3年8組孝允先生

前回の〈鹿折のヒマワリ〉の話の続きです。

鹿折中学31回生のアベさんから、私の気仙沼小学校3年8組担任であった小野寺孝允(こういん)先生の住所などを教えてもらいました。手紙を書こうと思ったのです。でもね、なかなか書けないんだ、これが。50年以上たっていますからね。

結局、電話をかけてみることにしました。21日の午後のことです。呼び出し音が長く続きます。不在かもしれないなと思いはじめた時、やっとつながりました。

〈50年前、3年8組で先生に教えていただいたオダです〉。アベさんが浦島小学校の同窓会で、私のことを話してくれていたからでしょう、すぐにわかってくれました。そしてまずは、鹿中31のブログの話や、私の気小卒業後の話などが続きました。

孝允先生は、気仙沼小学校のあと、松岩小、浦島小、小原木小に転任したといいます。〈浦島小学校もなくなるからねえ〉。浦島小は鹿折小に統合されます。生徒だけでなく、先生たちにとってもさびしいことなのでしょう。

当時の気小3年8組の級友である〈ちばき屋〉千葉憲二君や〈コヤマ〉小山隆市君らの近況や活躍についてもよくご存知でした。〈みんな頑張ってるね〉と。

3年8組
気小3年8組の男子。中央の坊主頭〈コヤマ〉の右が〈ちばき屋〉、左が私オダ。

そして、アベさんがブログのコメントで書いていたことを私にも話します。
〈当時はね、私も30歳ぐらいで若く、「子供はこうあらねばならぬ、こうあって欲しい」という思いが強かった。それで、みんなにそれを押しつけるようなことがあったのではないかと思っているんだよ〉

先生のその一種の〈反省の弁〉は、私にとっては意外なのです。私をはじめ多くの子が孝允先生を慕っていました。そして、私はつぎの思い出を話しました。

気小3年のときに、孝允先生が、日本と米国シアトルを結ぶ貨客船「氷川丸」を〈ひょうせんまる〉と紹介したのです。その誤りに気づいた私はクラスの友達を誘って職員室に行きました。〈先生、あれは「ひかわまる」ではないでしょうか〉。学校の先生の間違いを見つけて得意げな私たちに、先生は〈あ、そうなのか。よくわかったね。先生が間違っていたな〉とニコニコしています。拍子抜け。

この話を聞いた先生は、〈ははは、そんなこともあったかなあ〉といいます。たぶん50年前もそのように笑っていたのでしょう。

そんなこんな、いろんなことを話しましたが、81歳になるという孝允先生の明晰(めいせき)さには驚かされました。先生はいま、50年前と同じく気仙沼の金成沢(かんなりさわ)に住まわれています。住所でいうと気仙沼市渡戸(わたど)。そして米を育てているというのです。そろそろ稲刈りだとか。

ほかにも先生が使っていたカメラの話など、ここには紹介しきれません。孝允先生との15分間ほどの話。私にとって、半世紀前まで暦をめくりもどす、まさに〈還暦電話〉となりました。

2012年5月9日ブログ「昭和の子供 3」
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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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