魚町のチンドン屋

先週15日のブログで、気仙沼の魚町で水を飲む昭和の子供を紹介しました。あれは昭和33年。今日はその2年後、昭和35年の魚町海岸での一風景をご紹介。
表紙
左側の裏表紙写真が気仙沼の魚町海岸

ちんどん屋
同じ写真が、本文頁では見開きで(クリックで拡大)

この写真集は『昭和の仙台〜懐かしの宮城県あの街この街』(アーカイブス出版編集部編・西潟正人 著)2007年刊。ネット上の解説には〈宮城スウィート・メモリーズ。街には市電が行き交い、港はサンマの水揚げ日本一を記録、子どもたちは路上で元気に遊んでいた。そんな時代の思い出写真集〉とありました。

これは、私の兄が仙台の県立図書館で借りてきたのですが、弟らしき子供が写っていてびっくり。母に見せたら〈間違いない〉。チンドン屋の先頭のおじさんの後ろ、カメラの方を向いてちょっと笑っているのが私です。魚町海岸をお神明さん方向に歩いています。

チンドン屋さんが持つノボリには〈気仙沼スーパー〉、そし小さな文字で〈皆様の台所と暮らしのセンター〉。気仙沼スーパー(後のハマダ)の開店は、『気仙沼文化史年表』によれば1960(昭和35)年10月6日。私が気仙沼小学校3年生のときのことです。

写真左下のキャプションには〈スーパーの大安売りや、パチンコ店の新装開店には、チンドン屋が付き物だった。意味がわからぬまま、たのしげな楽団に子どもたちは付いて歩いた。気仙沼港にて(昭和35年)〉とあります。〈意味がわからぬまま〉ってのがいいね。実際、綿入れを着たりしている〈ちゃっこい〉女の子が、わけもわからないままはしゃいでいるように見えます。もらったチラシはカアちゃんにちゃんと見セダベガ(笑)。

魚町海岸の道路はアスファルトではなくコンクリートだったように思います。岸壁沿いは未舗装だったので、石を拾って海に浮かぶ電球を割ったりできました。そして船は木造だし、左にはダイハツのミゼット。先日の魚町の水飲みの写真もそうでしたが、そこに写る細部がそれぞれに懐かしい。

この写真の時から53年が経ちました。しかし、カネや太鼓の音を聞くと、わけもわからずついていきたくなる性格は、今でも変わっていないように思います。

11月15日ブログ「水を飲む昭和の子」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 懐かしの宮城県あの街この街

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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