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「太田」地区の歴史

10月24日ブログ「太田再興をめざす」の続きです。「太田地区の再生に思うこと」と題する10月7日の三陸新報「論説」を、とても興味深く読みました。


論説

三陸新報10月7日記事の一部イメージ


本日はこの論説に記された「太田」地区の歴史についてです。

まずは冒頭の文章を引用します。

〈往時を知る人は「花街」と呼ぶ。飲食店の数は多い時で200軒にも及び、気仙沼湾奥に係留する漁船員の憩いの場となっていた。安全航海と大漁を見守る安波山の麓の太田(おおた)地区である。〉

気仙沼の太田地区は私が育った魚町と隣接していますからよく知っています。何人もの同級生の顔がうかびます。

昔は田んぼが広がっていたそうです。「安波山の豊かな水を恵みとする棚田が営みの場だった」と。そして、国鉄(現JR)大船渡線の敷設を機に宅地が進み、踏切から海岸方面の一帯は飲食店が立ち並ぶようになったと。田んぼが多かったので「太田」という地名になったという話を聞いたこともあります。

太田に大船渡線の線路が敷設されたのはいつだろう。Wikipediaにはつぎのように。

1932年(昭和7年)3月19日
気仙沼駅 - 上鹿折駅間 (7.5 km) を延伸開業。鹿折駅、上鹿折駅を新設。

1932年以降に宅地化が進んだということなのですね。飲食店が立ち並ぶようになった時期がいつ頃だったのかはわかりません。

◎東北一のダンスホール

踏切から鹿折(ししおり)地区に向かう三坂(さんさか)の頂(いただき)には、東北一とうたわれたダンスホールがあったそうです。「花街」に箔をつけたとも。このダンスホールの名を知りたいですね。いつ頃なのだろうか。

「ダンスホールからは、トンネルから出てくる白煙の列車が見えた。ある銀行のテレビCMに採用されたこともある」というのですが、これはダンスホールとは関係なく、付近にあったトンネルからの列車映像ということでしょうか。

◎保健所や交番

小高い場所にあった保健所での〈その筋の〉検査日には、〈「花街」で働く女性の長蛇の列ができたと〉いいます。かなり踏み込んだ記述です。

そして「昭和40年代後半、華やかなキャバレーに押されるように、小さな飲食店は淘汰され、空き家や空き店舗が目立つようになった」。

これはわかるなあ。なんか、派手なサインの「ミニキャバレー」的な店が増えてきて、同窓会だったかなにかの3次会でいった記憶があります。

「花街」の入り口から、100m入った左手の道路沿いに交番があったといいます。そういえばあったような気がする。ただし、「13人の署員が交代で勤務に就くほど、エネルギーに溢れていた」というような大きな交番だったかどうか。

◎「気仙沼市史」での記述

たしか気仙沼市史で、太田地区に関する記述があったなと思い調べてみました。『気仙沼市史』第4巻 近代・現代編のつぎの記述が見つかりましたので引用します。


昭和32年(1957年)4月
売春防止法公布。太田花街の灯が消えることとなる。昭和6年秋に丙種料理店、7年10月、特殊飲食店として認可されたが戦後ふえ、サンマ・ラッシュに湧いた24−5年頃には20軒ほどとなり、全盛期には300余の女性が従事する歓楽街となった。(引用は以上)

わずかな文章量ですが、貴重な情報であると思います。

気になったことがあります。「丙種料理店」とありますが、「乙種料理店」のことであるように思います。甲乙丙丁(こうおつへいてい)の乙。甲種料理店はいわゆる料亭とのことです。また、昭和32年4月に売春防止法公布としていますが、これは施行です。公布は前年の昭和31年(1956年)5月。

◎気仙沼文化史年表の記述

荒木英夫さんの「気仙沼文化史年表」にはつぎの記述がありました。

昭和32年4月1日「売春防止法施行 太田花街の灯消える」

たぶん市史の記述を典拠としているでしょう。公布ではなく正しく施行としています。なお、荒木英夫さんは太田在住ですから、この地域の歴史にも相当詳しいはずです。

◎大杉神社、金比羅神社、夢幻洞なども

論説の後半には、安波山中腹の大杉神社や太田地区にあった酒造工場の話も。酒造工場は角星さんの工場ですね。旧白山小学校の元校舎に移転しました。

また、金比羅神社境内の句碑や、気仙沼図書館の館長をつとめた菅野青顔さんの自宅の話なども。青顔さんは自宅を「夢幻洞」(むげんどう)と称していましたが、論説では「夢幻堂」となっていました。誤記でしょう。

◎論説の筆者は

この10月7日の「論説」筆者はどなたなのでしょう。三陸新報社の現役記者や幹部の方か。太田地区の歴史に詳しいことからみて年配の方と思うのですが。

私が三陸新報で太田に詳しい方として連想するのは、同社で編集局長もつとめた三浦博光さんです。三浦さんは太田在住のはず。ただし、すでに同社を退職しています。

三浦さんが以前に三陸新報で連載した「野球交友録」は、とても面白く読ませてもらいました。この連載は同社から「余談あり…スポーツ記者の野球交友録」として発刊されました。


長くなりました。話を戻して、三陸新報「論説」の結びを引用します。

「まちなかエリア」のにぎわいを取り戻す。その周辺部への着想と実行力が頼もしい。若い視点はさらに新しい魅力を発見していくことだろう。(引用は以上)

三陸新報さんでの、さらなる太田地区歴史話を期待しております。どうぞよろしく。


10月24日ブログ「太田再興をめざす」

 
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ジャンル : 地域情報

tag : 太田

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Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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