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気仙沼高校の化石

三陸新報に「気仙沼・南三陸 化石ずかん」というシリーズ記事があります。当地方で採集された化石の紹介などが主な内容となっています。

しかし、7月27日掲載の52回目記事はちょっと趣のことなる内容でした。見出しは「気仙沼高校化石コレクション」です。


化石

三陸新報7月27日記事の一部イメージ


記事によれば、気仙沼高校には1945(昭和20)年頃から採集された化石の展示コーナがあるそうです。写真には「気仙沼高校化石コレクション」と掲示されている展示の様子がうつっています。

でもなあ、私の気高在校時の記憶を検索してみたのですが、該当する項目がないとの結果。とはいえ私の記憶はあてになりません。どこかにあったのでしょう。

記事には、気仙沼高校の教諭、秋山暉行さんのお名前がありました。暉行は〈てるゆき〉さんでしょうか。その秋山先生が1949(昭和24)年に気高に着任し、生物部の顧問もつとめたそうです。そして部員を連れて、八瀬(やっせ)、鹿折(ししおり)、唐桑、大島、志津川などで化石採集をおこないました。そのときの採集化石が、「気仙沼高校化石コレクション」となっているのです。

コレクションの半分が古生代ペルム紀のもので、時代を代表するレプトダス、ウミユリ、フズリナ(松葉石)などや、中生代三畳紀のモノティス、ジュラ紀のソニニア、白亜紀の三角貝などがそろっているとのこと。

秋山暉行先生のお名前ははじめて知りました。1949年の着任ということですから当然ですよね。

念のために気仙沼高校の「平成16年度版同窓会名簿」に収録されている旧職員名簿を調べてみたのですが、どうも三陸新報の記事に記されている着任時期が違っているようです。1949(昭和24)年ではなく1940(昭和15)年かと。

同窓会名簿による秋山先生の在職期間はつぎのとおりです。

秋山暉行(理科) 昭和15(1940)年3月31日〜昭和34(1959)年2月27日

昭和15(1940)年3月着任ということは旧制気仙沼中学時代ですね。参考までに記しておくと、旧制気仙沼中学校は昭和2年4月開校、昭和23年4月に気仙沼高等学校と改称し開校という流れです。

秋山先生は旧制気仙沼中学から新制気仙沼高校の時代まで19年間も在職されていたのですね。結構ながい。気仙沼をはじめ三陸地方の豊富な化石のもつ魅力というか引力があったのではないかと。

ネットで調べると、秋山先生が発表した論文があることがわかりました。「二畳系叶倉統の頭足類の化石について」。

二畳(にじょう)は二畳紀のことで時代、叶倉(かのくら)は気仙郡住田町叶倉沢に由来する地層のことのようです。この論文は日本地学研究会「地学研究」誌10号に掲載されています。1958年の論文掲載ですから、秋山先生が気仙沼高校の教壇を去る1年前のことになります。

話を戻します。三陸新報の記事には、「化石には整理番号が付けられ、種類、和名、学名、産地、時代、地層名を書いた説明資料も備えられている」とありました。秋山先生のご指導によって学術的な要件を備えたコレクションになっているのでしょう。

記事の末尾には、「気仙沼でまとまった化石が展示されているのは、今のところ同校だけだ」と。そのコレクションのなかに、〈二畳系叶倉統の頭足類の化石〉もあるはずです。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 秋山暉行化石

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

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