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徳仙丈山の野焼き

3月15日の三陸新報「論説」に徳仙丈山のツツジのことが書かれていました。見出しは「徳仙丈山ツツジ群 官民一体で知名度向上」。


3:15論説

三陸新報3月15日記事の一部イメージ


私の目を引いたのは、論説記事の冒頭です。引用します。

〈気仙沼市と旧本吉町の境にそびえる徳仙丈山(標高711m)には、大正初期から昭和25(1950)年まで銅を採掘した「徳仙鉱山」があった。

鉱山での火入れや山火事などで燃えた跡は屋根ふきの材料である萱(かや)の刈り場や牧草地として利用された。登山道の一部の「火防線」は明治時代に造成されたという。〉(引用は以上)

この内容は、公式観光情報サイト「気仙沼さ来てけらいん」の「ツツジの徳仙丈山〜人ものがたり」でも紹介されています。なにか案内掲示板かなにかに紹介されている内容なのでしょうか。


◎徳仙鉱山とは

銅を産出したという「徳仙鉱山」とはどんな鉱山だったのだろう。そう思って「気仙沼市史」第5巻産業編(上)第5章「鉱業」を調べてみたのですが、「徳仙鉱山」の名は見当たりません。近くには「羽田鉱山」があるのですが。

ただ、新月鉱山に関する記述のなかに「徳仙丈」の名がありました。新月鉱山は、明治年間から金・銀・銅などの金属鉱石とともに亜砒酸の原料として硫砒鉄鉱の採取がおこなわれていました。そして昭和8年には、日本砒素鉱業株式会社が上鹿折官代沢に精錬所をつくります。

そして戦後の昭和22年には東北農業化学株式会社の経営となり(その後、東北砒素鉱業株式会社と改称)、松岩・徳仙丈(本吉町)・大鷲(岩手県住田町大股)の3鉱山からの鉱石を原料として亜砒酸を製造したとのこと。

徳仙鉱山では銅のほかに、亜砒酸(あひさん)の原料となる硫砒鉄鉱も産出したのでしょうか。

◎鉱山での火入れ

私が論説記事の「鉱山での火入れ」という言葉を読んだときに連想したのは、鉱石を採取して精錬するときの熱源として徳仙丈の樹木を利用したとか、精錬に用いる炭の原料としての樹木利用でした。

しかし、どうも違うようですね。ここでの「火入れ」は「野焼き」ではないかと。そうだとすれば、「鉱山での火入れ」の「鉱山」は不要かも。徳仙丈山の火入れということですから。つまり、火入れ(野焼き)や山火事で燃えた跡は牧草地として利用されたということではないでしょうか。

細かなことはここまでにしておきますが、徳仙丈のツツジの素晴らしさをさらに多くの人に知っていただくためにも、この山の歴史に関しての基本的な情報を整備しておきたいところです。

「徳仙鉱山」そして「徳仙鉱山の野焼き」については、詳しいことを知っている方がいらっしゃると思います。是非お教えいただければと。

季節の話題としてだけでなく、地元紙でのこうした取り上げもいいですね。三陸新報さん、ありがとうございました。

2022年5月16日ブログ 徳仙丈山の「物語」
 
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 徳仙丈徳仙鉱山

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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