気仙沼の 2017年

恒例の2017年〈あなたが選ぶ気仙沼市の五大ニュース〉候補が12月27日の三陸新報に、掲載されていました。昨年の候補は21項目でしたが、今年はニュースが多かったのか31項目です。

ニュース1
ニュース2
三陸新報12月27日記事より

この〈五大ニュース〉は、気仙沼市教育委員会と市立公民館の主催で昭和20年から続く恒例行事。今年で71回目となりました。投票は1月5日から21日まで。投票箱は、学校などの公共施設66カ所に設置されます。

三陸新報の記事の見出しは〈大島大橋架設など31候補〉となっており、大島架橋が早くもトップ当選の気配(笑)。扱いが難しいのは〈生鮮カツオの水揚げ21年連続日本一〉です。毎年のこととなると有り難みが薄れますが、今年は水揚げ量がピーク時の半分以下というのがニュースでしたね。

私は、魚町のご近所だったホテル望洋が50年の歴史に幕というニュースが印象的です。ブログにも書きましたが旅館「望洋館」の時代から数えれば相当に長い歴史がありました。「亀の湯」の営業も終了。この一年、あっという間に過ぎたような気がしますが、こうしてニュース項目をながめているといろんなことがあったなあと思います。

今年のブログは本日までといたします。今年もご愛読いただき、ありがとうございました。どうぞ皆様、良い年をお迎えくださいますように。

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医者が妻を看取る

11月下旬に、気仙沼高校で一学年下だった小野寺久さんから著書が出版されたとの連絡をもらいました。書名は「医者が妻を看取る」、副題が「夫婦でがんと闘った3年10ヵ月の記録」。

久君著書
「医者が妻を看取る」カバー表裏(装画は牧子さんの小学校時代の恩師である安野光雅さん)

私はすぐにアマゾンで注文し、届いた本の頁を開きましたが、なかなか読み進むことができませんでした。読了後、ブログでも紹介しようと何度か書き始めたのですが、うまくまとまりません。しかし、このまま年を越えてしまうわけにはいかないと本日の紹介となりました。

まずは版元である中央公論新社による内容紹介と著者略歴を引用します。

◎内容紹介
小社刊『にほんご万華鏡』シリーズの著者 小野寺牧子さんは、大腸がん闘病の末、一昨年亡くなりました。夫である小野寺久氏は、大腸がんの権威であるにもかかわらず妻を大腸がんで喪うことになりましたが、がんが発覚したその日から亡くなるまで、詳細な日記をつけていました。家族として、夫としての闘病記録や心構えだけでなく、専門医としての見地からも、家族ががんになったとき、どうなってしまうのか、どうすればいいのかを治療法の選択肢や緩和ケアなど含め、詳細に綴っています。二人に一人ががんになるという時代、夫婦どちらかががんになるのはまったく不思議なことではありません。がん専門医として、これから患者や患者の家族になる人のためにも、妻の死を無駄にせず、発信したいという切実な思いで綴った1冊

◎著者略歴
1953年宮城県生まれ。78年京都大学医学部卒業。ロンドン大学セント・メアリーズ病院留学の後に、京都大学医学研究科腫瘍外科学助教授。聖路加国際病院消化器センター長を経て、現在聖路加国際大学教育センター長。(引用は以上)

牧子さんは毎年受けている人間ドックで異常が発見され、内視鏡検査で病期4の進行性大腸がんであることが明らかになります。2011年10月14日のことです。夫の久さんは、京都大学の研究室時代に大腸がんの臨床研究を生涯かけてのテーマとし、いまではその権威ともいわれています。妻の病状の深刻さを即座に理解したことでしょう。2012年1月、4月、10月、そして13年5月と4度にわたった大手術を自ら執刀しました。また、13年10月には〈(牧子さんの)CT画像は、自分ひとりでは恐ろしくて隅々までみることは到底できない〉とその心情を吐露しています。

牧子さんが亡くなるという結末を知っているだけに、読者は随所で感情をゆさぶられ、一気に読める本ではないでしょう。そしてなによりも誰よりも、久さんは何度も文章をまとめる手が止まったことと思います。

久さんは牧子さんの闘病に寄り添いながら、聖路加国際病院での外来診療や救急患者も含めての様々な手術をおこなっています。患者の余命の告知もしなければなりません。たとえば、進行胃がんの男性の手術後、奥様に「平均で1年の命」と伝え、40代の進行直腸がんの女性患者のご主人には「年を越すのは難しい可能性がある」などと。そのときの久さんの気持ちを想像すると、本をいったん置かざるを得なくなるのです。

念のため申し上げれば、深刻な話だけが続くわけではありません。2013年5月には初孫が誕生しますし、夫婦ふたりでの闘病の背景にはいつも共通の趣味である音楽が流れ、絵画、文学の会話がありました。また、久さんの手術などによって快癒した患者さんのことなど、希望を感じさせる逸話なども多数紹介されています。

12月6日に自由ヶ丘の書店で本をながめていたら、この本が平積みされていました。出版社や書店がこの本を推してくれていることを大変うれしく思いました。是非みなさまにもお読みいただきたく。

書店写真

昨年12月14日のブログに牧子さんの3冊目の著書と久さんのことを記しております。お手すきのときにでも。

2016年12月14日ブログ「日本語万華鏡3」


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市社協熊谷直惠君

12月24日(日)の三陸新報のつぎの記事に目がとまりました。

12月25日 直恵君
三陸新報12月24日記事

気仙沼中学10回生(1957年度卒業生)の「喜寿を祝う会」で、出席者146人から寄せられた寄付金が12月22日に気仙沼市社会福祉協議会に手渡されたとのこと。気中10回生ですから20回生の私たちの10年先輩の方々です。写真左端にうつるのは祝う会実行委員長の〈カネダイ〉佐藤亮輔さん。前気仙沼漁業協同組合の組合長です。

私の目を引いたのは右端にうつる社協の常務理事の名前。熊谷直惠とありました。気仙沼高校3年6組の同級生です。直惠(なおえ)君はたしか新月中学の出身だったと思う。6組というのは学年6クラス中ひとつの理科系クラスでした。担任は物理の大槻良文先生。

6組は真面目な生徒が多かったような印象がありますが、直惠君もそのひとり。私の記憶では、つとめが気仙沼市役所だったなと。ネットで調べてみたら、9年前、平成20年の気仙沼市・本吉町合併協議会の会議録に事務局長としてその名が記されていました。

本吉町は平成21年(2009年)9月1日に気仙沼市に編入合併しました。この合併に向けての協議など様々な実務を手がけてきたのでしょう。いまこうして社会福祉の仕事をまかされているのも、そうした経験や実績を評価されてのことだと思います。記事には、このたびの寄付金を〈なんらかの形で地域の子供たちのために活用したい〉との直惠君の言葉も紹介されていました。

話は変わって。気中10回生の〈喜寿を祝う会〉には146名が集まったそうです。77歳を迎えることができる自分たちのことだけでなく、ほかの方々のことも思いやる気中先輩の皆様。その善意がとてもうれしく、またありがたいことだなと感じるこの年の瀬です。

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山内さんに棚橋賞

リアス・アーク美術館の学芸係長をつとめる山内宏泰さんの論文が、日本博物館協会の「棚橋賞」を受賞しました。12月23日の三陸新報が詳しく紹介しています。

棚橋賞
三陸新報12月23日記事の一部イメージ


棚橋賞は国内の博物館界で最も権威があるとされる賞とのこと。三陸新報の記事で受賞論文の骨子が紹介されていましたので引用します。

〈 棚橋賞は、日本の博物学の祖で、東京博物館(現・国立科学博物館)初代館長を務めた故・棚橋源太郎氏の功績をたたえて1962年に制定された。同協会が毎月発行する「博物館研究」の掲載論文から、毎年優秀な作品を選んで表彰している。
 山内さんは、昨年発行された10月号で「博物館が復興に果たす役割」と題した論文を発表。常設展「東日本大震災の津波と災害史」については、観覧者の防災・減災意識の向上や、地域が築き上げていきたものの最後の姿を残し、地域再生の資料とする狙いなどを述べ、「人を動かし、未来を守るための展示」と強調した。
 震災後の美術館再開は、住民の美術館活動に対する理解によって実現したと紹介。震災常設展の開始は、同館が以前から津波災害史研究を行っていたことや、地域住民が教訓を後世に残すことの必要性を認識していたために受け入れられたことも説明した。
 被災地の博物館の役割については、人々が地域再生を目指すに当たり、被災前の文化的要素を引き継ぐことができるよう、「必要とされる資料、情報を提示し続けること」とし、普段から地域のために何をすべきか考えることの重要性を述べた。〉(引用は以上)

同美術館の震災に関する常設展は、従来の博物館の展示常識と違っているといわれます。私は、昨年2月の東京・目黒美術館での「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展で気仙沼における常設展の一端に触れたに過ぎませんが、その展示の独自性を十分に感じることができました。そして、展示被災物に添えられたテキストなどに対して、学芸員の想像力が過度に反映されているのではないかとの疑問があることも同時に理解できました。そんなこともあって、今回の受賞は、山内宏泰さんにとってはもちろんのこと、リアス・アーク美術館にとっても大変うれしいことだろうと感じたのです。

記事によれば山内さんは、今回の受賞を喜ぶと共に、「地域の皆さんと共に歩んできた成果が認められた。今後も美術館が地域のためにできることを模索し続けたい」と話したそうです。

山内さん、そしてリアス・アーク美術館関係者の皆様、このたびの受賞おめでとうございました。

2015年8月14日ブログ「高山登の教え子達」

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反対で統合先送り

12月20日の三陸新報のトップ記事は19日の気仙沼市議会12月定例会について。そこには、月立小学校と水梨小学校について〈反対で統合先送り〉との見出しが付されていました。

統合先送り

三陸新報12月20日記事の一部イメージ


これまでの新聞報道で、そうした見通しであることが報道されていましたので、さほどの驚きはありません。ただ、この小中学校統合の問題はなかなか大変だとあらためて感じました。

記事によれば、2月19日の一般質問において、秋山善治郎市議からの〈教育環境整備計画の第2段階を強行するのか〉との質問に、齋藤益男教育長は、〈水梨小と松岩小、月立小と新城小の来年4月の学校統合は事実上困難だ。年明け後の地域懇談会で時期について判断を示したい〉と答えたそうです。

この小中学校統合については、気仙沼を離れている方にとってはちょっとわかりにくいかもしれません。11月24日のKSB復興フォーラムでも、生島さんの浦島小と鹿折小の統合についての話に対して、会場からそれは違うのではないかとの声があがったことを思い出します。なお、浦島小学校は計画の第1段階として2013年度に鹿折小学校に統合を完了しています。

統合計画については、本年1月1日の三陸新報記事の表がわかりやすいので、再度掲載しておきます。


三陸新報1月1日記事より


太字は統合または決定済み、それ以外は未確定です。この気仙沼市の小学校統合問題については、河北新報が5月に伝えています。

河北新報5月23日配信記事

第3段階は2021年度に計画されていますが、その議論も相当な困難が予想されます。上の表を見て欲しいのですが、第3段階のなかには、「大島小→鹿折小」「大島中→鹿折中」なども含まれています。これらは大島架橋の完成が前提での計画でしょう。鹿折地区の人の反応は別として、大島地区から起こるであろう反対の声が今から聞こえてくるようです。

河北新報の記事によれば、2013年6月に市教育委員会が策定した再編計画では、3段階にわけて20校ある小学校を10校に減らします。月立小と水梨小両校の統合は既に1年延長されていましたので、さらにということになれば2年目の延長となります。

これらの統合/再編計画の背景には、少子化の問題があります。2月20日のブログに気仙沼市の小中学校の児童数の表を掲載しております。それを見ると、2017年度の全校生徒数は水梨小が19人、月立小が28人です。地域の伝統や少人数教育のメリットや遠距離通学のデメリットなど統合反対の気持ちもわからないのではないのですが、統合によって得られるメリットのほうが多いのではないかと私は思っております。

以上、長くなりましたが私自身にとっての情報整理とも思いとりまとめました。

1月17日ブログ「小中学校統合問題」
2月20日ブログ「新入学児童生徒数」

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校庭学芸会の背景

12月12日のブログ「気小校庭の学芸会」では、気仙沼小学校父母教師会(PTA)『三十年のあゆみ』(1978年2月発行)に掲載されていた学芸会の舞台写真を紹介しました。この『三十年のあゆみ』のなかに、〈思い出〉というタイトルで、関係者28名の寄稿文が掲載されています。そのひとつが、当時は南気仙沼小学校の校長であった斎藤 一さんによる〈学芸会回想〉という文章。そこに、校庭で学芸会が開催されるにいたった背景が記されておりました。

学芸会

文章を以下に引用します。

〈 終戦後、ともすれば暗くなりがちな世相の中で、子ども達に明るい夢と希望をという願いをこめて、戦後第一回の学芸会が開催されたのは昭和21年11月11日のことでした。新憲法発布記念と銘うって南町かなえ座を会場に昼夜三部に分けて行われました。物資の乏しいさなか衣装を借り集めたり、廃品を利用したりで保護者のご苦労は大変なものでした。(中略)

 翌23年、6・3制の発足と同時に父母教師会が創立され、学校の教育環境整備には大きな援助をいただきました。この頃校庭で前進座による「ベニスの商人」の公演があり、その時使用した組立舞台が学校に寄付されてからは、この野外舞台を校庭にすえ、周囲を紅白幕で仕切って学芸会が行われました。間口6間、奥行3間にエプロンステージ付きの大舞台で、引幕やバック幕が風にあおられたり、音声は空に突きぬけるといった具合で、いろいろ苦労を重ねました。こうしたお天気まかせの学芸会は気中の体育館を借用するまで続いたわけです。〉(後略 引用は以上)

前進座公演で使用してその後寄付された組立舞台が前進座のものか、公演関係団体のものか定かではありません。また、その舞台の学芸会での使用開始年もはっきりはしないのですが、校庭での学芸会開催の背景がよくわかりました。

あらためて「三十年のあゆみ」の年表を調べてみると、昭和29年10月14日に「学芸会を校庭で開催」との記述がありました。この頃の年表に学芸会に関する記述はこれだけですので、はじめての校庭での開催だったと推測されます。

校庭での学芸会開始年に関する調査報告は以上です(笑)。昭和29年は1954年。63年前、私たち気中20回生が3歳か4歳だったころの話。なお、この年昭和29年9月2日にはプールが竣工し記念競泳大会が開催されています。私たちの記憶にあるあのプールでしょう。

南小校長だった斎藤一さんの寄稿はつぎのように結ばれています。〈この後、会場は市民会館に移り現在に至るわけですが、そこにはマンモス校の悩みと子ども達のよい環境作り一筋にご支援下さったPTAの方々のご苦労のあとを見ることができます〉と。

斎藤一さんの文章をはじめ〈思い出〉に寄稿された文章を読んでいると、当時の先生方や父兄の皆さんが子供たちの成長に託した希望というものを強く感じるのです。

12月12日ブログ「気小校庭の学芸会」

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祝!審査員特別賞

〈気仙沼漁師カレンダー2018〉が、日本印刷産業連合会主催〈全国カレンダー展〉第3部門で審査員特別賞(銀賞)を受賞しました。

第3部門は、販売(出版)カレンダーや既成カレンダーで、公共性の強い機関からの作品を原則として含むものです。漁師カレンダーはこれまで、2014年版が経済産業大臣賞(金賞)、2016年版がフジサンケイビジネスアイ賞(銀賞)を受賞しており、3度目の受賞となりました。素晴らしい。

私がうれしかったのは、この審査員特別賞が松永真賞であったこと。審査員のお一人である松永真(まつなが しん)さんが漁師カレンダーを高く評価してくれたのです。松永さんにはたくさんの優れた仕事がありますが、ティッシュ「スコッティ」やAGFコーヒー「BLENDY」のロゴやパッケージなどは皆さんもご存じのことでしょう。

以前つとめていた会社で、松永さんに仕事をお願いしたことがありました。オーディオメーカーで当時はソニーの子会社となっていた〈アイワ〉のCI(コーポレートアイデンティティ)です。松永さんの著書/作品集「松永真 デザインの世界」のなかの一頁を紹介しましょう。一番上がアイワのロゴマークです。


アイワロゴ

「松永真 デザインの世界」(1996集英社刊)より


松永さんは1997年にセゾン美術館にて「松永真デザイン展」を開催しました。とても大きな展覧会。ポスターなどのほかに、ウィンドウケースのなかには、松永さんのダイアリーが何冊かページを開いた状態で展示されていました。そこに記されたデザインアイデアやスケッチなどを見せるためです。そのなかの細かな記述も丹念に見ていた私はとても驚きました。そこに私の名と会社名が記されていたのです。〈ODS小田さんmeeting〉だったかな。アイワのプロジェクトの打合せでした。

アイワ(株)は、2002年にソニーに吸収合併され、翌年にはブランドロゴも変更されました。そのデザインを見たとき、とてもがっかりしたことを思い出します。

松永真さんには多くの受賞歴がありますが、第9回亀倉雄策賞も受けるなど、日本の正統的なグラフィックデザインの歴史を継承するお一人です。そうした松永さんのおめがねにかなった漁師カレンダー2018。つばき会の皆さんはもちろんのことですが、デザインの北田進吾さん、編集・インタビューの唐澤和也さん、そして制作会社BambooCutの竹内順平さんらも、とても喜んでいることでしょう。このたびの受賞、本当におめでとうございました。

10月25日ブログ「漁師カレンダー」
12月14日ブログ「写真家竹沢うるま」

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気小卒業アルバム

12月12日のブログ「気小校庭の学芸会」で、千葉憲太郎さんのコメント投稿を紹介しました。その旨を千葉さんにご連絡したところ、返信を頂きました。「ブログに載せて頂き、更に写真まで、気中16回生のアルバムを紐解き思い出にひたりました。団塊世代、700人の同級生、お兄さんは3年14組で我が輩は3年1組でした」。

気仙沼小学校の話題なのに千葉さんが開いた卒業アルバムは気仙沼中学校のもの。それは、当時の気小では卒業アルバムがなかったからです。私たちも。そのことを6学年下の気中26回生だった妻に話すと、私のときはあったといってアルバムを出してきました。そういえば、前に見せてもらったことがありました。

アルバムはA4よりちょっと小さいサイズ。6年6組までのクラス別写真や催事の様子が紹介されています。白黒写真ですが、冒頭の校舎玄関と校歌掲載のページはカラー印刷でした。珍しいので本日はこれを紹介。

気小卒業アルバム
気仙沼小学校 昭和45年3月卒業アルバムより(クリックで拡大)

2012年9月13日ブログ「気小の旧校舎玄関」で、気小PTA30周年記念誌『三十年のあゆみ』に掲載されていた白黒写真を紹介したことがありました。そこでは次のように書きました。

〈『気仙沼文化年表』(荒木英夫編)には、1926年(昭和元年)4月に「笹ヶ陣の新校舎に移転」とあります。これがあのなつかしい玄関部の校舎がおひろめした時でしょうか。そうであれば、いま残っていれば〈築86年〉。「1986年12月24日 気仙沼小学校旧校舎玄関の保存が決まる(気仙沼かほく)」との記述もありました。いつまであの玄関を残していたのでしょう〉(引用は以上)

このカラーの旧校舎玄関をあらためて見ているといろんなことを思い出します。児童としてここを出入りすることはほとんどありませんでしたが、左側にある下駄箱はかすかにおぼえています。旧校舎左側にうつっているのは新校舎でしょう。私たちの時代にはなかった。新校舎落成式は「三十年のあゆみ」によれば昭和42年11月23日におこなわれています。

そういえば、この玄関の右側には、廊下の下をくぐるにようにして校庭に行く通路がありましたね。また校舎2階の右端には売店もあった。いろんなものを売っていました。〈ボンナイフ〉とか(笑)。そんなちょっとしたことが、今はとてもなつかしい。年をとった証拠でしょう。

2015年9月30日ブログ「気小の旧校舎玄関」

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写真家竹沢うるま

2018年版 気仙沼漁師カレンダーが好評とのことでなによりです。このブログでも10月25日に紹介しましたが、表紙にあたるカバー写真しか掲載できずにおりました。その後、手元に届いたカレンダーの各月の写真を見ると、実に素晴らしい。しかし、この写真家 竹沢(たけざわ)うるま氏の作品を勝手に掲載することはさすがにできないよなあ。と思っていたら、12月5日にナショナルジオグラフィック(ナショジオ)日本版サイトで、竹沢さんご自身によるフォトストーリーと写真10点が配信されました。タイトルは〈気仙沼の漁師、冬の海に生きる〉。


ナショジオ

ナショナルジオグラフィック日本版サイトより(画像クリックでサイトにジャンプ)


ナショナルジオグラフィックは1888年にアメリカで創刊されました。地理や自然、文化、環境といった幅広いテーマを選び抜かれた写真と記事で紹介する雑誌で、日本版は1995年から。この雑誌は、竹沢さんの発表の場のひとつでもあるわけで、漁師カレンダーの写真を見ていると、世界中に読者がいるあの黄色い表紙のナショジオで、わが気仙沼が紹介されているような錯覚をおぼえます。

竹沢さんご自身によるフォトストーリーはつぎのように始まります。〈これまで145カ国ほどの国と地域を旅した。その先々で私が求めていたのは、大地の一部として生きる人々の姿である〉。しかし、日本でそうした人々を撮影する機会はほとんどありませんでした。そして今回、気仙沼の漁師を撮影する機会を得たのです。冬の海、船での撮影を通じて感じたことをつづった後でつぎのように記しています。

〈 気仙沼の漁師たちの表情をファインダー越しに捉えていると、不思議な気持ちになった。ふとした時に表れる控えめな笑顔、水平線の彼方を見つめるときのコクのある瞳、過ごしてきた海上での人生の密度を雄弁に物語る深い皺。その一つひとつが、これまで世界各地を旅して出会ってきた“生きる”人々の姿に重なるのである〉(引用は以上)

写真だけでなく文章も素晴らしい。是非、サイトで全文をお読みください。

なお、ほぼ日さんの店舗「TOBICHI」の小スペース〈すてきな4畳間〉で12月12日から17日(日)まで、「気仙沼 漁師カレンダー2018 写真展」が開催されています。詳しくはこのTOBICHIイベント情報にて。また、ほぼ日サイトでは、うるまさんのインタビュー記事「旅に出る理由。旅を終える理由。」の連載も始まりました。こちらも是非に。


このカレンダー、漁師カレンダー公式サイトから注文できますが、気仙沼市内では海の市2階の気仙沼観光コンベンション協会などでも販売しています。

しかしなんというか、今回の漁師カレンダーで竹沢うるまさんに撮影してもらった漁師さんがうらやましい。たぶん沢山買って近所や親戚中に配ったことでしょう。〈なんだがわがんないけんと、モデルたのまれでしまって〉などと言いながら(笑)。

最後にテレビ番組情報。気仙沼つばき会の漁師カレンダー制作を2年間にわたって密着取材した「女将たちのスーパーヒーロー〜気仙沼漁師カレンダー」が、12月17日(日)午後4:30からKHB東日本放送で放送されます。55分間でナレーターは樋口可南子さん。東北各県のテレビ朝日系列局で順次放送されるそうですが、東京地区の放送が予定されていないのが残念。宮城県内の方は今度の日曜日、どうぞご覧ください。

10月25日ブログ「漁師カレンダー」

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気小校庭の学芸会

12月9日に、千葉憲太郎さんという方から当ブログにコメント投稿をいただきました。気仙沼中学16回生とのことなので、私たちよりも4年先輩、69〜70歳でしょう。

コメントは、2015年9月30日のブログ「気仙沼小学校校歌」へのもの。そのなかの学芸会に関する記述が目に止まったようです。投稿を引用します。

〈小学校。学芸会のむかしばなし、校庭の真ん中に仮設舞台、懐かしい。6年生の時に「時計が丘」の劇でタヌキの役、三匹のタヌキがお腹にバレーボールを身に着けて、必死に台詞を覚えた。まさか主役をするとは、みんなの応援で無事に終わった。思い出が蘇ってきました。感謝〉

ブログでは、三陸新報の学校紹介の記事を引用したのですが、そのなかで〈昭和33年のピーク時の児童数が3400人以上で、県内一の「マンモス校」だった〉と書かれていました。それを受けて、私はつぎのように書いたのです。

〈昭和33年(1958年)は私たちが気仙沼小学校に入学した年。あの時が3400人だったのか。4つ上の兄が気小5年のとき。学芸会は、校庭につくられた舞台で2日間にわけて開催されたと語っていたことを思い出します。記事では〈県内一〉と書いていますが、私たちがよく聞かされたのは〈全国有数のマンモス校〉という形容句でした。〉

本日は、気仙沼小学校の校庭で開催されていた学芸会の写真を紹介します。手元の気仙沼小学校父母教師会『三十年のあゆみ』(1978年2月発行)に掲載されていたものです。

学芸会

〈屋外舞台での学芸会〉との記載がありますが、年月情報はありません。しかし、後側にうつる木造校舎なども含め、当時のかすかな記憶がよみがえってくるような感じがします。校庭にはムシロが敷かれていたような気がするのですが。〈ムシロ〉はすでに死語か(笑)。

この気小校庭では、市民運動会も開かれていました。『三十年のあゆみ』には、その前身ともいうべき〈町民体育大会〉の写真もありました。昭和27年11月1日の撮影。私が生まれた年のことですから65年前。

町民運動会

これは西校舎から東校舎方向を撮ったものでしょう。左側が職員室や作法室もあった、なんていったっけ、〈本校舎〉かな。

これらの写真は、『三十年のあゆみ』の最後に5頁にわたっての〈写真集〉として掲載された40カットの一部です。機会を見て全部を紹介するのもいいかもしれませんね。

コメントをくださった千葉憲太郎さんは兄と同学年だなと思い、電話で聞いてみましたが〈残念ながら覚えていないな〉と。そして〈だってさ、700人もいたんだからさ〉と続けました(笑)。

この学芸会の写真、千葉さんが喜んでくれればなによりです。

2015年9月30日ブログ「気仙沼小学校校歌」

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メカジキの中吊り

この土日曜日は、仙台にでかけていました。きのう12月10日のお昼すぎ、JR北仙台から仙台に向かう車内で、気仙沼を紹介する中吊り(なかづり)広告を見つけました。

メカ中吊り

◎食のまち気仙沼 メカを囲もう
気仙沼の料理人達が生んだメカジキの新たな楽しみ方

JR東日本 仙台支社が広告主ですが、〈企画:気仙沼メカジキブランド化推進委員会〉との記述がURLとともに下部にありました。

気仙沼メカジキブランド化推進委員会ウェブサイト

ウェブサイトを見ると、この気仙沼メカジキブランド化推進プロジェクトに協賛くださっている4団体の名が記されています。キリン絆プロジェクト、日本財団、気仙沼信用金庫、農林中央金庫さんです。今回の中吊り広告などもこうした皆様方のご協力によって実行できているのでしょう。関係者の皆様にお礼を申しあげます。メカしゃぶ、メカすきはどうぞキリンビールで(笑)。

土曜日には10月に亡くなった母の納骨を無事おえることができました。2カ月近くが過ぎ、おかげさまで平穏な生活をとりもどしております。仙台に行くと、足をのばせば気仙沼と思うものの、なかなか果たせず残念。帰郷のおりには、是非メカしゃぶでもと思っています。


キリングループさんのメカジキプロジェクト支援については、下記のブログでも紹介しております。
2016年4月20日ブログ「ふたつの「絆」支援」

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復興祈念デザイン

気仙沼市の復興祈念公園が、魚町の後背地にあたる陣山に整備されますが、その施設検討委員会の初会合が11月24日に市役所で開かれたそうです。翌日25日の三陸新報と河北新報がそれを伝えています。

まずは三陸新報の記事。

復興祈念公園記事

三陸新報11月25日記事の一部イメージ

公園の機能やモニュメントなどのアイデアを来年1月中旬から2月下旬にかけて一般公募するのですね。2020年3月までの完成を目指すとのことです。記事には公園全体のイメージ図も掲載されていました。拡大してみましょう。

イメージ図

河北新報11月25日配信の記事を引用しておきましょう。

◎気仙沼市、復興祈念公園デザイン公募 施設検討委が発足

 宮城県気仙沼市が同市陣山に整備する東日本大震災の復興祈念公園を巡り、公園の在り方を考える「復興祈念公園施設検討委員会」が24日、発足した。市役所で初会合があり、2019年度末の完成を目指し、公園の中核となる広場やモニュメントのデザインは一般公募で決める方針を確認した。
 委員会は学識経験者や地元の観光、まちづくり団体の関係者ら20人で構成。本年度内に必要な機能や公園の活用法なども協議する。委員長には東北大災害科学国際研究所の川島秀一教授が就いた。
 公園の予定地は、被災した市街地や気仙沼湾を一望できる標高57メートルの民有地約2.3ヘクタール。頂上付近には、公園の中核となる「祈りの場」(750平方メートル)を整備し、犠牲者の名前を刻んだ銘板などを設ける。
 銘板のデザインや公園全体の配置に関し、市内外から一般公募。来年3月に検討委が審査を実施し、採用するデザインを決める。
 川島委員長は「単なるハード整備にするのではなく、市民の意見を広く取り入れた公園の在り方を探ってきたい」と話した。
 総事業費は4億3100万円。市の負担は9900万円で、うち5000万円はクラウドファンディングを活用する方針。(引用は以上)

公募はプロ、アマを問わずということですが、モニュメントのデザインとなるとちょっとハードルが高いかな。でもな、小さなころに遊んだ場所のことだしな。募集要項を見てから考えてみようか。などと思ってみたりしているところです。

復興祈念公園用地が陣山に決定された経緯などはつぎのブログにまとめてあります。ご参考になればと。今週はこれにて。

2016年3月9日ブログ「陣山から復興祈念」
2017年6月23日ブログ「震災復興祈念公園」

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ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気仙沼中学 復興祈念公園 陣山

クリスマスケーキ

コヤマ菓子店の故 小山隆市君(3年6組)の長男、裕隆さんのブログでクリスマスケーキのカタログができたという話を読み、12月に入ったら紹介しようと思っておりました。そしてきのう裕隆さんに頼んで送ってもらったのがつぎの画像です。

コヤマケーキ

7種のクリスマスケーキがならんでいます。それぞれに特徴があってどれも美味しそう。ホヤぼーやのケーキもなかなかのものと思います。12月15日までのご予約で10%割引とのことです。

コヤマ菓子店WEBサイト

震災の年2011年12月26日のブログ「Xmasの甘き香り」では、50年以上も前のクリスマスケーキの思い出を書きました。魚町の〈いもや〉や南町〈谷村〉のウィンドウに飾られた大きなケーキのことなど。あらためて読んでみると、気仙沼復興商店街「南町紫市場」のグランドオープンが12月24日に行われていたり、6年の歳月を感じさせます。ということで、以下に再録いたします。

〈一昨日12月24日の気仙沼復興商店街「南町紫市場」のグランドオープン、そして続く昨25日も大盛況だったようです。よかったですね。ネット上の会場写真をみると、クリスマスということもあって、素敵な女性がサンタクロース姿でお手伝いをしています。ボランティアの方々もこのオープニングをいろいろと手伝ってくださったようです。いつも本当にありがとうございます。

田中前で店を再開した小山隆市君のコヤマ菓子店も、クリスマスケーキの予約数が昨年以上だったそうですよ。なによりのことです。

50年近く前、私たちが小学生のころ、クリスマスが近くなるとお菓子屋さんの店頭に大きなデコレーションケーキが飾られました。通学の朝、私の家は魚町でしたので、まずは「いもや」のケーキをながめます。そして、大堀銀座交差点角の玩具店「ナガサワ」のクリスマスの飾りに彩られたウィンドウを見たあと、南町紫神社前のいかせんべい「谷村」菓子店のケーキを採点します。

だいたいは、当時の気仙沼の大店(おおだな)「いもや」のデコレーションケーキの方が大きく華やかだったような記憶があります。でも、たまに「今年は谷村のほうがいい」こともあったようです。

「イモヤノヨリ、チョットチャッコイケント、コイヅノホウガイイ」

単なる大きさ高さの競争ではなく、ちょっと小さいけれど、谷村のケーキのほうに品の良さとかクオリティ感を感じることがあったのかもしれません。オダ君の成長のあかし。

小学校高学年か中学になると、母がケーキを焼いてくれるようになりました。「ピース」印のガスレンジ上置きタイプの天火(てんぴ/オーブンのことね)を使いました。はじめはバタークリームです。私も平たいステンレスの口金からクリームを絞り出し、バラの飾りに挑戦しましたが、なんか開ききったハスみたいなバラになりました。

何年かたつと生クリームが登場。当時の気仙沼では、お店では生クリームを売っていませんでした。毎朝の配達をお願いしている牛乳屋さんに前もって頼んでおくのです。すると赤い字で「吉田牛乳店」と記されたいつもの瓶に入った生クリームが、イブの日に届くという段取りです。

それと、思い出すのはクリームかスポンジにたらすバニラエッセンス。まさにケーキのおいしさのエッセンスが詰まっていました。今でもあの小さなキャップをはずした瓶の香りをかぐだけで、かなり気持ちよくなれるはずです。甘く危険な香り(笑)。

マドレーヌに一滴たらし、紅茶にひたして食べてみましょうか。きっと、失われた幼いころの記憶がよみがえってくるでしょう。〉(再録は以上)

〈いもや〉も〈谷村〉もいまはないけれど、〈コヤマ菓子店〉が頑張っています。ということで、皆様どうぞよろしく。

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大忘年会 in 東京

本日は東京でのイベント紹介です。気仙沼市移住・定住支援センターMINATOによる〈気仙沼 大忘年会 in 東京〉です。きのう12月5日の三陸新報でも紹介されていました。

忘年会
気仙沼市移住・定住支援センターMINATOサイトより(クリックでサイトにジャンプ)


◎開催概要
日時:12月9日(土)19:00〜22:00
会場:炭火家 おだづもっこ(東京都杉並区高円寺北1-3-2)
定員:40名(事前予約制)
会費:4500円(飲み放題+気仙沼スペシャルメニュー)
◎主催
気仙沼市移住・定住支援センターMINATO
TEL: 0226-25-9119
MAIL: info@minato-kesennuma.com
◎お申し込み
サイト内容をご覧のうえで、この申し込みフォームでお申し込みください。

◎キャンセルについて
キャンセルのご連絡は、2日前までにお願いいたします。
(キャンセル料:2日前0%/前日50%/当日100%)

この忘年会は昨年も開かれました。私は参加できませんでしたが、会場は東横線代官山駅徒歩30秒の〈O'KOK〉(オーコク)でした。冒頭の写真は昨年の会の様子だと思います。若い人が多いかな。今年の会場は、高円寺の〈おだづもっこ〉。私はまだ行ったことがないのですが、2014年に〈リアス気仙沼〉のサイトで知りました。それによれば、2013年の夏にオープンし、店主は気仙沼市太田出身の小原木和輝さんです。気仙沼高校57回生ですから、30〜31歳でしよう。詳しくは〈リアス気仙沼〉をご覧ください。

魚市場前の「海の市」2Fにある気仙沼市移住・定住支援センターMINATOについては、1月19日のブログでも書きましたので詳細は略します。唐桑に拠点をもつ一般社団法人「まるオフィス」が市の委託を受けて運営にあたっています。センター長は、まるオフィス代表の加藤拓馬さんです。

私はこの日、仙台にでかけるので参加できませんが、ご都合が許す方はぜひどうぞ。なお、MINATOサイトの案内文にある店名〈炭火焼 おだづもっこ〉の〈炭火焼〉は誤記で正しくは〈炭火屋〉だと思います。当方記載では修正しておりますが念のため。(追記:現在、サイト記載も修正されています)

1月19日ブログ「MINATO/湊とは」

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ワンライン 2017

12月2日(土)、〈ONE-LINE2017 気仙沼イルミネーション〉が始まりました。来年1月12日まで、約20万個のLEDが市内を彩ります。港町の旧朝市広場で行われた点灯式では、May J.さんの4回目となるライブのほか、内湾から2千発の花火も打ち上げられました。

イルミネーション
三陸新報12月2日掲載広告

◎開催期間 :12月2日〜2017年1月12日(金)
◎点灯時間 :18:00〜24:00

このイルミネーションプロジェクトは、2012年に〈クリスマスイルミネーション〉としてスタートし、その後〈ONE-LINE(ワンライン)〉という名が冠されました。ONEには、気仙沼「湾」と共に、心を「ひとつ」にという想いが込められています。

2012年から数えて今年で6回目となります。2013年には1000万円の事業費がかかり、実行委員会メンバーが約400万円を穴埋めしたという2014年の河北新報の記事がありました。今年も12月4日の三陸新報記事によれば800万円の予算総額とのこと。記事のなかで実行委員会の宮井和夫委員長は「資金、人手不足などで今年は中止しようと思ったが、今後も継続したいので開催に踏み切った。協賛金は随時受け付けており、多くの方々の協力をお願いしたい」と。

クラウドファンディングを利用しての寄付も可能です。詳しくは下記のプロジェクトサイトにて。

ONE-LINE2017 気仙沼イルミネーション公式サイト

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「唐桑ものがたり」

11月24日の生島淳さんを迎えてのKSB(気仙沼サポートビューロー)復興フォーラムでは、冒頭に気仙沼市役所から派遣されている宮城県東京事務所の高橋将耀さんがつぎの催事を紹介してくれました。唐桑ものがたり「海の古道〜神々の記憶」です。

海の古道

これは唐桑大漁唄込復活推進実行委員会が主催するもので、私のところにも案内が届いておりました。

この「唐桑ものがたり」には、劇団「夢の海」と唐桑の鮪立大漁唄込保存会/崎浜大漁唄込保存会/神止り七福神舞保存会/唐桑浜甚句保存会の皆様からなる総勢100名が出演します。2013年からつぎのような公演を続けてきました。

2013:海の家族の棲むところ
2014:海の古道〜1300年の旅
2015:クリスマスに花束を…祈りのまち・唐桑
2016:海の古道〜神々の記憶

今年2017年のタイトルも「海の古道〜神々の記憶」で昨年と同じですが、演目の下に「1300 years version」と書いてあります。これは熊野神勧請1300年祝祭版ということでしょう。

少し説明しておけば、室根山に熊野神(くまののかみ)を迎えてまつった、つまり勧請(かんじょう)したのは、養老2年(西暦718年)のこと。来年2018年で1300年となるのです。演題「海の古道」は世界遺産でもある「熊野古道」を連想させながら、海上の路、そして1300年前から今に至る時の流れを表しているのでしょう。

なお、来年にはこの「海の古道〜神々の記憶」の東京公演があります。2018年3月25日(日)、東京の目黒区民センターです。県東京事務所の高橋さんが先日のフォーラムで紹介されたのも東京の皆様に是非おいでいただきたくということだったと思います。

この「唐桑ものがたり」は、今年3月に紀州熊野、和歌山県新宮市でも公演をおこなっています。今年9月27日の目黒のさんま祭で、唐桑大漁唄込復活推進実行委員会の会長をつとめる古館(こだて)/鈴木伸太郎さんと事務局長の戸羽芳文さんにお会いしました。お二人とも、新宮市では大変な歓迎を受けて感激したと語っていました。延宝3(1675)年に紀州三輪崎(いまの新宮市)から5艘の船と漁師約70名を迎えて鰹一本釣りの漁法を当地に導入したのは先祖である鈴木勘右衛門ですから、伸太郎さんにとってはなおさらのこと。340年前にさかのぼる鈴木家と紀州のご縁を感じたことでしょう。

どうぞ皆様、12月17日は気仙沼市民会館で「海の古道」1300年の物語をお楽しみくださいますように。

なお、2014年からの各回とも、国や市などの行政や各種団体・企業からの後援、助成を受けています。そのご協力にお礼を申しあげます。

唐桑大漁唄込復活推進実行委員会サイト

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蒲鉾からアーバン

一昨日11月29日のブログで、気仙沼サポートビューロー(KSB)会員の中村勝子さんが〈けあらし〉という言葉をお祖父さんが使っていたと教えてくれました。その谷村のお祖父さんが丹精込めて整備したのが陣山の庭園でした。私の小さな頃の記憶でいうと、山に向かって第2保育所の左/西側一帯です。現在でいうと、アーバンマリアチャペルの左側といえばいいのでしょうか。下は、早稲田大学「気仙沼復興塾」のサイトから借用した2012年時点での写真ですが、チャペルの左側一帯が谷村さんの庭園だったのです。

チャペル

この庭は、私が小学校のころ5月におこなわれていた安波山の日〈あんばさん〉あるいは〈あんばはん〉の時に開放されてにぎわっていたことを思い出します。結構な広さで、谷村のお祖父さんが相当な費用をかけて庭師の手を入れていたのでしょう。そして一定の期間は公開ということにした時期もあったのですが、利用者のマナーが良くないことなどもあって庭が荒れ、公開はとりやめになってしまいました。

私が小さなころの谷村家は蒲鉾(かまぼこ)屋さんを営んでいました。お店は八日町の振商会通りだったと思います。その谷村蒲鉾店が、気仙沼で冠婚葬祭をはじめとする事業を幅広く展開されているアーバン(株)の事業発展の原点なのです。

谷村蒲鉾店が今のアーバン(株)に至る経緯を同社のウェブサイト掲載の企業沿革などから簡単にまとめておきましょう。

まずは昭和36年、陣山の庭を整備した〈谷村のお祖父さん〉のお孫さんで、上述した勝子さんの兄である谷村明夫さんが家業〈たにむら蒲鉾店〉に従事します。そして、昭和40年頃に婚礼や法事の料理仕出しを始めるのです。現社長の谷村明信さん(明夫さんの息子さん)のインタビュー記事によれば、料理だけでなく求めに応じて貸衣装業などもてがけたようです。そして昭和46年には(株)新生活互助会(後のレジオン)を、そのまた2年後には(株)気仙沼冠婚葬祭互助会(現アーバン)をと相次いで会社を設立します。

私の母がこの頃、谷村の〈互助会〉とか〈冠婚葬祭〉とか言っていたことを思い出します。月いくらかの積立金方式だったと思いますが、これに参加していたのでしょう。積立というと、母が魚町のご近所の皆さんとやっていた〈頼母子/たのもし〉講を思い出しますが、これはまた別の話。しかし、頼母子に慣れた人にとって、月々の少額の積立という方式が受け入れやすかったということはいえるでしょう。

気仙沼冠婚葬祭互助会は、昭和61年にアーバン(株)に社名変更。新生活互助会も、年代が定かではありませんが(株)レジオンへと社名を変更した後、平成19年にアーバン(株)に合併します。なお、陣山の〈アーバンマリアチャペル〉オープンは平成12年3月のこと。

アーバン創業者の谷村明夫さんは何年ぐらい先輩だったのかと思い気仙沼高校の同窓会名簿を調べてみました。気高5回生ですから私たちの17年上。早稲田大学商学部に進んでいます。OBとして気仙沼稲門会の活動も熱心にされていたようです。気仙沼市議会議員もつとめました。

こうした沿革をわざわざ紹介したのは、そこに谷村明夫さんの企業家精神を感じたからです。蒲鉾屋さんから仕出し屋さんへ、そしてさらに冠婚葬祭業へ。その過程では、前払金による互助会というビジネスシステムの早期導入がありました。

陣山に広い庭園を(そしてたぶん屋敷も)持つに至る、十数代にわたっての富の蓄積は、谷村明夫さんの積極的な事業展開を支えたことでしょう。しかし、このような事業の転換と発展を誰でも実現できたとは思えません。沿革に記された新たな試みの背後には、様々な葛藤と挑戦的な決断があったと思います。それを皆様にお伝えしたく。

〈谷村のお祖父さん〉からアーバンに至る経緯は以上です。しかし、こうしてまとめてみると、谷村家が蒲鉾の製造と販売を始める前はなにをされていたのかという新たな疑問、というよりも興味がわいてきます。蒲鉾の原料となる魚を扱う仲買か、あるいは船主として魚を穫っていたのか。それはまた、勝子さんの話など聞いて、皆様にご紹介できればと思っております。今週はこれにて。

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マルナリ植木実君

気仙沼市が、商工業の発展に寄与した技能者を表彰する「技能功労者」、今年は6名が選出されたとのこと。そしてその中に、同級生 植木実君(3年9組)の名がありました。11月29日の三陸新報に記事が掲載されていましたので紹介します。

11:29植木実
三陸新報の11月29日記事の一部イメージ

記事を以下に引用します。

〈 父の成次さん(故人)が創業した「マルナリ植木商店」(現マルナリ水産)に従事したのは21歳の時。それまでは横浜で自動車整備工をしていた。「店が軌道に乗ってきたので父から帰郷を勧められて。長男の宿命だね」と笑う。
 以来、サバやイカなどの酢漬け、マグロやワカメのつくだ煮など、気仙沼港産の水産物を使った加工品の製造に携わり、技術を磨いた。
 現在、主力となっている「さんま昆布巻」は、1990年に自身が開発した商品。魚が苦手な子供たちのために骨まで軟らかいものを---と作ったが、思いのほか年配者から好評を得た。今も年末年始の贈答品として人気がある。
 東日本大震災で川口町の工場が全壊し、その1年半後に松崎前浜の仮設施設で再開した。販路を失い、一時はやめようかと考えたが、客が寄せた注文の電話で奮起した。
 仮設施設は狭く、酢漬けのたるが置けない。現在は昆布巻だけの製造だが、本設に向けて日々汗を流している。「受賞は青天のへきれき。受けないと次の人に回っていかないので」と語る。〉(引用は以上)

植木実君の昆布巻については、これまでも紹介してきました。たとえば次のブログ。

2015年1月8日ブログ「植木実君の昆布巻」
2016年12月2日ブログ「さんま昆布巻受賞」

1990年に実君自身が開発した商品とのことなので、もう27年にもなるのですね。ロングセラーというか気仙沼物産の定番商品のひとつでしょう。

私は実君の「受賞は青天のへきれき。受けないと次の人に回っていかないので」というコメントが気に入りました。実に彼らしい言葉。その表情を声とともに思い出します。表彰式は本日11月30日、サンマリン気仙沼ホテル観洋にて。植木実君のこのたびの受賞を心からうれしく思いました。受賞者の皆様にお祝いを申しあげます。おめでとうございました。

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けあらしいつから

11月24日のブログで「気仙沼のけあらし」のことを書きました。


東北放送
東北放送11月22日配信記事イメージ(写真画像クリックでサイトにジャンプ)


そこで私は、〈「けあらし」という言葉を知ったのは、ここ10〜20年ぐらいのことではないでしょうか。私が知らないだけかもしれませんが、なにか余所(よそ)から輸入された言葉のような気がします〉と記したのですが、それは間違っていたようです。

そのブログをアップした24日の夜に開催されたKSB(気仙沼サポートビューロー)復興フォーラムのなかで〈けあらし〉の話が出ました。その際に私が、〈気仙沼にいたころは、けあらしという言葉を知らなかった〉といったら、〈いやいや、お祖父さんがよく言っていた〉との声があがりました。

その声の主は、KSBの会員である中村勝子さんという女性です。気仙沼のご実家は、以前の谷村蒲鉾店。谷村家は気仙沼で十数代も続く旧家で、現在はアーバン(株)を経営されています。中村さんは、アーバンの先代社長である谷村明夫さんのお姉さんか妹さんではないでしょうか。そのお祖父さんが、〈けあらし〉という言葉を使っていたというのですから、古くから使われていたことに間違いないようです。自分が聞いたことがないから、余所から輸入された言葉ではないかなど、まるで〈外来語〉であるかのように語った私が浅はかでした。訂正してお詫びいたします。

この後、〈谷村のお祖父さん〉が整備した陣山の庭の話があるのですが、長くなるので回をあらためて紹介いたします。本日はこれにて。

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生島さん兄弟の話

11月24日(金)は、このブログでもご案内した生島淳さんが講師となってのKSB(気仙沼サポートビューロー)復興フォーラムでした。会は午後7時開始。参加者は定員30名を大きく越え、生島さんが話す場所がちょっととりにくい状態でした。しかし、会場に到着した生島さんはすぐにキッチン内に立って話しましょうと自ら提案し、カウンターの向こう側に入っていきました。そして、軽くビールなど飲みながら話を聞いてもらえればと、飲み物が配られまずは乾杯。こうした動きや配慮に、スマートなフットワークを感じました。生島さんの話す姿はこんな感じ。



話の中身は、会の案内にご自身が記していたように、〈東京暮らしの時間が長くなってしまった人間の、気仙沼との「距離」について〉といったことで、とても共感するものでした。これは、会場にいた多くの人が感じた気持ちでしょう。また、生島さんの得意分野であるスポーツに関しても、気仙沼がらみでのフェンシングのほか、大リーグから大相撲まで大変面白い話を聞かせてくれました。質問なども含め40〜50分ほどでしたでしょうか。

話のあとは、みんなの席のなかに入ってなんやかやと。私は幸いにも近くの席だったので、いろいろと話をすることができました。生島さんに〈スポーツはもちろんのこと、落語や歌舞伎などもとても詳しいけれど、いつのことからなのか〉と聞いたところ、〈落語は気仙沼にいたころはラジオでよく聞いていた〉とのこと。なるほど。また〈語りのスピードのコントロールや間がとてもよくて驚いた〉と伝えると、笑いながら〈落語をよく聞いているからかも〉と。

この日、会場には淳さんのお兄さんである生島隆さんもいらっしゃっていました。長兄の生島ヒロシさんも所属する生島企画室の代表取締役社長です。隆さんともいろいろと話すことができました。震災後まもなくの〈気仙沼を元気にする会〉で初めてお会いしておりますが、その時に感じた穏やかな印象を思い出しました。

話が長くなるので、ご両人の細かな話は略しますが、私がとてもうれしかったのは淳さんと隆さん、そして博さんも含め生島三兄弟の仲の良さが感じられたこと。それだけに、淳さんや隆さんがお姉さんの喜代美さんを震災の津波で失った悲しみの深さも。仲のよい姉妹であったろうと。

会のおわりに、淳さんと隆さんにお願いして写真を1枚。右側にうつる隆さんによれば、〈この2ショットは案外珍しいかも〉とのこと。貴重な写真です(笑)。

IMG_2814.jpg

生島淳さん、そして隆さん。24日はおかげさまでとても楽しい会となりました。またお会いする機会があればと思っております。また、この会を企画、運営してくださったKSB関係者の皆様にもお礼を申し上げます。ありがとうございました。

11月9日ブログ「講師は生島淳さん」

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気仙沼のけあらし

東京でもかなり冷え込んだ11月22日(水)の朝、気仙沼湾では「けあらし」が見られたそうです。23日の三陸新報がこれを伝えています。つぎのカラー画像は、三陸新報ニュースサイトから。

三陸けあらし
三陸新報11月23日配信画像


記事によれば、日の出前には既に立ちこめ、午前7時30分過ぎまで続いたそうです。今季に何度か見られたそうですが、魚市場で水揚げ作業をしていた方によれば「きょうが最も濃かった」とのこと。

この22日早朝のけあらしは、TBC東北放送もテレビニュースで伝えました。これをヤフーニュースも配信したため、多くの人の目に触れたようです。タイトルは〈気仙沼で「幻想的な霧」〉。私の妻はテレビで見たということなので、TBS/JNN系列局でも紹介されたのでしょう。つぎの画像をクリックしてサイト内の動画映像をどうぞご覧ください。


東北放送
東北放送11月22日配信記事イメージ(写真画像クリックでサイトにジャンプ)

河北新報も11月23日にこのニュースを配信していました。

河北
河北新報11月23日配信写真(クリックでサイトにジャンプ)

〈けあらし〉は、夜間に冷やされた陸上の空気が暖かい海上などに流れ出し、水面の水蒸気を冷やすことによって発生する霧とのこと。俳句では冬の季語としても用いられるそうです。

私は高校卒業まで気仙沼で暮らしており、内湾の霧やモヤはよく知っているつもりですが、「けあらし」という言葉を知ったのは、ここ10〜20年ぐらいのことではないでしょうか。私が知らないだけかもしれませんが、なにか余所(よそ)から輸入された言葉のような気がします。

まあ、そんな話は別にして、この気仙沼の「けあらし」は本当に美しい。なかなか出現の予測がつきにくく、観光資源にはしにくいのでしょうが。それだけに、このなんともいえない美しい風景を見ることができた人は運がいい。けあらしは幸運のきざしということで。どうぞよろしく。

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恵子さんの「音楽」

きのうのブログ「気仙沼においでよ」で、34年前の矢野顕子さんと気仙沼のコンサート実行委員会メンバーとの記念写真を紹介しました。きのうは写真のみでしたが、元の2004年3月23日付け三陸新報記事「とっておきの1枚」はこんな感じ。再度のご紹介です。


三陸新報2004年3月23日付(クリックで拡大)

2013年7月8日ブログ「とっておきの1枚」

2004年3月23日の三陸新報で、このとっておきの1枚を紹介しているのは、〈ぶっちゃん〉吉田恵子さん。私とは気仙沼中学3年8組のほか、気仙沼小学校の1年と2年のときにも同じ8組でした。

恵子さんが気仙沼で〈吉田ミュージックセンター〉という音楽教室を主宰していることはみなさん知ってのとおりです。その発表会が11月12日(日)に気仙沼プラザホテルで開催されました。前日のメールのやりとりのなかで明日が発表会だと教えてくれました。

恵子さんは、1970年からヤマハ音楽教室で10年ほど教えてから独立し、自分の音楽教室をもちました。今回の発表会が34回目です。すごい。

当日は、熊谷育美さんがサプライズで参加してくれたそうです。先日、恵子さんに頼んで写真を送ってもらいました。そのなかに会のフィナーレを撮った一枚がありました。生徒さん全員で歌う育美さんの楽曲「僕らの声」。生徒の皆さんはもちろんのこと、育美さんも喜んだことでしょう。そしてなによりも恵子さんの喜びたるや。泣いたな、きっと(笑)。

発表会

写真を送ってくれたときの恵子さんのメールにつぎの言葉がありました。〈34回目にして初めて見えた景色がありました〉と。

当日の司会は、育美さんと同じく〈うを座〉出身の葵(あおい)さん。以前は〈吉田葵〉の名で活動していた俳優さんです。みんな、恵子先生のためなら、と協力を申し出たのでしょう。

ぶっちゃん、34回目の発表会を無事おえることができて本当におめでとう。会場にひびきわたったのは、まさに吉田〈ぶっちゃん〉恵子の「音楽」だったと思いますよ。これからもどうぞよろしく。

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 吉田恵子 矢野顕子

気仙沼においでよ

11月1日、〈気仙沼のほぼ日〉さんが6周年を迎えました。この日の前後3日間は、〈ともだちになれてありがとう〉をテーマに、糸井重里さんをはじめ、〈ほぼ日〉の皆さんが気仙沼のともだちをたずね、その様子がテキスト中継されました。

その中継の最後は、様々な場所で気仙沼の人たちが歌う「気仙沼においでよ」でした。〈ほぼ日〉のスガノさんによるウクレレ伴奏で歌われるこの曲がちょっとなつかしく感じられ、YouTubeでも公開されている矢野顕子さんご本人が歌う「気仙沼においでよ」を久しぶりに聴いたのです。これです。



とてもいい。2011年11月1日の〈気仙沼のほぼ日〉スタートにあたって、矢野顕子さんがこの曲をつくってくれたことをあらためてありがたく思いました。そして矢野さんが今も気仙沼のことをなにくれとなく気にかけ、応援してくれていることは皆さんご存知のとおりです。

矢野さんと気仙沼のご縁は、34年前1983年4月2日にさかのぼります。この日、気仙沼で矢野顕子さんのコンサートが開かれたのです。つぎの写真は、実行委員会メンバーとの記念写真。前列中央が矢野さん、その右側が私たちの同級生〈ぶっちゃん〉こと吉田恵子さん(3年8組)です。

矢野さん

この写真も、恵子さんが三陸新報の記事〈とっておき この一枚〉で紹介したものです。以前も紹介したこの記事はまた明日にでも。

話を戻します。〈気仙沼のほぼ日〉サイトに掲載されている「気仙沼においでよ」の歌詞を読んでみると、あらためて心にしみるものがあります。作詞 矢野顕子+糸井重里。そして最後はつぎのフレーズ。

みんな おいでよ ともだちだもの
みんな おいでよ いつでもおいで

これが、6周年のテーマ〈ともだちになれてありがとう〉につながっているのですね。気仙沼のほぼ日6周年で歌われた「気仙沼においでよ」はつぎの特設サイトにて。とてもいい感じのウクレレ伴奏や動画編集は〈ほぼ日〉のスガノさんです。ありがとうございました。

気仙沼のほぼ日6周年サイト

最後になりましたがテレビ番組のご紹介を。11月24日(金)の22:00~22:59 NHK BSプレミアム「the Covers」に矢野顕子さんが出演します。ゲストは糸井重里さんです。どうぞご覧ください。

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 矢野顕子 気仙沼においでよ

気仙沼酒蔵生原酒

1月19日の三陸新報に、気仙沼のふたつの酒蔵「角星」と「男山本店」の生原酒発売の広告が掲載されていました。

まずは同級生 小山(斉藤)容子(3年5組)さんの実家でもある角星さん〈水鳥記〉(みずとりき)から。

角星

つぎは、男山本店さんの〈蒼天伝〉(そうてんでん)。

男山


〈水鳥記〉〈蒼天伝〉、いずれも人気のお酒。その生原酒と聞いただけで、味わってみたくなりますね。それぞれの公式ショッピングサイトは次の通りです。

「角星」公式サイト
「男山本店」公式サイト

気仙沼の新酒を味わう会について、このブログで書いたことがあったなと思って調べてみると、2011年5月28日の記事「三陸新報を読む」という記事のなかにつぎの一節がありました。

(三陸新報には)同級生がたまに登場するんですよね。震災のほんの少し前には、新酒を味わう会の記事で澤井充君(3年4組)と吉越宏一君(5組)がうまそうに飲んでいる写真が紹介されていました。数ヶ月前には小山容子さんがカネシメイチ直伝のさんま寿司の作り方を解説しています。(引用は以上)

ちゃんと容子さんも登場していました(笑)。

生原酒の広告は毎年のことなのでしょうが、ふたつの銘柄の広告が同じ日だったためかなぜか気になり本日の紹介となりました。そして、気仙沼のお酒についてはあまり書いたことがなかったなとも。是非、またの機会に。

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鮎貝家煙雲館庭園

11月18日(土)の三陸新報に、きれいな紅葉の庭園写真が掲載されていました。気仙沼の松岩地区(松崎片浜)にある「煙雲館(えんうんかん)庭園」が国の名勝に指定されるというのです。

煙雲館
三陸新報11月18日記事より


この話題は、同日に毎日新聞も配信していました。その記事を一部引用します。

「 国の文化審議会は17日、気仙沼市松崎片浜の「煙雲館(えんうんかん)庭園」を国の名勝に指定するよう文部科学相に答申した。
 煙雲館は仙台藩上級家臣、鮎貝氏の旧居館。気仙沼湾を望む小高い丘に建つ。庭園は江戸時代前期の寛文年間(1661〜73年)、仙台藩茶道頭を務めた石州流二代目、清水動閑(どうかん)により造られたとされる。池の周囲に園路が配置された池泉回遊式庭園で、大きな築山を囲む池泉、背景の樹木などで構成される。気仙沼湾の大島、岩井崎を借景とし、雄大な景観をつくり出している。東日本大震災では、津波が近くまで迫ったが、ぎりぎりで被災を免れた。」(引用は以上)

鮎貝家が、明治時代の国文学者で歌人の落合直文(なおぶみ)の生家であることは皆さんご存知のとおりです。落合直文の元の名は鮎貝盛光。国学者落合直亮の養子となり姓が変わりました。13歳ごろのことと思います。また、その弟で古代朝鮮の歴史や民俗の研究でも知られた歌人 鮎貝房之進(槐園(かいえん))も忘れてはいけないでしょう。二男が落合直文、三男が鮎貝房之進、長男の鮎貝盛徳は初代気仙沼町長で、2代目の松岩町長もつとめています。

三陸新報や毎日新聞の記事では、鮎貝氏を仙台藩上級家臣としています。これは、仙台藩(伊達氏)御一家筆頭のこと。直文らの父親である鮎貝太郎平盛房は、戊辰戦争において新政府軍との戦いにも参加しました。気仙沼市史には、「安政年間に洋式軍隊の調練をした大隊長で、戊辰の役でも活躍した」との記述があります。その後、松岩村の初代村長もつとめたようです。鮎貝家については、別の機会にまとめることにいたしましょう。

煙雲館は、気仙沼小学校時代の遠足で見学に行ったはず。しかし、情けないことに〈なんか庭を見たような〉記憶しか残っていないのです。今となれば、そのお庭などを是非とも拝見したいと思っているのですが、なかなかその機会が得られません。

煙雲館は、11月18日から26日(日)まで一般公開されています。入場は無料です。どうぞ皆様、江戸時代から300年以上の歴史をもつお庭などを是非この機会に。


なお、一般公開日以外の見学は事前に連絡が必要です。問合せ先などを以下に。

◎煙雲館
所在地:気仙沼市松崎片浜197
問合せ:電話0226-22-1318
館主 :鮎貝文子さん
時間 :9:00~16:00

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気仙沼中学 煙雲館 落合直文

公立病院歴史写真

11月7日のブログで市立病院の歴史を記した後に、気仙沼市史を調べてみたところ、第4巻「近代 現代編」に公立病院開設の経緯が記されていました。本日はその内容を含め、公立病院の歴史に関する写真2点を紹介します。

まずは気仙沼市史の記述を要約します。明治13年5月に県立宮城病院の気仙沼分院として開設されたのが公立/市立病院の歴史の始まりです。病院は、藩政期に大肝入(おおきもいり)家であった八日町熊太家(跡地は現在の気仙沼郵便局付近)を借用しました(この肝入をつとめていたという〈熊太〉という家名はなんと読むのかはわかりませんが、松岩の古谷館(こやだて)八幡神社ゆかりの熊谷氏に連なる一族と思います)。明治19年12月、熊太家から旧小学校校舎(現在の市役所付近でしょう)へ、そして明治31年に、南町(以前の宮城バス案内所付近)に移転します。この場所は、新沼(にいぬま)家が無償で土地を使用させたとのことです。この南町時代の公立気仙沼病院の写真が市史に掲載されていました。

南町病院

気仙沼市史 第4巻「近代 現代編」より

この後、市史での公立病院関係の記述は、別項での田中への移転に関してのものとなり、南町から河原田への移転に関する経緯や河原田時代の写真掲載はありません。また、田中への移転年月を市史では、昭和38年7月としていました。これについて、先日の三陸新報記事は昭和39年5月、「気仙沼文化史年表」でも昭和39年5月1日としています。いずれも「病院百年史」を出典とした年月ですから、市史の記述が誤りでしょう。

河原田に気仙沼町外七ケ村組合病院として移転したのは、「気仙沼文化史年表」によれば昭和7年11月20日。この移転への経緯は、「目で見る気仙沼の歴史」(気仙沼ライオンズクラブ発行)に記されています。

見出しは〈前の公立病院〉です。菅野青顔さんが書いたと思われる説明文には、こうした独特の言い回しがあります。地元感があふれているところはご愛嬌といったところ。今となっては〈前の前の公立病院〉です。説明文を引用します。

「新沼家の土地にあった病院が大正の火事で焼けたので、現在の宮城バス案内所のところに新築した。 ところが、ここも昭和の大火で焼け、八日町の元小学校舎の仮病院にうつった。 その後、昭和7年、今の電々局のところに建てたのがこの病院。 気小の土をけずって公立の土地を造成した。ここにはハモニカ長屋があった。」引用は以上です。河原田にあった公立病院の写真を紹介します。

公立病院

「目で見る気仙沼の歴史」より


これは新築当時の写真でしょうかね。右方向が河原田の小さな交差点になります。私の記憶で言えば、大鍋屋別館を背にして撮った写真。さすがに外観の記憶はあまりありません。かなり古くなった木造というイメージだったのですが。なお〈大正の火事〉とあるのは、大正4年3月30日の大火でしょう。当時、新月村の村長が宮城県庁に〈ケセンヌマ カジマルヤケ〉(気仙沼 火事丸焼け)と電報を送ったほどの大火でした。また〈昭和の大火〉は、昭和4年2月23日の大火。これらについては次のブログで紹介しています。

2016年10月14日ブログ「大正の気仙沼大火」
2014年9月15日ブログ「昭和の気仙沼大火」

「目で見る気仙沼の歴史」の写真を紹介するつもりが、気仙沼市史に関連記述を見つけたために長くなってしまいました。〈熊太家〉〈新沼家〉、そして今となっては〈宮城バス案内所〉などについても説明が必要かもしれないのですが、それはまた別の機会に。なお、以上の公立/市立病院移転の沿革を整理しておきます。今週はこれにて。

◎明治13年5月
県立宮城病院気仙沼分局として気仙沼町八日町熊太家に開設
◎明治19年12月
熊太家から旧小学校校舎に移転
◎明治31年
南町(以前の宮城バス案内所付近)に移転
◎昭和7年11月20日
気仙沼町笹が陣(河原田)に移転
◎昭和39年5月1日
気仙沼市田中に移転し、全面開業
◎平成29年11月2日
新気仙沼市立病院外来診療開始

11月6日ブログ「市立病院診療開始」
11月7日ブログ「公立病院の歴史」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 市立病院 公立病院

共徳丸の「廃船」

雑誌「芸術新潮」9月号の頁をめくっていて「おっ」と目が止まりました。共徳丸か。

不染鉄
雑誌「芸術新潮」2017年9月号より

結論から申しあげれば違いました。〈幻の画家〉とも呼ばれた不染鉄(ふせん・てつ)の『廃船』という作品とのこと。

不染は明治24年に東京の浄土宗の寺の子として生まれました。紹介されている作品を見ると、日本画というカテゴリーを越えた自由な作風と画境を感じます。不染は23歳のときに伊豆大島にわたり、3年ほど漁師をするなどして暮らしました。生涯にわたって海や漁村を描いたそうです。84歳で亡くなっています。

紹介した作品『廃船』は78歳の頃の作品。雑誌の2頁見開きで見ると相当に大きな絵を想像しましたが、横幅は約1m。

気仙沼の鹿折(ししおり)地区にうちあげられた第18共徳丸が解体されたのはいつだったか。このブログ内を検索してみると、2013年10月28日に三陸新報の記事を紹介していました。第18共徳丸の解体作業が27日で終了したとの内容。〈崩れた擁壁の跡などが、そこに重量330トンの大型船があったことを物語るのみとなった〉。

20131028114157de0_20171114162921b8f.jpg

三陸新報2013年10月28日記事の一部イメージ(クリックでブログにジャンプ)

そうか、もう4年たつのか。解体は9月9日に開始されました。約2カ月かけてその姿が小さくなっていったのでしょう。

〈廃船〉と題された不染鉄の絵を見て、様々な思いや記憶を喚起する圧倒的な存在感をはなっていた第14共徳丸のことを、久しぶりに思い出したのです。

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 第14共徳丸 不染鉄

ヱビスビールの縁

気仙沼市魚町の神明崎の恵比寿像復活に関する続報です。まずは11月7日の三陸新報の記事から。

11:7恵比寿

三陸新報11月7日記事の一部イメージ


サッポロホールディングスさんが11月6日、気仙沼湾神明崎三代目恵比寿像建立委員会に支援金530万円を贈呈したとの記事です。

当日は、同社の代表取締役会長である上條努氏がわざわざ気仙沼を訪れて、建立委員会の臼井賢志委員長に支援金を手渡してくださいました。

サッポロホールディングスさんは、恵比寿ガーデンプレイスで開催しているビヤフェスティバル「恵比寿麦酒祭り」での生ビール売上金相当額を、東北をはじめとする復興支援の寄付などにあてています。今回の恵比寿像復活支援金約530万円もその一環で、委員会による建設費募金活動における第1号の寄付となりました。

また、同社のニュースリリースによれば、〈恵比寿像の2019年度内完成に向けて、全国の恵比寿像ならびにヱビスビールファンの皆様に広くご支援いただけるよう、再建に向けた機運を盛り上げる取り組みを実施する予定〉とのことです。これも楽しみですね。

11月9日には、毎日新聞が恵比寿像再建に向けての動きを紹介していました。この記事の中でも、「復興支援を続けているサッポロホールディングスも「ヱビスビール」を販売する縁で協力する」との紹介がありました。

毎日新聞11月9日配信記事

ヱビスビールがご縁となってのサッポロホールディングスさんのご支援に、心からお礼を申しあげます。ありがとうございました。

9月27日ブログ「恵比寿像復活計画」 (三陸新報記事紹介)
10月18日ブログ「恵比寿像が持つ魚」(読売新聞記事紹介)
10月30日ブログ「河北の恵比寿記事」(河北新報記事紹介)

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 恵比寿像 サッポロホールディングス

内湾商店街復活へ

11月11日(土)、気仙沼市の南町紫神社前商店街(村上力男会長)と魚町内湾商店会(菅原隆文会長)が、グランドオープンしました。まずは11月10日の三陸新報の記事をご紹介します。

記事
三陸新報11月10日記事(クリックで拡大)

南町紫神社前商店街は、仮設の「南町紫市場」で営業してきた店舗などを中心に、災害公営住宅に併設された共同店舗と周辺の個別店舗で組織されています。共同店舗は22店舗のうち今回は15店舗がオープンするとのことです。一方、魚町内湾商店会は、災害公営住宅の1階に入居する3店舗と周辺の個別店舗4軒で組織されています。

記事の下には、両商店街の広告が掲載されていました。こんな感じ。なつかしい店の名がならんでいます。

広告
三陸新報11月10日掲載広告(クリックで拡大)

記事にある南町の商店街の写真ですが、どの方向から撮ったものかちょっと迷います。右端に写っているのが猪苗代病院でしょうか。そうすると、中央部が以前はマンボ通りがあったところなのかなあ。自信がありません。魚町の商店会のほうは、〈角星〉が写っていたので、方向がわかりました。手前にうつりこんでいるのは防潮堤の建設現場です。これからスロープのような形状へと工事が進むわけですが、背後の商店群とどのような関係となっていくのか、ちょっとわかりません。広告中の案内地図を拡大しておきます。クリックで拡大します。

地図

開店をこれから迎える店舗もあり、商店街としてはこれからの賑わい復活に期待していることでしょう。内湾商店街の復活を目指す多くの人の尽力によって、グランドオープンの日を迎えられたことはなによりのことです。南町そして魚町の関係者の皆様、おめでとうございました。

2016年8月9日ブログ「内湾の復興MAP」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 南町紫神社前商店街 魚町内湾商店会

民俗芸能の集い2

10月28日の三陸新報に「けせんぬま民俗芸能のつどい」の紹介記事が掲載されていました。
10-28 伝統芸能
三陸新報10月28日記事

◎けせんぬま民俗芸能のつどい
日時:11月12日(日)午後1時〜
会場:気仙沼市民会館
記事に記載はありませんでしたが、入場無料のはずです。

この催しは、文化庁の「文化遺産を活かした地域活性化事業」として昨年から実施されており、2回目となる今年はつぎの4つの保存会が出演します。参考情報としてネット情報のリンクもはりました。

塚沢(つかざわ)神楽/八瀬(やっせ)
宿(しゅく)打ち囃子獅子舞/唐桑
要害(ようがい)七福神/大島
岩井崎明戸(いわいさきあけと)虎舞/階上(はしかみ)

なお、コメンテーターは、昨年と同じく気仙沼市魚町出身の東北大学災害科学研究所 川島秀一教授(気中21回生)です。

念のために昨年の出演内容を記しておきます。塚沢神楽は今年も出演します。

浪板(なみいた)虎舞/鹿折
神止(かどまり)七福神舞/唐桑
美和(びわ)太鼓/大島
塚沢(つかざわ)神楽/八瀬(やっせ)
大石倉(おおいしくら)打ちばやし/赤岩
早稲谷(わせや)鹿踊/八瀬
鮪立(しびたち)大漁唄込/唐桑
廿一(にじゅういち)田植踊/落合


以上が本題。最後に雑談を。11月8日、気仙沼の地域FM局「ラヂオ気仙沼」のツイートに、この集いの紹介がありました。催事名は「けせんぬま民族芸能のつどい」。民俗ではなく〈民族〉となっていたことをとても愉快に思ったのです。念のため〈けせんぬま民俗芸能のつどいですね。民俗。〉とツイートしたのですが、後で、ちょっとしたミスをあげつらうめんどくさいおじさんと思われたのではないかと反省。あくまで、〈気仙沼民族のつどい〉の楽しい語感が気に入っただけなのです、とこの場を借りて弁明を。

どうぞ皆様、12日(日)の午後は市民会館へ。気仙沼民族大移動(笑)

2016年11月9日ブログ「民俗芸能のつどい」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 けせんぬま民俗芸能のつどい

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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