88歳の別れ

仙台の兄のところに身を寄せている母が昨日18日、義姉さんの車で気仙沼へ。世話になった知人・友人にきちんと話しもせず仙台に移ったことが気になっていたらしく、日帰りでの挨拶回りです。

避難所や気仙沼中学校校庭に建てられた仮説住宅をはじめ11カ所を車で巡ってきたそうです。そのなかに太田の吉野さんの名もありました。マギー審司さんのお祖母さんで、今回の地震で亡くなりました。
吉野さんについては今でも鮮やかに思い出すことができる印象的なひとこまがあります。

3年前の6月、亡くなった私の父の火葬の式のなか、鈴の音とともに御詠歌が聞こえてきました。吉野さんの詠唱に母が声を重ねていきます。南町の青龍寺で一緒に御詠歌を習っていたのです。外からの小鳥のさえずりがさらに重なり、しみじみとした時が流れます。こうして父を送ることができて本当によかったと感じました。
魚町の仏壇脇にはいまも吉野さんの般若心経の写経が置いてあります。歌も書も何でもよくできる方だったそうです。
そんな信心深い吉野さんの命さえ、こんどの震災が突然うばっていったのです。

さて、母がたずねた避難所のひとつ紫会館では、モンゴルの馬頭琴の演奏会があったそうです。2本の弦が奏でる音楽はすばらしく、アンコールで演奏された「故郷」には思わず涙したとのこと。わすれがたきふるさと。

私の還暦祝い会のときに実家がないとさびしいだろうからと、なんとか一人暮らしを続けていた母でしたが、こんなことがきっかけで気仙沼を離れることになろうとは考えてもみませんでした。
3月までは、ときどきかける電話で「変わりない?」と母に聞くと、いつも「変わりない」と。こだまでしょうか(笑)。

今年88歳になった母のそんな平凡な日常が、いまや夢のようです。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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