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「岩井崎」地名由来

4月26日の三陸新報に、岩井崎の「畳岩」にクロマツを植樹したという記事が掲載されていました。同日、ツイッターで @kaku_q さんが三陸新報オンラインのこの記事を紹介していました。@kaku_q さんとは、東京での川島秀一さんを囲む会でご一緒したことがあります。定年退職した昨年、唐桑・鮪立に帰郷されました。


気仙沼の岩井崎にある「畳岩」に1本のクロマツを植樹したという話。東日本大震災前は岩の上にクロマツがあったそうなのですが、津波で枯れてしまったとのこと。畳岩は「たたみいわ」と読むのでしょうね。

オンラインの見出しは、〈岩井崎「畳岩」にクロマツ植樹〉ですが、本紙/紙版では〈あの景観をもう一度〉を主見出しにして、脇に〈岩井崎「畳岩」に〜〉としています。

記事によれば、〈畳岩は岩井崎園地の入口近くにあり、小高い離れ島のように見える〉そうです。岩井崎の入口、潮吹き岩方向にに向かって右側ということですかね。知りませんでした。

記事には、「岩井崎」の名称由来が紹介されています。

〈1723(享保8)年、仙台藩5代藩主伊達吉村公が領内巡視で立ち寄り、畳岩に上って釣りを楽しんだ際、周辺の景色、今も有名な潮吹きとともに見えた虹に感激。難破船が多く「地獄崎」と呼ばれていた同地を「祝崎」と呼ばせたとされている。〉(引用は以上)

難破船が多く「地獄崎」と呼ばれていたという話もすごいですね。

この地名由来は、気仙沼観光協会階上支部サイトの「階上について」にも記されています。同サイトには、「階上(はしかみ)の歴史」では、その「階上」名称の由来も記されていました。


◎階上の歴史

1875年(明治8年)10月7日
内務省通達により、波路上村・長磯村・最知村・岩月村が合併し階上村が成立。合併当時の戸数は396戸。人口は2393人だった。村名の由来は、仙台藩の学者・佐久間洞巌の「波止上の村名、昔はこの地を階上郡と称した」という説に依るとされている。

1955年(昭和30年)4月1日
大島村・新月村と共に気仙沼市に編入される。
(引用は以上)

なお、ネットで調べてみると、この佐久間洞巌の説には疑問ありとの話もあります。諸説ありということかもしれません。念のため。

以上、「畳岩」のクロマツ話から、岩井崎と階上の地名由来を知ることができました。

岩井崎は、難破船が多いために「地獄崎」と呼ばれていたといいます。その話を聞くと、座礁した漁船の乗員を救助しようとして亡くなった気仙沼水産高校(現気仙沼向洋高校)生徒、小野寺清雄さんを思い出す人も多いことでしょう。詳しくはつぎのブログにて。

2020年12月3日ブログ「悼 小野寺清雄さん」
2020年12月4日ブログ「君をたたえる碑文」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 階上岩井崎小野寺清雄

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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