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赤﨑勇教授の言葉

2月26日のブログ「名城大学の皆さん」で、同大学の学生による東日本大震災後の気仙沼、特に気仙沼大島での継続的な復興支援を紹介しました。

そのブログのなかで、2014年にノーベル物理学賞を受賞した名城大学の赤﨑勇教授のことにもふれたのですが、記事を書いているなかで初めて知ったことがありました。2015年3月、気仙沼市内の全小中学校31校に、赤﨑勇教授の色紙が贈られていたのです。

赤﨑さんは、1952年、京都大学理学部卒。名古屋大学教授などを経て1992年に名城大学理工学部教授に、そして2010年に同大学終身教授に就任。ノーベル賞受賞後の2015年には同大学特別栄誉教授にもなっています。

この色紙贈呈について、同大学サイトの2015年3月9日付けニュースで紹介されていました。画像を紹介するために記事のX投稿を以下に。


記事の主要部を引用します。

〈名城大学では2011年3月11日の東日本大震災以降、学生たちが気仙沼市大島で復興支援のボランティア活動を続けてきましたが、色紙は、大学側がノーベル物理学賞を受賞した赤﨑終身教授に執筆を依頼、赤﨑終身教授が快諾し、したためました。

贈呈式は31校(小学校18校、中学校13校)を代表して気仙沼小学校で行われました。山崎昭校長、6年生3クラスの代表児童に、大学から出向いた学務センターの青山和順課長が、色紙を贈呈することになった経緯を説明し、中根敏晴学長から気仙沼市の小中学生あてのメッセージを読み上げ、赤﨑終身教授直筆の色紙のコピーとスウェーデンでの授賞式に臨んだ赤崎終身教授の写真が入った額を贈りました。
(中略)
贈呈式は、名城大学卒業生で気仙沼市職員として復興業務の最前線で仕事をしている広瀬宜則さん(1981年理工学部土木工学科卒)が名城大学と気仙沼市教育委員会との仲介役を務め、実現しました。〉(引用は以上)

赤崎教授が記した言葉は「諦めなければ道は開ける」です。多くの研究者が断念した窒化ガリウム(GaN)の可能性を信じ、数多くの失敗を重ねながら高輝度の青色LED開発につなげた赤崎教授。そのリアルな心情であると同時に信条ともいえるでしょう。「我ひとり荒野を行く」という赤﨑教授の言葉も多くの記事で紹介されていました。

なお、紹介した名城大学の記事のなかに、名城大学出身の気仙沼市職員、広瀬宜則さんのお名前がありました。気高27回生で気仙沼小学校の卒業生とのことなので、たぶん気中25回生かと。名城大学と気仙沼市教育委員会との仲介など、ありがとうございました。

以上のようなことで気仙沼とのご縁があった赤﨑勇さんは、2021年4月1日に逝去されました。92歳でした。

赤﨑さん、気仙沼の小中学生に向けた言葉、ありがとうございました。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 赤﨑勇名城大学

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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