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防潮堤をどう思う

3月11日から2週間近くが経ちました。本日紹介するのは三陸新報3月12日と13日の記事です。まずは12日の第1面紙面から。


上

三陸新報3月12日記事の一部イメージ


トップは、3月11日に気仙沼中央公民館で開催された気仙沼市「追悼と防災のつどい」について。これは順当な扱いでしょう。私が注目したのはその左、準トップ記事が「ニュースを追って」だったこと。「今、防潮堤をどう思う」の㊤です。筆者は大石茜さん。

市主催の催しの目的が〈追悼〉から〈追悼と防災〉に移行したことに呼応するかのような紙面です。それも、防潮堤をテーマとして。私はなかなかに意欲的な紙面づくりと感じました。翌日3月23日の三陸新報を見てその印象がさらに。トップ記事になっていました。


下

三陸新報3月13日の一部イメージ


23日記事のリード文を引用します。

〈東日本大震災から11年が過ぎた今でも続く、防潮堤建設。海と陸を隔てるように建てられた防潮堤は、海を目の前に暮らしてきた気仙沼市民の生活に、少なからずの影響を与えている。無堤化を実現した唐桑町舞根(もうね)、砂浜を守った本吉町大谷、県内最大の高さになった小泉の3地区の異なる事例を取り上げながら、防潮堤に対する住民の胸中を探った。〉(引用は以上)

詳しい内容は省略しますが、3地区の住民プロフィールを紹介しておきます。

◎唐桑町
舞根(もうね)畠山信さん
舘(たて)70代女性
明戸(あけど)」80代男性
鮪立(しびたち)40代男性
◎本吉町 大谷海岸
三浦友幸さん
◎本吉町 小泉海岸
50代男性
サーファーの50代女性

上下2回の記事で、7名の〈胸中〉が紹介されるわけですが、単純な賛成/反対という意見ではありません。全体としては複雑な気持ちの表明という感じではないかと。

私はそれを好ましく思ったのです。そりゃあ、いろいろな思いがありますよ、たぶん、みんな。震災から11年経っても、まだすっきりしない気持ちが残っている。三陸新報さんは、それを3月12日13日の1面で伝えてくれと感じました。

23日記事の結びを引用します。

〈行政が示した「防潮堤」という選択肢は、住民感情を複雑化し、まちを混乱させた。「海が好き」「でもまた津波が来たら…」。海への親しみや不安が入り交じった感情は、11年がたった今でも続き、何が正しかったのか、答えは見い出せないでいる。

それでもよりよいまちを目指した過程は、これからのまちづくりの大きな力になるはずだ。〉

末尾の文章に同感そして共感。よりよいまちを目指す過程こそが大きな力になるはず。大きな力になって欲しいと私も。三陸新報の大石茜さん、ありがとうございました。

3月24日ブログ「防潮堤から考える」

 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 防潮堤

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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