プレゼントは拳銃

明日はクリスマスイブ。私たちの年代になると、子供へというよりも孫へのプレゼントを何にしようかと思案中の人も多いかも知れません。

何歳ごろまでだったでしょうか、サンタさんが本当にいて枕元にプレゼントを置いていってくれました。4歳上の兄が〈ほんとはサンタさんなんかいないんだよ。お父さんなんだよ〉と脇で余計なことを言ってたそうですが(笑)。

気仙沼小学校に通っていたころ、クリスマスが近づくと、魚町大堀銀座角の玩具店〈ナガサワ〉のウィンドウには沢山のクリスマスギフト商品が飾られていました。学校の帰りに寄ってはみんなでながめていたものです。

〈オメワ ドイヅニスンノヤ オレワ コイヅニ スッカナ〉

クリスマスに買ってもらったもので覚えているのがマテル社の玩具拳銃〈コルト45〉。金属の薬莢部にプラスチックの弾頭をとりつけて発射することができるのです。小学校の修学旅行で仙台に行ったときに、その弾頭のスペアを藤崎か丸光で買ったので、小学5年生ぐらいのことだったでしょうか。

コルト45
ネットにあった画像。たしかにこんな感じでした。

あの頃はみんな拳銃/ピストルが好きだった。私は〈コルト45〉のほかに、〈ベレッタ〉や〈ルガー〉も持っていたはず。それと、リンカーン大統領の暗殺に使われたという小型拳銃〈デリンジャー〉も。暗殺者をまねて、靴下の脇に隠したりなんかしちゃって。

しかしピストルが欲しくとも買ってもらえない人もいたのです。貧しいからじゃないよ。

気仙沼小学校の文集に、私たちの一年上だった魚町田中砂糖店の田中明夫さんの作文が掲載されていました。こんな話です。明夫さんがお父さんにピストルを買ってくれとせがんだのですが、お父さんは〈だめだ〉と。その理由は〈戦争に使うものはだめだ〉。明夫さんの残念さというか無念な気持ちがよくわかります。〈みんな持ってんのに〉ね。

明夫さんの父上は田中活男さん。〈気仙沼文化史年表〉によれば1987年8月に79歳で亡くなっています。短歌をよくし、図書館長だった菅野青顔さんなどとも親しかった気仙沼の文人のひとりです。終戦時には42歳ぐらいでしょう。その戦争の記憶がどういうものだったか。

ちょっと話が長くなりましたが、クリスマスの季節、ナガサワのあの夢のようなウィンドウを思い出すと、この田中さんの作文をかならず思い出すのです。
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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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