受け継いだもの

事務局菊田裕美君から「昨年12月26日の三陸新報〈リレー随想〉の及川敦史さんは保規君の息子さんです」との連絡がありました。私は見落としていました。及川保規君(3年5組)は震災で亡くなった同級生2名のうちのひとり。もうひとりは鷺(庄司)良子さん(8組)です。

及川さん
紙面の一部イメージ(敦史さんの写真にはやはり保規君の面影があります)

以下、「受け継いだもの」と題する及川敦史さんの文章を抜粋して紹介します。

「気仙沼に戻ってきて6年半ほどの月日が流れました。優しい両親と祖父母、妹の6人家族で幼少期から過ごし、大学進学と同時に、念願であった東京へと歩みを進めました。

さまざまな経験を経て社会に出たわけですが、そこで私はこれまた中・高生の頃からのぼんやりとした夢だった、某ネズミ関係の仕事に就くことができました。その時点では、気仙沼に戻る気は限りなくゼロでした。

気仙沼に戻ることになったのは、「家業を継がないか」という父からの打診がきっかけでした。継がなくても大丈夫と、勝手に思い込んでいた私にとっては寝耳に水でした。しかし、そこで初めて会社の現状や父と母の思いを知ることになり、大人になったつもりの自分が、まだ子どもであると痛感させられました。と同時に、両親や故郷に対する思いにも変化が生まれました。

舞浜でホテルを開業させてホテルマンとして働き、退職してから1年半は、市川のディーラーで修行して気仙沼に戻ってきました。そして仕事や生活も落ち着いてきた頃に結婚し、子どもを授かることができました。私たち夫婦の希望の象徴であったわが子の名前には、「希」という文字を入れました。

震災の日を境に、私の隣から父はいなくなりました。亡くなる状況ではなかっただけに、到底受け入れられるはずもなく、仕事に対しても迷い、苦しい日々が続きました。新築した店舗は、わずか半年でヒビが入り、津波もかぶりました。店長として、父と机を並べたのもわずか半年でした。

1年ほど前、2歳半になり片言だけ話せるようになった息子は、寂しさを口にした母に「あっくんがいるからだいじょうぶ」と言ったそうです。父の優しさは息子の中で生きていました。その話を聞いた時、この子が笑顔で暮らせる気仙沼にしていかなければならないと、決意しました。亡き祖父と父が過ごした気仙沼を、息子の世代へつないでいく---。生きざまを背中で息子に教えられるように、今後の人生を歩んでいきたいです。私も父のように。」

引用は以上です。
筆者紹介を見ると、敦史さんは現在34歳。気仙沼高校から明治大学に進み、卒業後は(ディズニーホテルを展開している)現ミリアルリゾートホテルズに入社。2006年からHondaCars(ホンダカーズ)宮城北・気仙沼店に。現在は店長です。

私たちが小学校のころ、三日町にあった保規君の実家はホンダのバイクを扱っていました。たしか「OK商会」で、その後「オーケーホンダ」となった記憶があります。保規君も父親の跡を継いで、業容を拡大してきました。そして震災。半年前に店舗を新築したばかりといいます。父としてもつぎの発展のため、もうひとふんばりという気持ちだったのではないでしょうか。それだけに、無念だったろうなと。

しかし、〈私も父のように〉と結ぶ息子さんのこの文章を読めば、お父さんもきっと安心するだろうし、喜んでいるのではないでしょうか。保規君は立派な息子さんを持った。私はそう思いました。
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tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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