気仙沼インターン

3月31日の三陸新報に、気仙沼の企業でインターン活動をおこなった学生が制作したドキュメンタリー映像に関する記事が掲載されていました。

上智大実習生ビデオ
三陸新報3月31日掲載記事

映像を制作したのは上智大学文学部新聞学科2年の長岡怜奈さんです。2月16日からの1カ月間、足利本店でのインターン期間中に水産関係者をはじめ20人にインタビューし、その内容を編集して約11分の映像にまとめました。タイトルは「あなたと海と生きていく」。まずはユーチューブでの公開映像をご覧ください。



インタビュー映像に登場する方はつぎの方々です。

漁業情報サービスセンター/千葉光雄さん、気仙沼漁業協同組合/吉田光義課長・熊谷浩幸部長、磯屋水産/安藤竜司代表、藤田製函店/藤田一平専務、気仙沼観光タクシー/宮井和夫代表、宮城エクスプレス/上山裕子所長、足利本店/足利宗洋代表

復興庁の事業ということなので調べてみると、被災地企業での就業体験プログラム「復興・創生インターン」のようです。2017年夏の気仙沼ブロックでは足利本店さんをはじめ、アサヤ、菅原工業、気仙沼観光タクシー、八葉水産、pensea(ペンシー)の計6社が受入企業としてインターンを募集していました。地域コーディネーター機関は、一般社団法人まるオフィスです。

上智大学の新聞学科は長い歴史をもち、多くの人材をジャーナリズム、メディアの世界に送り出しています。長岡さんも、テレビ記者を志望しているということですので、気仙沼での経験が今後の就職活動の好材料になればいいですね。

そういえば私は、今年2月の〈ちょいのぞき気仙沼/モニターツアー〉で、立教大学観光学部の学生さんとご一緒する機会がありましたが、その発言を聞いて、とてもしっかりとした考えを持っていることに驚かされました。たぶん彼女も復興庁のインターンプログラムに参加していたのでしょう。

上智の新聞も立教の観光も、学生からの人気だけでなく企業側からの評価も高い学部・学科です。インターンをおこなうにあたっては、多くの選択肢があったはず。その中から気仙沼の企業を選んでくれたことがとてもうれしいです。

このビデオ映像を見て、取材にあたっての足利宗洋さんのサポートや、取材を受け入れてくれた皆さんのあたたかな気持ちが感じとれて、とても気持ちがよかった。そして、気仙沼でのインターン活動は、学生さんだけでなく気仙沼の将来にとっても価値があることだなと感じたのです。長岡さんをはじめ関係者の皆さん、ありがとうございました。

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市長・市議選告示

気仙沼市長選挙と市議会議員選挙がきのう4月15日(日)に告示されました。市長選は現市長の菅原茂候補と元県職員の新人斉藤巳寿也候補のふたりが立候補。市議選は定数24に対し3人オーバーの27人が立候補しました。現職20人、元職1人、新人6人とのことです。

きょう4月16日の三陸新報には、各立候補者の略歴などが掲載されていましたが、私には前日15日(土)の同紙に掲載されていた地区別立候補予定者の図示のほうがわかりやすかった。私を含め、気仙沼を離れて暮らす人むけに紹介しておきましょう。ちょっと文字が読みにくいかもしれませんが、ご勘弁ください。

立候補予定者

三陸新報4月15日掲載記事より


同級生ということでは、気仙沼地区から気中同級生の臼井真人(まこと)君(気中3年2組)と大島地区から気高同級生の熊谷雅裕君が立候補しています。きのうはそれぞれの選挙事務所に同級生たちが応援にかけつけたことでしょう。

投票は4月22日(日)で即日開票です。4年間の任期中に東日本大震災からの復興期間10年を過ぎることになります。それだけに選挙で選ばれた市長や市議会議員は、これからの気仙沼をどのような姿にしていくのかというこれまで以上に複雑な課題に取り組まなければいけません。なかなか大変なことと思いますが、その役割を十分に果たすことができる人が選ばれて欲しいと思っています。

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入学・入社の季節

気仙沼高校と気仙沼西高校が統合して新しいスタートをきった新・気仙沼高校の開校式が4月9日(月)に行われました。4月10日の三陸新報がその様子を伝えています。


統合

三陸新報4月10日記事の一部イメージ


3月2日の河北新報によれば、気仙沼西高校は1985(昭和60)年4月に開校し、卒業生総数は4418名。3月1日におこなわれた最後の卒業式には108名が臨んだそうです。旧 気仙沼高校(男子校)と旧 鼎が浦高校(女子校)が再編統合されたのは2005年4月です。それから13年後に気仙沼西高(男女共学)も統合されたことになります。

新気仙沼高校のスタートを伝える記事の隣には、4月9日に行われた唐桑小学校と小原木(こはらぎ)小学校の統合式の記事がありました。両校が統合されて新しい唐桑小学校に。さまざまな議論を経ての今回の統合ですから、両校の良き伝統や校風を受け継いでさらによい小学校になって欲しいですね。

この記事の隣は新入社員紹介シリーズ記事の1回目。気仙沼向洋高校を卒業して斉吉商店さんに入社した〈期待のフレッシュ〉さんを紹介していました。学校への入学とは違い、新社会人としてのスタートですから、希望と不安のいりまじった日がしばらく続くことと思います。でも、みんなが経験して乗り越えてきたことですからね、3カ月もすれば慣れることでしょう。

この3つの記事は、いずれも新しいスタートを伝えるものですが、その裏側には3月末でなくなった学校がありますし、定年退職で会社を去った人達もます。どうも歳のせいか(おかげさまで3月下旬に66歳となりました)、そっちのほうが気になってしまいます。たとえば小原木小学校や気仙沼西高の卒業生の皆さんの心情といったこと。

そしてもう一つ付け加えれば、統合式で〈唐桑小と小原木小を統合し、唐桑小学校とする〉と宣言した齋藤益男(ますお)教育長の心情について。両校統合によって得られることと失われることをよく知ったうえで、児童の将来のためには両校統合を進めるべきと確信し、関係者と協議や準備を進めてきたはずです。多くの苦労があったことと思います。それだけに、多くの皆さんの協力を得て統合の日を迎えたことに万感の思いを感じたことでしょう。益男君とは気仙沼高校で同じ美術部だったものですから、その気持ちをつい想像してしまうのです。

三陸新報の記事をながめながら、感じたことを記していたら、ちょっと長くなってしまいました。良い週末をお迎えください。

2014年7月2日ブログ「気高と西高を統合」

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石川電装 勇人社長

きのうに続き、〈みらい造船〉の話。気仙沼市浪板地区の造船4社(木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、澤田造船所)の株式会社みらい造船への合併については、4月3日の三陸新報も伝えていました。4月2日に造船団地建設予定地でおこなわれた記者会見の写真は、本紙記事ではモノクロでしたが、同日付のニュースサイトではつぎのようなカラー写真でした。挨拶しているのは、木戸浦社長でしょう。


みらい造船関係者

三陸新報ニュースサイトより


私が注目したのは、左端の男性。石川勇人(ゆうと)さんですね。私たちの一学年下の気中21回生。石川電装の社長をつとめています。この写真を見ると、すっかり落ち着いてまさに立派な社長という感じですが、私が知っている中学時代の〈勇人くん〉はちょっと小柄で眼がくりっとした可愛い男の子(笑)。気仙沼中学では、学校市長(生徒会長)でした。その前年は私が市長だったこともあり彼のことをよく知っているのです。

みらい造船には、造船4社(木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、澤田造船所)のほかに、造船関連会社として石川電装、小野寺鉄工所、ケーヤードの3社が参加しています。代表取締役社長は木戸浦健歓さん(旧 木戸浦造船)、代表取締役会長は吉田慶吾さん(旧 吉田造船鉄工所)。ほかの5社/5名は取締役。このうちの造船4社はみらい造船に合併しましたが、石川電装はあくまで出資ということで、自社の企業活動はそのままです。

石川電装の企業サイトのなかにブログがあります。書いている方がどなたか記されてはいないのですが、経営者的な視点が感じられるので勇人社長が書かれているのではないでしょうか。年度末、3月31日のブログには〈今月は、命のはかなさ、世代交代、人それぞれ考えの違いといったことなど大事なことに気付かされた月でした。まだまだ元気でいるはずだった人が病に倒れ、あっという間になくなってしまいました〉と記されていました。勇人さんはたぶん今65歳。〈世代交代〉という言葉にリアルな思いを感じました。

気仙沼 石川電装のブログ

造船4社の合併を実現したみらい造船に取締役として参加している勇人さん。自社の経営もありますから、ますます忙しい毎日になることと思います。どうぞ両社とも、役員、社員の皆さんの力を合わせて、よい会社に育てていって欲しいと思っています。みらい造船の新しい出発、おめでとうございました。

4月11日ブログ「浪板 造船4社合併」

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浪板 造船4社合併

4月2日、気仙沼市浪板(なみいた)地区の造船4社が、株式会社みらい造船に合併しました。河北新報の4月3日配信記事には、市内朝日町で造成が進む造船団地付近の空撮写真が紹介されていました。


みらい造船
みらい造船が整備を進める造船団地の予定地(中央から右の土の部分)


みらい造船は、2015年5月に造船会社4社(木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、澤田造船所)と関連会社3社の出資による合併の受け皿会社として設立されていました。今回は第2ステップとして、木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、澤田造船所をみらい造船が吸収する形で合併したのです。これにより私たちにもなじみの深い造船4社の名は4月1日でなくなりました。

今回の吸収・合併によって、会社としては「みらい造船」として一体化しました。しかし、市内朝日町の造船団地施設はまだ完成しておらず、2019年中の稼働を計画しているとのことです。それが第3ステップでしょうね。それまで旧4社は、浪板の現施設で業務を続けます。

河北新報4月3日配信記事によれば、みらい造船は気仙沼市が造成した4.1haに新団地を建設します。リフトで船を防潮堤の内側に引き上げる「シップリフト」の導入は国内3例目となるそうです。事業費は105億円で70億円は国の補助金を活用とのこと。

冒頭に紹介した写真の左側には漁業用燃油施設が整備されます。本年2月1日のブログ「朝日町イメージ図」で紹介した燃油施設と造船団地の完成イメージ図を再掲しておきます。



三陸新報1月25日記事より


みらい造船への4社合併については、4月3日の三陸新報も伝えていました。その記事の写真を見て私が気付いたことについては明日のブログにて。

2月1日ブログ「朝日町イメージ図」

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目黒 桜まつり報告

一昨日4月8日(日)は、菊田裕美君(3年1組)と目黒のさくらまつりをのぞいてきました。会場はさんま祭と同じく田道広場公園。葉桜でしたが、とても大勢の方々でにぎわっていました。ステージでは、目黒区の皆さんによるゴスペル、ジャズボーカル、ハワイアンなどが披露され、とてもいい雰囲気。会場中央の休憩テント横のベストゾーンには例年通り気仙沼物産の販売ブースが設けられていました。

今回、〈あさひ鮨〉佐々木徹君の上京・出店がなかったのが残念でしたが、唐桑の焼牡蠣などをつまみにビールを飲むことができました。物産展では今回も大勢のボランティアの方々がお手伝いしてました。その中には、早稲田大学気仙沼チームも。裕美君が撮ってくれたメンバーと私の写真を紹介しましょう。うつっている人は4月入学の新メンバーが多かったように思います。たしか左下の学生さんは、お母様が松岩中学・鼎が浦高校出身とのこと。ほかの方は直接的な気仙沼との縁はないのです。写真に入っていないメンバーもいて、その一人はホヤぼーやに変身して会場をまわっておりました。震災直後から今にいたるまで、こうして気仙沼への応援を継続してくれていることを大変ありがたく思います。お礼を申し上げます。

目黒さくらまつり

写真の上方にうつっているのは、後側のブースで賛同者を募っていた〈メッセージ鯉のぼり〉です。気仙沼市魚町出身の畠山雅枝さんを中心に気仙沼中学校35回卒業生有志で震災後に活動を始めて今年で8年目。賛同者のメッセージが書き込まれた鯉のぼりは気仙沼の商店街に掲げられ、寄付金は地元高校生の活動支援にも。こうした活動を継続は簡単にできることではありません。その努力にいつも頭が下がります。

会場に向かう目黒川の沿道には、たくさんの提灯がぶら下げられています。さくらまつりの協賛者によるもので、それぞれの提灯にそのお名前が記されています。会社名や店名のほかに個人名も多く、中には子供や孫の誕生、結婚祝いなどと記されたものも眼につきました。

沿道

こうして多くの区民に支えられたまつり、イベントというのは気持ちがよいものだなあと。そして、今回のさくらまつりでの気仙沼物産展も、目黒のさんま祭と同様に多くの方々の善意で支えられていることをうれしく思いました。関係者の皆様、ありがとうございました。

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川島さんの再出発

3月24日に、目黒区民センター会議室で開催された「歴史探訪フォーラム」については、3月27日のブログで紹介しました。その冒頭の基調公演は、東北大学災害科学国際研究所教授をつとめる川島秀一(しゅういち)さんでした。フォーラムが終わって、川島さんと少し立ち話をしたのですが、〈3月末で退官する〉と聞いて大変驚きました。定年だというのです。私たちの一つ下の学年でいま65歳ですから、別に不思議な話ではないのですが。川島さんは〈まだ少し仕事が残っているけれど、落ち着いたらまた連絡します〉と。

おととい4月7日の夜、読売新聞が同日に配信したつぎの記事を知ってまた驚きました。

読売新聞

読売新聞4月7日配信記事の一部イメージ


川島秀一さんは、4月4日から福島県相馬郡新地町(しんちまち)の災害町営住宅に移り住み、漁師見習として新しい暮らしを始めたというのです。きっかけは、新地町の漁師の小野春雄さん(66)と、昨年12月に知り合ったこと。移住を勧めた小野さんは「秀(しゅう)ちゃんは新地の宝。みんな話を聞くのを楽しみにしているし、漁を手伝ってくれればなお助かる」と話しているそうです。

記事では川島さんの言葉をつぎのように紹介しています。〈これまで研究者として観察してきたが、「いつも『何の役にも立っていない』というもどかしさがあった」という川島さん。シラウオ漁の初日を終え、「実際に自分の手を動かしてみると、聞き書きとはまた違って勉強になる。一緒に浜で暮らし、同じ空気を吸ってみて、震災で漁の仕事がどう変わったのか、じっくり見てみたい」と語った。〉

この川島秀一さんの転身の背景には、やはり東日本大震災があるのでしょう。震災時の川島さんは、たしかリアス・アーク美術館の副館長でした。その後、神奈川大学特任教授/同大付属「日本常民文化研究所」に属したあと、東北大学に迎えられました。仙台では東北大学の教員住宅に。そして今度は福島県新地町の災害町営住宅。私はそこに、なんといったらよいのかある種の〈身軽さ〉を感じます。

震災時の大津波は、魚町のホテル望洋の下方にあった実家を襲い、そこにあった川島さんの蔵書や文献類のほとんどは流失したのです。研究者としての絶望の深さは私たちの想像を超えるものだったでしょう。しかし、今回の〈漁師見習い〉としての再出発を知ると、なにかを失うこと、捨てることでしか得られない新しい世界というのが確かにあるのだろうなと思わずにはいられません。そしてまた、川島さんが震災の津波でお母様を失っていることを思い出さざるを得ないのです。

読売新聞の記事の末尾には、4月7日に福島県新地町で小野さんの新造船の進水式があり、川島さんが司会を務める予定であると記してありました。この日は、新造船 第18観音丸の進水だけでなく、川島秀一さんの新地町での船出を祝福する日にもなったことでしょう。

秀一さん、今回の新しい出発を、私や気仙沼の人達も含め多くの人が喜び、応援していることと思います。また会いましょう。

2012年5月25日ブログ「川島秀一さん2」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 川島秀一

気仙沼図書館略史

3月31日(土)に、新しい気仙沼図書館が開館しました。地元の三陸新報では4月1日に開館式の様子を、3日には写真トピック記事〈ズームアップ〉で、それぞれ伝えていたわけですが、私にはちょっと物足りなかった。というのも、一昨年2016年4月には、気仙沼図書館100周年ということで特集記事を掲載しており、今回の開館にあたってもかなり大きな記事を期待していたのです。考えてみれば、2年前に特集しているので今回は簡略にということかもしれません。ということで、本日は2年前のブログ2本を合わせて再掲します。新気仙沼図書館開館記念特集(笑)。

一つ目は 2016年5月13日ブログ「気仙沼図書館略史」、二つ目は同年5月20日ブログ「菅野青顔図書館長」です。なお、文中の〈今年〉とか〈昨年〉といった記述には( )内に西暦を追記しました。


① 2016年5月13日ブログ「気仙沼図書館略史」

(2016年)4月15日の三陸新報に〈学びの歴史刻み1世紀~気仙沼図書館〉という大きな記事が掲載されていました。気仙沼図書館が今年(2016年)、開館100年を迎えるというのです。

気仙沼図書館
三陸新報4月15日記事の一部イメージ


私たちの世代にとっては、気仙沼小学校の玄関前にあった頃の図書館が懐かしい。よい機会なので、記事内容から気仙沼図書館の歩みを以下にまとめました。

気仙沼図書館は、寄贈図書を元にして開設された児童図書館が母体です。明治40年ごろ、兵役を終えて帰郷した読書家の広野太兵衛氏(小田注:3代目広野太兵衛/広野貞助さんです。気仙沼市長もつとめた〈麻屋〉(現・アサヤ)の元社長広野善兵衛さんのお兄様です)が、当時八日町にあった気仙沼尋常小学校に児童読み物と雑誌を寄贈したのが図書館設置の足掛かりになりました。

その後、大正5年4月17日に町立図書館としてスタート、大正15年には、気仙沼小学校が現在の笹が陣に移転したのに合わせて独立した図書館となりました。小学校正門近くに建てられた木造モルタル平屋建て(約20坪)は、当時の新沼綱五郎町長が私費を投じて建設したものです。これに代わって気仙沼中学体育館のならびに建てられた新図書館は昭和44年に市制10周年事業として整備されたものです。

気仙沼図書館は現在、新館建設の計画が進められています。すでに基本設計はできあがり、今年度(2016年度)中に現施設(新館建設のため昨年(2015年)4月に閉館)を解体し、その敷地内での新館建設工事に着手します。多機能図書館として、平成30年夏ごろの供用開始を見込んでいるとのこと。

以上の三陸新報の記事内容の要約でブログを終える予定でした。しかし、念のためと思い『気仙沼文化史年表』(荒木英夫編)を調べてみると、つぎのような内容で三陸新報の記事との微妙な違いがありました。なお、編者の荒木英夫さんは、気仙沼図書館の館長もつとめた方です。

◎明治41年11月
町内有力者らによって町立図書館設置趣意書が作られる(図書館80年史)
◎明治42年4月13日
広野貞助の寄贈図書で気仙沼小学校内に児童図書館設置(図書館80年史)
◎大正5年3月22日
気仙沼小学校に併設の児童図書館が町図書館に認可され開館(気小要覧)
◎大正11年3月
新沼綱五郎(二代目)没 元町議 町立図書館の建物寄贈を遺言す
◎大正11年6月25日
新沼綱五郎(三代目)町長に選出
◎大正15年9月5日
新沼綱五郎 先代の遺志によって図書館建設費を寄付する
◎昭和3年3月1日
気仙沼小学校前に新沼綱五郎(先代)寄付の町立図書館落成
◎昭和43年12月23日
気仙沼市図書館新館落成式(図書館80年史)

気仙沼町立図書館が100年前の大正5年に開館したことは間違いないようですが、日付が三陸新報の記事では4月17日、文化史年表(出典は気小要覧)では3月22日となっています。ちょっと気になるので、『気仙沼市史』の第6巻(教育・文化編)を調べてみると、沿革についてはほとんど文化史年表と同じ年代記述でしたが、〈大正5年3月22日、宮城県知事に町立図書館として認可され、同年4月11日より開館した〉との記述がありました。4月の11日か17日か。どちらかが誤植かもしれませんね。しかし、3月認可、4月開館ということでしょう。

気仙沼図書館については、館長だった菅野青顔さんのことなど、いろいろと書きたいことがあるのですがまたの機会に。本日はその沿革紹介のみにとどめます。

なお、現在の気仙沼市の図書館は、気仙沼図書館・本吉図書館・唐桑分館(唐桑コミュニティ図書館)の3館となっています。私たちが中学生だったころの〈市立図書館〉という呼称はなくなり、〈気仙沼市図書館〉と呼ぶ場合には、上記3館のことを指すようです。念のため。今週もあっという間に金曜日。皆様、どうぞよい週末を。


② 2016年5月20日ブログ「菅野青顔図書館長」

5月13日(金)のブログで三陸新報記事による「気仙沼図書館略史」を紹介しました。その記事のなかに、懐かしいお名前と顔写真がありました。菅野青顔(かんのせいがん)さんです。青顔さんは図書館長をつとめただけでなく、三陸新報の1面コラム「万有流転」を昭和28年12月2日から35年間にわたって執筆されました。「万有流転」での遠慮のない筆致は、ときに物議をかもすこともありましたが、私はこのコラムが大好きでした。

本日は、前回と同じく4月15日の三陸新報の特集記事から、菅野青顔さんに関する囲み記事を紹介します。

青顔さん4月15日

三陸新報4月15日記事の一部イメージ


以下に上記の記事を全文引用します。

◎本に傾注した無類の情熱
~初代専任館長 菅野青顔氏

 気仙沼図書館の礎を築き、発展に尽くした一人に8代目館長の菅野青顔氏(明治36年~平成2年)がいる。環境が厳しさを増した戦時下でも、体を張って館を守り、その後も充実した運営に心血を注いできた。“青顔館長”として慕われた菅野氏の足跡を振り返った。

 昭和16年、当時の大気新聞社から事務嘱託職員として図書館入り。初の専任館長として、在職中は、企業文庫の開設をはじめとする蔵書の充実や、身分証明書を使わない貸し出しなどの運営刷新に取り組み、今日の図書館の基礎を作った。

 ともに働いた荒木英夫館長(日本図書館協会会員)によると、「孔子が晩年、図書館で仕事をしていたことに憧れていたみたいです」とし、「教養や知識を深めるだけではなく、歴史伝承など、さまざまな役割を持つ本への情熱が大きかった人」と語る。

 「市民が疑問に思うことを解決できる館であること」「来た人には不自由ないサービスを提供すべき」などの信念を持ち、図書購入費が少ない現状を打破するため、企業文庫を創設。自身が持つ本を寄贈することも怠らず、蔵書の充実に力を注いだ。
 「在職中、利用する人へのサービスを一番に強調していた」と荒木さん。言論や出版の統制が強化された戦中、戦後の図書廃棄命令にも逆らうなど、図書館の独立性を守った人でもあった。
 「時代に流されず、歴史は伝えるべき」と、戦後は軍国主義教育を唱えた本も守った。館に残る戦前の資料の数々は、気仙沼にしかないものもあり、荒木さんは「図書館が存在するのは、菅野氏がいたからこそなんです」と強調する。

 辻潤、稲垣足穂、南方熊楠の研究の第一人者として全国的にも知られ、その関係書籍のほとんどを所有。生前、こうした名著、珍著に囲まれて目を覚ますことに、「幸せ者だと思っている」と語っていたという。本に傾注した無類の情熱が、現在の図書館の礎になっている。(記事引用は以上)

記事の最後に登場する辻潤、稲垣足穂(たるほ)、南方熊楠(みなかた くまぐす)の名は、私も中学のころから知っていたと思います。この3氏ともかなり〈独特〉の人たちで、地方新聞の紙面にその名がしょっちゅう登場する気仙沼というのも今かんがえるとかなり〈独特〉でした。

私は27歳のときに、青顔さんのご自宅にうかがいお話をお聞きする機会がありました。その話はまた、回をあらためて書くことにいたします。本日は三陸新報記事の紹介にとどめておきます。

(再掲内容は以上)

私は、新しい図書館内部を〈気仙沼のほぼ日〉サユミさんの紹介で見て、なかなかよい場所ができたなと喜んでおりました。館内の壁には糸井重里さんの〈 行ク道ハ タノシミ。 帰リ道ハ ヨロコビ。 〉という言葉もありました。どうぞ〈気仙沼のほぼ日便り〉4月4日、3月18日更新内容をご覧ください。

本日はとても長いブログとなりました。週末ということでお許しいただければと。どうぞ皆様、良い週末をお迎えください。気仙沼の方は、ぜひ図書館へ。そしてカフェ「エスポアール」にもお立ち寄りください。

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tag : 気仙沼 気仙沼図書館 菅野青顔

目黒の「桜まつり」

本日は東京での催事案内です。4月7日(土)8日(日)は〈目黒イーストエリア桜まつり〉。恒例となった気仙沼物産展も開催されます。

さくら祭
桜まつり公式サイトより


今年で第14回目となるこの桜まつりは、〈目黒のさんま祭〉会場でもある田道公園広場でおこなわれます。私たち気仙沼出身者にとってはおなじみの場所といってよいでしょう。

◎第14回目黒イーストエリア 桜まつり
◎4月7日(土)8日(日)
 10:30~19:00(雨天決行)
◎田道広場公園
(目黒区目黒一丁目25番8号)

会場は〈田道広場公園〉。JR目黒駅の西口を出て、400mほど坂を下っていくと目黒川にぶつかります。橋を渡る手前を右折して300mぐらいいくと田道広場公園です。目黒駅の改札を出て左側が西口です。

地図

今年はずいぶん早く桜が咲きましたね。私は、3月24日の「歴史探訪フォーラム」と25日の「海の古道」公演のついでに目黒川の桜を楽しむことができました。そしてさらに4月8日(日)のお昼、裕美君を誘って桜まつりの会場に行く予定です。どうぞご一緒できる方がいればお声がけください。

今年の桜まつりは、葉桜をながめることになりそうですが、それも一興です。気分は満開ということで、どうぞよろしく。

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tag : 気仙沼 桜まつり

新図書館オープン

きのうのブログでは、cafe「エスポアール」のみ紹介しましたが、本日は3月31日(土)の新しい気仙沼図書館の開館についてです。4月1日の三陸新報では、開館式の様子を伝えています。

図書館1

三陸新報4月1日記事の一部イメージ


新図書館は、鉄筋コンクリート造り3階建て、延床面積約3220㎡。災害復旧事業として総事業費約20億円を投じました。一般図書エリアは2階ですが、1階にはcafe「エスポアール」のほか、インドネシア政府からの約1億6千万もの寄付による児童図書エリア「ユドヨノ友好こども館」が設置されました。〈ユドヨノ〉はインドネシアのユドヨノ大統領のお名前のようですね。このほか、古町児童館が移転しての「気仙沼児童センター」も併設されています。きょう4月3日の三陸新報では、オープン当日の写真トピックスで紹介していましたが、壁に設置された〈ボルダリング〉を楽しむ子供たちがうつっていました。

児童図書館の設置はとてもいいですね。気仙沼図書館は、市長もつとめた〈麻屋〉(現・アサヤ)の元社長広野善兵衛さんの兄である3代目広野太兵衛/広野貞助さんが当時八日町にあった気仙沼尋常小学校に児童読み物と雑誌を寄贈したことが設置のきっかけ、原点となっています。明治40年ごろのことといいます。そして大正5年3月22日に、気仙沼小学校に併設の児童図書館が町図書館に認可され開館。大正5年は1916年ですから、2016年に開館100周年を迎えたのです。こうした気仙沼図書館の歴史については、2016年5月のブログで紹介しましたので、機会をみて再掲しようと思っています。本日は、新図書館の概要紹介のみにて。

新図書館の建設事業には、上述したインドネシア政府からの寄付のほか、震災後に寄せられた復興寄付基金からの1億5500万円の充当もありました。気仙沼の復興のためにと寄せられた大勢の皆様のあたたかいお気持ちにあらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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cafeエスポアール

3月31日(土)、新しい気仙沼図書館が開館しました。図書館そのものについてはあらためて紹介することとし、本日は同級生に関連する話。図書館の1階にオープンしたカフェが「エスポアール」なのです。

エスポアール
三陸新報3月31日掲載広告


気仙沼市田谷で営業している「喫茶 エスポアール」の代表者は齋藤(広沢)高史君(私と同じクラス3年8組)です。高史君は震災前、エスポアールの隣でスポーツジム「K&B」を経営していましたが被災し、現在は利府町にてジムを再開しています。ですから、実際にお店をきりもりしているのは奥様のみき子さん。店長ということでしょう。

新図書館内に設置されるカフェスペースへの出店者募集は、2016年12月に開始されました。エスポアールを含む2事業者からの応募があり、翌年3月、「喫茶エスポアール」に決定したとの市からの発表がありました。発表資料のなかに代表として高史君の名が記されているのを見て、うれしく思っておりました。出店期間は5年間です。5年後にまた公募を実施しますが、それまでの事業者も応募もでき、その審査結果によっては継続も可とされています。

上に紹介した広告のなかに〈気仙沼市立図書館〉という記述がありましたが、これは〈気仙沼図書館〉とすべきでした。私たちの世代はどうしても〈市立図書館〉と呼んでしまいますが、いま〈気仙沼市図書館〉といえば、〈気仙沼図書館〉と〈本吉図書館〉の2館のこと。名称中の〈市〉の有無で意味が異なってくるのです。今回、新築してオープンしたのは〈気仙沼図書館〉です。それと、広告の枠どりを見てください。常連客は〈エスポ〉というのか。〈エスポさ寄って、コーヒーでも飲むべし〉みたいな使い方か(笑)。

なお、田谷の「喫茶エスポアール」はそのまま営業を続けます。図書館のお店はcafe「エスポアール」です。〈希望〉という名のカフェということになりますね。齋藤夫妻の希望倍増。

高史君、みき子さん、新しいお店のオープンおめでとう! 皆様も図書館においでの際には、是非お立ち寄りください。どうぞよろしく。

◎cafeエスポアール
気仙沼図書館1階
営業時間:
火〜金 午前10時〜午後6時
土・日 午前10時~午後4時
定休日:月・祝・第4木曜

2015年9月28日ブログ「ずんだパフェ」

テーマ : 東日本大震災支援活動
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気仙沼図書館 エスポアール

震災復興基金残金

3月23日のブログで、震災後に気仙沼市へ寄せられた寄付金を積み立てた「震災復興支援寄付寄金」の使われ方について紹介しました。本日は、3月14日の三陸新報に紹介されていた気仙沼市の「復興基金」についてです。これは、震災後に国の特別交付税を原資にして宮城県から交付されたもの。記事によれば、この復興基金の総額は106億7200万円です。このうち、82%をすでに充当し残りは19億2千万円とのこと。

3/14復興基金

三陸新報3月14日記事の一部イメージ

充当額で最多なのは住宅再建の市独自の支援と浄化槽設置補助の65億6100万円で全体の61.5%。次いで地域商業施設等復旧整備が6億3200万円。水産加工業従業員宿舎整備が1億7200万円、中小企業振興資金融資の利子補給金1億5800万円などです。

ソフト事業ではこのほか、コミュニティFM放送などの業務委託(3200万円)、東日本大震災の追悼式(7000万円)などにも充当しています。新年度は、店舗リニュアル補助金(500万円)など計5事業に新たに活用するとのこと。

寄付寄金の記事でも感じたのですが、この復興基金に関しても、とりあげる事業の選び方にちょっと疑問があります。コミュニティFMや震災の追悼式などをあげるのであれば、気仙沼版DMO推進事業なども市の重要施策として紹介するのが自然だろうと。一覧表にすればよいと思うのですが。私の理解では、2016年度までが17事業、17年度が新たに6事業。記事では2018年度では新たに5事業としていますので、単純合計で28事業となるはずなのですが。

復興基金など、国や県から交付されるお金の使いみちは様々な条件がついており、柔軟な活用が困難だということはよく聞く話です。記事がとりあげてい様々な事業も行政が様々な知恵を絞って展開しているのでしょう。残りの19億2千万円についても、気仙沼の将来に役立つ活用策を探って欲しいと思っています。

3月23日ブログ「復興支援寄付残金」

テーマ : 東日本大震災支援活動
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tag : 気仙沼 復興基金

三陸道の名称整理

3月25日(日)、三陸沿岸道路(三陸道)の大谷海岸インターチェンジ(IC)~気仙沼中央IC間の7.1kmが開通しました。当日の式典には関係者や住民ら約400人が出席したとのことで、まさに待望の開通ということでしょう。同区間の事業費は255億円です。


開通式

三陸新報ニュースサイトより

3月25日の三陸新報3月25日記事から道路区間図を紹介します。〈きょう開通〉とあるのは3月25日のこと。

区間図
三陸新報3月25日記事より


なお、大谷海岸と気仙沼中央との間には、岩井崎ICが設けられていますが、このICは気仙沼中央方向への乗り口と同方向からの降り口のみのハーフインターとなっています。


しかしなんというか、三陸道関連の名称はわかりにくい。今回の区間開通に関しても、三陸新報は〈三陸道〉、河北新報は〈三陸沿岸道路〉の一部区間として紹介しています。上に紹介した式典写真の表示では〈三陸沿岸道路/本吉気仙沼道路(大谷海岸IC~気仙沼中央IC)開通〉としていますね。

この機会に道路名称を整理しておきましょう。包含する距離が長い道路名から説明します。まず「三陸沿岸道路」(仙台港北IC~八戸ジャンクション/JCT)は、三陸縦貫自動車道・三陸北縦貫道路・八戸久慈自動車道の3道路の総称です。そして「三陸縦貫自動車道」(仙台港北IC~田老北IC)の略称が「三陸自動車道」や「三陸道」。次に、「三陸縦貫自動車道」中の本吉IC ~ 気仙沼中央IC間が「本吉気仙沼道路」、気仙沼中央IC〜 唐桑南IC間が「気仙沼道路」です。今回の開通区間は「本吉気仙沼道路」の約7割部分になるかと思います。おわかりいただけたでしょうか。私はまたすぐに忘れそうです(笑)。

河北新報3月26日配信記事

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tag : 気仙沼 三陸道 本吉気仙沼道路

あい子さんの訃報

同級生の訃報です。気仙沼中学3年6組だった後藤(及川)あい子さんが3月24日に亡くなりました。三陸新報の訃報広告には〈病気療養中〉であったと記してあります。

あい子さん訃報
三陸新報3月27日掲載内容

私もきのうの午前中に三陸新報(デジタル版)をながめ訃報欄も見てはいたのですが、そこに同級生の名があることに気付きませんでした。夕方に菊田裕美君(3年1組)がメールで教えてくれました。その文面には、あい子さんのご主人は気仙沼高校の同年生(3年1組)だった後藤正俊君だと記してありました。そして〈同年生の訃報に接すると寂しくなってしまいます〉と。同感。

あい子さんのご冥福をお祈りするとともに、正俊君へ心からお悔やみを申し上げます。

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tag : 気仙沼中学 訃報

黒潮に運ばれた道

きのう3月26日のブログでは、からくわ物語「海の古道」東京公演を紹介しました。本日は、その前日祭として行われた3月24日の「歴史探訪フォーラム」をご紹介します。

チラシ

冒頭は、気仙沼出身で東北大学教授の川島秀一さんによる約50分間の基調講演でした。テーマは翌日の舞台「海の古道」のテーマを踏まえ「黒潮に運ばれた道」。とても要約できるものではありませんが、柳田国男をはじめさまざま文献なども引用しながら話してくれました。黒潮は、カツオなどの回遊魚をはじめ様々な魚を三陸の海に運んでくれます。また、その魚を追う人/漁師たちの文化も共に。そして漁師の信仰と漁労との関わりなどについて。

川島先生

まとめとして川島さんが示したスライド内容を引用しておきます。①技術の「伝播」も、文化の「伝承」でも、伝わったところで、既に培っていたものを土台にして受け入れていること。けっして受動的ではなく、積極的に「選択」していると思われる。②海を通した人間とモノとの交流を捉えることは、中央集権的な社会観を相対化できること。(例/カツオ一本釣り漁(宮崎・高知・三重←→三陸)、追込み漁(糸満←→新島・隠岐・対馬・五島)、家船(瀬戸内海)

基調講演の後は、6氏(目黒区の鈴木副区長、新宮市の田岡市長、気仙沼市の赤川副市長、同志社大学の八木匡教授、唐桑町古館家当主の鈴木伸太郎さん、そして川島教授)が、それぞれの立場から気仙沼との関わりなどを報告しました。

フォーラム

目黒区と気仙沼については既に皆さんご存じのとおりです。そして新宮市は、1675年に鮪立/古館の鈴木勘右衛門が当時の紀州三輪崎(みわさき)(現・新宮市)の舟5艘と漁師約70名を迎え入れたことがご縁の始まりです。三輪崎とのつながりがなければ、現在の生鮮カツオ水揚げ日本一連続21年といったこともなかったことでしょう。赤川副市長は、多大なご支援を受けての気仙沼の復興の現状や、唐桑地区におけるまちづくり、特に若い移住者たちの活躍について話されました。

気仙沼市唐桑町・古館(こだて)家の現当主である鈴木伸太郎さんのお話ははじめてお聞きしました。詳細は略しますが、〈唐桑をはじめ三陸地域は「陸の孤島」とも言われてきたが、歴史をさかのぼればむしろ「海の十字路」であった〉いう言葉は、まさにフォーラムのテーマ「黒潮に運ばれた道」そして翌日の芸能劇「海の古道」と重なる話であったように思います。ひとり10分程度のわりふりですから要点のみでしたが、祖先が紀州からわたってきたという古館/鈴木家が当地で果たしてきた役割と意義を強く感じることができました。もっと聞きたかった。

残りの時間がほとんどなくなっていましたが、最後に川島秀一さんがまとめとしてつぎのような話をしてくれました。〈黒潮の流れによる漁労技術の伝播は文化の伝承でもあった〉〈黒潮に運ばれた道について考えることの意義は、中央集権的なくびきから離れて、海の道を通じて地域と地域が直接に手を結ぶという視点を与えてくれることにあるのではないか〉などといったことです。この中央集権的な支配から離れての、海道蝦夷(かいどうえみし)としての誇りといったようなことは鈴木伸太郎さんのお話にも強く感じたことでした。川島さんは最後に、〈黒潮はそうした様々な文化を伝えてくれた。サンマやカツオなど、魚に感謝したい〉と微笑みながら話を結びました。

会の最後に、崎浜の保存会3名による大漁唄い込みの披露もありました。会場から〈ヨーイドコラサ〉のかけ声もあがるなどして、明日の舞台に向けての前日祭は終了。以上、断片的な紹介ではありますが、私が皆さんの話のなかで印象に残ったことを記しました。興味深い話をたくさん聞くことができてなによりでした。関係者の皆様にお礼を申し上げます。

3月26日ブログ「海の古道 公演報告」

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海の古道 公演報告

きのう3月25日(日)は、郷土芸能劇からくわ物語「海の古道」の東京公演でした。会場は目黒区民センターホール。とてもよい天気で目黒川の桜も満開に近い8〜9分咲きといった感じ。ホールに向かう桜並木の沿道は大勢の花見客で混雑していました。

開場は1:30、開演は2:00。私たち夫婦は午後1時に会場につきましたが、すでにロビーは気仙沼市唐桑から上京したメンバーや、観劇に来た唐桑出身者と思われる人達でにぎやかな雰囲気。懐かしい言葉がとびかっていました。

会場の目黒区民センターは約400席ですが、ほぼ満員でした。開演前に会場後側から撮った写真を紹介しましょう。なんとなくの雰囲気ですが、8割以上が気仙沼/唐桑出身者や関係者という感じ。

開演前

演劇内容の詳細は略しますが、とても面白かった。唐桑の人達が演ずる劇中に、4団体(鮪立大漁唄込保存会、崎浜大漁唄込保存会、神止り(かどまり)七福神舞保存会、唐桑浜甚句保存会)の皆さんの唄や踊りが披露されます。大漁唄込みや祝い唄、浜甚句の朗朗とした唄声や踊り、仕草は本当に素晴らしい。みんな堂々としていて、地元の言葉での劇も実に自然でした。頂戴したリーフレットの中面を紹介しておきましょう。

リーフレット

劇が終了して、出演メンバーが舞台に順に登場しました。最後に勢揃いしたときはこんな感じ。前列は鮪立の保存会の皆さん。中央に古館(こだて)の鈴木伸太郎さんがうつっています。

カーテンコール

観客退場時のロビーにはメンバーの皆さんが並んでお見送りです。開演前と同様の笑顔と歓声が満ちていました。東京公演の成功をみな喜んでいたように思います。とても素晴らしい舞台でした。出演者はじめ関係者の皆さん、そして支援・助成してくださった企業・団体の方々にもお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

なお、前日24日に行われた前日祭「歴史探訪フォーラム」にも行ってきました。その報告はまた明日。最後に、帰り路で撮った目黒川の桜の写真を一枚。唐桑から上京した皆さんも目にしたことでしょう。この近辺、目黒田道公園などで開催される目黒イーストエリア桜まつりは4月7日・8日ですが、そこまで桜の花がもつかどうかがちょっと心配。例年通り、気仙沼の物産市も行われるのですが。桜まつりはあらためて紹介します。まずは本日、〈海の古道〉の紹介のみにて。

桜

3月14日ブログ「海の古道 東京公演」

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tag : 気仙沼 唐桑 海の古道

復興支援寄付残金

3月6日の三陸新報が、気仙沼市がまとめた東日本大震災後に寄せられた寄付金の使途状況を紹介していました。総額9億8800万円のうち、これまで産業振興などを目的とした計33事業に7割の7億800万円(予定を含む)を充当。残りは2億8千万円となっているそうです。

3/6寄付金活用
三陸新報3月6日記事より

震災関連の寄付金は、「震災復興支援寄付寄金」として市が積み立てています。その寄付金の充当先で最も金額が大きいのは3月31日に開館予定の気仙沼図書館建設事業で1億5500万円。次いで毎年度2千万円を充てている「海の市」復旧整備事業補助金が1億2千万円、被災集会施設再建事業補助金8700万円、復興祈念後援整備事業4700万円、水産資源活用研究会への事業補助金3650万円などと続きます。「水産資源活用研究会」は、〈Kesemo〉ブランドでの化粧品や、ホヤソース、ホヤ醤油、わかめドレッシングを開発・発売してきた官民一体の組織です。

これまで計33事業に充当してきたということですが、記事では上記事業に加え、水産や観光などまちづくりの調査を目的とした民間とのノルウェー・ニュージーランド・米国などへの海外視察に計2250万円、大島中学校野球部のいわゆる〈離島甲子園〉参加補助金100万円なども紹介しています。海外視察や離党甲子園参加への補助は、たしか一部の市議会議員から疑問が呈されたように記憶しています。そんなことから記事でもとりあげているのだと推測しますが、ちょっと含みを感じます。それならば、33事業の一覧を掲載したほうがよいでしょう。2016年の7月には、つぎの一覧を掲載していました。これにその後の内容を追加するだけの話と思うのですが。

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三陸新報2016年7月8日記事より

寄付金の残りは2億8千万円とのこと。ただ、総額2億円を充てることが決まっている「海の市」への充当残り分8千万円を引くと、実際の残高は2億円になるそうです。

このブログで気仙沼の復興事業などを紹介するときに、予算や費用の情報があれば意識的に紹介するようにしてきました。その多くが国や県の復興予算、つまりは税金によってまかなわれるものであろうとの思いからです。本日紹介したのは〈寄付金〉の使いみちです。市や議会の皆さんには、寄付してくださった個人、企業、団体の皆様の気持ちに報いるため、最善の使途検討をお願いしたいと思っています。

2016年7月19日ブログ「市への寄付金総額」

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tag : 気仙沼 復興支援寄付金

アイデア賞を受賞

本日3月22日の三陸新報に気仙沼市の復興祈念公園アイデアコンペの審査結果が紹介されていました。このコンペには、私も妻と一緒にモニュメント部門に応募し〈アイデア賞〉をいただきました。

復興祈念公園コンペ

三陸新報3月22日記事の一部イメージ


記事によると応募数は、総合部門(モニュメントを含む公園全体の計画)が29点、モニュメント部門が132点でした。そして両部門から優秀賞各5点、アイデア賞各4点が選ばれています。そして優秀作品のうち、評価が最も高かった槻橋修(神戸市)さんの作品を、公園の核となるデザインに採用し、6月末までに策定する基本設計に可能な限り反映させる方針とのこと。

記事には〈モニュメントの例として、港町・気仙沼を象徴する灯台や船をモチーフにしたものがあったほか、復興への願いを込めた羅針盤や祈りをささげる鐘の設置などの提案があった〉と記されていました。当方提案の詳細な紹介はひかえますが、基本コンセプトは「灯台」です。付随設備として「鐘」の設置にも触れております。

「灯台」のアイデアは沢山の人が提案したことでしょう。私たちはそれを後押しできればなと思ったのが応募理由のひとつです。それと、公園が整備される陣山のあの場所は、私の実家があった場所の後背地。小さなころに遊んだあの場所にできる祈念公園であればヘンなものにはしたくないと。受賞・入選作品の公開はあるのでしょうか。どのような作品が寄せられたのかぜひ見てみたいと思います。

この復興祈念公園は来年に着工し、2020年3月11日までの開園を目指すそうです。検討委員会の皆様、コンペの審査は大変だったと思います。お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

2017年12月8日ブログ「復興祈念デザイン」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 復興祈念公園

気仙沼 「おでん牧」

2月25日。日曜日でしたが、仕事があって事務所に出ていたのですが、午後7時37分にファックスが動き始めました。受信されたのはつぎのような内容。ノイズだらけですが、かろうじて読むことができました。平30.2023読売宮城版と記してあります。



受信ファックスの一部


見出は〈内館牧子の仙台だより〉 第171回「ノリで?気仙沼アイドル」。さっそく読んでみるととても面白い。気仙沼の人がわざわざ送ってくれたのでしょう。でも誰だろう?と思っていたら、2日後にメールが届いて送信者が判明。仙台に住む吉野信雄君(3年1組)でした。ということで遅ればせながら、その内館牧子さんのコラム記事を紹介させてもらいます。

脚本家で2000年から10年間は横綱審議委員もつとめた内館牧子さんは「みなと気仙沼大使」のひとりです。そして内館さんの友人知人がそのことを知ると、必ず「あなたと気仙沼、何の関係があるの」と首をかしげるといいます。その疑問への答えを引用させてもらいます。

2月23日付け読売新聞(宮城県内版)
◎内館 牧子の仙台だより 第171回
「ノリで?気仙沼アイドル」

〈 (前略) 私がまだ40代の頃、いつか東北で「おでん屋」をやろうと夢見ていた。どこがいいだろうとさんざん考えて、「そうだ! 気仙沼だ」とひらめいた。それまで一度も行ったことがなく、一人の友達もいないのに。だが、海から戻ったばかりの漁師たちに、あったかいおでんと地酒を出す店がいい。女将(おかみ)の私は紬(つむぎ)なんぞ着てカウンターに立ち、漁師たちのアイドルになるのだ。決めた、気仙沼だ。
 私はそれをNHKラジオで語ったのである。すると何と、すぐに気仙沼のリスナーから市内地図が送られてきた。「店を出すならこの辺がいい」などと赤でマークしてあり、細かく町の様子を書いた手紙がついていた。このノリのよさ、好きだなァと感激し、その後、初めて出かけた。
 思った通り、町も人も食べ物もいい。調子にのって、「いつか気仙沼に『おでん牧』を開く」と雑誌にも書きまくったのである。
 すると、ある時、気仙沼青年会議所から講演を依頼され、お土産に仰天するモノを頂いた。これが何と、店の暖簾(のれん)である。
 紺地に「港 気仙沼 おでん牧」と白で染め抜いてある。大漁旗の製作者が染めたそうで、大漁旗と同じ布を使っている。それは立派で美しい(写真を見たい人は講談社文庫「食べるのが好き 料理は嫌い」をご覧ください)。
 気仙沼人のノリのよさ。これは全国でもトップクラスだ思ったほどだ。海への開けた風土とイキのいい魚が作ったに違いない。
 今日まで「おでん牧」は開店していないが、ノリに対するせめてものお礼に「みなと気仙沼大使」に就任し、PRにつとめようと思ったわけである。〉

以上が、「あなたと気仙沼、何の関係があるの」という友人の問いに対する牧子さんの答。そしてつぎのように文を結びます。

〈もっとも友人たちは、「もうアイドルは無理。おでんを食べながら人生相談にのるババの店にしなさいよ」と言う。無礼者どもが。〉

結局、最後まで引用してしまいました。私だけでなく、気仙沼関係者であれば、この内館さんの気持ちがありがたく、とても省略などできないでしょう。私は「おでん牧」の話を、この記事ではじめて知りました。気仙沼の人が「店を出すならこの辺がいい」と教えてくれたところはどの辺だろうか。〈マンボ通り〉だっただろうかなどと妄想が止まりません。

内館さんについては以上ですが、吉野君のファックスの話が残っていました。たぶんクリーニングが必要だと思います。まずは細長いガラス部を拭くことからはじめてみてはいかがでしょう(笑)。

内館牧子さん、いつも気仙沼がお世話になっております。読売新聞での文章もありがとうございました。どうぞ、また気仙沼においでくださいますように。多くの人が待っていることでしょう。

◎追記:テレビ番組情報

先週の放送予定が変更になっていた、NHK EテレのETV特集「カキと森と長靴と」アンコールの再放送が、本日深夜(日付は3月22日0:00〜)となりました。見逃された方は是非ご覧ください。

ETV特集アンコール「カキと森と長靴と」
3月22日(木)午前0:00~(1時間)
2月26日ブログ「カキと森と長靴と」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 内館牧子 おでん牧

南町商店街の苦境

3月16日に河北新報が気になる記事を配信していました。昨年11月に街開きした「南町紫神社前商店街」の共同店舗(20店舗)が、集客に苦しんでいるというのです。

商店街苦境

河北新報3月16日配信記事の一部イメージ(クリックで記事にジャンプ)


記事の一部を引用します。
〈共同店舗は被災した商店主らが建てた。「休日も平日もこんな状態」。飲食店を営む30代の女性はため息を漏らす。開店以来、赤字が続く。会員制交流サイトで営業に励むが、来店者が1日10人に満たないこともある。「人の流れがない。このままでは厳しい」〉

そして今は工事現場の中に商業施設があるような状況。店舗前の道路や隣接する造成地の工事は2019年3月だといいます。

〈人口減にこうした事業の長期化が重なり、客足は遠のく。個々の事業計画のずれが、まちづくりの歯車を狂わせた〉〈災害公営住宅と併設する共同店舗の建設費は約14億円で、合同会社の前身の建設組合が建てた。グループ化補助金を活用し、災害公営住宅分は市が9億円で買い取ったが、1億数千万円は出店者の負担だ。安定収入がなければ、被災事業者は苦境に追い込まれる〉

昨日のブログで紹介した、内湾地区のウオーターフロント施設にも触れています。

〈店舗前の道路を挟んだ海沿いに今年10月、官民出資のまちづくり会社が整備する飲食店街が開業。11月には内湾で被災した市の交流拠点施設も復活する。新たに創出される人の流れの相乗効果を、にぎわい復活に生かすことができるか〉

〈官民出資のまちづくり会社〉というのは気仙沼地域開発(株)。飲食店街は〈内湾スロー村〉(仮称)のことでしょう。市の交流拠点施設は、仮称〈南町海岸公共・公益施設〉で、昨年7月7日のブログで紹介しました。これらが、旧エースポート跡地に一体的に整備されます。

建物はこうしてできていくけれど、人は果たして戻ってきてくれるのか。河北新報の記事は、南町をはじめ内湾地区全体の商業関係者の切実な思いを伝えていたように思います。河北新報気仙沼総局/大橋大介さんの署名記事でした。

2017年7月7日ブログ「内湾施設イメージ」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 南町紫神社前商店街

商業施設愛称募集

3月17日の三陸新報に、気仙沼地域開発(株)(菅原昭彦社長)が、気仙沼の内湾地区に建設中の「ウオーターフロント施設」が5月末に完成との記事が掲載されていました。

3/17フロント施設

三陸新報3月17日記事の一部イメージ

記事によれば、旧エースポート跡地で建設中のこの商業施設は、新設商業エリア「内湾スロー村」(仮称)構想の一環として昨年6月に着工されました。事業費は約4億6千万円。1階/カフェ・衣料品・小売・飲食、2階/飲食・カフェやイベントスペース、3階/気仙沼地域開発・気仙沼地域戦略といったフロア構成になっています。早いテナントは6月中に、残るテナントも順次入居し、9月中にはすべてそろうとのことです。

記事の最後にちょっと気になる記述がありました。オープンに向けてこの施設のロゴマークと愛称を募集しているというのです。応募期間は3月12日から28日まで。この期間の短さは置いといて、名前(愛称)も決まっていないのにロゴマークのデザインができるだろうかという大きな疑問を感じました。どんな名前になろうが、そこに添えておかしくないマーク的なものということでしょうか。そうしたデザインが不可能なわけではありませんが、ネーミングから着想されるデザインという大きな可能性を捨てることになりますね。それと、ネーミングの文字を主体としたロゴという方向もはじめから考えていない。

ここまでにしておきますが、いかに時間がないとはいえもったいないやり方だなと感じました。しかし、完成や引き渡しが5月末だというのに、愛称がまだ決まっていないというのは本当でしょうか。ちょっと信じられないのですが。そうだとすれば、新「エースポート」でよいのではないかという気さえしてきます。A(エース)port。ありゃま、K-portと似すぎてしまうので、こりゃだめか(笑)。応募される方は、気仙沼地域開発(株)のサイトをご覧ください。

2017年7月28日ブログ「内湾施設の地鎮祭」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 エースポート 気仙沼地域開発

「知恵を持つ海」

一昨日は、3月25日に目黒区民センターホールで行われるからくわ物語「海の古道」東京公演を紹介しました。〈目黒のさんま祭〉をきっかけにして気仙沼市と友好都市協定を結ぶ目黒区さんにはこうしていつも大変お世話になっております。3月4日には、目黒区の「めぐろパーシモンホール」で「東日本大震災復興支援コンサート」が開催されたわけですが、3月7日の三陸新報にその様子が紹介されていました。

3:7コンサート

三陸新報3月7日記事の一部イメージ

私も翌日3月5日のブログでこのコンサートを紹介しましたが、ホール内は撮影ができないため写真を紹介することができませんでした。上の三陸新報の記事には目黒区芸術振興財団提供の写真がありますので、当日の雰囲気が少しはわかると思います。私は前から4列目、写真の左下という感じでした。写真にうつっている指揮者は、気仙沼市民吹奏楽団の団長、畠山広成さんだと思います。記事の一部を引用します。

〈気仙沼の畠山団長は、震災の津波で流されながらも奇跡的に見つかった楽譜を使って吹奏楽曲「シー・オブ・ウィズダム~知恵を持つ海を指揮。演奏に先立って、泥で汚れた楽譜を客席に示し、この曲に託した復興の思いを伝えた。〉

これはちょっと説明が必要が必要かも知れません。たしか、2011年に気仙沼市民吹奏楽団の演奏会が予定されていたのですが、震災によって演奏会どころか楽譜も流されてしまったということでした。気仙沼のメンバーの皆さんにとっては、そうしたいろんな思いが込められた曲です。

冒頭では、クラリネットのマウスピースを使って、かもめ/うみねこの鳴き声を思わせる演奏がありました。私の勝手な想像ですが、楽譜に細かな音程などの指示はなく、〈冒頭4小節/朝の静かな海。かもめの鳴き声がきこえる〉といった指示だけが記されているのではないか。清水大輔さんというかたの作曲です。静かさと激しさが交錯する表現に、気仙沼を襲った津波を連想した人も多いと思います。

気仙沼から上京して目黒で演奏してくださった気仙沼市民吹奏楽団9名の皆さん、ありがとうございました。お知り合いの方がいらっしゃれば、是非に素晴らしい演奏だったとお伝えいただきたく、この記事といたしました。

3月5日ブログ「美由紀さんの曲目」

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「モノ語る人びと」

本日も催しのご紹介。3月17日(土)に千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)で開催される歴博映像フォーラム12「モノ語る人びと-津波被災地・気仙沼から」です。研究映像紹介後の講演では、「被災物から語りを引き出すこと」というテーマで、リアス・アーク美術館学芸係長の山内宏泰さんが登壇します。

フォーラム

期日:3月17日(土)
時間:13:00~16:30
場所:国立歴史民俗博物館 講堂
定員 :260名(先着順)
参加費:無料(要事前申込)
詳細内容や事前参加申込みは下記のサイトをご覧ください。
歴博フォーラムサイト

歴博は、気仙沼市小々汐(こごしお)で被災した尾形家住宅を対象とした生活資料の救援活動を続けてきました。今回のフォーラムは、その活動過程で記録された映像を紹介し、人々がいかに過去と現在、そして未来を結んでいくのかを考えることを趣旨として開催されます。

気仙沼市小々汐地区は、商港岸壁の対岸にあたるところです。そして尾形家は〈仁屋〉(にんや)と呼ばれたこの地区の旧家。下記2014年4月のブログでは、東北芸術工科大学東北文化研究センター発行の「小々汐仁屋の年中行事」を紹介しました。この冊子には、現在は東北大学災害科学国際研究所教授をつとめる川島秀一さんが撮影した写真が解説付きで56頁にわたって紹介されています。

2014年4月11日ブログ「小々汐仁屋の記憶」

私は残念ながら参加できませんが、国立歴史民俗博物館で気仙沼市小々汐の尾形家住宅に関するフォーラムが開催されることを多くの人に知ってもらいたく紹介いたしました。なお、下記ブログでは山内宏泰さんの日本博物館協会「棚橋賞」受賞について記しております。

2017年12月25日ブログ「山内さんに棚橋賞」

テーマ : 東日本大震災支援活動
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tag : 気仙沼 山内宏泰 リアス・アーク美術館 歴博

海の古道 東京公演

本日は催事の紹介。昨年12月17日に気仙沼市民会館で催された郷土芸能劇からくわ物語「海の古道」の東京公演が、3月25日(日)に目黒区民センターホールで行われます。

海の古道

◎唐桑物語「海の古道」東京公演
3月25日(日)13:30開場14:00開演
目黒区民センターホール(目黒区目黒2-4-36)
入場無料
唐桑大漁唄込復活推進実行委員会サイト

「海の古道」については、昨年12月4日のブログでも記しました。本日はその内容を再編集して紹介します。

この東京公演は唐桑大漁唄込復活推進実行委員会が主催するもので、劇団「夢の海」と唐桑の鮪立大漁唄込保存会/崎浜大漁唄込保存会/神止り(かどまり)七福神舞保存会/唐桑浜甚句保存会の皆様からなる総勢80名が出演します。2013年から各年度につぎのような公演を続けてきました。

2013:海の家族の棲むところ
2014:海の古道〜1300年の旅
2015:クリスマスに花束を…祈りのまち・唐桑
2016:海の古道〜神々の記憶
2017:海の古道〜神々の記憶/1300 years version

東京公演は、上記の2017年公演の再演です。末尾に1300 years version(バージョン)とあるのは、熊野神勧請1300年祝祭版ということだと思います。少し説明しておけば、室根山に熊野神(くまののかみ)を迎えてまつった、つまり勧請(かんじょう)したのは、養老2年(西暦718年)のこと。2018年で1300年となるのです。演題「海の古道」は世界遺産でもある「熊野古道」を連想させながら、海上の路、そして1300年前から今に至る時の流れを表しているのでしょう。

「唐桑ものがたり」は、昨年2017年3月に紀州熊野、和歌山県新宮市でも公演をおこなっています。昨年9月27日の目黒のさんま祭で、唐桑大漁唄込復活推進実行委員会の会長をつとめる古館(こだて)/鈴木伸太郎さんと事務局長の戸羽芳文さんにお会いしました。お二人とも、新宮市では大変な歓迎を受けて感激したと語っていました。延宝3(1675)年に紀州三輪崎(いまの新宮市)から5艘の船と漁師約70名を迎えて鰹一本釣りの漁法を当地に導入したのは先祖である鈴木勘右衛門ですから、伸太郎さんにとってはなおさらのこと。340年前にさかのぼる鈴木家と紀州のご縁を感じたことでしょう。

なお、2014年からの各回とも、国や市などの行政や各種団体・企業からの後援、助成を受けていますが、今回の東京公演は、朝日新聞文化財団の助成を受けて実施されます。朝日新聞さんのご協力にお礼を申しあげます。

公演の前日3月24日(土)には「歴史探訪フォーラム」が催され、私たちの一年後輩/気中21回生で東北大学災害科学国際研究所教授をつとめる川島秀一さんが基調公演をおこないます。

フォーラム

3月24日(土)と25日(日)、ご都合がゆるせば是非に。2014年度(2015年3月22日)仙台公演:海の古道~1300年の旅については、つぎのブログに記しております。

2015年3月18日ブログ「唐桑のものがたり」

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小学校児童数見込

きのうのブログで、3月11日付け三陸新報の記事にあった〈止まらない人口減少など、将来への不安が尽きない中、復興に向かうこの地で暮らすわれわれ〉との一文を紹介しました。その2日前、3月9日の三陸新報は、〈歯止め利かぬ少子化〉との見出しで、気仙沼市と南三陸町の教育委員会が3月1日現在でまとめた2018年度小中学校の児童・生徒見込み数を紹介していました。気仙沼市教育委員会は〈憂慮すべき状況〉と。

児童数記事
三陸新報3月9日記事の一部イメージ


この記事に添えられた児童・生徒見込み数表を紹介しておきましょう。

児童数見込み数
三陸新報3月9日記事より

気仙沼市の教育委員会は本年4月の水梨小の松岩小への統合、月立小の新城小学校への統合を計画していましたが、地元の反対で先送りされました。なお、小原木(こはらぎ)小の唐桑小への統合は決定済みです。両校の本年4月の1年生児童数見込みは水梨が1名で全校児童数は16名とされています。月立小は1年生が5名、全校で27名です。

気仙沼出身とはいえ、市民でもない私がとやかく言うことは控えたいと思うものの、この状況はどうなのだろう。学校統合に失われることも確かにあると思いますが、その一方で新たに得られることもあると思います。児童にとって、そのプラスとマイナスの評価がどちらになるのか。父兄をはじめとする地元の理解を得るための活動がこれからも行われていくことでしょう。

上の数表をみてください。2018年度の気仙沼小学校児童見込み数は243名です。一方、私が気小低学年だったころは九条分校だった九条小が309名。そして面瀬小が285名、松岩小が329名です。かつてマンモス校といわれた気仙沼小学校がすっかり小さくなってしまって。そんな卒業生の思いもいまや郷愁といってよいでしょう。


なお、気仙沼市小中学校の統合計画はつぎのとおりです。


三陸新報2017年1月1日記事より


2017年12月21日ブログ「反対で統合先送り」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 気仙沼市教育委員会 統合計画

それぞれの立場で

東日本大震災から7年が経ちました。3月11日の三陸新報一面記事です。

三陸新報311

三陸新報3月11日記事の一部イメージ


写真は〈 上空から望む気仙沼市赤岩港(左)、南気仙沼(右)両地区。手前は三陸道の仮称・気仙沼湾横断橋 〉。記事の冒頭には〈 2月末現在、気仙沼市の犠牲者は1042人(関連死を除く)、行方不明者は215人。南三陸町は犠牲者566人(同)、行方不明者211人となっている 〉とありました。

この写真を見て、復興が急速に進んでいると感じる人は少ないでしょう。まだまだだなあと。しかし、7年間の多くの人の協力と努力でやっとここまできたのです。写真の右下のリード文の末尾に、〈止まらない人口減少など、将来への不安が尽きない中、復興に向かうこの地で暮らすわれわれ。それぞれの立場で、スピードで、明日への一歩を踏み出そう〉とありました。〈復興に向かうこの地で暮らすわれわれ〉。私は18歳で気仙沼を離れ、いま東京で暮らしているわけですが、とても共感する一文でした。

「3月11日からのヒカリ」も無事に終了。下に、3月11日関連のテキスト中継を紹介しておきます。ほぼ日さんの「気仙沼で、お魚づくし。」は、糸井重里さんとほぼ日の〈チアフルギャルズ〉が、気仙沼をたずねた2日間のテキスト中継です。。気仙沼市唐桑の〈つなかん〉では、〈 車で気仙沼まで行く。〉の皆さんとも合流しました。関係者の皆様、今年もいろいろとありがとうございました。お礼を申し上げます。

きょうは3月12日。それぞれの立場、持ち場でがんばろう。それぞれのスピードで。新しい一週間が始まりました。


「3月11日からのヒカリ」テキスト中継
ほぼ日「気仙沼で、お魚づくし。」
ほぼ日「書くことの尽きない仲間たち 車で気仙沼まで行く。」

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tag : 気仙沼 3月11日からのヒカリ 311

気仙沼の3月11日

私たち気仙沼中学20回生支援会も協賛している〈3月11日からのヒカリ〉のテキスト中継が3月9日正午から始まっています。3月11日までの気仙沼の3日間を皆さんの投稿で伝えます。

テキスト中継
画像クリックでサイトにジャンプします

今年は「震災から7年。光と影の景色、言葉たち。」というメッセージが添えられています。このテキスト中継は、〈3月11日からのヒカリ〉の関連イベントとして2013年から毎年おこなわれてきましたので今回で6回目。中継サイトではこれまでの各回内容も見ることができます。その投稿をあらためて見てみると、毎年の気仙沼の風景や人々の心情の変化の記録になっているなと感じます。鼎が浦から立ち上がる3本のヒカリは、これらの言葉や写真があることで、その象徴的な意味がさらにきわだつのでしょう。


もうひとつの中継記事を紹介します。〈ほぼ日刊イトイ新聞〉(ほぼ日)の〈書くことの尽きない仲間たち 車で気仙沼まで行く。〉です。古賀史健さん、浅生鴨さん、田中泰延さん、そしてほぼ日の永田泰大さんの4人が9日に東京を出発しました。3月11日には気仙沼で糸井重里さんらに合流するようです。


車で気仙沼まで

画像クリックでサイトにジャンプ


テレビ番組も紹介しておきましょう。

NHK_20180309144108e55.jpg
画像クリックでサイトにジャンプ

◎NHK総合テレビ
証言記録スペシャル「いつか来る日のために」
震災7年 気仙沼の“あの人”は今
3月10日(土)10:05~10:54

司会はサンドウィッチマンさんら。生島ヒロシさんもゲストとして参加。気仙沼市のゲストはすがとよ酒店の菅原文子さん、VOAR LUZ(ボアラズ)の佐藤春佳さんなど。3月7日のブログでもお伝えしたように、番組の中でコヤマ菓子店の小山裕隆さんの取材映像も紹介されます。


この数日はテレビなどで震災特集番組がたくさん放送されることでしょう。それはそれとして、気仙沼の3月11日が静かな鎮魂と追悼の日となることを心から願っております。

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tag : 気仙沼 3月11日からのヒカリ

憲二君の待受画面

3月5日(月)、菊田裕美君(3年1組)から千葉憲二君が登場するテレビ番組情報のメールがありました。裕美君は板橋和夫君(9組)から教えてもらったそうです。情報リレー(笑)。

この日、BS朝日で午後7時から放送された2時間番組「激ウマ!極上ラーメン プロが選ぶこの一杯パート2」です。人気有名ラーメン店の店主がお薦めする、今最も美味しいラーメンを紹介するという番組。メール当日の放送だったので、急いで妻に連絡して録画を依頼しました。

番組サイト

憲二君以外の〈人気有名ラーメン店の店主〉は、ラーメン店初のミシュランに輝いた「Japanese Soba Noodles蔦」の大西祐貴さん、関西で人気の豚骨ラーメン「無鉄砲」の赤迫重之さん。なお、憲二君がお勧めしたラーメン店は東京・足立区の博多長浜らーめん「田中商店」です。

憲二君の紹介映像では、銀座「まかない㐂いち」に始まり、「ちばき屋」葛西店、東京駅八重洲南口地下1階の牛タンねぎ塩ラーメン「㐂蔵(きぞう)」、気仙沼かもめ食堂などが紹介されました。幼い憲二君がお父さんとうつる写真も。

ちばき屋 かもめ食堂
少年時代 オフィス

私が注目したのは、最後の写真。オフィスで収録した映像の背景にうつっていたパソコンの待ち受け画面です。拡大してみましょう。

拡大

これは、2011年2月12日に気仙沼ホテル観洋で開催された私たち気仙沼中学校20回生還暦祝い会の祝宴のひとこま。ラッツ&スターに扮した同級生たちが踊っていますが、ゴールドの衣装でメインボーカルをつとめたのは憲二君です。曲目は「ランナウェイ」。この一カ月後、気仙沼は震災の大津波に襲われたのです。

待ち受け画面とちょっとだけ違う(ように見える)写真が、小松亀一君(6組)のブログに掲載されていますので拝借して紹介します。

舞台
亀一君2011年2月13日ブログより

BS朝日「激ウマ!極上ラーメン」は、3月11日を間近にしての震災特番ではありません。しかし、思いもかけず憲二君のPC待ち受け画面を見て、7年前2月12日の還暦祝い、そしてそのわずか一か月後の惨事を思い起こすこととなりました。

なお、気仙沼かもめ食堂は、3月11日(日)午前11時〜午後5時まで限定500食で〈かもめラーメン〉を無料提供します。憲二君らが震災後数度にわたっておこなってきた炊きだしのときもそうですが、一杯のラーメンにこめられた気持ちを味わってもらえればと。どうぞよろしく。

IMG_2913.jpg

小田が気仙沼モニターツアーの際に店頭で撮影

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 ちばき屋 千葉憲二 かもめ食堂

コヤマの兄弟たち

3月1日と2日に東京の丸ビルで開催された復興応援イベント「マル・デ・ミヤギ」に気仙沼からコヤマ菓子店も出店しました。私は2日(金)午前中に日比谷でミーティングがありましたので、お昼過ぎに寄ってみました。日比谷から歩いて15~20分といったところ。会場に着いてコヤマのブースに行くと、裕隆さんではなくて弟の晃宏さんが接客していました。〈気仙沼がら来だのすか〉とふざけながら声をかけました。すぐに裕隆さんも戻ってきてくれて少しお話を。計画中の新しいお店のスケッチも見せてくれました。そしてブースに並んでもらって写真を一枚。


IMG_2983 2


私は大人気の〈はまぐりもなかくっきー〉と〈ホヤぼーやまんじゅう〉を購入。裕隆さんのブログによれば初日で2日分のお菓子をほぼ売ってしまい、急ぎ商品を追加したそうです。そして、二日目も完売したとのこと。なによりのことです。気仙沼での家業を継いだ兄(長男)の丸の内出張販売に、東京で働く弟(三男)が手伝いに来てくれている。父親 小山隆市君(3年6組)もきっとどこかで喜んでいることでしょう。

話は変わって、小山裕隆さんが3月10日(土)NHK総合テレビの番組に登場します。震災7年 気仙沼の“あの人”は今。〈震災で壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼。あれから7年、懸命に再建を果たそうとしていた銭湯や酒屋を訪ねると衝撃の事実が……〉。震災直後や復興への努力と現在の姿を紹介するようです。

◎震災7年 気仙沼の“あの人”は今
いつか来る日のために 証言記録スペシャル
NHK総合テレビ
3月10日(土) 午前10:05~午前10:55

この番組を紹介した裕隆さんのブログには、NHK東日本大震災アーカイブス「証言webドキュメント」に収録されている裕隆さんの映像が紹介されていました。2011年11月11日に取材されて番組「あの日 わたしは」で3回にわたって紹介された映像です。震災後に開いた新しい店で〈絆カステラ〉を焼く父親 小山隆市君(3年6組)の姿もうつっています。3月11日に気仙沼河北ビルから裕隆さんや隆市君が見た津波の風景も。10日の番組でも紹介されるでしょう。

それにしても、よく知っている街並みが津波にのみ込まれていく映像は、見るたびにつらくなります。仲町のコヤマの店が津波で倒れるところを隆市君が撮影した写真も紹介されるのですが、7年経ってやっと新しい自前の店舗構想を息子さんが語るまでになりました。10日の番組で紹介される新店舗構想を楽しみにしているところです。皆様もぜひご覧ください。

NHK「証言webドキュメント」

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tag : 気仙沼 気仙沼中学 コヤマ菓子店 小山裕隆

森は海の恋人30年

3月5日(月)の読売新聞夕刊に、畠山重篤さんらの〈森は海の恋人〉活動が30年目を迎えるとの大きな記事が掲載されていました。

読売新聞

読売新聞3月5日記事の一部イメージ


記事はつぎのリード文で始まります。

〈宮城県気仙沼市で養殖漁業を営む畠山重篤さん(74)らが「森は海の恋人」を合言葉に植林活動を始めてから、今年で30年目を迎える。森を豊かにして海に栄養分を行き渡らせ、好漁場を作る取り組みで、植えた木は5万本以上。東日本大震災を経てもなお続けられ、植林のモデルとして国内外に広まっている。〉

その後、40年ほど前に川から流れ込む生活排水や農薬で赤潮にまみれた湾の話が続きます。多くの海水を吸い込むカキも赤く色が付き、「血ガキ」と呼ばれ、廃棄処分されたそうです。

〈「漁師は森、川、海と続く自然の中でしか生きられない」。畠山さんが出した答えは「陸(おか)に上がる」ことだった。気仙沼湾に注ぐ大川上流にある岩手県一関市の山で1989年、漁師仲間とブナやコナラなどの広葉樹を植え始めた。県境をまたいだ取り組みのため公的援助は受けられず、仲間と資金を出し合って始めた。効果は徐々に表れ、カキの収穫量が上がった。サケが戻り、しばらく湾で見られなくなったウナギも現れるようになった。〉

そして、2011年の大震災。養殖いかだが流され、活動の背中を押してくれていた母の小雪さんも亡くなりました。しかし、震災の2か月後、湾の水質を調査した京都大の研究チームが「カキが食べきれないほどの植物プランクトンがいる」と教えてくれました。その年にカキ養殖を再開すると、豊漁になったといいます。

30年目の植樹祭は6月3日。畠山さんは「人々の意識を高める、つまり『人々の心に木を植える』ことも大きな目的。次の世代に豊かな海を残すため、今後も続けたい」と話しているそうです。

記事の注釈に「森は海の恋人 」の簡潔な説明がありました。〈森の土壌に含まれる養分が川を通じて海に注ぎ、プランクトンを育てて魚や貝などに恵みをもたらすとして、1989年に始まった植林活動。2009年に同名のNPO法人が設立された。理事長の畠山重篤さんは2012年、国連の「フォレストヒーローズ(森の英雄)賞」の初代受賞者となった。〉

気仙沼の人たちは、畠山重篤さんや〈森は海の恋人〉のことをよく知っているはずです。しかし、こうした30年にもおよぶ活動の意味や価値をうまくほかの人に伝えることができるかどうかというのは別の問題。こうして読売新聞さんがうまくまとめて紹介してくれたことを大変うれしく思いました。記事をまとめてくださった中根圭一さん、ありがとうございました。

〈森は海の恋人〉活動が30年か。重篤さんが44歳のときに始めたのですね。今でこそこうして高い評価を受けていますが、活動開始初期など、決して順風に恵まれていたわけではないでしょう。逆風もあったと思う。こうした記事を読むとき、そうしたときの重篤さんらの気持ちはどんなだったのかとつい想像してしまうのです。

国連の「フォレストヒーローズ賞」受賞については、つぎのブログにて。

2012年2月14日ブログ「国連の畠山さん」

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tag : 気仙沼 森は海の恋人 畠山重篤

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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