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港町ブルースの碑

8月6日、東日本大震災で被災した「港町ブルース」の歌碑が港町岸壁の遊歩道の一角に復活しました。8月9日の三陸新報はつぎのように伝えています。


歌碑復活
三陸新報8月9日記事の一部イメージ


この歌碑の再設置は、本年1月21日の三陸新報では年度内にとされていました。つまり本年3月末までにはと。4カ月ほど遅くなりましたが、これも新型コロナ対応のためでしょうね。

三陸新報の記事にもあるように、復活歌碑には以前の歌碑の碑面や漁船のプロペラスクリュー、ウミネコをモチーフとしたモニュメントなどが再利用されています。シンボリックな表現をうまく残してくれてうれしい。元の歌碑の作者は美術家でもある弁天町〈ヤマヨ常山商店〉の常山俊明さんです。

以前の歌碑を忘れた方のために、以前のブログでも紹介した2016年3月19日の三陸新報シリーズ記事「あの日のまま」の写真を。


ブルース

三陸新報2016年3月19日記事「あの日のまま」より


歌碑の碑板を囲むステンレス製のフレームが大きく湾曲するなどしていますね。その復活は無理だったのでしょう。

再建費用には、森さんが震災直後の2011年10月に市に寄付した100万円などが充てられたとありました。河北新報の8月7日配信記事によれば、この歌碑の再建費用は森さんからの寄付を含めて約480万円です。

2011年10月というのは10月22日のこと。東京や関西などのファンとの東北ツアーのなかで、東日本大震災の被災者らを励まそうと気仙沼を訪れてくださったのです。同年同日の朝日新聞配信記事によれば、150人ほどのファンに地元の約100人も加わり、津波で大きく傾いたままの歌碑を囲んで合唱したとのこと。

当初、除幕式には森さんの出席も検討されていたそうですが、新型コロナの感染急拡大で見送られたとも。

記事の末尾には森さんから寄せられたメッセージが紹介されていました。「気仙沼の歌碑は、私の歌手人生にとっても大きな記念碑であり、再建は本当にうれしい。これからも皆さまの思いを胸に、心を込めて歌っていきます」と。

「港町ブルース」歌碑については、このブログでも何度も紹介してきました。再設置については、つぎのブログに過去記事も含めてまとめました。

2月4日ブログ「ブルース碑 再設置」

このほか、森進一さんのこの曲に関するエピーソードなどはつぎのブログにまとめております。

2月7日ブログ「港町ブルース物語」

この2/7ブログでは、1975年3月のNHK放送開始50周年記念式典で、森さんが昭和天皇・皇后両陛下を前に「港町ブルース」の〈宮古 釜石 気仙沼〉部分を2回繰り返して歌ってしまったことなども紹介しました。また、この曲の歌詞に〈気仙沼〉が入ったのは、気仙沼出身で渡辺プロダクション幹部だった境和夫さんのおかげという〈伝説〉なども。

それでは最後に、お聞きいただきましょう。森進一さんで「港町ブルース」の2番。8月6日菅原市長のツイート投稿です。



市長ツイートにもありましたが、この歌碑復活にあたっては、森進一さんはもちろんのこと、多くの関係者のご努力、ご協力があったことと思います。12年ぶりの歌碑復活を喜ぶとともに、皆さまに御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 港町ブルース森進一

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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