fc2ブログ

葛原冷蔵 市史記述

きのう11月7日のブログでは、気仙沼市南町の柏崎下にあった「冷蔵庫創業の地」記念碑の脇に観光案内解説板が設置されたことを紹介しました。

またその「冷蔵庫創業の地」記念碑の再設置については、10月21日のブログで紹介しております。

10月21日ブログ「冷蔵庫創業の地」

本日は、その10月21日ブログ記事で引用した「気仙沼市史」第4巻 近代・現代編での葛原冷蔵に関する記述を紹介します。資料としてご覧いただければと。


葛原冷蔵

市史p327掲載写真「葛原冷蔵(大正9年)」


以下、「気仙沼市史」第4巻 近代・現代編p327・328よりの引用です。
漢数字の洋数字への変換や改行後1行あけは当方による修正です。



葛原冷蔵の出現

日本で初の本格的な凍結設備を持つ冷凍工場が建設されたのは気仙沼と北海道の噴火湾に臨む森町で、大正9年のことである。気仙沼で南町柏崎下に建設された葛原冷蔵気仙沼工場で、森町も葛原猪平の創設である。

冷蔵庫は米フリック社製の冷却機で日産10トン、冷蔵能力500トンあった。冷却方法はアンモニア気化作用を利用し、塩化カルシウム溶液をクーラー内で冷やし、それを室内に循環するものであった。断熱材はレンガ状の軽石で、大型貨物船が入港してその石材を海中に次々と投下した。海上に浮かんでいるのを見ていた郡立水産学校西条盛(鹿折・西中才)は翌年この工場に入社したという。製氷の歴史は明治14年、函館から天然氷を運んでいた渡島舎代表畠山政七らがストン・ブリッキと共同で製氷事業を起こしたのが初めという。これは氷水用が主で36年、横浜に個人で畠山製氷会社を起こすなど生涯製氷事業で活躍した。

葛原は明治22年、東京高等商業学校在学中に農商務省の海外練習生として渡米、ペンシルバニア大学、ウイスコンシン大学に学び、シカゴ、ニューヨーク貿易会社に勤め41年に帰国して貿易事業の葛原商会を設立。大正3年に出身地の山口県に山口電灯会社を設立した。その後同6年、欧州大戦下に渡米。波止場で固結した冷凍類を見て、同7年冷凍技術者2名を雇い入れて帰国したという。三崎で米国式冷凍設備を設けて試験研究して9年に成功。同年、気仙沼と北海道森町に産地冷蔵庫を建設した。

葛原は続いて台湾・朝鮮・ソ連沿海州などに産地冷蔵庫、東京・青森・大阪に市場冷蔵庫を造り、大正11年に655トンの冷蔵船江の浦丸も所有した。日本の冷蔵界をリードした人物であった。葛原は昭和3年衆議院議員となったが同17年に死去した。

葛原冷蔵気仙沼工場は12年に増築したが、鮮魚が豊富なことと凍魚の利用が始まったばかりで需要が少なかった。気仙沼でも社債を募るなど資金づくりまでした。同14年解散整理に入り、重役の木下が継いで木下冷蔵庫となった。

昭和4年(1929)、北海道森町では日本冷凍事業発祥地の記念碑を建立した。(引用は以上)


引用は以上です。上記市史該当頁2見開き画像も示しておきます。

1_20221025152348169.jpg
「気仙沼市史」第4巻 近代・現代編p326・327


「気仙沼市史」第4巻 近代・現代編p328・329

以上、10月21日ブログの参考資料として紹介しました。
 
スポンサーサイト



テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 葛原冷蔵葛原猪平

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
03 | 2024/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示