真海さん文春対談

紹介が遅くなりましたが、月刊「文藝春秋」2014年1月号に佐藤真海さんと、テレビ東京アナウンサー大橋未歩さんの対談記事が8頁にわたって掲載されています。大橋さんは、早稲田大学スポーツ科学学術院で真海さんの一年下に在籍していました。そして、2013年1月には若年性脳梗塞を起こし、右脳の末端部分4カ所が壊死したのだそうです。
対談記事のタイトルは〈絶望の淵からパラリンピックへ〉。

文芸春秋
「文藝春秋」2014年1月号対談記事の一部イメージ

記事は8頁にわたっていますが、その一部を紹介します。

(大橋)入院中にハッとしたことがあって。私は脳卒中患者が集まるフロアに入院していたので、足を引きずった方などが身近にたくさんいたのですが、ふと構えてしまう自分を感じたんです。この感覚は何なんだろうと思って……。そういう自分がいやだな、と。
(佐藤)私も同じですよ。骨肉腫と診断されたのは、大学一年のときでしたけれど、最初に「足を切断する」「義足になる」と聞いた時は、正直「私もそうなるのか」と思ってしまいましたから。実際に足を切断するまで、障がい者を完全に違う世界の人たちだというふうに見ていたんです。パラリンピックの存在も知りませんでした。
(大橋)佐藤さんでも、そうだったんですね。
(佐藤)あの頃は、ショックという簡単な言葉では表現できないくらいに沈みました。「治療や手術がすべてうまくいっても、右足の膝から下は残せない」と聞いた瞬間、全身を金槌で打たれたような気持ちになった。
そういう体になっても私は生きている価値があるのか、明るい未来が待っているのか……そう思いました。病院の先生に、「障がい者として生きていきたくない」とも言いました。でも、「それは君が今までそういう意識を持って接してきたからじゃないいか」と言われて。本当に先生の言う通りだったんですね。
(大橋)それから入院生活はどれくらい続いたのですか。
(佐藤)三カ月の抗がん剤治療、手術をして、さらに半年間の抗がん剤治療と約十カ月の入院生活でした。「あとは普通の生活に戻れればいいや」と思っていたのですが、退院してから二カ月くらいガツーンと精神的に落ち込んでしまった。ないものを嘆いてみたりする時期が続きました。

(記事はこの後、高校時代に陸上をやっていたこともあって、障がい者スポーツセンターに行って水泳や車椅子テニスにチャンレンジするなかで、義肢装具士の方から〈走ってみなよ〉と言われて走り始めた話が続きます。爪先までどうやって自分の神経をつなげていくか。大変だったけれど、すごく充実感があったといいます)

(佐藤)それからかな、本当に心から笑えるようになったのは。そういう時期があったから、常に何かにチャレンジして続けなきゃいけないと、思うようになりましたね。

引用は以上です。

今年は華やかな舞台での姿が紹介されることの多かった佐藤真海さんですが、その笑顔がまさに〈絶望の淵から〉懸命な努力で抜け出した結果うまれたものだということがよくわかる対談だと思いました。是非お読みいただければと。

スポンサーサイト

テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 佐藤真海

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示