旧魚市場水揚風景

おとつい15日に紹介した鰹の水揚げ風景。調べてみたら気仙沼商工会議所が1977年に発行した『けせんぬま写真帖』(p43)に同じ写真が紹介されていました。そこに「旧魚市場にて」というキャプションあり。撮影年月の記載はありません。

鰹市場
写真:産業組合組織に依る気仙沼魚市場鰹水揚の実況(クリックで拡大)

この写真に郷愁をさそわれたのは私だけではないようです。兄が電話をかけてきて〈あの写真はいいね〉と。私より4歳年上の兄は、旧魚市場が稼働していたころの風景を覚えているといいます。そして当時、魚町の海岸には漁船に積み込む大きな氷を運ぶための厚い木にキャスターをつけたものがよく置いてあって、それに乗って滑らせて遊んだものだとのこと。スケートボードか(笑)。私には記憶がありません。

きのうの夜には、一年下のsoneさんからコメンの投稿が。以下に再掲します。

「今晩は。仙台に住むm-soneです。今回の記事を興味深く拝読しました。本日は台風のため、事務所へ行かず自宅でのんびりと仕事をしていました。
旧魚市場が盛況だった頃の写真をはじめて拝見しました。出所は川島秀一君(同年なので、あえて君付けで呼びます)が、富田本店(近所の紙屋さん)が売り出した観光絵葉書を持っていたとか。富田本店では、習字の紙と墨汁を買ったぐらいしか記憶がないのですが、そのような絵葉書を自ら売り出していたとは知りませんでした。實況した「産業組合組織」とは、今でいう業界の組合みたいなものでしょうか。

私の実家は、丁度、エースポートがあったところの真ん前で、魚屋「唐桑屋」を営んでいました。震災で流されましたが、かつて喫茶「亜紀」があった処と云うと分かり易いかもしれません。私が誕生したのは1953年ですから、旧魚市場が閉鎖された1956年までの3年間は写真にあるような賑わいを肌で感じていたはずです。しかし残念ながら、酔っ払いがとっても多くて、またいつも賑やかだったということしか覚えておりません。

この写真をよく見ると、カツオを入れたバンジョウ(漢字でどのように書くか分かりません)がかなり円形に近いことが分かります。私の知っているバンジョウはもっと楕円に近いものでした。また竿のようなものを持っている人は、バネ秤でバンジョウごと重さを計っているのでしょうかね。服装はゴム長を含めて、現在とあまり変わりませんが、精悍な顔つきで、頭には手拭いを巻いているところが粋ですね」

投稿引用は以上です。soneさん、いつもありがとう。「バンジョウ」は「万丈」だときいたことがあります。以前のブログ「学卒の秋山さん」でバンジョウを引いて歩く「しげかっつぁん(しげかつさん)」の話を書きました。

小さなころ魚町や南町で育ったものにとってあの写真はかなり〈そそる〉ものだったようです。反応がいい。まるで、活きの良い餌のいわしに食いつく鰹のようです(笑)。

2012年1月26日ブログ「学卒の秋山さん」
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 けせんぬま写真帖 みなとのがっこう

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

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