ポーランド懐古

週刊新潮11月29日号に気仙沼ゆかりの人の名があったので紹介します。
その記事は「藤原正彦の管見妄語(かんけんもうご)」の〈ポーランドの恩返し〉。冒頭見開き頁を使った人気連載です。藤原正彦さんは、数学者でエッセイスト。

ポーランド2
記事イメージ(一部)

記事では、ポーランド人が親日的であることの背景を紹介します。
明治25年、ベルリン駐在武官だった福島安正少佐は帰国に際し、馬にのりシベリアを1年4カ月もかけて横断したそうです。ドイツ国境を出て東へ進んだ彼は、ある寒村でみすぼらしい農夫に尋ねました。

「ここはどこですか」
「昔、ポーランドと呼ばれた所です」

1975年、長い歴史を誇ったポーランドは分割されて消滅し、ロシア、プロイセン、オーストリアの領土となったのです。農夫の悲しげな表情に祖国を失う悲哀を感じ涙した福島少佐は、帰国後の新聞インタビューでこのことを語りました。これは国民の感動をよび、それを〈落合直文が詩に書き〉、「波蘭(ポーランド)懐古」という歌にまでなったということです。

やっと出てきましたね「落合直文」。気仙沼市松崎片浜の煙雲館、鮎貝家に生まれた歌人、国文学者です。近代短歌と詩の革新運動の先駆者で、明治36年に亡くなっています。

私が驚いたのは、藤原正彦さんが〈読者の方々すでにご存じの〉といった調子で、特に説明することもなく〈落合直文が詩に書き〉と書いていたこと。
260万部を越えるベストセラー『国家の品格』の著者にとって、落合直文は説明の必要がない人なのだなあと思い、うれしくなったのです。

さて、ポーランドの話の続き。大正9年、日本はシベリアに残されたポーランド孤児765名の救出や孤児院の建設などを行ったそうです。そして阪神大震災のときには、その恩返しとして被災児数10名がポーランドに招かれました。そして藤原さんは、両親や兄弟を失った被災児のリュックに入っていた形見や遺品のことなど書いているのですが略します。

私はこの話を読みながら、このたびの大震災における台湾の人達の支援のことを思い出しました。忘れてはいけない記憶であると思います。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 気仙沼中学 落合直文 ポーランド懐古 波蘭懐古 藤原正彦

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/66~67歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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