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気仙沼の「臨港線」

今週もなんかあっという間に金曜日ですね。ウクライナをめぐる緊迫した状況を知るたびに、心おだやかにはいられない日が続いています。

本日はちょっと気持ちがやすまるなつかしい写真を紹介しましょう。気仙沼もなにかとお世話になっている東京海洋大学の勝川俊雄先生が3月15日に2枚の写真をツイッターに投稿してくださいました。


気仙沼魚市場の臨港線です。私たちの世代であれば、みんな懐かしく思うでしょう。そして、あれはいつまであったのだろうという疑問が頭に浮かんでくるはず。私が高校生だったときにはまだあったことは覚えているのです。というのも、気仙沼高校3年のときに50号の油絵で臨港線に停車している冷蔵貨車を描いたことがありました。

毎年1月か2月に仙台で開催されていた(宮城)県下高校美術展に出品するためのもの。私は気仙沼高校で美術部に所属していたのです。工学部をめざしての受験勉強もしなければいけない時期だったのですが、なんというか簡単にいえば〈逃げている〉笑。

そのときの私の描画のアイデアは、冷蔵貨車2両の間から魚市場とその先の海と山が見えるイメージを冷蔵車の白い側面をうまく活かして描けないかというもの。結構大きな面を白く塗って、乾いたあとに、さらさらのオイルで溶いたちょっと汚れた感じの色を上から流したりしたことを覚えています。

おっといけない、余計な話が長くなってしまった。

臨港線はいつできていつまであったのだろう。例によって、「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)を調べてみました。ありました。つぎのとおりです。

昭和31(1956)年3月1日 新魚市場開業する
昭和31(1956)年4月10日 魚市場〜南気仙沼駅の臨港線開通式
昭和54(1979)年11月1日 魚市場から気仙沼線に接続していた臨港線撤去

私が4歳のときに魚市場開業そして臨港線開通、27歳のときに撤去ということになります。23年と半年か。鉄道輸送からトラックなどの自動車輸送に転換されていったのでしょう。

◎DE10型ディーゼル機関車

写真にうつっている機関車は、国鉄DE10型ディーゼル機関車です。WikipediaによるとDE10型は1966年からの製造とありました。それ以前の臨港線で使っていた機関車はなにか。私はDD13型と推測しておりますが、これは1958年からの製造。そうなると、その前の1956年開通当時の機関車は蒸気機関車だった可能性もあるのでしょうか。このあたりは気仙沼の鉄道の歴史に詳しい専門家(鉄オタともいう)のご教示を得たいところです。

もうひとつの疑問は、あの鉄道敷設用地は臨港線撤去後にどうなったのか。魚市場前は道路になったことはわかるのですが、その先の気仙沼線南気仙沼駅に接続されるまでがどのようになったのかのイメージがわかない。魚市場近辺、内ノ脇方面の同級生にきかなければいけませんね。震災後についてはまた別の話ということになりますが。

以上、なつかしの気仙沼魚市場臨港線。私からの報告は以上です。勝川先生、ありがとうございました。

なお、以前にも勝川先生のツイートに触発されて書いたブログがあります。

2017年6月20日ブログ「気仙沼町民献納機」

結局は戦争関連の話になってしまいました。ご容赦いただければと。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 勝川俊雄臨港線

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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