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明治初期の小学校

3月24日のブログ「粧坂小学校の歴史」で、明治6年の気仙沼村域における鼎浦小学校と粧坂小学校の開校を紹介しました。その中で、気仙沼市史の画像を掲載したのですが、本日はその市史内容をもう少し詳しく紹介します。

市史によれば、宮城県の小学校の創立を記した記録としては「官下小学校開業調」というものがあるそうです。しかし、気仙沼地域の小学校については、当時のこの地域は水沢県に所属していたために開業調での記述はありません。

本吉郡の小学校については、明治9年刊行の『文部省第四年報』に記述があり、その内容が表として紹介されていました。枠線は当方が追加。


表
『気仙沼市史』第6巻 教育・文化編(p34より)


気仙沼村としては鼎浦小学校と粧坂小学校の2校が記されています。唐桑については、紫微浦・中井・諏訪の3校です。この「紫微浦」については、気仙沼市教育委員会の学校沿革史では「紫微」としています。現在の鮪立(しびたち)の「しび」でしょう。「松巌」は現在の松岩ですね。

新月村の3校をのぞいてはみな明治6年の創立です。ここに津谷小学校の前身「舘岡小学校」が含まれていないのは、この気仙沼市市史第6巻が刊行されたのは、平成4年2月で、津谷地区がある本吉町はまだ気仙沼市ではなかったからです。合併したのは2009年/平成21年9月1日。

◎気仙沼文化史年表の記述

『気仙沼文化史年表』(荒木英夫著)での関係記述を以下に。はじめの2項目は前回の紹介と同じです。

明治6年1月26日
気仙沼小学校の前身鼎ケ浦小学校八日町御代官屋敷に開校《気仙沼小要覧》
明治6年1月
観音寺に化粧坂小学校開校 本町・内ノ脇・九条の学童を通学させる
明治6年8月5日
波路上・長磯・最知・岩月の4小学校開校《階上小百年》
明治6年
松崎村松岩寺に松崎小学校 赤岩村並木に老松小学校開校、二本松・水梨子に支所をおく 《水梨小要覧》

明治7年3月15日
新城村宝鏡寺に新城月立小学校開校 上八瀬・下八瀬・落合に出張場を置き鍋島一郎が教師(校長)となる《新城小百年》
明治7年10月
新城月立小学校が河原崎小学校、落合・下八瀬小学校が独立[新月村誌]


明治6年は1873年。津谷小学校だけでなく前身の小学校創立から数えると多くの小学校が120周年を迎えました。そういう意味では気仙沼(だけではないけれど)「小学校120周年」ということかもしれません。

◎現在の児童数は明治初期と同様

おどろいたことがあります。令和5年度/2023年度の気仙沼小学校児童数の見込みは、3月23日ブログ「児童生徒数見込み」で紹介したように227名です。そして、明治6年/1873年の気仙沼小学校の前身である鼎浦小学校の男生徒177名、女生徒42名で計219名となっています。ほぼ同じになっていたのです。

鼎浦小学校の生徒数に粧坂小学校の分を加えて比較してみれば、明治初期よりも現在のほうが少なくなっているでしょう。120年を経過してのこの現状にとてもおどろきました。長くなってしまいましたが、本日はそのおどろきを皆さんにお伝えしたく。

◎参考資料:市史の該当頁画像

紹介した市史の該当頁画像を下記に。『気仙沼市史』第6巻 教育・文化編から教育編第2章「明治時代の教育」第2節「小学校の創立」中の第1項「小学校の開校」です。



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3月24日ブログ「粧坂小学校の歴史」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 鼎浦小学校粧坂小学校

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

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