最後の離島甲子園

5月7日の三陸新報を見ていて、大島中学野球部に関する記事の見出しに驚きました。「架橋で出場資格失う」と。

大島中学野球部
三陸新報5月7日記事の一部イメージ

大島中学校の野球部が、国土交通大臣杯全国離島交流中学生野球大会に3年ぶりの出場を目指しているという記事です。2008年に元ロッテ投手の村田兆治さんらの提唱で始まったこの大会は別名〈離島甲子園〉。10回目を迎える今回は、8月21日から沖縄県の石垣島で開かれます。

大島中野球部は、大震災があった2011年に初出場し2013年まで連続で参加してきましたが、それ以降は資金面がネックになり、出場を見合わせていたそうです。そして、気仙沼大島大橋が完成する2018年度末には、離島でなくなることから出場資格を失うことになります。また部員不足も背景にあり、今回が最後の出場機会になるというのです。しかし、大会参加の費用(200万円)のめどはまだ立っておらず、今後、寄付や協賛金を募っていく方針とのことです。

離島でなくなることの影響というか、余波がこんなところにもと初めは驚きました。そして部員不足も理由のひとつと聞いて、少子化に伴う気仙沼における小中学校の統廃合問題を思い起こしたのです。大島小・中学校は大島架橋の完成を踏まえて鹿折小・中学校との統合が平成30~33年度に計画されており、これから具体的な検討が行われます。

それにしても、最後の離島甲子園出場をなんとか実現して欲しいなと思っております。またあらためて情報があればお伝えしましょう。まずは取り急ぎのご紹介まで。

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ユニバーサルラブ

5月3日のFM「J-WAVE」で、ゴールデンウィークスペシャル「UNIVERSAL LOVE」という番組放送がありました。午前9時から午後6時近くまで、ミュージシャンのグローバーさんが7人のゲストを迎えてトークと音楽を楽しむというこの特別番組に気仙沼出身の畠山美由紀さんが出演したのです。

ユニバーサルラブ
番組サイトより(クリックでサイトにジャンプ)


私は当日の放送ではなく、翌日にネット放送「radico/ラジコ」のタイムフリー機能を利用して聴きました。この放送内容がとてもよかったので、本日ご紹介。

はじめは、新曲「会いに行く」の音源が紹介されました。初オンエアとのこと。とてもいい。9月リリース予定のアルバムに収録されるそうです。続いて美由紀さんのスタジオ生ライブ。小池龍平さんがギターとコーラスで参加しました。1曲目が「テネシーワルツ」。2曲目は「わが美しき故郷よ」。

2曲を歌いおえての数秒間は、なんていうんだろう心が満たされるというか、しみじみとした印象が残りました。グローバーさんも同じ感覚をおぼえたと思います。つぎのように続けていました。

(グローバーさん)ボクなんか地元は横浜のタンボの中なんですけど、テネシーのワルツを想像しながら、どうして自分のふるさとを思い出すんだろうとか思いながら聴いてて。音楽って不思議だなあと思ってて……。

(美由紀さん)不思議ですよねええ。

(グローバー)それでそのまま、「わが美しき故郷よ」。これは畠山さんの心の中にある故郷の景色を紡いでいるんですけど、やっぱりボクは自分のふるさとを、自分の子供(のとき)を思い出して。

(美由紀)いやあ、それはすごくうれしいです。いやあ、なんかね、ほら、自分の故郷を(曲として)つくって歌っているんですけど、ライブの時も、あくまでみなさんのそれぞれの景色を思い浮かべていただけるとホントうれしいなと思うので。うれしいです。そう聴いていただけると。

(グローバー)聴いてるみなさん。どうですか。ボクと同じじゃないですかね。なんか自分のふるさと、自分の子供のときを思い出して、ああぁと思いました。(発言紹介は中断)

このミニライブ後のやりとりのあと、グローバーさんが美由紀さんに、気仙沼のおすすめスポットをたずねました。美由紀さんはまず、ジャズ喫茶〈ヴァンガード〉をあげてくれました。そして、気仙沼ではなく大船渡のお菓子ですがと前置きして〈かもめの玉子〉も。美由紀さんは〈すんごくおいしい〉と(笑)。このあと、グローバーさんが〈あらためて、「ユニバーサル・ラブ」というキーワードで思うことはなんでしょう〉と美由紀さんにたずねます。

(美由紀)これ、ぱっと見て思ったんですけど、なんか、ユーモアかなあって、ちょっと思ったんですよねえ。やっぱなんかこう、緊張する場面とかシチュエーションでも、なんとなくちょっと、そういう笑いがあると、あ、ほぐれるなあと思うし、ほら、なんか、私たちもリハーサルの現場とか本番とかいって、そういう雰囲気になると一気に音楽も良くなったりするし。なんかそれ、重要なことかなあってとか思って。ちょっとした駄洒落でもいうとか(笑)。結構すきなんですよね。(発言紹介は以上)

この特別番組のタイトルとテーマは〈ユニバーサル・ラブ〉。個別的な愛ではなく、普遍的というかみんなへの愛といったところでしょうか。番組サイトでは、〈自分のことだけじゃなく、誰かのことをちょっと考えてみること。それがUNIVERSAL LOVEな気持ちの始まり〉と記していました。

美由紀さんは、このテーマをしっかりと踏まえて出演し発言していたように思います。冒頭に自分を紹介するときにも、出身を〈気仙沼〉ではなく〈東北〉と語り、それを受けたグローバーさんが、〈宮城県気仙沼の〉と補足していました。美由紀さんが自身で〈気仙沼〉と語らなかったことは、ライブ後の〈わが故郷=気仙沼〉ではなく〈みなさんのそれぞれの景色〉を思い浮かべていただけるとうれしい〉という言葉につながっています。〈ヴァンガード〉に続いて大船渡の〈かもめの卵〉をあげたのも、このユニバーサルなラブなのか。それとも何周か回った後の〈ユーモア〉か(笑)。

この番組は、ネット放送「radico/ラジコ」のタイムフリー機能で放送後1週間は聴くことができます。計算上は5月10日(水)の午後3時まで。ただ、3時間という聴取時間制限があり、私はもう聴くことができませんでした。エリア制限もあるから気仙沼で聴くにはプレミアム会員登録が必要かもしれません。下のサイトをクリックしての2時間経過して2:05:45秒あたりに美由紀さん登場です。

UNIVERSAL LOVE 2017(PART3)

最後になりましたが、この番組の正式タイトルは「J-WAVE GOLDEN WEEK SPECIAL MITSUBISHI CORPORATION presents UNIVERSAL LOVE 2017」。そして提供スポンサーMITSUBISHI CORPORATIONは三菱商事さんです。同社グループの気仙沼などへの支援活動については、4月5日のブログにも書きました。この番組への美由紀さんのキャスティングについても同社の行き届いた配慮が感じられます。

三菱商事グループの皆様のご配慮、ご支援に対し末尾ながら、あらためてお礼を申し上げます。

4月5日ブログ「白いカンバス」

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出産おめでとう!

大型連休明けの月曜日です。面倒な話はやめて、めでたい話題を紹介します。気仙沼のほぼ日の〈サユミ〉さんにお子さんが誕生しました。本日5月8日更新の〈沼のハナヨメ。〉で紹介されていました。

沼のハナヨメ

「沼のハナヨメ。」5月8日更新/第87話より(クリックでサイトにジャンプ)


詳しくは上記画像をクリックしてご本人の絵と話をご覧いただきますが、男の子で、5月2日に生まれたそうです。結婚して5年、まわりの人達からは、まだかまだかとのプレッシャーがあったようです。今回の〈沼のハナヨメ。〉にはそうした〈度を超えたおせっかい〉がおもしろく描かれています。

4月からは産休をとっていたそうで、〈産後の更新は慣れるまで不定期更新になるかもしれません!まずは…がんばります。子育てを〉とのこと。是非そうしてください。

サユミさん、そしてお父様になられた道有さん、おめでとうございます。しばらくは忙しい日々が続くことと思いますが、子育てを存分に楽しまれますように。気仙沼でも多くの人がこのニュースをうれしく感じたことと思います。心からお祝いを申し上げたく。

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「やすらぎの郷」

テレビ朝日系列のテレビドラマ「やすらぎの郷」、見てますか。テレビ朝日がゴールデンタイムならぬ〈シルバータイム〉のドラマとして平日午後12:30から20分間放送しているのが倉本聰さん脚本のドラマ「やすらぎの郷」です。気仙沼では東日本放送。

やすらぎの郷
「やすらぎの郷」番組サイトより(クリックでジャンプ)

この物語の舞台は、テレビ人専用の老人ホーム。そこに集うのは全盛期の映画、テレビ界を支えた俳優、作家、ミュージシャン、アーティストたちです。かつての大スター集団が繰り広げる、ノスタルジー漂う人間喜劇。というのが番組サイトの紹介文。主演は石坂浩二さん。倉本聰さんを思わせるシナリオライターを演じます。そしてほかの出演俳優がすごい。浅丘ルリ子、有馬稲子、加賀まりこ、五月みどり、野際陽子、八千草薫さんなど、まさに大物女優たちが登場するのです。

実質15分間ほどのドラマには、実にゆったりとした時間が流れています。はじめは動きのない演出にちょっととまどいましたが、今では、それも味として楽しむことができるようになりました。あとはドラマを見てもらうしかないのですが、以前は実際の夫婦だった石坂浩二さんと浅丘ルリ子さんとのやりとりなど、まさに虚実が重なり合ったかのようなドラマが展開されます。

5月1日の放送回では、往年の大スター(スタアと書いたほうが感じかな)九条摂子を演じる、往年の大スター八千草薫さんがナスを使った呪いの儀式をとりおこないました。キャスティングの妙というかユーモアというか、とても面白かった。倉本さんの脚本ならばと出演して俳優自身が楽しみながら演じている感じが伝わってきます。

4月3日から始まったこのドラマ、私は初回から録画して楽しんでいます。2クールを予定ということなので、6カ月間の放送ですね。まだまだ楽しめます。〈こどもの日〉に〈シルバー〉な話題はいかがなものかと思いながらも、未見の方は是非にと思い紹介いたしました。

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亀の湯 5/6に廃業

5月1日の読売新聞夕刊に、気仙沼市の銭湯「亀の湯」の記事が掲載されていました。5月6日(土)の営業を最後に廃業し、131年の歴史に幕を下ろすことになったとのこと。

亀の湯

読売新聞5月1日夕刊記事の一部イメージ

記事を少し引用します。

〈 三陸沖を漁場とする漁師のほか、震災後は復興ボランティアらにも愛されてきた「憩いの湯」。かさ上げ工事で立ち退くのを機に、最近は店を閉めると知ったなじみの客が次々と訪れる。休憩スペースでは4代目店主の斉藤克之さん(75)の妻で、番台に座るちか子さん(70)が「お茶っこ飲まいん」と、手作りのおこわとお茶を風呂上がりの客にすすめる。(中略)
 亀の湯は1886年(明治19年)、克之さんの曽祖父が開業。水揚げを終えた漁師たちが盛り場に行く前に汗を流していった。今も船名が書かれた洗面器が並び、船乗りたちがタオルやシャンプーを共同利用する。
 6年前の震災では、目の前の海からの津波で建物は骨組みだけになった。斉藤さんも再開を諦めかけたが、その年の夏、大阪府池田市が被災地支援で銭湯内に簡易浴槽を設置し、夫婦が管理を任された。広々とした風呂での入浴に「ありがたい」と喜ぶ被災者を見て、もう一度営業することにした。約2000万円をかけて補修し、2012年7月に営業を再開した。
 だが、海岸から約100mしか離れていない亀の湯がある一帯は、海抜2.7mまでかさ上げする工事が行われることになり、一度更地になる。その後、新たに建て直すと、ざっと見積もって1億円近くかかる。自分たちの年齢などを考えると断念せざるを得なかった。斉藤さんは「廃業は忍びない。でも、仕方ないのかな」と寂しそう。造成が終わったら、今の土地に自宅を再建し、併設していたコインランドリーは元通りに建て直すつもりだ。〉(引用は以上)

〈亀の湯〉の閉店については、1月24日のブログでも紹介しました。その時点では3月末の閉店と報じられていました。魚町周辺の土地区画整理事業の遅れで5月6日まで閉店を延期できたのかもしれません。しかし、いよいよ閉店、そして廃業か。この記事は気仙沼など宮城県内版でも掲載されたのでしょうか。東京ではこうした記事となって紹介されましたよという念のためのご報告です。

1月24日ブログ「「亀の湯」閉店へ」

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内湾の防潮堤工事

4月11日の三陸新報に、気仙沼市の内湾地区における防潮堤工事3/11本格化しているという記事が掲載されていました。

4:11内湾防潮堤
三陸新報4月11日記事の一部イメージ

この記事の写真は、奥にプラザホテルが見えますので、旧エースポート付近でしょう。工事の概要について、記事を引用します。

〈南町・魚町地区の防潮堤の高さは当初、海抜6.2mで計画された。しかし、景観への配慮を求める地元住民との協議を踏まえ、5.1mに引き下げられ、魚町地区には余裕高1m分に県内初のフラップゲート(起立式)が採用された。工事は2015年秋に着手したが、東日本大震災後の地盤隆起(22cm)を受けた設計の見直し作業などもあり、当初予定より半年ほど遅れている。〉(引用は以上)

そして4月19日、私は三陸新報の1面コラム「万有流転(ばんゆうるてん)」を読んでちょっと驚きました。

4:19万有流転2
三陸新報4月19日コラム「万有流転」

この文章の冒頭は、震災で一度地盤が沈下し、その後に隆起したために行われた防潮堤の高さの見直しについてです。そしてつぎのように続きます。

〈 本格的に内湾地区の防潮堤工事が始まり、壁面が建ち始めたところは、道から海が見えなくなった。鹿折地区も同じだ。観光に来た人が「全く海が見えない。気仙沼に来て海の見えない光景では、今後来たくなくなる」と話していたと、あるタクシー乗務員◎自然の力は計り知れず、このまま年数を重ねれば、地殻は隆起を続ける可能性がある。町がコンクリートに囲まれていく様子を見るについて、計画を考え直すことはできないのだろうかと思わずにはいられない。防潮堤計画がある場所でも完成前であり、検討のし直しをしてもらいたいと思うのは筆者だけだろうか◎気仙沼市は「海と生きる」をメーンに、水産と観光を謳っている。震災から既に6年が経過、防潮堤建設の契約が済んでいれば、損害賠償といった問題があるかもしれないが、町としての在り方を考えたい◎むしろ隆起していく海岸線に、高い防潮堤が築かれることのほうが問題である。国や県、市で、ぜひとも再考してほしいものだ。〉(引用は以上)

地盤の隆起という問題と、防潮堤によって海が見えなくなる問題とが一緒に語られているので、ちょっとわかりにくいのですが、私は違和感をおぼえました。

地盤の隆起(内湾でいえば22cm)は本質的な問題ではないでしょう。地盤は上下に変動する可能性がありますし。問題にするなら、やはり防潮堤の基本的な高さです。それが高すぎるというのであれば、その再考を行政や議会にもっと強くうながして欲しい。

これが一般読者からの投稿であれば話は違いますが、〈万有流転〉は三陸新報さんのある意味で〈看板コラム〉。〈検討のし直しをしてもらいたいと思うのは筆者だけだろうか〉と読者に疑問を投げかける前に、三陸新報社内で聞いてみて欲しい。私たちと違って、社内には詳細な情報や事情を知る記者も多いことだろうにと私は思ったのです。

でもなあ。コラム筆者もいろいろ聞いてみたり、知っているのかも知れませんね。それをわかったうえで、地盤の隆起ということにからませて、高すぎる防潮堤への疑問を投げかけてみたと。

なんだこりゃあと手をあげた私でしたが、そっとその手を下げるみたいな(笑)。そんなこんな、いろんなことを考えさせてくれるコラム〈万有流転〉でした。

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気仙沼CrewCard

きのうのブログは気仙沼版DMO「気仙沼観光推進機構」について記しました。本日は同機構の重要施策のひとつであるポイントカード「気仙沼クルーカード」を紹介します。

クルーカード
気仙沼クルーシップ公式サイトのイメージ(クリックでジャンプ)

気仙沼クルーシップ(クルーカード)公式サイト
公式facebook

気仙沼クルーカードは、「気仙沼の未来をつくる市民証」として気仙沼観光推進機構が発行するポイントカードです。名称には、気仙沼を船に見立て、その乗組員証(クルーカード)にという思いが込められています。気仙沼クルーカードの詳しい内容や申込みは、上記の公式サイトをご覧いただきますが、その特徴について以下に要約します。

①加盟店での買い物でポイント

気仙沼の飲食店、物産店、宿などの加盟店で提示すると100円の買い物で1ポイントがもらえて、貯まったポイントは1ポイント1円として市内の加盟店で利用することができます。

②提携サイトのネット

Yahoo!ショッピング、じゃらん、ディノスなど、1500以上の提携サイト利用でもポイントが貯まります。

③市内公的施設での利用も

今後のことになりますが、気仙沼市内の公的施設でもクルーカードを使えるようにするとのことです。

④失効ポイントは気仙沼に寄付

クルーカードのポイントをつかわずに失効しても、そのポイントは全額気仙沼に寄付されます。気仙沼にいなくても応援できるしくみです。クルーカードのポイント有効期限は付与された日の翌年12月31日までとなっています(最長2年間)。

要約は以上ですが、通常のポイントカードとは違う最大の特徴は、失効ポイントが気仙沼市に寄付されるということでしょう。通常の企業や店舗のカードの失効ポイントは運営事業者に還元されますが、クルーカードでは気仙沼市に寄付されるのです。これは、気仙沼クルーカードが(株)サイモンズの〈サイモンズポイント〉の仕組みを利用することで可能になりました。

こうした失効ポイントを利用した地域貢献の仕組みを考え出したのが、(株)サイモンズの斉川満社長なのです。調べてみると斉川さんは、日本航空でJALマイレージによる日本最大規模の異業種企業提携ネットワークを構築した方。2003年に日本航空をやめてサイモンズを設立しました。

上記の特徴に加え、気仙沼クルーカード導入の大きな目的が顧客情報の収集です。気仙沼の観光をより良いものにしていくためには、どのような方々がどのような観光行動をとっているかという情報が不可欠です。いわゆるマーケティングデータですね。DMOのM(マーケティング/マネジメント)のための情報です。カード利用データを分析することにより、客観的な気仙沼の強みや弱みが明らかになります。そして、その客観的なデータをベースにしての観光戦略の立案と実行が、DMO(観光地域経営組織)に求められる最大の役割でしょう。

どうぞ皆様も上記の公式サイトから気仙沼クルーシップメンバーへのお申し込みを。河北新報4月29日配信の記事によれば、4月25日から始まった入会申込みの出足も好調のようです。

最後に気になったことをひとつだけ。公式サイトの画像に〈日本に先駆けてスタート!〉と記されていますが、日本語としてちょっとおかしいのでは。〈先駆けて〉は、〈世界に先駆けて〉とか〈他社に先駆けて〉など、ほかと比べての表現ですが、日本に先駆けたのはどこの国のことでしょう。細かなことを言って嫌われるかもしれませんが、事務局に問い合わせてみます。これも、すでに申込みを済ませ気仙沼クルーの一員となった者としてのつとめと思い(笑)。

5月1日ブログ「気仙沼版「DMO」」

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気仙沼版「DMO」

4月25日の三陸新報に、「気仙沼観光推進機構」設立の記事が掲載されていました。

4:26気仙沼dmo
三陸新報4月25日記事の一部イメージ

「稼げる観光地づくり」を目的とした気仙沼版DMOの中枢となる「気仙沼観光推進機構」が4月24日に設立されたという記事です。私はちょっと扱いが小さいなと印象を受けました。図解などがないとちょっとわかりにくいかもしれません。

「気仙沼観光推進機構」は、気仙沼の総合的な観光施策の意思決定機関/中核組織です。同時に、その事務局として一般社団法人「気仙沼地域戦略」も設立されました。この「気仙沼地域戦略」には、一般社団法人「リアス観光創造プラットフォーム」も発展的に統合されるのかなと推測しています。いずれも理事長は気仙沼商工会議所会頭の菅原昭彦さんです。そして、この「気仙沼観光推進機構」に気仙沼市や各種の商工団体、観光団体、NPO・市民活動団体、市民などが参画して〈観光で稼げる地域経営〉の施策を企画・実行していきます。

三陸新報は、DMOを〈地域経営〉と説明しているのですが、これはちょっと誤解を与えるのではないか。やはり〈観光〉というテーマを明確にしたいところです。私は2016年のブログ「DMO先進地視察」でつぎのように説明しました。

「DMO」は、Destination Marketing/Management Organization。冒頭のデスティネーションは、旅行目的地のことです。この言葉自体がややこしい。2013年の春に仙台・宮城で行われたデスティネーション・キャンペーン(DC)というのも、早い話が観光キャンペーン。DMOも〈マーケティングや経営の視点から観光地域づくりをおこなう組織〉といってよいでしょう。そして今、国/観光庁が推進している「日本版DMO」は、地域を活性化させる観光のビジネスモデルの形成をめざすものです。(引用は以上)

私ならいまDMOの和訳をどうするか。〈地域経営〉を生かすのであれば〈観光地域経営組織〉かな。なかなか難しいのですが〈気仙沼観光推進機構〉という組織名はよく考えられていると思います。いろいろと苦労したことでしょう。

参考として観光庁の説明を記しておきます。日本版DMOは〈地域の「稼ぐ力」を引き出すとともに地域への誇りと愛着を醸成する「観光地経営」の視点に立った観光地域づくりの舵取り役として、多様な関係者と協同しながら、明確なコンセプトに基づいた観光地域づくりを実現するための戦略を策定するとともに、戦略を着実に実施するための調整機能を備えた法人〉です。

DMOの説明が長くなってしまいましたね。気仙沼版DMO「気仙沼観光推進機構」の重要施策のひとつ、ポイントカード「気仙沼クルーカード」については明日にしようと思います。どうぞよろしく。

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「あさひ鮨」の開店

きょう4月28日の三陸新報のトップ記事は、魚市場前〈海の市〉の〈氷の水族館〉が復活し、明日29日から一般公開されるという話題でした。津波で被災して、6年ぶりのリニュアル・オープンです。

〈氷の水族館〉の運営やプロデュースを担当しているのは岡本製氷の岡本貴之専務です。そして、その妹さんがジャズピアニストの岡本優子さん。3月5日の東京・めぐろパーシモンホールでの「東日本大震災復興支援コンサート」で素晴らしいピアノとボーカルを聴かせてくれました。その曲間のトークで〈気仙沼の兄がいま、氷の水族館の復活で頑張っています。目黒の皆さんにも紹介してくるようにとのことでした。どうぞ皆さま、気仙沼においでの際には是非お立ち寄りください〉と語っていたことを思い出します。その岡本優子さんは、明日29日(土)と30日(日)の午後1時から、海の市1階イベント広場でミニライブをおこないます。どうぞ、おでかけください。

そしてこの〈氷の水族館〉の記事の下には、こんな大きな広告が。

あさひ鮨オープン
三陸新報4月28日掲載広告(クリックで拡大)

あさひ鮨の本設本店が明日4月29日にオープンします。場所は南町の猪苗代病院の向かいです。挨拶文に書いてありましたが、以前の店構えと同じつくりですね。懐かしい。

あさひ鮨で役員をつとめる佐々木徹君(3年1組)から〈今年の目黒の桜まつりには、開店準備が忙しくていけない〉との電話がありました。そのときに、〈ゴールデンウィークになんとか間に合わせようということで、工事関係の皆さんがいま懸命にやってくれている。本当にありがたい〉と語っていました。挨拶文に〈多くの皆様のご支援と建設業者様の並々ならぬ献身的努力の賜〉と記されていましたが、まさにそのことでしょう。

挨拶文には、〈本年12月、創業50年を迎えます〉ともありました。我が家に村上力男さんと良恵さん夫妻が開店の挨拶に来られてから半世紀近くが経つのか。頂戴した折詰めの包装紙には港の風景が筆でさらっと描かれていました。とてもしゃれていて品の良い感じがしたものです。力男さんは気仙沼高校美術部の大先輩でもあるのです。

仮設商店街の南町紫市場での営業を経て、今回の新築開店にこぎつけるまでには本当に多くの苦労があったことと思います。村上夫妻、佐々木徹君はじめ、関係者の方々にお祝いを申し上げます。本店の新築完成おめでとうございます。益々の盛業を祈っております。

どうぞ皆様、ゴールデンウィークは気仙沼の南町紫神社前商店街「あさひ鮨」、そして魚市場前「海の市」氷の水族館におでかけくださいますように。

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「モノマガジン」

本題の前に業務連絡。気仙沼大島架橋を担当した巨大クレーン船「富士」乗組員の一日に密着したNHK「プロフェッショナル」の再放送は、本日4月27日(木)深夜25:25からです。本放送を見逃した方は是非に。番組サイト内容が更新され、放送内容が詳しく紹介されていました。これもどうぞ。

「プロフェッショナル」番組サイト

さて本題。今日は雑誌の話です。一昨日のブログで書いた「メトロミニッツ」は、無料配布の雑誌でしたが、本日紹介するのは有料の雑誌「モノマガジン」4月15日発売の最新号です。総力特集は〈本物がわかる大人のHow To小屋〉。これまで2回にわたって小屋を特集して好評だったとのことですが、今回の第3弾は「夢物語りで終わらせない」をテーマにしています。その中で、気仙沼を拠点とする〈東北ツリーハウス観光協会〉の活動が紹介されているのです。

ものマガジン

表紙にうつるのはツリーハウス1号の〈DEKITA HOUSE〉。ヤマツツジでおなじみの気仙沼徳仙丈(とくせんじょう)登山口付近に建てられました。背景にうつるのがヤマツツジでしょう。特集ページでの〈東北ツリーハウス観光協会〉の活動紹介はこんな感じです。

ツリーハウス

糸井重里さんがツリーハウスのブランコで遊んでいますね。吹き出しに〈東北に100のツリーハウスを!〉というメッセージが記されていますが、この糸井さんのメッセージについてはこちらに詳しく書かれています。

なお、この〈MERRY〉と名づけられたツリーハウス5号は、気仙沼の廿一(にじゅういち)地区に大手通販会社(株)フェリシモさんを支援パートナーとしてつくられたものです。

記事では、東北ツリーハウス観光協会の斉藤道有さんの言葉も紹介されていました。このブログで道有さんを紹介するときは公式サイトでの記述にしたがって〈事務局長〉としてきたのですが、記事では〈代表〉となっていました。道有さんは、今年3月で6回目となった気仙沼〈3月11日からのヒカリ〉実行委員会の代表もつとめています。気仙沼の新しいまちづくりを牽引する若者のひとりと言ってよいでしょう。今回の〈モノマガ〉での紹介記事は、彼ら彼女らへの応援メッセージでもあるなと感じました。モノマガジン関係者の皆さま、ありがとうございました。

東北ツリーハウス観光協会/公式サイト


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新市立病院が完成

きのう4月25日の三陸新報に、新しい市立病院の本体工事が終了したという記事が掲載されていました。

市立病院1
三陸新報4月25日記事の一部イメージ

新病院は、地上6階地下1階建て。診療科目は現在と同じ18科で、病床数は現在の稼働病床数と同じ340床(一般336、感染症4床)。地下1階には看護専門学校が入るそうです。総事業費は約246億円です。新病院での外来診療開始は11月2日で、現病院からの入院患者の移送やベッド、医療機器の引越作業は10月29日に行うそうです。

3月3日の三陸新報は、新病院の開院が11月2日に決まったと伝えていました。この記事の写真をみると病院の全体像がわかりますね。無料駐車場当初計画の668台から730台に見直したとの記述もありました。

市立病院2
三陸新報3月3日記事の一部イメージ

新病院の住所は〈赤岩杉の沢〉。国道45号線をはさんイオン気仙沼店の反対側の奥なのですが、わかりますでしょうか。昨年12月22日のブログ「ミニストップ開店」で紹介した写真でご説明します。写真中央より少し左の奥に赤いクレーンが見える場所が市民病院建設現場です。

12月21日ミニストップ
三陸新報2016年12月21日掲載広告(画像クリックで拡大)

新病院は、2014年9月に着工したといいますから、約2年半の工事でした。多くの市民が開院を心待ちにしていることと思います。工事関係者の皆さんはいろいろと苦労もあったことでしょう。ありがとうございます。長いあいだご苦労さまでした。

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「メトロミニッツ」

きのうのNHK「プロフェッショナル」はとてもよかった。気仙沼大島に暮らす人のインタビューでは、気仙沼高校の同級生〈みやこ屋〉熊谷雅裕君のお母様、熊谷すん子さんも登場。元気な様子でなによりでした。

さて本日は、地下鉄「東京メトロ」のフリーマガジン「メトロミニッツ」について。この雑誌は、主要駅のラックにて毎月20日に無料配布が開始されます。先週金曜日21日、私が丸の内線の東京駅で入手したのは最新の5月号(No.174)でした。

メトロミニッツ
「メトロミニッツ」サイトより

表紙にうつるのは、クリス・ペプラーさん。FM局J-WAVEでのナビゲータでもおなじみです。この写真をみているだけであのシブイ声が聞こえてくるようです。

今号の特集は「コーヒーと東京」なのですが、その扉頁を開いた私はびっくり。ありゃま、これはコーネルコーヒーではないですか。右側にうつるのはデザインオフィス〈nendo〉代表の佐藤オオキさんです。

メトロ1

その次の見開きページ右下に〈コーネルコーヒー〉の説明が記されていました。〈2015年7月、草月会館の2階にオープン。気仙沼で自社焙煎のコーヒーを提供するマザーポートコーヒーとクラウドファンディングのミュージックセキュリティーズ、そして佐藤オオキさんが代表を務めるデザインオフィスnendoのコラボ〉。

左頁の佐藤オオキさんのプロフィールの最後には、〈nendo東京オフィスはこのカフェと同じビルの6階にあり、「ビルの中の人を繋ぐ(つなぐ)ようなカフェが欲しいと「connel coffee by mother port coffee」を作った〉と記してありました。

メトロ2

たまたま手に取った雑誌のなかに気仙沼に関する記事を発見してなんかとてもうれしかった。東京限定マガジンなので、気仙沼のみなさんにもお伝えしたく。まずは取り急ぎ。

3月2日ブログ「コーネルコーヒー」
3月31日ブログ「赤坂7丁目の散策」

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大島の北限のユズ

きょう4月24日夜のNHK「プロフェッショナル」は、気仙沼大島の架橋工事が紹介されますね。楽しみです。ということで、本日は大島の話題です。4月16日の三陸新報に掲載された、大島での植樹活動の記事を紹介します。

4:16イオンゆず

三陸新報4月16日記事の一部イメージ

これは〈イオンこころをつなぐプロジェクト〉がおこなったもの。イオンさんはこれまでも、2013年から大島の亀山でヤマツツジの植樹を続けてくれています。そして今回は、大島の〈北限のユズ〉に着目したといいます。4月15日には、イオン従業員や市民らが、亀山の西部にある磯草地区でユズの苗木250本を植樹しました。5年ほどでの収穫を見込んでおり、〈海べの森をつくろう会〉などがジャムなどに加工して大島の特産品としてイオングループ店舗や市内で販売することを計画しているそうです。

記事には〈北限のユズ〉についての説明がありませんでした。調べてみると、陸前高田市が復興のシンボルとしてブランド化を計画しているのですね。気仙沼より陸前髙田のほうが北ですよね。まあ、〈ユズは宮城と岩手をまたぐ気仙地方が北限〉つうあたりでいかがでしょうか(笑)。

記事に記された植樹参加者のなかに、イオンモール(株)取締役会長でイオン東北代表の村上教行君の名もありました。同年会〈けせもい会〉のメンバーである村上君については、2月14日のブログでも紹介しました。イオンさんは、大島だけでなく、階上地区や唐桑地区でも植樹をおこなっていますが、村上君はいつもグループ社員を率いて活動に参加しています。なかなかできないことだなと。

これまでにブログで紹介したイオンの植樹支援の主なものを下に掲げておきましょう。いつも本当にありがとうございます。皆さまのご支援にあらためて御礼を申し上げます。

2012年10月18日ブログ「木を植えています」
2015年9月29日ブログ「イオンの植樹支援」
2016年2月17日ブログ「鎮守の森をつくる」

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河野さん早野さん

東京・表参道の山陽堂書店での催事で『考える人』編集長だった河野通和さんに、気仙沼へのさまざまなご配慮への御礼を申しあげたのは、2週間前の4月7日のことでした。その報告を12日のブログに記してから1週間後、4月19日に〈ほぼ日〉から発表されたニュースにとても驚きました。河野通和さんが株式会社ほぼ日に入社というか〈乗組員〉になったというのです。そして河野さんだけでなく、早野龍五さんも。ほぼ日のつぎの記事に、お二方と糸井さんの鼎談が3回にわたって紹介されています。

アートサイエンス
ほぼ日/新しい「ほぼ日」のアートとサイエンスとライフ。(画像クリックでサイトにジャンプ)

河野さんは、中央公論社に入社後、『婦人公論』『中央公論』の編集長を務めています。そして新潮社では『考える人』の編集長を務めました。『考える人』で気仙沼をとりあげてくれたことについてはこのブログでも紹介しました。

早野さんは、東京大学の教授職を3月に退官されたばかりです。私は原子物理学者としての早野さんを存じ上げなかったのですが、震災後にネットなどで原発事故に関する情報に接してそのお名前を知りました。このテーマに関しては、糸井重里さんと共に『知ろうとすること。』を発刊しています。〈放射線の影響については、まだわからないことも多い〉と語る専門家と称する人も多いなかにあって、早野さんは根拠のない不安を科学的な知見によって取り除くことにつとめてきた方です。

ほぼ日/知ろうとすること。

こんな期待感に満ちた上場企業の人事ニュースはそうあることではないでしょう。河野さんと早野さんの参画によって、〈ほぼ日〉さんがまた新しい世界を私たちに見せてくれることを心から楽しみにしています。

4月12日ブログ「考える人への御礼」

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希望を架ける男達

本日はテレビ番組の紹介です。大島架橋〈気仙沼大島大橋〉の本体アーチ部の架設工事は、3月29日のことでした。その工事の現場が、NHKテレビの人気番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で放送されます。工事にたずさわった巨大クレーン船「冨士」乗組員の1日に完全密着しての映像です。

プロフェッショナル
番組サイトより(画像クリックでサイトにジャンプ)

◎プロフェッショナル 仕事の流儀
「男たちは、“希望”をかける」
 巨大クレーン船「富士」乗組員

NHK総合テレビ
4月24日(月) 午後10:25~11:14
再放送は4月27日(木)深夜25:25〜26:14

(番組紹介文)今年3月、宮城・気仙沼で、“歴史的大工事”が敢行された。東北地方最大の有人島である「大島」と本土を結ぶ初めての橋の架設だ。本土との交通手段が船舶しかなかった大島は、震災直後、島民が20日間も孤立。橋は、長年の悲願だった。

この工事を託されたのが、3000トンを持ち上げる巨大クレーン船「富士」。これまで東京ゲートブリッジや築地大橋など、数々の難工事をこなしてきた国内屈指のクレーン船だ。そんな富士と一心同体で工事に挑むのが、船長・段野下定美と乗組員たち。全長200メートルを超える橋をつり上げ、2キロメートル離れた架設現場へ移動させ、一気にかける。

しかし、工事は容易ではなかった。作業時間が限定的だった。日中は、気仙沼湾内をフェリーが運行しているため、富士は移動できない。フェリーが走っていない深夜に富士を移動させ、その後、翌日の夕方までに橋をかけ終えなければならない。過酷な環境に、想定外の事態が頻発。男たちが挑んだ難工事、その1日に完全密着した。(引用は以上)

50分間のドキュメントが今から楽しみです。どうぞ、お見逃しなきように。

4月3日ブログ「大島の夢の架け橋」

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「私のしらす物語」

きのう4月18日の午後、気仙沼中3年8組(&気仙沼小1年8組)の同級生〈ぶっちゃん〉こと吉田恵子さんと電話で話しました(ぶっちゃんというのは、旧姓のイワブチに由来します)。LINE/ライン利用なので、料金を気にせずになんだかんだと。

話のなかで恵子さんが〈このまえ、(気仙沼の)近所の店でシラスを買ったときに小田君のブログを思い出した〉と言うのです。〈よく覚えているね〉と私。電話をおえて、ひさしぶりにその自分が書いたブログを読んでみました。2012年3月28日の「私のしらす物語」。もう5年も経つのかとちょっと驚きました。春の話題だし、私自身がとてもなつかしい思いがしたので以下に再掲します。

◎私のしらす物語

今日の東京は暖かく、いよいよ春の訪れを感じさせます。

気仙沼の春の味。そのひとつが〈しらす〉です。私たちが小さなころの魚町の朝。家の外から〈しらす、よござりすか~〉という声が聞こえてきます。これは、「しらすの用はございませんか」という意味ではないかと勝手に思っていますがどうでしょう。〈ござりす〉というのは、〈ございます〉という意味の丁寧な言い方。気仙沼の言葉には、あらっぽい言葉も多いのですが、こうしたきれいな響きを持った丁寧語も多いのです。

このしらす売り、気仙沼の鹿折地区浪板(なみいた)でとれたしらすを朝早く釜揚げしての行商です。声をかけるとしたら、なんて言ったんだろう。「しらす、けらい(ください)」か「しらす、もらうがら」あるいは「しらす、もらえっぺが(もらえますか)」か。なじみの家にはガラッと戸をあけての訪問販売かも。「おくさん、しらす、どうだべ」母「んで、もらうがな(それでは、もらいましょうか)」的な(笑)。

すると浪板のおばちゃんは、背負った荷から升(ます)でしらすを計ります。家のどんぶりかなにかに入れてもらったのでしょう。

私の記憶があいまいだったので、震災後は仙台で暮らす母に聞いてみました。
「値段は、結構したよ。でも、美味しいからね。うちで買っていたおばちゃんは、なにかゆで方に秘訣があるといって〈おらいのが、いぢばんうまいがら〉って自慢しながら、箸を使って一合升にフワッと空気をまぜるようにいれるんだよ。買うほうからすると、もう少し押し込んでもいいのになと思ったりして。そんなこともいまは懐かしいねえ(笑)」

〈浪板〉というのは、ホテル観洋とか気仙沼プラザホテルの対岸に見える地域です。その浪板のしらす売りの声もずいぶん前に聞かなくなったと母は言います。私も、2年ぐらい前になるでしょうか、実家から送ってもらっていた三陸新報で、浪板地区小々汐(こごしお)でしらす漁を続けていた最後の一軒が漁をやめたという記事を読みました。そこには、浪板地区で釜揚げしたしらすを朝に売りに出たのはたしか50~60年ぐらい前のことと書かれており、そんなに古い話ではないのだと驚いた記憶があります。

25日の「さんま寄席」の打ち上げは、2カ所で行われました。市民会館では八幡太鼓、アーバンでは浪板の虎舞が披露されたとのこと。その浪板は、気仙沼の春の〈しらす漁〉でも知られる地域だったのです。

浪板のしらすの思い出をなんやかやと話す母。最後は〈私のしらす物語はこれでおしまい〉といって笑いました。

春が近づいています。(再掲内容は以上)

〈シラスは気仙沼にかぎる〉などと言うつもりはありません。しかし、私の脳裏によみがえるシラスの味にまさるものはないでしょう。ぶっちゃん、いろいろとありがとう。

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南町紫市場の閉所

気仙沼復興商店街「南町紫市場」は、4月26日(水)をもって閉所します。各店の最終営業日が異なるため、4月1日に閉所式と閉店感謝祭がすでに行われています。

三陸新報の4月14・15・16日の紙面には、紫市場に出店していた店舗の休業や閉店の広告が掲載されていました。(画像クリックで拡大)

4:14世界
三陸新報4月14日掲載広告
4:15勝子
三陸新報4月15日掲載広告
4:16あさひ鮨
三陸新報4月16日掲載広告

以上7店のお知らせは、あくまで紫市場での営業が終わるとのお知らせで、新店舗での営業はまた別の話です。たとえば割烹〈世界〉さんは、この広告でも5月上旬に新店舗を開店予定としています。〈あさひ鮨〉さんも新店舗開店までもう一歩という段階かと思います。

4月15日の広告で〈休業のお知らせ〉を掲載していた〈とんかつ勝子〉さんについては、4月13日の三陸新報に新店舗の情報がありました。気仙沼市が公募していたJR気仙沼駅前に整備する複合施設の商業施設への出店が決定したというのです。ハローワークも入るこの施設には2つの事業者が出店し、そのひとつが〈とんかつ勝子〉、もうひとつが〈働希舎かもみ〜る〉です。〈働希舎かもみ〜る〉さんは、障害者就労施設と併用し、手作り小物や弁当、総菜、自社製ジャムなどを販売するとのこと。施設の供用開始は1年後、来年4月です。

三陸新報に掲載された7店の休業、閉店、営業終了のお知らせ。その広告の体裁は同様ですが、各店が抱える課題や事情はさまざまでしょう。〈南町紫市場〉は2011年12月24日にオープン。公式サイトには開店予定店舗数51店舗と記してありました。この6年4カ月の間、各店舗の方々、関係者の方々には多くのご苦労があったことと思います。皆様方の今後のご健勝を願うばかりです。


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再出港の「霧笛」

4月13日(木)に菊田裕美君(3年1組)からメールが届きました。〈今日の三陸新報の投稿「霧笛121号の船出」の西城健一君は、気仙沼高校の同級生です。私は、「霧笛」の創刊号を熊谷康雄君から送ってもらい読んだ記憶があります。気仙沼の文化を同級生が継承していることに感心しました〉。その投稿記事はこれです。

4:13霧笛投稿

三陸新報4月13日記事の一部イメージ

西城健一君の名を聞いて、すぐには顔を思い出せず、気高の卒業アルバムを開きました。3年2組に西城君はいました。投稿は、詩誌「霧笛」についてです。西城君は創刊者のひとりで、現在は「霧笛の会」代表をつとめています。投稿文の冒頭に、この詩誌に関する経緯が記されていましたので引用します。

〈詩誌「霧笛」は、1984年(昭和59年)の創刊号から、通算で121号の発行を迎えました。2005年(平成17年)、80号をもっていったん解散、次を第2期創刊号とし、会の名も新・霧笛の会としていましたが、昨年末第40号を発行したところで、再び区切りとしようということになりました。〉

文中にもうひとりの創刊者、小野寺仁三郎さんのお名前がありました。病気でお亡くなりになったと。そして、刺激を受けた方として故 西田耕三さんのお名前も。

投稿文のタイトルは〈霧笛121号の船出〉。会の名を〈霧笛の会〉に戻しての再出発です。第3期のはじまりといってもよいのかもしれません。121号は同人全員の明日に向かっての船出になると書いたあと、西城君は〈元同人の故熊谷康雄さん、故村上誠治さん、「霧笛」の歴史の中に2人の人生の詩が輝いています〉と続けています。

文中に2015年8月に亡くなった気仙沼中学同級生の熊谷康雄君(3年5組)の名があったことをうれしく思いました。康雄君については、一昨年のブログに記しました。

ちょっとしめっぽくなってしまったかな。最後に、西城君の投稿文のなかに私がしみじみとしたものを感じた一節がありましたので引用します。

〈 詩を一編書くことによって自分自身の何かの区切りにしたいと思うことがあります。寂しさ、悲しみ、孤独の中にいる時、このままでは駄目だと思いながらただ引きずって生きている時、そんな時、詩を書き、孤独の思いを書き綴ります。

書き終えて、本になり世に出ていくことで乗り越えたような気になります。また前を向いて生きて行けるのです。詩が人生の励みになり、羅針盤になり、いつしか体の一部にもなりました。〉

私は〈詩とはなにか〉ということになんの関心もありませんが、この一節を読んで西城健一君にとっての詩の意味や意義がとてもよくわかりました。そして、そこにたしかな詩を感じたのです。郵便配達をしていた熊谷康雄君のありし日の姿も重なりました。

「霧笛」121号の新しき船出を、菊田裕美君そして故熊谷康雄君とともに祝いたく、この一文といたしました。

2015年8月17日ブログ「熊谷康雄君の訃報」

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気仙沼の真央さん

4月11日の浅田真央さん引退という突然のニュースには驚かされました。12日の記者会見での真央さんの笑顔と、言葉につまったあとの涙をみていると、こちらまでせつない気持ちになってしまいました。

浅田真央さんは、2015年2月22日に気仙沼を訪れています。本日は、そのことを紹介した2015年3月25日のブログ「気仙沼の真央さん」を再掲して、彼女への感謝と御礼のメッセージといたします。なお、ブログの元記事での映像リンクがきれていましたが、最新のものにはりなおしました。

◎気仙沼の真央さん
(2015年3月25日ブログ再掲)

本日紹介するのは、きのう公開された住友生命WEB限定スペシャルムービー〈気仙沼ゲストハウス“架け橋”〉。浅田真央さんが気仙沼を訪れたときの映像です。



真央さんは住友生命の「ヤングジャパンアクション」で2月22日に気仙沼を訪れました。このプロジェクトは、浅田真央さんをリーダーに迎え、若者が考える社会の課題を解決するアクションの支援を行っていくことを目的としています。そしてこの目的に合致した活動を募集し、3つの団体が大賞に選ばれました。そのひとつが、〈気仙沼ゲストハウス“架け橋”〉なのです。

この団体は、気仙沼の階上(はしかみ)地区波路上後原(はじかみうしろばら)にある空き家を改修し宿泊場所として提供、長期ボランティアの学生と地域をつなぐ活動を展開しています。紹介した映像の中、安波山で真央さんに説明しているのは、管理者代表の田中惇敏さんだと思います。震災の年に九州大学に入学しましたが、休学して気仙沼に住み活動しているそうです。

2月に浅田真央さんが気仙沼で植樹をおこなったというニュースはテレビや新聞で知ってはいましたが、その背景にこの〈気仙沼ゲストハウス“架け橋”〉や住友生命の社会貢献活動があったとは知りませんでした。

こうしてブログを書いていていつも思うのは、私たちの知らないところで、本当に多くの方々が気仙沼を支援してくれているなあということです。住友生命さんにもお礼を申し上げます。ありがとうございました。

なお、本日(2015年)3月25日から住友生命の新TVCM「ヤンクジャパンアクション2015 活動」篇が放送されます。この中にも気仙沼での活動の様子がうつることでしょう。上記の映像やTVCMで流れる曲は、Mr.Children の新曲「街の風景」です。

気仙沼ゲストハウス「架け橋」HP
住友生命「ヤンクジャパンアクション」HP

再掲内容は以上です。
浅田真央さん、ありがとうございました。新しいステージでのご活躍を願っております。

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つながりスクエア

東日本大震災復興支援活動をおこなってきた「やっぱ銀座だべ」プロジェクトは、4月1日から5月15日まで、東急プラザ銀座店の〈HANDS EXPO〉に「三陸・銀座 つながりスクエア」を出店しています。この出店は、気仙沼市と陸前高田市の情報発信と特産品販売を目的としたもの。

つながりスクエア
〈HANDS EXPO〉サイトより(クリックでジャンプ)


そして4月15日(土)16:30から、このスクエア開設を記念し、阿川佐和子さん、気仙沼市 菅原茂市長、陸前高田市 戸羽太市長とのトークセッションと缶詰試食会・地酒試飲会が開催されます。東北と美味しくつながろう!やっぱ銀座だべ「三陸・銀座つながりスクエア」開設記念イベント。ただし、すでに60席が満席となっておりました。残念。

東急プラザ銀座店があった場所には以前、銀座TSビルがありました。そこには2011年10月から2012年8月まで、東日本復興支援プロジェクト from 銀座/東日本復興応援プラザ「いきなり市場」が設けられ、気仙沼のアンテナショップとして親しまれてきました。これは東急不動産さんのご厚意によるもの。今回のスクエア開設も同社グループの支援活動の一環と思います。本当にありがたいこと。

どうぞ、銀座近辺におでかけの折には、東急プラザ銀座店のHANDS EXPO「三陸・銀座 つながりスクエア」にお立ち寄りくださいますように。

HANDS EXPO/アクセス
東京都中央区銀座5-2-1 東急プラザ銀座 7階
11:00~21:00

〈やっぱ銀座だべ〉プロジェクトや、その実行委員長をつとめてくださっている阿川佐和子さんの活動については、つぎのブログでも紹介しております。

2013年4月3日ブログ「やっぱ銀座だべ」
2015年2月16日ブログ「銀座いきなり市場」

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 つながりスクエア やっぱ銀座だべ

考える人への御礼

4月7日(金)、東京・表参道の山陽堂書店ギャラリーで開催されていた催事にでかけました。そのテーマは〈また会う日まで『考える人』、これからもよろしく『Webでも考える人』。(この催事は、きのう4月11日で終了しました)

新潮社の季刊誌『考える人』が、本年の春号をもって休刊となります。多くの人が惜しむこの休刊に際し、山陽堂書店さんが『考える人』の15年/60号にわたって伝えてきたことをふりかえる場を用意してくださったのです。いつか復刊される日を祈りつつ。

この催事にでかけたことには目的がありました。会場にいらっしゃるという編集長の河野通和(こうの みちかず)さんに一言でもお礼を申しあげることができればと思ったのです。それは『考える人』2015年春号の記事〈おいしい気仙沼〉の掲載についてです。

考える人
『考える人』2015年春号より(クリックで拡大)

この写真家 長野陽一さんによる8頁にわたる記事については2015年のブログに記しました。

7日、会場で河野さんとお話しすることができたのはなによりのことでした。〈気仙沼出身の小田と申します。一言御礼をと思い〉と話しかけた私に河野さんは〈ああ、そうでしたか〉と微笑んでくれました。細かな話は略しますが、河野さんは震災後ほどなく気仙沼を訪れ、その被災の状況についてよくご存じでした。私からは、2015年春号の記事の掲載と、河野さんをはじめ多くの方々からのご支援への御礼を申し上げました。河野さんがよくご存じのほぼ日/糸井重里さんらのご支援についても。そして地元気仙沼のみんなが新しいまちづくりのために努力でしていることや、私たちの同級生世代はもちろんのこと、その息子さんや娘さんら次世代の若者らも活躍していることを伝えました。河野さんは、大きくうなづきながら、〈またこれからも気仙沼をたずねます〉と語ってくれました。

帰り道に私は、〈考える人〉河野通和編集長が気仙沼の復興を見つめてくれていることをあらためてありがたく感じていました。そして、雑誌『考える人』を立ち読みすることが多かった私は、その存続になんの力にもなれなかったなあとちょっと恥ずかしく思ったのです。

河野通和さんはじめ、『考える人』関係者の皆様にお礼を申し上げます。気仙沼のことをいろいろと、ありがとうございました。

2015年6月24日ブログ「考える人の気仙沼」

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『鮪立の海』書評

4月8日の気仙沼〈みなとのがっこう〉で熊谷達也さんはどのような話をされたでしょうか。この〈がっこう〉に集った生徒のなかには、熊谷先生の気仙沼中学校時代の教え子もいたことでしょう。そして当日は、熊谷さんのほかに仙台の出版社「荒蝦夷(あらえみし)」の代表である土方正史さんも聞き手として参加したはずです。

翌日4月9日、柏崎のホテルで開いた読売新聞の書評欄を見て驚きました。土方さんが評者となって、熊谷達也さんの最新作『鮪立(しびたち)の海』が紹介されていたのです。

読売書評
読売新聞4月9日記事の一部イメージ

書評の前半では、「鮪立の海」の物語が簡潔に紹介されます。その後に熊谷達也さんと気仙沼の関係や〈仙河海〉シリーズのことが紹介されます。文章を引用します。

〈 著者は1990年代を宮城県気仙沼市で中学教師として過ごした。仙台で作家となって、そして東日本大震災。架空の港町〈仙河海〉は気仙沼そのものといっていい。かつての教え子たちが生活を破壊され、日々呻吟(しんぎん)する中で綴られたこのシリーズ、本作のほか7作が刊行されている。明治以降の近代漁業基地への歩みを追い、戦乱から高度経済成長の昭和を経て、やがて「あの日」を迎える〈仙河海=気仙沼〉。国家と自然に翻弄されて、それでも生活は続く。祖父母から子へ孫へと登場人物たちの血脈も繋がって、シリーズは未来にも及ぶ。

 あの日、津波と火災に蹂躙された三陸の港町に、どんな歴史が、暮らしがあったのか。著者はそれを三陸を知らない読者に物語る。気仙沼の、被災地の読者へ、どんなに過酷であっても日々を繋ぐ希望を伝える。なにより被災地に暮らす著者にとって、このシリーズは自らの再生への道程であったかもしれない。〉

この後、土方さんは、〈「あの日」の物語は、やがて書かれるはずだ〉と続けます。熊谷達也さんは、本作で第1期をおえる〈仙河海〉シリーズ8作で「あの日」つまり3月11日のことを直截(ちょくせつ)には書いていないのです。まだ書けないといったほうがよいのかもしれません。

土方正史さんは、『別冊東北学』の編集に携わったことをきっかけに仙台で出版社「荒蝦夷」を設立し、雑誌『仙台学』『盛岡学』や多くの書籍を刊行してきました。しかし東日本大震災では自宅が全壊するなど大きな被害を受けました。被災者としての原稿依頼に対しては、はじめは断り続けたそうです。書けないと。しかしその後、求めに応じて雑誌などに寄稿した内容が『震災編集者』としてまとめられています。熊谷達也さんが〈仙河海シリーズ〉を書き続けるにあたっては、土方さんのサポートもあったことでしょう。

読売新聞の書評文は、〈本作に続いてシリーズを手に取れば、そこに三陸の海と町と人の叙事詩がある。〉と結ばれています。私は土方さんの文章に、熊谷達也のこの小説群を一人でも多くの人に読んで欲しいという強いメッセージを感じました。

3月30日ブログ「みなとのがっこう」

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小・中学校の閉校

いまは入学式の季節ですが、本日のブログは閉校の話題。3月末で、気仙沼市立馬籠(まごめ)小学校と小泉中学校が閉校となりました。3月19日には両学校で閉校式が行われています。馬籠小144年、小泉中70年の歴史に幕がおろされました。

三陸新報では、3月17日に馬籠小、18日に小泉中と、それぞれの歴史などを紹介していました。馬籠小の記事を紹介します。

馬籠小
三陸新報3月17日記事の一部イメージ

冒頭に歴史の紹介がありました。馬籠小の開校は1873(明治6)年、当時の水沢県下、第7大学第22中学区41番馬籠小学校として開設されたのが始まりとのこと(「第7大学」との記述は「第7大学区」あるいは「第7大区」とするのが正しいようですが、ここでは記事のママに)。「その後の教育制度の見直しや自治体合併に伴い、校名が何度も変わったそうです。昭和初期には、農繁期に休業となった学校を託児所とした記録なども残されており、地域の発展とともに学校が歩んできたことがうかがえると記事は記しています。

私がジンときたのは、記事中で紹介されていた児童の言葉。馬籠小5年の村上楓さん(11)は、〈プールが学校から離れた場所にあり、毎回全校で歩いて通うのが楽しかった〉と書いていたのです。

プールが離れた場所にあって大変だったけど全員が頑張りました、となるのがお約束と思うのですが、〈楽しかった〉と。そして、〈自然がいっぱいの馬籠小でもう少し過ごしたかったけれど、たくさんの想い出をありがとうと伝えたい〉とも。とても前向きな気持ちがうかがえて、うれしく思いました。

記事の後半に馬籠小の全校児童数について書かれています。多いときで148人、本年度は29人、卒業生は計2335人となります。校長は〈家族のような関係で教育を行ってきた学校〉と語っていました。参考まで小泉中の全校生徒数を記しておけば、1951年のピーク時に222人、本年度は44人、卒業生は計2795人です。

馬籠小144年、小泉中70年の歴史を閉じるにあたっては、賛否をめぐって多くの議論や葛藤があったことでしょう。父兄はじめ地域の方々、市の教育委員会など、関係者のご努力に敬意を表します。両学校の児童生徒が統合先の津谷小学校と津谷中学校に早く慣れ、元気な学校生活を送って欲しいと心から願っております。

1月17日ブログ「小中学校統合問題」
2月20日ブログ「新入学児童生徒数」

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瀬戸山さんの成人

3月22日のブログ「サプライズ成人式」で、〈FNSうたの春まつり〉での気仙沼収録イベントを紹介したのですが、放送をご覧いただけましたでしょうか。

女川町の遠洋マグロはえ縄船〈第8明神丸〉の新人船員 瀬戸山郁人さんの成人をAKB48の渡辺麻友さんや柏木由紀さん、指原莉乃さんら8名が祝うという企画でした。私は録画で見たのですが、前半では瀬戸山がなぜマグロ船にのることにしたのかといった背景が説明されます。それを知ったうえで、AKB48登場に驚く瀬戸山郁人さんの表情などを見るとジンときました。いい青年なんですよ。

瀬戸山さんは、宮城県北部船主協会の募集を通じてマグロ船にのりました。本日紹介するのは、この船主協会のブログです。「サプライズ成人式」の背景や収録の様子を詳しく紹介しています。

船主協会ブログ
「宮城県北部船主協会」公式ブログより(クリックでジャンプ)

宮城県北部船主協会さんも頑張っていますね。昨年5月(再放送は7月)には、NHK「明日へ つなげよう/きたれ!マグロ漁師」で、同協会の労務部長・吉田鶴男さん(45)の仕事や気仙沼の漁業について紹介されました。このブログでも紹介しました。

AKB48の皆さんの表情など詳しい内容は協会ブログを見てもらいますが、サプライズイベントの最後の画面を紹介しておきましょう。


「宮城県北部船主協会」公式ブログより

本当によい企画だったと思います。AKB48はじめ関係者の皆さん、ありがとうございました。

宮城県北部船主協会の公式ブログ「漁船員(漁師)になろう!」のリンクは下に貼っておきますが、最新4月3日のブログに、サプライズ結婚式その後の話が書かれていました。番組後、瀬戸山さんのツイッターには、驚くほどのダイレクトメールが押し寄せ、対応するのも大変だったと。その数なんと700件。そして、そのすべてが激励メールで、嫌がらせや誹謗中傷したものは1件もなかったというのです。本当にありがたいことですね。

この協会ブログも上記の吉田鶴男さんが担当しているようです。漁船員のレポートや写真もすばらしいので是非ご覧ください。

「宮城県北部船主協会」公式ブログ

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「白いカンバス」

きのうのブログ「甚兵衛の見た風景」に引き続き〈みなとのがっこう〉の予習、熊谷達也さんの話です。「週刊新潮」3月16日号に熊谷達也さんの文章を見つけたのでご紹介。大震災から6年「明日への活力を生む10のキーワード」をテーマにした10社による企画広告です。10人の方々がメッセージを寄せているのですが、一番はじめに掲載された熊谷さんの文章のキーワードは「白いカンバス」でした。

白いカンバス
「週刊新潮」3月16日号掲載広告

〈東日本大震災の発生からちょうど三週間後、私は三陸のとある海辺に佇んでいました〉と文章は始まります。〈気仙沼〉という地名は登場しませんが、〈かつて三年間ほど、中学校の教員として暮らしていたことがある港町の海岸です〉とあることから、気仙沼の海辺とわかります。〈雲ひとつない快晴の日でした〉〈海からは何の悪意も感じられません〉

文章を引用します。〈その海を見つめているうちに、なぜか私は、一枚のカンバスを思い浮かべていました。何の絵も描かれていない白いカンバスです。ただし、新品のカンバスではありません。白の絵の具で一面が塗り潰されたカンバスです。よほど目を凝らせば、その白い絵の具の下に、これまで海辺に暮らしてきた人々が描いてきた絵が、微かに見えます。このカンバスに、もう一度新たな絵を描きなさい。そう海が私たちに命じているように思えました。これまでも同じカンバスに、何層にもわたってさまざまな絵が重ねられてきたに違いありません。〉

しかし、絵の具も筆もパレットもありません。海が持ち去ってしまったのです。〈これでは何も描けない……〉。熊谷さんはつぎのように続けます。

〈 途方に暮れていた時に、誰かがどこからか、絵の具を持ってきてくれました。そっと絵筆を握らせてくれた人もいます。手作りのパレットをはにかみながら差し出す人も……。
 そうした人たちの沢山の助けを得て、あまりに大きな代償を払いながらも、今後も海と一緒に暮らそうと決意した人々が、三陸の海辺のあちこちで、それぞれのカンバスに新しい絵を描き始めています。どれも完成には程遠い絵です。進み具合にも差があります。ですが、すべてのカンバス上で個性豊かな素晴らしい絵が完成することを願ってやみません。〉(引用は以上)

〈白いカンバス〉は、〈白い原稿用紙〉を連想させます。昨年9月の東京の会で熊谷達也さんは、震災直後4月11日に気仙沼を訪れたと語っていました。言葉を失うほどの衝撃を受け、しばらくは小説を書くことはもちろん新聞も読めなかったそうです。白いカンバスに新しい絵を描き始めるというのは、小説を書くこと、物語を紡いでいくことのたとえでもあるのでしょう。

そして熊谷達也さんはこの文章で、〈海が私たちに命じているように〉と記していました。〈私たち〉。熊谷達也さんの気持ちは、気仙沼をはじめ三陸の人たちと共にあると感じます。

この見開きページの広告スペースを提供してくれた三菱商事さんは三菱商事復興支援財団として、気仙沼をはじめ多くの被災地支援に積極的に取り組んでいます。私がこのブログで紹介したものだけでも、気仙沼市内の三陸飼料、気仙沼ケーブルネットワーク、気仙沼地域エネルギー開発の3社に総額2億5000万円を、〈海の市〉を運営する第3セクター気仙沼産業センターに5000万円をそれぞれ出資しています。

熊谷さんの文章は、三陸の人々へのメッセージであると同時に、三菱商事さんをはじめ多くのご支援に対する〈私たちとしての〉謝意の表現でもあったのでしょう。その心遣いをとてもありがたく感じました。熊谷達也さん、そして三菱商事さんにあらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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甚兵衛が見た風景

今度の土曜日4月8日、気仙沼〈みなとのがっこう〉で〈作家・熊谷達也から見た気仙沼 第3章~『仙河海』のこれまでとこれから〉の講座がもたれることは、3月30日のブログで紹介しました。熊谷達也さんは、気仙沼中学での教師経験をもつ直木賞作家です。

その熊谷達也先生による気仙沼をモデルとした〈仙河海(せんがうみ)シリーズ〉最新作は『鮪立(しびたち)の海』ですが、本日は前作『浜の甚兵衛』についてです。私はすでに読んでおりましたが、小説の紹介というのはなかなか難しい。そんなことでブログ紹介はせぬままにおりました。今日は〈甚兵衛が見た風景〉と題し、熊谷達也先生も執筆にあたって参照したと思われる写真を紹介します。〈みなとのがっこう〉の予習ということで(笑)。

『浜の甚兵衛』の主人公は菅原甚兵衛。気仙沼をモデルとする〈仙河海(せんがうみ)〉で沖買船の商売をしています。この小説には〈沖買船〉など、気仙沼の漁業の発展の歴史が北洋でのラッコ・オットセイ猟/密猟なども含め、興味深く描かれているのです。

小説のはじめ、大津波が仙河海(気仙沼)を襲います。文章中に〈今から40年前にあったという安政3年の津波〉という記述がありますので、40年後は1896年。つまりこの津波は、1896年(明治29年)6月15日の〈三陸大津波〉です。小説の冒頭で、日清戦争の戦勝祝典が神社(五十鈴神社)で開かれていたことも史実と合致します。

この津波で、階上(はしかみ)村の明戸(あけど)地区(岩井崎の西側)は壊滅的な被害を受けました。「気仙沼市史」第4巻では「階上村誌」による被害状況を紹介しています。それによれば、明戸地区の全戸数89戸のうち流壊86戸、半壊1戸、住民588人のうち死亡者は433名、このうち42名は小学校児童だったとのこと。〈瞬時にして住居は全滅となり、72%の住民が死亡、辛うじて助かった人々もほとんどが負傷していた〉と。

気仙沼ライオンズクラブ発行の「目で見る気仙沼の歴史」が、〈80尺(約25m)の津波〜三陸大海嘯〉という見出しで大きな写真を掲載しています。海嘯(かいしょう)は津波のこと。撮影地区がはっきりとしないのですが、説明文章は階上地区のことを主に書いていますので、明戸の惨状であると推定されます。

明治三陸大津波
目で見る気仙沼の歴史」より

『浜の甚兵衛』では、明治31年の大火にも触れています。写真はないのですが、市史によれば、明治31年2月15日の大火は魚町(旧称は「釜の前」)2丁目から出火し、3丁目一帯、神明社(神明神社/五十鈴神社)まで焼け、焼失戸数は117戸でした。

最終章〈焦土の先〉では大正4年の大火が描かれるのですが、そこにはなにか希望を感じさせる余韻があるように思いました。大正4年3月30日の大火については、昨年のブログで詳しく記しましたので、本日はその写真のみ再掲しておきます。(写真はすべてクリックで拡大)

◎八日町、三日町
横丁山から新町方面をのぞむ

大正の大火1

◎南町

大正の大火2

2016年10月14日ブログ「大正の気仙沼大火」

以上の明治三陸大津波と大正4年の大火の写真。『浜の甚兵衛』の背景としてご覧いただければと。最後に、本書の読後感を少しだけ。各章の充実したエピソードの間をさらに濃密な物語でつないだ長編小説として読みたかった。〈もったいない〉というのが正直な印象。4月8日の〈みなとのがっこう〉に参加できれば、熊谷達也先生に直接そんなこともお話しできるのですがかないません。気軽に参加できる気仙沼の皆さんをうらやましく思っております。

浜の甚兵衛
AMAZONより(画像クリックでサイトにジャンプ)

3月30日ブログ「みなとのがっこう」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 みなとのがっこう 浜の甚兵衛 熊谷達也 仙河海

大島の夢の架け橋

気仙沼の鹿折と大島を結ぶ大島架橋〈気仙沼大島大橋〉(愛称:鶴亀大橋)の本体アーチ部が、3月29日午前9時45分に接合されました。3月30日の三陸新報が大きくな記事で伝えています。

大島架橋
三陸新報3月30日記事の一部イメージ

気仙沼大島大橋事業は1967年(昭和42年)に県勢発展計画に位置づけられたのが始まりとのこと。それから半世紀がたつわけですが、県の計画となるまでには相当な年月がかかったことでしょう。それだけに、特に大島の人々の喜びには格別のものがあると思います。

記事によれば、2013年9月に着工した橋本体は、全長356m、アーチの支間の長さは297m、桁下高は32m以上あり、東日本で最大となるそうです。総事業費は、アクセス道となる県道整備を含めて約220億円です。

完成予定は2年後の2018年度末。まだまだ工事は続くわけですが、まずは無事に両岸がつながったことを、地域の方をはじめ関係者の皆様とともに祝いたいと思います。おめでとうございました。

1月27日ブログ「大島架橋手順紹介」

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 大島架橋

みなとのがっこう

気仙沼の地域講座〈みなとのがっこう〉が4月8日(土)、約1年ぶりに開催されます。第6回目となる今回は、熊谷達也さん3度目の講座となります。

みなとのがっこう
「みなとのがっこう」公式Facebookより(クリックでサイトにジャンプ)

「みなとのがっこう」案内文を引用します。

◎みなとのがっこう/STORY
作家・熊谷達也から見た気仙沼
第3章~『仙河海』のこれまでとこれから

気仙沼中学校で教師を3年間勤められた経歴がある直木賞作家・熊谷達也さんの講座を下記のとおり開催します。

熊谷達也さんは、昔と今の気仙沼を知る稀有な現役作家で、東日本大震災後は、気仙沼をモデルにした架空の街 「仙河海市」を舞台に、年代や登場人物が交錯した複数の物語を同時に描かれています。

そんな熊谷達也さんの描く「仙河海(せんがうみ)」の物語は、気仙沼人の人柄や気質、気仙沼の風土、文化、風習、水産を中心とした産業の成り立ちと変遷を深く知り、感じることができる貴重な読み物にもなっています。

3回目となる今回は、新刊『鮪立の海』が3月28日に刊行され、仙河海シリーズがこれまでの8冊を一区切りとして一旦お休みに入るタイミングでもあることから、シリーズの全体像や相関関係についても解説いただきながら、小説に込めた想いや今後の構想など、裏話をたっぷり交えて語っていただきます。(ご参加の方にはなんと、著者自らが作った「仙河海シリーズ人物相関図」も特別に資料配布します!)

さらに、今回は仙台の出版社「荒蝦夷」代表の土方正志さんにも聞き手として一緒に登壇いただきます。土方さんは熊谷達也さんが東日本大震災後に「仙河海」の物語を描くきっかけを作られた方でもあり、より深く話を引き出していただけることは間違いありませんので、どうぞお楽しみに!

作家自らが、気仙沼を舞台にした自作について語る、非常に貴重な機会です。今まで私たちが気づかなかった気仙沼について改めて考える機会にもなると思いますので、書籍を読んだ方も読んでない方も、この機会をお見逃しなくぜひご参加ください!(当日は宮脇書店さんのご協力により、数量限定でサイン本の販売もいたします!)

<開催概要>
■日 時:平成29年4月8日(土)
18:30〜20:00(開場:18:00)
※受付は18:20までにお願いします。
※カウンターでドリンクを一杯注文&支払いしてから店内にお入りください。
※18:00から熊谷達也さんのサイン本を数量限定で販売いたします。

■場 所:アンカーコーヒーマザーポート店/気仙沼市館山1-127-1
■参加費:1000円/人(※ドリンク代は別途注文・支払いただきます)
■定 員:25名(先着順)
■講 師:熊谷達也(作家)
(1)趣旨説明(5分)
(2)熊谷達也さんによるトーク(聞き手/土方正志さん)(70分)
(3)質疑応答・フリートーク(15分)

■懇親会:20:00から引き続き開催
 ※会費は一人4千円を予定しています。

◎参加申し込み
以下内容明記のうえ、みなとのがっこう事務局までメールでお申込みください。
minatonogakko@gmail.com

1.氏名
2.メールアドレス
3.懇親会参加の有無
(案内文引用は以上)

参考まで、〈みなとのがっこう〉のこれまでのテーマを紹介しておきます。講師はROOTSシリーズが川島秀一さん、STORYシリーズが熊谷達也さんです。

ROOTS:気仙沼のルーツ・成り立ちを探る
STORY:熊谷達也から見た気仙沼

第1回 ROOTS1気仙沼のルーツ・成り立ちを探る
第2回 ROOTS2気仙沼とカツオの◯◯な関係
第3回 STORY1『リアスの子』から『微睡みの海』
第4回 ROOTS3世界を目指したマグロ漁師!
第5回 STORY2『ティーンズ・エッジ・ロックンロール』から『希望の海 仙河海叙景』

私は昨年9月5日に東京・赤坂で開催された気仙沼サポートビューロー主催のKSB復興フォーラムで熊谷達也先生のお話をうかがいました。こじんまりした会で「仙河海」シリーズにまつわる話を著者から直接うかがうことができ、とても贅沢な時間を過ごすことができました。今度の会も定員25名とのことですので、是非お早めに予約されることをお勧めします。

2016年9月5日ブログ「熊谷達也先生の話」

これまでの熊谷達也先生『仙河海』シリーズ本8冊のリンクを下に貼っておきます。

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 みなとのがっこう 熊谷達也 仙河海

森田家ヒストリー

26日予定が変更となり本日29日となった大島架橋のアーチ部架設作業は、午後3時には終える予定となっています。午前5時40分頃には、朝日埠頭でアーチ部の吊り上げをおえて、午前9時頃には架設現場まで曳航されたようです。無事の工事完了を願っています。

さて、大島医院の後任医師に、気仙沼〈森田医院〉森田潔院長の弟さんである森田良平さんが内定したことは、きのう3月27日のブログで紹介しました。私は先週はじめにこのニュースを知り、気仙沼において森田家が果たしてきた役割というものを思い起こしたのです。本日は、少し長くなるのですがその話を。

森田潔・良平ご兄弟の父君は〈森田内科〉森田昭夫先生です。私の父も公私ともに親しくさせていただきました。昭夫先生が八日町で医院を開業したとき、そのお披露目にうかがった父が少しお酒をいただいたのか上機嫌で帰ってきたことをおぼえています。「気仙沼市文化史年表」によれば、昭和36年(1961年)2月ですから、私が小学校3年生のときのこと。

そして昭夫先生の先代となる森田八郎氏は、新沼綱五郎町長の後継として昭和3年から7年まで、第7代となる気仙沼町長をつとめました。

森田八郎
第7代町長 森田八郎(気仙沼市史 第4巻口絵より)

気仙沼市史第4巻「近代・現代編」では、その功績を年表形式で紹介し、〈森田町長は、苦闘の中に気仙沼町の復興を果たし下野した〉と記しています。その後に、森田家に関する記述がありましたので引用します。

〈 森田家は代々医家である。八郎は祖(の)東周から四代目、父(の)東州は西磐井郡中尊寺生れで、東京済生学舎に学び女医として有名な吉岡弥生と同期だったという。四代松山平兵衛が中風に懸かり、一関から赤間医師を招致して治療に当らせたとき、随行してきたのが東州で、森田家の長女わよと結婚して嗣子(しし/後継ぎ)となった人である。したがって森田は松山家で育ち、後に同じく町長となった五代松山平兵衛は森田を兄と呼んだという。 森田は初め法律の学校に通っていたというが、のちに医学校に学んだ。 気仙沼電気会社社長(大正13年頃)、気仙沼港製氷株式会社社長(同)、気仙沼信用組合長と実業面の功績は大きく、町長として大火災の後始末、上水道の完成、魚市場開設には業界を調整して基本的方向を定めた。〉(引用は以上。括弧内は年代記述を除いて小田による補足)

文章の最後の系図によれば、東周を1代目として、2代目の養子〈清安〉と養女〈てい〉の長女が〈わよ〉。わよと結婚したのが3代目となる養子〈東州〉です。中尊寺村の菅原家の生まれとのこと。2代目の青安、そしてその妻てい については、唐桑村伊藤家生れとの記述がありました。森田昭夫先生の奥様は唐桑町鮪立(しびたち)の旧家〈古館(こだて)〉から嫁いだ方ですが、3代さかのぼったときから唐桑との縁があったのですね。

参考まで付け加えれば、森田八郎町長の奥様が森田イマノさん。昭和20年には気仙沼町婦人会の会長、21年には教育委員に選ばれています。34年には気仙沼市の婦人会長に選出されるなど、教養人として知られる女性でした。

気仙沼で図書館長をつとめた菅野青顔さんは、ご自身が執筆連載していた三陸新報コラム「万有流転」(1972年2月20日記事)でイマノさんの訃報にふれて、つぎのように書いています。〈三陸新報社編集局の森田宅時代のことだが、便所に行くと、いちいち挨拶して用をたしたら「あんだだけです、挨拶するのは」といって、茶の間に上げて上酒のモッキリ二杯を飲ませてくれた刀自(とじ/年配の女性に対する敬称)でもあった。片意地の強い人のように言うひともあるが、情理をわきまえぬ人ではなかった〉。(三陸新報社刊「菅野青顔の万有流転」下巻より)

上記の市史引用文中に、森田八郎氏が気仙沼信用組合長をつとめたという記述があります。現気仙沼信用金庫の沿革をみてみると、大正15年9月に信用組合が設立されたときの初代組合長が森田八郎氏です。その関係でしょう、第5代目としての理事長に森田昭夫先生が就任しています。この沿革のなかに、当時は信用金庫会長をつとめていた昭夫先生が平成17年12月に死去との記述もありました。

気仙沼市史の〈森田町政〉に関する記述の最後には、東周に始まり昭夫先生までの森田家5代にわたる系譜が記されています。これをながめていると、6代目としての潔先生、そして大島医院の医師となる良平先生も、まさしく森田家のファミリーヒストリーに連なる人達だなということが実感されるのです。

3月28日ブログ「大島後任医師内定」

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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 森田八郎 森田医院

大島後任医師内定

気仙沼大島唯一の医療機関である大島医院の山本馨医師がこの3月末で退職します。その後任医師を探しているとの話は、昨年12月19日のブログで紹介しました。3月21日、その後任が内定したと気仙沼市が発表しました。翌日の三陸新報はトップ記事で伝えています。

森田医師内定
三陸新報3月22日記事の一部イメージ

内定したのは、気仙沼市出身で千葉県船橋市在住の森田良平医師(52)です。森田医師は日本医科大学付属病院の高度救命救急センターに勤務後、民間病院の救命救急センターなどを経て、現在は千葉県八街市の長谷川病院整形外科に勤めています。開業後の診療科目は内科と整形外科。森田医師が開業するまでの4月と5月は、市が保健師らを派遣して健康相談会や戸別訪問を行うそうです。

気仙沼市の発表や河北新報の記事には記されていませんでしたが、三陸新報によれば、森田良平医師は気仙沼市八日町〈森田医院〉院長で気仙沼市医師会の会長もつとめる森田潔先生の弟さんです。気仙沼高校の同窓会名簿にもその名がありました。気高35回生ですから私たちの13学年下。獨協医科大学に進んでいます。

ご両人の写真を見て、お父様である〈森田内科〉森田昭夫先生の表情を思い出しました。似ています。息子さんお二人が、気仙沼の地域医療に携わることになって、喜んでいることでしょう。

大島には2月末現在で2599人が暮らしています。大島架橋が完成して道路がつながるのは2年後のこと。森田医師の着任によって長期にわたって無医地区となることが避けられたのは、なによりのことでした。島民の方々はもちろんのこと、市をはじめ関係者の皆さんもホッとしたことでしょう。

三陸新報の記事の最後は、3月末で退任なされる山本医師のことを記しています。2007年5月に着任してからこれまで、離島大島の地域医療に尽力されたと。島民の皆さんも感謝していることと思います。山本馨医師に心から御礼を申し上げます。

明日のブログでは、気仙沼町長などもつとめ、森田潔・良平ご兄弟の祖父にあたる森田八郎さんについてご紹介します。

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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