新月ダム反対運動

NHKドラマ〈あまちゃん〉のオープニング映像。私はあの中の小川の水面をなめるように撮影した映像を見るたびに、気仙沼の新月(にいつき)の風景を思い出します。

JR大船渡線で一ノ関から行くと、気仙沼に着く20分ぐらい前にきれいな川の流れを見ることができます。1分ぐらいでおわってしまいますが、私はあの風景が大好きです。いつもディーゼル車の窓から見るだけで足を踏み入れたことはないのですが、あの奥に新月渓谷の素晴らしい風景があるのでしょう。


新月渓谷。ブログ「スローな食に、スローな家。」より拝借


約40年前、あの美しい新月渓谷にダム建設の計画がもちあがりました。しかし反対運動によってその計画は中止になったのです。私は実家から送ってもらっていた三陸新報でその経緯をかろうじて知っておりました。あれはいつ頃のことだったのだろう。昨日と同じく、〈気仙沼文化史年表〉(荒木英夫編)で調べてみました。その内容はつぎの通りです。

1974(昭和49)年2月20日
新月ダム建設に関する説明会が行われる
1974(昭和49)年3月2日
新月ダム建設反対期成同盟会結成される
1975(昭和50)年3月29日
新月ダム建設反対期成総決起大会が新月ダム計画絶対反対を決議
1984(昭和59)年12月22日
新月ダム対策協議会設立(会長 昆野辛治郎)
1988(昭和63)年5月30日
県と市が新月ダム建設工事の基本協定書に調印
1997(平成9)年8月21日1997
県は新月ダム建設計画の休止を決める
2000(平成12)年7月17日
気仙沼新月ダム期成同盟会解散

1974年にダム建設の説明会が行われ、すぐに反対運動が始まったのですね。その14年後1988年の建設工事の基本協定というのはなんだろう。一度は工事開始直前までいったのでしょうか。そして宮城県がダム建設計画の〈休止〉を決めたのは1997年、説明会から23年後のことでした。

ネット/ウィキペディアの「中止したダム事業」説明に、つぎの記述がありました。
「宮城県の新月ダム(大川)は、下流の気仙沼市等の漁業関係者からカキ養殖に重大な影響を及ぼすとして反対運動が起こり、その後水需要の減少なども重なり計画が中止された。既得権益、特に漁業権絡みの反対運動は環境保護の立場からの反対運動と軌を一にすることが多い」

なるほど。計画通りダムが建設されていれば、新月渓谷の姿は大きく変わっていたことでしょう。最近の気仙沼での防潮堤建設をめぐる議論に際し、この新月ダムの建設計画と反対運動を思い出している人も多いのではないでしょうか。〈歴史はくりかえす〉か。
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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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