自分自身の50年という時の流れを思い起こしたのです。

青雲の志。村上力男さんは、この言葉に万感の思いを込めて新成人へ贈ったのでしょう。

1月7日、気仙沼市民会館で開催された成人式には651人の新成人が出席したとのことです。ご本人はもとより、そのご家族の方々にもお祝いを申し上げます。成人、おめでとうございました。

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アルインコの寄付

昨年10月2日のブログで、気仙沼出身でアルインコ(株)社長の小山勝弘さんが講師をつとめる気仙沼でのワークショップを紹介しました。その小山さんに関する記事が昨年12月27日の三陸新報に掲載されていました。

アルインコ

三陸新報2017年12月27日記事の一部イメージ


アルインコ(株)は、建設機材の製造・販売などをてがける東京証券取引所一部上場企業です。そのアルインコと気仙沼市が、地方創生応援税制(企業版ふるさと納税)に関する協定を締結しました。気仙沼市では、同社の寄付金600万円を活用し、本年度から3年間にわたって自主防災組織の結成や育成・強化に力をいれるとのことです。

昨年のブログにも書きましたが、アルインコの小山社長は気仙沼市唐桑町鮪立(しびたち)出身で、気仙沼水産高校(現・気仙沼向洋高校)、中央大学理工学部を卒業後、総合商社のトーメン(現・豊田通商)を経てアルインコに入社しています。つまり小山さんと菅原茂市長はトーメンの先輩・後輩の関係です。そんなご縁もあってのことかもしれませんが、こうして出身地気仙沼のために役立ちたいという気持ちが本当にありがたい。

小山社長はじめアルインコ(株)関係者の皆様に御礼を申し上げます。ありがとうございました。

2017年10月2日ブログ「小山勝弘社長WS」

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日の出と夢の架橋

1月1日の三陸新報元旦号はさまざまな特集記事が掲載されていました。その中のシリーズ企画「私と大島大橋」第1回目の写真がすばらしかった。

三陸の元旦

三陸新報1月1日掲載記事の一部イメージ(クリックで拡大)


気仙沼大島大橋と日の出。まさに新年元旦にふさわしい光景。この記事は「私と大島大橋〜完成まで1年」〜思いを寄せる人たち〜というシリーズの第1回目。〈浦島会〉会長の小野寺好子さん(79)がその思いを語っています。

小野寺さんは〈鹿折の二ノ浜(梶ヶ浦)から大島に嫁いで57年。目と鼻の先にある対岸の生家は、いつも遠い存在だった〉そうです。〈電話がない時代。自分と同じように対岸から大島に嫁いだ女性たちは、実家に帰る際、亀山地区の小高い丘から対岸に向かって大声で親を呼び、小舟で迎えに来てもらった---という逸話もある〉とのこと。

そして1996年(平成8年)、同郷の二ノ浜、三ノ浜(鶴ヶ浦)、小々汐(こごしお)、大浦出身者25人で「浦島会」を結成し、架橋の早期実現を訴える活動を始めました。初代会長は、浦の浜食堂の小松正三さん(故人)。

大島大橋は、昨年3月に仮設されましたが工事完了は来年3月末となります。このシリーズ記事では、〈夢の橋〉の開通を願い、長年、促進運動に汗を流してきた人たちを紹介するとのことです。初回の末尾に三陸新報記者 三浦一樹さんの名が記されていました。

大島大橋と日の出の写真のすばらしい写真と架け橋を願った人たちの思い。元旦にふさわしい気持ちのよい記事であると感じました。

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新年のカレンダー

あっという間に新しい年となりました。本日1月4日が仕事はじめです。まずは仕事場のカレンダーを新しいものに。

新年カレンダー

このカレンダーは大学同期でいまは母校の環境デザイン学科教授もつとめている友人が毎年贈ってくれるもの。教会堂をたくさん手がけている建築家なので、各国の教会などのスケッチが配されています。幅15cmほどの小さな暦ですが、その小品的な味わいがとても気に入っています。

こうして、新年のカレンダーに記された〈2018〉年や〈1〉月という数字を見ると、やはり心にすがすがしいものを感じます。そして、今年が平安なよい年でありますようにと願わずにはいられません。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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気仙沼の 2017年

恒例の2017年〈あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース〉候補が12月27日の三陸新報に、掲載されていました。昨年の候補は21項目でしたが、今年はニュースが多かったのか31項目です。

ニュース1
ニュース2
三陸新報12月27日記事より

この〈五大ニュース〉は、気仙沼市教育委員会と市立公民館の主催で昭和20年から続く恒例行事。今年で71回目となりました。投票は1月5日から21日まで。投票箱は、学校などの公共施設66カ所に設置されます。

三陸新報の記事の見出しは〈大島大橋架設など31候補〉となっており、大島架橋が早くもトップ当選の気配(笑)。扱いが難しいのは〈生鮮カツオの水揚げ21年連続日本一〉です。毎年のこととなると有り難みが薄れますが、今年は水揚げ量がピーク時の半分以下というのがニュースでしたね。

私は、魚町のご近所だったホテル望洋が50年の歴史に幕というニュースが印象的です。ブログにも書きましたが旅館「望洋館」の時代から数えれば相当に長い歴史がありました。「亀の湯」の営業も終了。この一年、あっという間に過ぎたような気がしますが、こうしてニュース項目をながめているといろんなことがあったなあと思います。

今年のブログは本日までといたします。今年もご愛読いただき、ありがとうございました。どうぞ皆様、良い年をお迎えくださいますように。

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医者が妻を看取る

11月下旬に、気仙沼高校で一学年下だった小野寺久さんから著書が出版されたとの連絡をもらいました。書名は「医者が妻を看取る」、副題が「夫婦でがんと闘った3年10ヵ月の記録」。

久君著書
「医者が妻を看取る」カバー表裏(装画は牧子さんの小学校時代の恩師である安野光雅さん)

私はすぐにアマゾンで注文し、届いた本の頁を開きましたが、なかなか読み進むことができませんでした。読了後、ブログでも紹介しようと何度か書き始めたのですが、うまくまとまりません。しかし、このまま年を越えてしまうわけにはいかないと本日の紹介となりました。

まずは版元である中央公論新社による内容紹介と著者略歴を引用します。

◎内容紹介
小社刊『にほんご万華鏡』シリーズの著者 小野寺牧子さんは、大腸がん闘病の末、一昨年亡くなりました。夫である小野寺久氏は、大腸がんの権威であるにもかかわらず妻を大腸がんで喪うことになりましたが、がんが発覚したその日から亡くなるまで、詳細な日記をつけていました。家族として、夫としての闘病記録や心構えだけでなく、専門医としての見地からも、家族ががんになったとき、どうなってしまうのか、どうすればいいのかを治療法の選択肢や緩和ケアなど含め、詳細に綴っています。二人に一人ががんになるという時代、夫婦どちらかががんになるのはまったく不思議なことではありません。がん専門医として、これから患者や患者の家族になる人のためにも、妻の死を無駄にせず、発信したいという切実な思いで綴った1冊

◎著者略歴
1953年宮城県生まれ。78年京都大学医学部卒業。ロンドン大学セント・メアリーズ病院留学の後に、京都大学医学研究科腫瘍外科学助教授。聖路加国際病院消化器センター長を経て、現在聖路加国際大学教育センター長。(引用は以上)

牧子さんは毎年受けている人間ドックで異常が発見され、内視鏡検査で病期4の進行性大腸がんであることが明らかになります。2011年10月14日のことです。夫の久さんは、京都大学の研究室時代に大腸がんの臨床研究を生涯かけてのテーマとし、いまではその権威ともいわれています。妻の病状の深刻さを即座に理解したことでしょう。2012年1月、4月、10月、そして13年5月と4度にわたった大手術を自ら執刀しました。また、13年10月には〈(牧子さんの)CT画像は、自分ひとりでは恐ろしくて隅々までみることは到底できない〉とその心情を吐露しています。

牧子さんが亡くなるという結末を知っているだけに、読者は随所で感情をゆさぶられ、一気に読める本ではないでしょう。そしてなによりも誰よりも、久さんは何度も文章をまとめる手が止まったことと思います。

久さんは牧子さんの闘病に寄り添いながら、聖路加国際病院での外来診療や救急患者も含めての様々な手術をおこなっています。患者の余命の告知もしなければなりません。たとえば、進行胃がんの男性の手術後、奥様に「平均で1年の命」と伝え、40代の進行直腸がんの女性患者のご主人には「年を越すのは難しい可能性がある」などと。そのときの久さんの気持ちを想像すると、本をいったん置かざるを得なくなるのです。

念のため申し上げれば、深刻な話だけが続くわけではありません。2013年5月には初孫が誕生しますし、夫婦ふたりでの闘病の背景にはいつも共通の趣味である音楽が流れ、絵画、文学の会話がありました。また、久さんの手術などによって快癒した患者さんのことなど、希望を感じさせる逸話なども多数紹介されています。

12月6日に自由ヶ丘の書店で本をながめていたら、この本が平積みされていました。出版社や書店がこの本を推してくれていることを大変うれしく思いました。是非みなさまにもお読みいただきたく。

書店写真

昨年12月14日のブログに牧子さんの3冊目の著書と久さんのことを記しております。お手すきのときにでも。

2016年12月14日ブログ「日本語万華鏡3」


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港町防潮堤案映像

気仙沼市港町の防潮堤計画見直しについては、このブログでも2度にわたって紹介してきました。その12月14日(木)夜に魚市場会議室で開かれ住民説明会の様子を12月15日の仙台放送がニュースで伝えていました。遅くなりましたが紹介します。まずはニュースのなかで紹介された当初計画案と見直し案の図解です。とてもわかりやすい。

当初計画
当初計画案(赤色)

見直し案
見直し案(黄色)

仙台放送ニュースサイト

ニュース映像を見るのは、ちょっと面倒くさいのですが、仙台放送ニュースサイトをクリックして、12月15日の〈「防潮堤」住民反対で計画変更〉を選び、さらに「動画を見る」をクリックです。

河北新報や三陸新報の報道で、見直し案や説明会の内容の概略は承知しているつもりですが、映像で見ると角度の違う印象も受けます。関連資料のひとつとして、ニュース内容を引用しておきます。

〈 宮城県は、気仙沼市港町の防潮堤の建設について、地元住民の反対を受けて、計画を変更することを明らかにしたもともと、岸壁沿いに建設するとしていた防潮堤。県は、この計画を変更し、山側に伸ばす案を示した。およそ9割の住民が反対を示していた防潮堤建設だが、今回の案については、住民から強い反対意見はなく、了承された。

これは、14日に開催された、住民説明会の中で示されたもの。県は当初、気仙沼市港町地区に、およそ25億円をかけて、岸壁に沿って、長さ460メートル、海抜5メートルの防潮堤の建設を計画していた。しかし、「景観を損ねる」などを理由に、住民たちは防潮堤建設を反対。これを受けて、県は、これまでの岸壁沿いに建設するとしていた計画を変更し、魚市場側から山側に向かって、長さ180メートルの防潮堤を建設する案を示した。

総事業費は、およそ10億円で、当初予定の25億円を下回る。 新しい案について、住民たちからは、大きな反対意見は出なかったが、一部から不安の声が聞かれた。住民は「山付の防潮堤は、斬新だと思うが、中には事業所もあれば、民家もある。それらの人たちに、こういう考えという説明があると思うが」、「はたして、全員から賛同が得られるかどうか気がかり」などと話した。

県農林水産部・梅本和彦次長は「この計画で、まずは進めさせていただきたいということで、理解を得られたと思っている」と話した。県は、同意を得たとして、2020年度中の完成を目指し、整備を進めていくことにしている。村井知事は「平成32年度までに、防潮堤を完成させなければならない。できるだけ住民の意向に沿いながらも、全体を守るためにはどうすればいいか考え、個別に対応できるところはしてまいりたい」と述べた。〉(引用は以上)

ニュース映像のなかで発言する住民が同級生だったのには驚きましたが、話の本筋とは関係ないので略します。冒頭の画像2枚も含め、新聞報道ではわかりにくい情報がわかりやすく解説されていたように感じました。

12月18日ブログ「港町防潮堤の続報」

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市社協熊谷直惠君

12月24日(日)の三陸新報のつぎの記事に目がとまりました。

12月25日 直恵君
三陸新報12月24日記事

気仙沼中学10回生(1957年度卒業生)の「喜寿を祝う会」で、出席者146人から寄せられた寄付金が12月22日に気仙沼市社会福祉協議会に手渡されたとのこと。気中10回生ですから20回生の私たちの10年先輩の方々です。写真左端にうつるのは祝う会実行委員長の〈カネダイ〉佐藤亮輔さん。前気仙沼漁業協同組合の組合長です。

私の目を引いたのは右端にうつる社協の常務理事の名前。熊谷直惠とありました。気仙沼高校3年6組の同級生です。直惠(なおえ)君はたしか新月中学の出身だったと思う。6組というのは学年6クラス中ひとつの理科系クラスでした。担任は物理の大槻良文先生。

6組は真面目な生徒が多かったような印象がありますが、直惠君もそのひとり。私の記憶では、つとめが気仙沼市役所だったなと。ネットで調べてみたら、9年前、平成20年の気仙沼市・本吉町合併協議会の会議録に事務局長としてその名が記されていました。

本吉町は平成21年(2009年)9月1日に気仙沼市に編入合併しました。この合併に向けての協議など様々な実務を手がけてきたのでしょう。いまこうして社会福祉の仕事をまかされているのも、そうした経験や実績を評価されてのことだと思います。記事には、このたびの寄付金を〈なんらかの形で地域の子供たちのために活用したい〉との直惠君の言葉も紹介されていました。

話は変わって。気中10回生の〈喜寿を祝う会〉には146名が集まったそうです。77歳を迎えることができる自分たちのことだけでなく、ほかの方々のことも思いやる気中先輩の皆様。その善意がとてもうれしく、またありがたいことだなと感じるこの年の瀬です。

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山内さんに棚橋賞

リアス・アーク美術館の学芸係長をつとめる山内宏泰さんの論文が、日本博物館協会の「棚橋賞」を受賞しました。12月23日の三陸新報が詳しく紹介しています。

棚橋賞
三陸新報12月23日記事の一部イメージ


棚橋賞は国内の博物館界で最も権威があるとされる賞とのこと。三陸新報の記事で受賞論文の骨子が紹介されていましたので引用します。

〈 棚橋賞は、日本の博物学の祖で、東京博物館(現・国立科学博物館)初代館長を務めた故・棚橋源太郎氏の功績をたたえて1962年に制定された。同協会が毎月発行する「博物館研究」の掲載論文から、毎年優秀な作品を選んで表彰している。
 山内さんは、昨年発行された10月号で「博物館が復興に果たす役割」と題した論文を発表。常設展「東日本大震災の津波と災害史」については、観覧者の防災・減災意識の向上や、地域が築き上げていきたものの最後の姿を残し、地域再生の資料とする狙いなどを述べ、「人を動かし、未来を守るための展示」と強調した。
 震災後の美術館再開は、住民の美術館活動に対する理解によって実現したと紹介。震災常設展の開始は、同館が以前から津波災害史研究を行っていたことや、地域住民が教訓を後世に残すことの必要性を認識していたために受け入れられたことも説明した。
 被災地の博物館の役割については、人々が地域再生を目指すに当たり、被災前の文化的要素を引き継ぐことができるよう、「必要とされる資料、情報を提示し続けること」とし、普段から地域のために何をすべきか考えることの重要性を述べた。〉(引用は以上)

同美術館の震災に関する常設展は、従来の博物館の展示常識と違っているといわれます。私は、昨年2月の東京・目黒美術館での「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展で気仙沼における常設展の一端に触れたに過ぎませんが、その展示の独自性を十分に感じることができました。そして、展示被災物に添えられたテキストなどに対して、学芸員の想像力が過度に反映されているのではないかとの疑問があることも同時に理解できました。そんなこともあって、今回の受賞は、山内宏泰さんにとってはもちろんのこと、リアス・アーク美術館にとっても大変うれしいことだろうと感じたのです。

記事によれば山内さんは、今回の受賞を喜ぶと共に、「地域の皆さんと共に歩んできた成果が認められた。今後も美術館が地域のためにできることを模索し続けたい」と話したそうです。

山内さん、そしてリアス・アーク美術館関係者の皆様、このたびの受賞おめでとうございました。

2015年8月14日ブログ「高山登の教え子達」

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2年7組記念写真

今年もあと一週間という感じですね。今月はじめには、菊田裕美君(3年1組)から首都圏同年会〈けせもい会〉の案内メールも届きました。新年1月27日に憲二君の店〈まかない㐂いち〉にて。

本日紹介するのは、ことしの新年会で気仙沼から参加してくれた斉藤みゆきさん(6組)から頂戴した写真です。まずは見てもらいましょうか。

中2亀山
気仙沼大島の亀山頂上展望台にて(クリックで拡大)

1965年。場所は気仙沼大島の頂上にあった展望台です。そこにうつっているのは気仙沼中学2年7組の同級生たち。季節は10月とか11月でしょうかね。

男子は前列からわたくし小田(8組)、河野(7組)、そして少しかくれていますが及川(6組)君。女子は名のみ紹介しましょう。前列左から、ひろ子(2組)恵久子(1組)、後列も左から登喜子(5組)みゆき(6組)しず子(9組)徳子(11組)美知子(5組)さん。

なぜこの写真の紹介が遅くなったかというと、私もこの写真ともう一枚の写真を持っており、2枚まとめて紹介しようと思っていたのです。しかし、その頂上レストハウスでお昼を食べているスナップ写真がみつからない。このままいくと一年たってしまうと思い本日の紹介といたしました。

この写真は誰が撮ったのだろう。それともセルフタイマーか。たぶんそうでしょうね。画面が右に寄っていたり、登喜子さんが少し下を向いていたり、誰かが撮っているとしたら、ちょっと違うショットになっているでしょう。

この写真を見ていると、ふざけて私の頭が首をいじっている河野君に、〈やめろよコーノ、いてえよ〉とか言いながら大袈裟にはしゃぐ私の心情が手にとるようにわかります。

いま考えてみると、この〈グループ交際〉メンバーはどのように選ばれたのだろうか。この写真をみて、〈知らなかった〉〈誘ってもらわなかった〉などという同級生がいるのではないかと心配になります(笑)。などと、いろんな思い出をつづっていけばきりがありません。これぐらいにしておきましょう。

気中2年7組の担任は、小松勝幸先生。体育担当で、ご実家は大島でした。2015年9月にお亡くなりになったことを、このブログでもお伝えしました。颯爽と歩く姿をなつかしく思い出します。2年7組。いいクラスでした。52年前の思い出写真です。

2015年9月24日ブログ「小松勝幸先生訃報」

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反対で統合先送り

12月20日の三陸新報のトップ記事は19日の気仙沼市議会12月定例会について。そこには、月立小学校と水梨小学校について〈反対で統合先送り〉との見出しが付されていました。

統合先送り

三陸新報12月20日記事の一部イメージ


これまでの新聞報道で、そうした見通しであることが報道されていましたので、さほどの驚きはありません。ただ、この小中学校統合の問題はなかなか大変だとあらためて感じました。

記事によれば、2月19日の一般質問において、秋山善治郎市議からの〈教育環境整備計画の第2段階を強行するのか〉との質問に、齋藤益男教育長は、〈水梨小と松岩小、月立小と新城小の来年4月の学校統合は事実上困難だ。年明け後の地域懇談会で時期について判断を示したい〉と答えたそうです。

この小中学校統合については、気仙沼を離れている方にとってはちょっとわかりにくいかもしれません。11月24日のKSB復興フォーラムでも、生島さんの浦島小と鹿折小の統合についての話に対して、会場からそれは違うのではないかとの声があがったことを思い出します。なお、浦島小学校は計画の第1段階として2013年度に鹿折小学校に統合を完了しています。

統合計画については、本年1月1日の三陸新報記事の表がわかりやすいので、再度掲載しておきます。


三陸新報1月1日記事より


太字は統合または決定済み、それ以外は未確定です。この気仙沼市の小学校統合問題については、河北新報が5月に伝えています。

河北新報5月23日配信記事

第3段階は2021年度に計画されていますが、その議論も相当な困難が予想されます。上の表を見て欲しいのですが、第3段階のなかには、「大島小→鹿折小」「大島中→鹿折中」なども含まれています。これらは大島架橋の完成が前提での計画でしょう。鹿折地区の人の反応は別として、大島地区から起こるであろう反対の声が今から聞こえてくるようです。

河北新報の記事によれば、2013年6月に市教育委員会が策定した再編計画では、3段階にわけて20校ある小学校を10校に減らします。月立小と水梨小両校の統合は既に1年延長されていましたので、さらにということになれば2年目の延長となります。

これらの統合/再編計画の背景には、少子化の問題があります。2月20日のブログに気仙沼市の小中学校の児童数の表を掲載しております。それを見ると、2017年度の全校生徒数は水梨小が19人、月立小が28人です。地域の伝統や少人数教育のメリットや遠距離通学のデメリットなど統合反対の気持ちもわからないのではないのですが、統合によって得られるメリットのほうが多いのではないかと私は思っております。

以上、長くなりましたが私自身にとっての情報整理とも思いとりまとめました。

1月17日ブログ「小中学校統合問題」
2月20日ブログ「新入学児童生徒数」

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校庭学芸会の背景

12月12日のブログ「気小校庭の学芸会」では、気仙沼小学校父母教師会(PTA)『三十年のあゆみ』(1978年2月発行)に掲載されていた学芸会の舞台写真を紹介しました。この『三十年のあゆみ』のなかに、〈思い出〉というタイトルで、関係者28名の寄稿文が掲載されています。そのひとつが、当時は南気仙沼小学校の校長であった斎藤 一さんによる〈学芸会回想〉という文章。そこに、校庭で学芸会が開催されるにいたった背景が記されておりました。

学芸会

文章を以下に引用します。

〈 終戦後、ともすれば暗くなりがちな世相の中で、子ども達に明るい夢と希望をという願いをこめて、戦後第一回の学芸会が開催されたのは昭和21年11月11日のことでした。新憲法発布記念と銘うって南町かなえ座を会場に昼夜三部に分けて行われました。物資の乏しいさなか衣装を借り集めたり、廃品を利用したりで保護者のご苦労は大変なものでした。(中略)

 翌23年、6・3制の発足と同時に父母教師会が創立され、学校の教育環境整備には大きな援助をいただきました。この頃校庭で前進座による「ベニスの商人」の公演があり、その時使用した組立舞台が学校に寄付されてからは、この野外舞台を校庭にすえ、周囲を紅白幕で仕切って学芸会が行われました。間口6間、奥行3間にエプロンステージ付きの大舞台で、引幕やバック幕が風にあおられたり、音声は空に突きぬけるといった具合で、いろいろ苦労を重ねました。こうしたお天気まかせの学芸会は気中の体育館を借用するまで続いたわけです。〉(後略 引用は以上)

前進座公演で使用してその後寄付された組立舞台が前進座のものか、公演関係団体のものか定かではありません。また、その舞台の学芸会での使用開始年もはっきりはしないのですが、校庭での学芸会開催の背景がよくわかりました。

あらためて「三十年のあゆみ」の年表を調べてみると、昭和29年10月14日に「学芸会を校庭で開催」との記述がありました。この頃の年表に学芸会に関する記述はこれだけですので、はじめての校庭での開催だったと推測されます。

校庭での学芸会開始年に関する調査報告は以上です(笑)。昭和29年は1954年。63年前、私たち気中20回生が3歳か4歳だったころの話。なお、この年昭和29年9月2日にはプールが竣工し記念競泳大会が開催されています。私たちの記憶にあるあのプールでしょう。

南小校長だった斎藤一さんの寄稿はつぎのように結ばれています。〈この後、会場は市民会館に移り現在に至るわけですが、そこにはマンモス校の悩みと子ども達のよい環境作り一筋にご支援下さったPTAの方々のご苦労のあとを見ることができます〉と。

斎藤一さんの文章をはじめ〈思い出〉に寄稿された文章を読んでいると、当時の先生方や父兄の皆さんが子供たちの成長に託した希望というものを強く感じるのです。

12月12日ブログ「気小校庭の学芸会」

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祝!審査員特別賞

〈気仙沼漁師カレンダー2018〉が、日本印刷産業連合会主催〈全国カレンダー展〉第3部門で審査員特別賞(銀賞)を受賞しました。

第3部門は、販売(出版)カレンダーや既成カレンダーで、公共性の強い機関からの作品を原則として含むものです。漁師カレンダーはこれまで、2014年版が経済産業大臣賞(金賞)、2016年版がフジサンケイビジネスアイ賞(銀賞)を受賞しており、3度目の受賞となりました。素晴らしい。

私がうれしかったのは、この審査員特別賞が松永真賞であったこと。審査員のお一人である松永真(まつなが しん)さんが漁師カレンダーを高く評価してくれたのです。松永さんにはたくさんの優れた仕事がありますが、ティッシュ「スコッティ」やAGFコーヒー「BLENDY」のロゴやパッケージなどは皆さんもご存じのことでしょう。

以前つとめていた会社で、松永さんに仕事をお願いしたことがありました。オーディオメーカーで当時はソニーの子会社となっていた〈アイワ〉のCI(コーポレートアイデンティティ)です。松永さんの著書/作品集「松永真 デザインの世界」のなかの一頁を紹介しましょう。一番上がアイワのロゴマークです。


アイワロゴ

「松永真 デザインの世界」(1996集英社刊)より


松永さんは1997年にセゾン美術館にて「松永真デザイン展」を開催しました。とても大きな展覧会。ポスターなどのほかに、ウィンドウケースのなかには、松永さんのダイアリーが何冊かページを開いた状態で展示されていました。そこに記されたデザインアイデアやスケッチなどを見せるためです。そのなかの細かな記述も丹念に見ていた私はとても驚きました。そこに私の名と会社名が記されていたのです。〈ODS小田さんmeeting〉だったかな。アイワのプロジェクトの打合せでした。

アイワ(株)は、2002年にソニーに吸収合併され、翌年にはブランドロゴも変更されました。そのデザインを見たとき、とてもがっかりしたことを思い出します。

松永真さんには多くの受賞歴がありますが、第9回亀倉雄策賞も受けるなど、日本の正統的なグラフィックデザインの歴史を継承するお一人です。そうした松永さんのおめがねにかなった漁師カレンダー2018。つばき会の皆さんはもちろんのことですが、デザインの北田進吾さん、編集・インタビューの唐澤和也さん、そして制作会社BambooCutの竹内順平さんらも、とても喜んでいることでしょう。このたびの受賞、本当におめでとうございました。

10月25日ブログ「漁師カレンダー」
12月14日ブログ「写真家竹沢うるま」

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港町防潮堤の続報

気仙沼市港町の防潮堤計画に関する住民説明会が12月14日(木)の夜に魚市場会議室で開かれました。その内容を12月16日の三陸新報が詳しく伝えています。


港町防潮堤

三陸新報12月16日記事の一部イメージ


記事を要約して紹介します。宮城県は説明会で、防潮堤の位置を大幅に変更し、長さも短縮する見直し案を提示しました。そして臨港道路沿いに新設する当初計画は、景観への配慮を求める住民らの意向を踏まえ、復興期間(2020年度)内の整備を見送りました。

見直し案では、海抜5mの防潮堤を魚市場北桟橋脇から臨港道路を挟み、ホテル観洋近くのがけにつなげます。長さは180m。臨港道路と市道にかかる2カ所には津波などの緊急時に自動閉鎖する〈陸こう〉(防潮堤出入り口)を設置し、通常は車が通行できるようにします。閉鎖時に、取り残された車が避難できるように乗り越し道路も岸壁側に整備するとのこと。

県が2015年8月に地元に提示した当初計画では、魚市場からお魚いちば付近までの臨港道路沿いに、防潮堤を建設する計画でした。しかし、〈海が見えない〉など、景観への配慮を求める住民の強い意向を受け、2020年度までの復興期間内に整備が完了できる案としたそうです。

14日の説明会では、これまで頑な対応を見せてきた県の大幅な譲歩案に出席者から「斬新的な案であり、賛成する」と了承する意見が続出し、難対策を十分にするなどの注文などがついたうえで最終的に合意に至ったとのことです。

県は合意を踏まえ、年度内に現地調査や測量に着手し、2020年度内の完成を目指します。総事業費は約10億円です。当初計画は長さ460mで約25億円でした。

河北新報の12月15日(金)配信記事の見出しには驚きました。「気仙沼に計画していた防潮堤建設を断念 宮城県、地元反対根強く」となっていたからです。12月12日の三陸新報は13日のブログで紹介したとおり、「位置変更で大筋合意 懸案計画が前進」としていたのです。しかし記事を読むと、「地元の反対が根強く、当初の計画を事実上断念。接続する予定だった防潮堤を山側に伸ばす代替案を示し、住民に了承された」とありました。そして、12月14日の三陸新報の記事にあった説明図を見て、やっと見直し案の全体像を知ることができたのです。河北新報の記事だけだと、ちょっとわかりにくいかもしれませんね。なお、河北の記事には、「県が2年8カ月ぶりに開いた説明会には漁業関係者や地元の事業者ら約30人が参加した」とありました。〈2年8カ月ぶり〉というのもすごい。

いろんな意見があるかとは思いますが、私は今回の計画見直しをうれしく思いました。海を望むあの景観がとりあえず守られることになったからです。関係者のご努力に敬意を表します。

ひとつ疑問が残るのは、内湾の南町海岸、つまり以前にエースポートや市営駐車場があった地域で整備が進んでいる防潮堤や施設と今回の計画見直しの関係です。K-portやかもめ食堂などがならぶあたりの防潮堤はどうなるのか。誰か教えてください(笑)。

河北新報12月15日(金)配信記事
12月13日ブログ「港町防潮堤合意へ」

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気小卒業アルバム

12月12日のブログ「気小校庭の学芸会」で、千葉憲太郎さんのコメント投稿を紹介しました。その旨を千葉さんにご連絡したところ、返信を頂きました。「ブログに載せて頂き、更に写真まで、気中16回生のアルバムを紐解き思い出にひたりました。団塊世代、700人の同級生、お兄さんは3年14組で我が輩は3年1組でした」。

気仙沼小学校の話題なのに千葉さんが開いた卒業アルバムは気仙沼中学校のもの。それは、当時の気小では卒業アルバムがなかったからです。私たちも。そのことを6学年下の気中26回生だった妻に話すと、私のときはあったといってアルバムを出してきました。そういえば、前に見せてもらったことがありました。

アルバムはA4よりちょっと小さいサイズ。6年6組までのクラス別写真や催事の様子が紹介されています。白黒写真ですが、冒頭の校舎玄関と校歌掲載のページはカラー印刷でした。珍しいので本日はこれを紹介。

気小卒業アルバム
気仙沼小学校 昭和45年3月卒業アルバムより(クリックで拡大)

2012年9月13日ブログ「気小の旧校舎玄関」で、気小PTA30周年記念誌『三十年のあゆみ』に掲載されていた白黒写真を紹介したことがありました。そこでは次のように書きました。

〈『気仙沼文化年表』(荒木英夫編)には、1926年(昭和元年)4月に「笹ヶ陣の新校舎に移転」とあります。これがあのなつかしい玄関部の校舎がおひろめした時でしょうか。そうであれば、いま残っていれば〈築86年〉。「1986年12月24日 気仙沼小学校旧校舎玄関の保存が決まる(気仙沼かほく)」との記述もありました。いつまであの玄関を残していたのでしょう〉(引用は以上)

このカラーの旧校舎玄関をあらためて見ているといろんなことを思い出します。児童としてここを出入りすることはほとんどありませんでしたが、左側にある下駄箱はかすかにおぼえています。旧校舎左側にうつっているのは新校舎でしょう。私たちの時代にはなかった。新校舎落成式は「三十年のあゆみ」によれば昭和42年11月23日におこなわれています。

そういえば、この玄関の右側には、廊下の下をくぐるにようにして校庭に行く通路がありましたね。また校舎2階の右端には売店もあった。いろんなものを売っていました。〈ボンナイフ〉とか(笑)。そんなちょっとしたことが、今はとてもなつかしい。年をとった証拠でしょう。

2015年9月30日ブログ「気小の旧校舎玄関」

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写真家竹沢うるま

2018年版 気仙沼漁師カレンダーが好評とのことでなによりです。このブログでも10月25日に紹介しましたが、表紙にあたるカバー写真しか掲載できずにおりました。その後、手元に届いたカレンダーの各月の写真を見ると、実に素晴らしい。しかし、この写真家 竹沢(たけざわ)うるま氏の作品を勝手に掲載することはさすがにできないよなあ。と思っていたら、12月5日にナショナルジオグラフィック(ナショジオ)日本版サイトで、竹沢さんご自身によるフォトストーリーと写真10点が配信されました。タイトルは〈気仙沼の漁師、冬の海に生きる〉。


ナショジオ

ナショナルジオグラフィック日本版サイトより(画像クリックでサイトにジャンプ)


ナショナルジオグラフィックは1888年にアメリカで創刊されました。地理や自然、文化、環境といった幅広いテーマを選び抜かれた写真と記事で紹介する雑誌で、日本版は1995年から。この雑誌は、竹沢さんの発表の場のひとつでもあるわけで、漁師カレンダーの写真を見ていると、世界中に読者がいるあの黄色い表紙のナショジオで、わが気仙沼が紹介されているような錯覚をおぼえます。

竹沢さんご自身によるフォトストーリーはつぎのように始まります。〈これまで145カ国ほどの国と地域を旅した。その先々で私が求めていたのは、大地の一部として生きる人々の姿である〉。しかし、日本でそうした人々を撮影する機会はほとんどありませんでした。そして今回、気仙沼の漁師を撮影する機会を得たのです。冬の海、船での撮影を通じて感じたことをつづった後でつぎのように記しています。

〈 気仙沼の漁師たちの表情をファインダー越しに捉えていると、不思議な気持ちになった。ふとした時に表れる控えめな笑顔、水平線の彼方を見つめるときのコクのある瞳、過ごしてきた海上での人生の密度を雄弁に物語る深い皺。その一つひとつが、これまで世界各地を旅して出会ってきた“生きる”人々の姿に重なるのである〉(引用は以上)

写真だけでなく文章も素晴らしい。是非、サイトで全文をお読みください。

なお、ほぼ日さんの店舗「TOBICHI」の小スペース〈すてきな4畳間〉で12月12日から17日(日)まで、「気仙沼 漁師カレンダー2018 写真展」が開催されています。詳しくはこのTOBICHIイベント情報にて。また、ほぼ日サイトでは、うるまさんのインタビュー記事「旅に出る理由。旅を終える理由。」の連載も始まりました。こちらも是非に。


このカレンダー、漁師カレンダー公式サイトから注文できますが、気仙沼市内では海の市2階の気仙沼観光コンベンション協会などでも販売しています。

しかしなんというか、今回の漁師カレンダーで竹沢うるまさんに撮影してもらった漁師さんがうらやましい。たぶん沢山買って近所や親戚中に配ったことでしょう。〈なんだがわがんないけんと、モデルたのまれでしまって〉などと言いながら(笑)。

最後にテレビ番組情報。気仙沼つばき会の漁師カレンダー制作を2年間にわたって密着取材した「女将たちのスーパーヒーロー〜気仙沼漁師カレンダー」が、12月17日(日)午後4:30からKHB東日本放送で放送されます。55分間でナレーターは樋口可南子さん。東北各県のテレビ朝日系列局で順次放送されるそうですが、東京地区の放送が予定されていないのが残念。宮城県内の方は今度の日曜日、どうぞご覧ください。

10月25日ブログ「漁師カレンダー」

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港町防潮堤合意へ

気仙沼市港町の防潮堤計画はその後どうなったかなと思っていたのですが、きのう12月12日の三陸新報に〈計画変更で大筋合意〉との記事が掲載されていました。

港町防潮堤

三陸新報12月12日記事の一部イメージ

記事内容を要約紹介します。港町の防潮堤は、魚市場北桟橋〜お魚いちば付近までの臨港道路沿いの約500mに、L型の特殊堤(海抜5m)を建設する計画でした。しかし、この一帯は出漁岸壁として利用され、観光名所にもなっていたため、景観をめぐっての異論が続出。事業所や住民有志で組織する「港町のまちづくりを考える会」では、県と見直しに向けての協議を続け、防潮堤の位置を変更することなどで大筋合意に至ったとのこと。

新たな計画案では、防潮堤を魚市場脇から臨港道路を挟みホテル観洋側へ山付けとし、道路にかかる部分は車の通行に支障がないように横引きゲートを採用。また、段差が生じている岸壁と道路の間(海の道)は階段にするほか、遊歩道や駐車場を設置します。

なお、この防潮堤は宮城県の事業ですが、市も県に対してフラップゲート採用などを要望するなどしてきました。しかし、県はそれを受け入れず現在に至っておりました。その経緯は、昨年5月17日のブログに書きました。12月14日(木)午後6時から気仙沼魚市場の会議室で説明会が開かれます。また詳しい内容がわかれば、紹介しようと思っています。

2016年5月17日ブログ「港町の防潮堤計画」

そういえば、気仙沼魚市場前の防潮堤計画が大筋合意との報道があったのは昨年11月末のことでした。それを紹介したブログのなかで、私は港町の防潮堤がどうなったかと書いていました。あれからもう一年たつのですね。

2016年12月1日ブログ「魚市場前の防潮堤」

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気小校庭の学芸会

12月9日に、千葉憲太郎さんという方から当ブログにコメント投稿をいただきました。気仙沼中学16回生とのことなので、私たちよりも4年先輩、69〜70歳でしょう。

コメントは、2015年9月30日のブログ「気仙沼小学校校歌」へのもの。そのなかの学芸会に関する記述が目に止まったようです。投稿を引用します。

〈小学校。学芸会のむかしばなし、校庭の真ん中に仮設舞台、懐かしい。6年生の時に「時計が丘」の劇でタヌキの役、三匹のタヌキがお腹にバレーボールを身に着けて、必死に台詞を覚えた。まさか主役をするとは、みんなの応援で無事に終わった。思い出が蘇ってきました。感謝〉

ブログでは、三陸新報の学校紹介の記事を引用したのですが、そのなかで〈昭和33年のピーク時の児童数が3400人以上で、県内一の「マンモス校」だった〉と書かれていました。それを受けて、私はつぎのように書いたのです。

〈昭和33年(1958年)は私たちが気仙沼小学校に入学した年。あの時が3400人だったのか。4つ上の兄が気小5年のとき。学芸会は、校庭につくられた舞台で2日間にわけて開催されたと語っていたことを思い出します。記事では〈県内一〉と書いていますが、私たちがよく聞かされたのは〈全国有数のマンモス校〉という形容句でした。〉

本日は、気仙沼小学校の校庭で開催されていた学芸会の写真を紹介します。手元の気仙沼小学校父母教師会『三十年のあゆみ』(1978年2月発行)に掲載されていたものです。

学芸会

〈屋外舞台での学芸会〉との記載がありますが、年月情報はありません。しかし、後側にうつる木造校舎なども含め、当時のかすかな記憶がよみがえってくるような感じがします。校庭にはムシロが敷かれていたような気がするのですが。〈ムシロ〉はすでに死語か(笑)。

この気小校庭では、市民運動会も開かれていました。『三十年のあゆみ』には、その前身ともいうべき〈町民体育大会〉の写真もありました。昭和27年11月1日の撮影。私が生まれた年のことですから65年前。

町民運動会

これは西校舎から東校舎方向を撮ったものでしょう。左側が職員室や作法室もあった、なんていったっけ、〈本校舎〉かな。

これらの写真は、『三十年のあゆみ』の最後に5頁にわたっての〈写真集〉として掲載された40カットの一部です。機会を見て全部を紹介するのもいいかもしれませんね。

コメントをくださった千葉憲太郎さんは兄と同学年だなと思い、電話で聞いてみましたが〈残念ながら覚えていないな〉と。そして〈だってさ、700人もいたんだからさ〉と続けました(笑)。

この学芸会の写真、千葉さんが喜んでくれればなによりです。

2015年9月30日ブログ「気仙沼小学校校歌」

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メカジキの中吊り

この土日曜日は、仙台にでかけていました。きのう12月10日のお昼すぎ、JR北仙台から仙台に向かう車内で、気仙沼を紹介する中吊り(なかづり)広告を見つけました。

メカ中吊り

◎食のまち気仙沼 メカを囲もう
気仙沼の料理人達が生んだメカジキの新たな楽しみ方

JR東日本 仙台支社が広告主ですが、〈企画:気仙沼メカジキブランド化推進委員会〉との記述がURLとともに下部にありました。

気仙沼メカジキブランド化推進委員会ウェブサイト

ウェブサイトを見ると、この気仙沼メカジキブランド化推進プロジェクトに協賛くださっている4団体の名が記されています。キリン絆プロジェクト、日本財団、気仙沼信用金庫、農林中央金庫さんです。今回の中吊り広告などもこうした皆様方のご協力によって実行できているのでしょう。関係者の皆様にお礼を申しあげます。メカしゃぶ、メカすきはどうぞキリンビールで(笑)。

土曜日には10月に亡くなった母の納骨を無事おえることができました。2カ月近くが過ぎ、おかげさまで平穏な生活をとりもどしております。仙台に行くと、足をのばせば気仙沼と思うものの、なかなか果たせず残念。帰郷のおりには、是非メカしゃぶでもと思っています。


キリングループさんのメカジキプロジェクト支援については、下記のブログでも紹介しております。
2016年4月20日ブログ「ふたつの「絆」支援」

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復興祈念デザイン

気仙沼市の復興祈念公園が、魚町の後背地にあたる陣山に整備されますが、その施設検討委員会の初会合が11月24日に市役所で開かれたそうです。翌日25日の三陸新報と河北新報がそれを伝えています。

まずは三陸新報の記事。

復興祈念公園記事

三陸新報11月25日記事の一部イメージ

公園の機能やモニュメントなどのアイデアを来年1月中旬から2月下旬にかけて一般公募するのですね。2020年3月までの完成を目指すとのことです。記事には公園全体のイメージ図も掲載されていました。拡大してみましょう。

イメージ図

河北新報11月25日配信の記事を引用しておきましょう。

◎気仙沼市、復興祈念公園デザイン公募 施設検討委が発足

 宮城県気仙沼市が同市陣山に整備する東日本大震災の復興祈念公園を巡り、公園の在り方を考える「復興祈念公園施設検討委員会」が24日、発足した。市役所で初会合があり、2019年度末の完成を目指し、公園の中核となる広場やモニュメントのデザインは一般公募で決める方針を確認した。
 委員会は学識経験者や地元の観光、まちづくり団体の関係者ら20人で構成。本年度内に必要な機能や公園の活用法なども協議する。委員長には東北大災害科学国際研究所の川島秀一教授が就いた。
 公園の予定地は、被災した市街地や気仙沼湾を一望できる標高57メートルの民有地約2.3ヘクタール。頂上付近には、公園の中核となる「祈りの場」(750平方メートル)を整備し、犠牲者の名前を刻んだ銘板などを設ける。
 銘板のデザインや公園全体の配置に関し、市内外から一般公募。来年3月に検討委が審査を実施し、採用するデザインを決める。
 川島委員長は「単なるハード整備にするのではなく、市民の意見を広く取り入れた公園の在り方を探ってきたい」と話した。
 総事業費は4億3100万円。市の負担は9900万円で、うち5000万円はクラウドファンディングを活用する方針。(引用は以上)

公募はプロ、アマを問わずということですが、モニュメントのデザインとなるとちょっとハードルが高いかな。でもな、小さなころに遊んだ場所のことだしな。募集要項を見てから考えてみようか。などと思ってみたりしているところです。

復興祈念公園用地が陣山に決定された経緯などはつぎのブログにまとめてあります。ご参考になればと。今週はこれにて。

2016年3月9日ブログ「陣山から復興祈念」
2017年6月23日ブログ「震災復興祈念公園」

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クリスマスケーキ

コヤマ菓子店の故 小山隆市君(3年6組)の長男、裕隆さんのブログでクリスマスケーキのカタログができたという話を読み、12月に入ったら紹介しようと思っておりました。そしてきのう裕隆さんに頼んで送ってもらったのがつぎの画像です。

コヤマケーキ

7種のクリスマスケーキがならんでいます。それぞれに特徴があってどれも美味しそう。ホヤぼーやのケーキもなかなかのものと思います。12月15日までのご予約で10%割引とのことです。

コヤマ菓子店WEBサイト

震災の年2011年12月26日のブログ「Xmasの甘き香り」では、50年以上も前のクリスマスケーキの思い出を書きました。魚町の〈いもや〉や南町〈谷村〉のウィンドウに飾られた大きなケーキのことなど。あらためて読んでみると、気仙沼復興商店街「南町紫市場」のグランドオープンが12月24日に行われていたり、6年の歳月を感じさせます。ということで、以下に再録いたします。

〈一昨日12月24日の気仙沼復興商店街「南町紫市場」のグランドオープン、そして続く昨25日も大盛況だったようです。よかったですね。ネット上の会場写真をみると、クリスマスということもあって、素敵な女性がサンタクロース姿でお手伝いをしています。ボランティアの方々もこのオープニングをいろいろと手伝ってくださったようです。いつも本当にありがとうございます。

田中前で店を再開した小山隆市君のコヤマ菓子店も、クリスマスケーキの予約数が昨年以上だったそうですよ。なによりのことです。

50年近く前、私たちが小学生のころ、クリスマスが近くなるとお菓子屋さんの店頭に大きなデコレーションケーキが飾られました。通学の朝、私の家は魚町でしたので、まずは「いもや」のケーキをながめます。そして、大堀銀座交差点角の玩具店「ナガサワ」のクリスマスの飾りに彩られたウィンドウを見たあと、南町紫神社前のいかせんべい「谷村」菓子店のケーキを採点します。

だいたいは、当時の気仙沼の大店(おおだな)「いもや」のデコレーションケーキの方が大きく華やかだったような記憶があります。でも、たまに「今年は谷村のほうがいい」こともあったようです。

「イモヤノヨリ、チョットチャッコイケント、コイヅノホウガイイ」

単なる大きさ高さの競争ではなく、ちょっと小さいけれど、谷村のケーキのほうに品の良さとかクオリティ感を感じることがあったのかもしれません。オダ君の成長のあかし。

小学校高学年か中学になると、母がケーキを焼いてくれるようになりました。「ピース」印のガスレンジ上置きタイプの天火(てんぴ/オーブンのことね)を使いました。はじめはバタークリームです。私も平たいステンレスの口金からクリームを絞り出し、バラの飾りに挑戦しましたが、なんか開ききったハスみたいなバラになりました。

何年かたつと生クリームが登場。当時の気仙沼では、お店では生クリームを売っていませんでした。毎朝の配達をお願いしている牛乳屋さんに前もって頼んでおくのです。すると赤い字で「吉田牛乳店」と記されたいつもの瓶に入った生クリームが、イブの日に届くという段取りです。

それと、思い出すのはクリームかスポンジにたらすバニラエッセンス。まさにケーキのおいしさのエッセンスが詰まっていました。今でもあの小さなキャップをはずした瓶の香りをかぐだけで、かなり気持ちよくなれるはずです。甘く危険な香り(笑)。

マドレーヌに一滴たらし、紅茶にひたして食べてみましょうか。きっと、失われた幼いころの記憶がよみがえってくるでしょう。〉(再録は以上)

〈いもや〉も〈谷村〉もいまはないけれど、〈コヤマ菓子店〉が頑張っています。ということで、皆様どうぞよろしく。

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大忘年会 in 東京

本日は東京でのイベント紹介です。気仙沼市移住・定住支援センターMINATOによる〈気仙沼 大忘年会 in 東京〉です。きのう12月5日の三陸新報でも紹介されていました。

忘年会
気仙沼市移住・定住支援センターMINATOサイトより(クリックでサイトにジャンプ)


◎開催概要
日時:12月9日(土)19:00〜22:00
会場:炭火家 おだづもっこ(東京都杉並区高円寺北1-3-2)
定員:40名(事前予約制)
会費:4500円(飲み放題+気仙沼スペシャルメニュー)
◎主催
気仙沼市移住・定住支援センターMINATO
TEL: 0226-25-9119
MAIL: info@minato-kesennuma.com
◎お申し込み
サイト内容をご覧のうえで、この申し込みフォームでお申し込みください。

◎キャンセルについて
キャンセルのご連絡は、2日前までにお願いいたします。
(キャンセル料:2日前0%/前日50%/当日100%)

この忘年会は昨年も開かれました。私は参加できませんでしたが、会場は東横線代官山駅徒歩30秒の〈O'KOK〉(オーコク)でした。冒頭の写真は昨年の会の様子だと思います。若い人が多いかな。今年の会場は、高円寺の〈おだづもっこ〉。私はまだ行ったことがないのですが、2014年に〈リアス気仙沼〉のサイトで知りました。それによれば、2013年の夏にオープンし、店主は気仙沼市太田出身の小原木和輝さんです。気仙沼高校57回生ですから、30〜31歳でしよう。詳しくは〈リアス気仙沼〉をご覧ください。

魚市場前の「海の市」2Fにある気仙沼市移住・定住支援センターMINATOについては、1月19日のブログでも書きましたので詳細は略します。唐桑に拠点をもつ一般社団法人「まるオフィス」が市の委託を受けて運営にあたっています。センター長は、まるオフィス代表の加藤拓馬さんです。

私はこの日、仙台にでかけるので参加できませんが、ご都合が許す方はぜひどうぞ。なお、MINATOサイトの案内文にある店名〈炭火焼 おだづもっこ〉の〈炭火焼〉は誤記で正しくは〈炭火屋〉だと思います。当方記載では修正しておりますが念のため。(追記:現在、サイト記載も修正されています)

1月19日ブログ「MINATO/湊とは」

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ワンライン 2017

12月2日(土)、〈ONE-LINE2017 気仙沼イルミネーション〉が始まりました。来年1月12日まで、約20万個のLEDが市内を彩ります。港町の旧朝市広場で行われた点灯式では、May J.さんの4回目となるライブのほか、内湾から2千発の花火も打ち上げられました。

イルミネーション
三陸新報12月2日掲載広告

◎開催期間 :12月2日〜2017年1月12日(金)
◎点灯時間 :18:00〜24:00

このイルミネーションプロジェクトは、2012年に〈クリスマスイルミネーション〉としてスタートし、その後〈ONE-LINE(ワンライン)〉という名が冠されました。ONEには、気仙沼「湾」と共に、心を「ひとつ」にという想いが込められています。

2012年から数えて今年で6回目となります。2013年には1000万円の事業費がかかり、実行委員会メンバーが約400万円を穴埋めしたという2014年の河北新報の記事がありました。今年も12月4日の三陸新報記事によれば800万円の予算総額とのこと。記事のなかで実行委員会の宮井和夫委員長は「資金、人手不足などで今年は中止しようと思ったが、今後も継続したいので開催に踏み切った。協賛金は随時受け付けており、多くの方々の協力をお願いしたい」と。

クラウドファンディングを利用しての寄付も可能です。詳しくは下記のプロジェクトサイトにて。

ONE-LINE2017 気仙沼イルミネーション公式サイト

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「唐桑ものがたり」

11月24日の生島淳さんを迎えてのKSB(気仙沼サポートビューロー)復興フォーラムでは、冒頭に気仙沼市役所から派遣されている宮城県東京事務所の高橋将耀さんがつぎの催事を紹介してくれました。唐桑ものがたり「海の古道〜神々の記憶」です。

海の古道

これは唐桑大漁唄込復活推進実行委員会が主催するもので、私のところにも案内が届いておりました。

この「唐桑ものがたり」には、劇団「夢の海」と唐桑の鮪立大漁唄込保存会/崎浜大漁唄込保存会/神止り七福神舞保存会/唐桑浜甚句保存会の皆様からなる総勢100名が出演します。2013年からつぎのような公演を続けてきました。

2013:海の家族の棲むところ
2014:海の古道〜1300年の旅
2015:クリスマスに花束を…祈りのまち・唐桑
2016:海の古道〜神々の記憶

今年2017年のタイトルも「海の古道〜神々の記憶」で昨年と同じですが、演目の下に「1300 years version」と書いてあります。これは熊野神勧請1300年祝祭版ということでしょう。

少し説明しておけば、室根山に熊野神(くまののかみ)を迎えてまつった、つまり勧請(かんじょう)したのは、養老2年(西暦718年)のこと。来年2018年で1300年となるのです。演題「海の古道」は世界遺産でもある「熊野古道」を連想させながら、海上の路、そして1300年前から今に至る時の流れを表しているのでしょう。

なお、来年にはこの「海の古道〜神々の記憶」の東京公演があります。2018年3月25日(日)、東京の目黒区民センターです。県東京事務所の高橋さんが先日のフォーラムで紹介されたのも東京の皆様に是非おいでいただきたくということだったと思います。

この「唐桑ものがたり」は、今年3月に紀州熊野、和歌山県新宮市でも公演をおこなっています。今年9月27日の目黒のさんま祭で、唐桑大漁唄込復活推進実行委員会の会長をつとめる古館(こだて)/鈴木伸太郎さんと事務局長の戸羽芳文さんにお会いしました。お二人とも、新宮市では大変な歓迎を受けて感激したと語っていました。延宝3(1675)年に紀州三輪崎(いまの新宮市)から5艘の船と漁師約70名を迎えて鰹一本釣りの漁法を当地に導入したのは先祖である鈴木勘右衛門ですから、伸太郎さんにとってはなおさらのこと。340年前にさかのぼる鈴木家と紀州のご縁を感じたことでしょう。

どうぞ皆様、12月17日は気仙沼市民会館で「海の古道」1300年の物語をお楽しみくださいますように。

なお、2014年からの各回とも、国や市などの行政や各種団体・企業からの後援、助成を受けています。そのご協力にお礼を申しあげます。

唐桑大漁唄込復活推進実行委員会サイト

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蒲鉾からアーバン

一昨日11月29日のブログで、気仙沼サポートビューロー(KSB)会員の中村勝子さんが〈けあらし〉という言葉をお祖父さんが使っていたと教えてくれました。その谷村のお祖父さんが丹精込めて整備したのが陣山の庭園でした。私の小さな頃の記憶でいうと、山に向かって第2保育所の左/西側一帯です。現在でいうと、アーバンマリアチャペルの左側といえばいいのでしょうか。下は、早稲田大学「気仙沼復興塾」のサイトから借用した2012年時点での写真ですが、チャペルの左側一帯が谷村さんの庭園だったのです。

チャペル

この庭は、私が小学校のころ5月におこなわれていた安波山の日〈あんばさん〉あるいは〈あんばはん〉の時に開放されてにぎわっていたことを思い出します。結構な広さで、谷村のお祖父さんが相当な費用をかけて庭師の手を入れていたのでしょう。そして一定の期間は公開ということにした時期もあったのですが、利用者のマナーが良くないことなどもあって庭が荒れ、公開はとりやめになってしまいました。

私が小さなころの谷村家は蒲鉾(かまぼこ)屋さんを営んでいました。お店は八日町の振商会通りだったと思います。その谷村蒲鉾店が、気仙沼で冠婚葬祭をはじめとする事業を幅広く展開されているアーバン(株)の事業発展の原点なのです。

谷村蒲鉾店が今のアーバン(株)に至る経緯を同社のウェブサイト掲載の企業沿革などから簡単にまとめておきましょう。

まずは昭和36年、陣山の庭を整備した〈谷村のお祖父さん〉のお孫さんで、上述した勝子さんの兄である谷村明夫さんが家業〈たにむら蒲鉾店〉に従事します。そして、昭和40年頃に婚礼や法事の料理仕出しを始めるのです。現社長の谷村明信さん(明夫さんの息子さん)のインタビュー記事によれば、料理だけでなく求めに応じて貸衣装業などもてがけたようです。そして昭和46年には(株)新生活互助会(後のレジオン)を、そのまた2年後には(株)気仙沼冠婚葬祭互助会(現アーバン)をと相次いで会社を設立します。

私の母がこの頃、谷村の〈互助会〉とか〈冠婚葬祭〉とか言っていたことを思い出します。月いくらかの積立金方式だったと思いますが、これに参加していたのでしょう。積立というと、母が魚町のご近所の皆さんとやっていた〈頼母子/たのもし〉講を思い出しますが、これはまた別の話。しかし、頼母子に慣れた人にとって、月々の少額の積立という方式が受け入れやすかったということはいえるでしょう。

気仙沼冠婚葬祭互助会は、昭和61年にアーバン(株)に社名変更。新生活互助会も、年代が定かではありませんが(株)レジオンへと社名を変更した後、平成19年にアーバン(株)に合併します。なお、陣山の〈アーバンマリアチャペル〉オープンは平成12年3月のこと。

アーバン創業者の谷村明夫さんは何年ぐらい先輩だったのかと思い気仙沼高校の同窓会名簿を調べてみました。気高5回生ですから私たちの17年上。早稲田大学商学部に進んでいます。OBとして気仙沼稲門会の活動も熱心にされていたようです。気仙沼市議会議員もつとめました。

こうした沿革をわざわざ紹介したのは、そこに谷村明夫さんの企業家精神を感じたからです。蒲鉾屋さんから仕出し屋さんへ、そしてさらに冠婚葬祭業へ。その過程では、前払金による互助会というビジネスシステムの早期導入がありました。

陣山に広い庭園を(そしてたぶん屋敷も)持つに至る、十数代にわたっての富の蓄積は、谷村明夫さんの積極的な事業展開を支えたことでしょう。しかし、このような事業の転換と発展を誰でも実現できたとは思えません。沿革に記された新たな試みの背後には、様々な葛藤と挑戦的な決断があったと思います。それを皆様にお伝えしたく。

〈谷村のお祖父さん〉からアーバンに至る経緯は以上です。しかし、こうしてまとめてみると、谷村家が蒲鉾の製造と販売を始める前はなにをされていたのかという新たな疑問、というよりも興味がわいてきます。蒲鉾の原料となる魚を扱う仲買か、あるいは船主として魚を穫っていたのか。それはまた、勝子さんの話など聞いて、皆様にご紹介できればと思っております。今週はこれにて。

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マルナリ植木実君

気仙沼市が、商工業の発展に寄与した技能者を表彰する「技能功労者」、今年は6名が選出されたとのこと。そしてその中に、同級生 植木実君(3年9組)の名がありました。11月29日の三陸新報に記事が掲載されていましたので紹介します。

11:29植木実
三陸新報の11月29日記事の一部イメージ

記事を以下に引用します。

〈 父の成次さん(故人)が創業した「マルナリ植木商店」(現マルナリ水産)に従事したのは21歳の時。それまでは横浜で自動車整備工をしていた。「店が軌道に乗ってきたので父から帰郷を勧められて。長男の宿命だね」と笑う。
 以来、サバやイカなどの酢漬け、マグロやワカメのつくだ煮など、気仙沼港産の水産物を使った加工品の製造に携わり、技術を磨いた。
 現在、主力となっている「さんま昆布巻」は、1990年に自身が開発した商品。魚が苦手な子供たちのために骨まで軟らかいものを---と作ったが、思いのほか年配者から好評を得た。今も年末年始の贈答品として人気がある。
 東日本大震災で川口町の工場が全壊し、その1年半後に松崎前浜の仮設施設で再開した。販路を失い、一時はやめようかと考えたが、客が寄せた注文の電話で奮起した。
 仮設施設は狭く、酢漬けのたるが置けない。現在は昆布巻だけの製造だが、本設に向けて日々汗を流している。「受賞は青天のへきれき。受けないと次の人に回っていかないので」と語る。〉(引用は以上)

植木実君の昆布巻については、これまでも紹介してきました。たとえば次のブログ。

2015年1月8日ブログ「植木実君の昆布巻」
2016年12月2日ブログ「さんま昆布巻受賞」

1990年に実君自身が開発した商品とのことなので、もう27年にもなるのですね。ロングセラーというか気仙沼物産の定番商品のひとつでしょう。

私は実君の「受賞は青天のへきれき。受けないと次の人に回っていかないので」というコメントが気に入りました。実に彼らしい言葉。その表情を声とともに思い出します。表彰式は本日11月30日、サンマリン気仙沼ホテル観洋にて。植木実君のこのたびの受賞を心からうれしく思いました。受賞者の皆様にお祝いを申しあげます。おめでとうございました。

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けあらしいつから

11月24日のブログで「気仙沼のけあらし」のことを書きました。


東北放送
東北放送11月22日配信記事イメージ(写真画像クリックでサイトにジャンプ)


そこで私は、〈「けあらし」という言葉を知ったのは、ここ10〜20年ぐらいのことではないでしょうか。私が知らないだけかもしれませんが、なにか余所(よそ)から輸入された言葉のような気がします〉と記したのですが、それは間違っていたようです。

そのブログをアップした24日の夜に開催されたKSB(気仙沼サポートビューロー)復興フォーラムのなかで〈けあらし〉の話が出ました。その際に私が、〈気仙沼にいたころは、けあらしという言葉を知らなかった〉といったら、〈いやいや、お祖父さんがよく言っていた〉との声があがりました。

その声の主は、KSBの会員である中村勝子さんという女性です。気仙沼のご実家は、以前の谷村蒲鉾店。谷村家は気仙沼で十数代も続く旧家で、現在はアーバン(株)を経営されています。中村さんは、アーバンの先代社長である谷村明夫さんのお姉さんか妹さんではないでしょうか。そのお祖父さんが、〈けあらし〉という言葉を使っていたというのですから、古くから使われていたことに間違いないようです。自分が聞いたことがないから、余所から輸入された言葉ではないかなど、まるで〈外来語〉であるかのように語った私が浅はかでした。訂正してお詫びいたします。

この後、〈谷村のお祖父さん〉が整備した陣山の庭の話があるのですが、長くなるので回をあらためて紹介いたします。本日はこれにて。

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5組藤村進君訃報

先週末、菊田裕美君(1組)からのメールで、気中3年5組だった藤村進君の訃報を知りました。裕美君も5組同級生から教えてもらうまで知らなかったとのこと。その同級生に奥様から届いた喪中欠礼のはがきには、10月23日永眠と記されていたそうです。

進君とは何度か同じクラスになりました。昨年9月24日に気仙沼で開催された「あれから50年同年会」でも元気な顔を見せてくれたのですが。千葉県袖ヶ浦市在住でしたから、三陸新報など気仙沼での訃報広告はなかったと思います。そんなことで、皆様にもお知らせをと。

満66歳だったと思います。藤村進君のご冥福を心からお祈りいたします。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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