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昭和の三陸大津波

昭和8年/1933年の「昭和三陸津波」から3月3日で90年経ちました。同日の三陸新報は「論説」でつぎのように伝えていました。


3:3

三陸新報3月3日掲載記事の一部イメージ


昭和三陸津波は、昭和8年/1933年3月3日の午前2時31分過ぎの強震後30分前後して三陸沿岸に到達したそうです。

記事の冒頭は、気仙沼市史からの引用になっています。これを機会に、『気仙沼市史』の「昭和三陸津波」記述を読んでみましょう。市史の第4巻 近代・現代編のp414から6頁にわたって記載がありました。





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各画像とも『気仙沼市史』第4巻 近代・現代編(平成5年3月発行)より


被害について市史は、宮城県発行『宮城県震嘯誌』と、東京大学出版会『資料・日本被害地震総覧』の記載内容を紹介しています。死者数などの被害について、2資料の数字には違いもあるのですが、市史の記載を引用しておきます。

『資料・日本被害地震総覧』による県別死者数は、宮城県307名、岩手県2658名、青森県30名です。

『宮城県震嘯誌』での死者数は、宮城県内315名でそのうち本吉郡182名。本吉郡町村別の溺死者は歌津84名、唐桑58名、小泉15名、十三浜12名、鹿折4名、大島2名、戸倉・大谷各1名(志津川、大谷、松岩なし)となっています。この括弧内の記述では大谷はなしとされていますが、戸倉・大谷各1名という記述と矛盾しますので誤記でしょう。気仙沼町については高潮程度で死者はなかったようです。

なお、『宮城県震嘯誌』の「震嘯」は「しんしょう」と読みます。地震による津波のことでしょう。「海嘯」(かいしょう)は津波や海鳴りのこと。

あらためて驚かされるのは、この「昭和三陸津波」が、明治29年/1896年6月15日の「明治三陸津波」から37年後であることです。この2つの大津波を経験した人もいたのではないかと。

そして昭和三陸津波から78年後の2011年3月11日、大津波が三陸沿岸をおそいます。

東日本大震災からもうすぐ12年。津波の経験や教訓について、世代を越えて伝えていくことはとても大事なことですが、決してたやすいことではありません。その意味からも3月3日が「昭和三陸津波」の日であることを伝える三陸新報論説は、意義のあることと感じました。

注:
昭和三陸津波については、昭和三陸大津波、昭和三陸地震津波など他の呼称もあります。同じく明治三陸津波も、明治三陸大津波、明治三陸地震津波など。本稿では、とりあえず「昭和三陸津波」「明治三陸津波」といたしました。
 
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tag : 昭和三陸津波明治三陸津波

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

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