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石原知事と気仙沼

気仙沼市が毎月発行して市民に配布している「広報けせんぬま」は、ネット上でも見ることができます。市のLINEでも案内されるので、私も目を通しています。

記事のなかで私が楽しみにしているのは菅原市長の連載コラムです。タイトルは「ゴーヘイ!気仙沼」。ゴーヘイは、英語のGo Ahead。意味としては前進とか進め!といったようなことかと。船舶・航海用語のひとつです。

本日紹介するのは、3月号(3月1日発行)掲載の「ゴーヘイ!気仙沼」です。


市長コラム

「広報けせんぬま」2022年3月号掲載記事の一部イメージ

「広報けせんぬま」2022年3月号(全頁pdf)

第119回目のタイトルは「復興支援に熱心だった石原慎太郎氏」です。菅原市長は、2月1日にお亡くなりになった石原慎太郎さんに3度おめにかかったことがあるとのこと。

1度目は、平成5年の選挙時。当時衆議院議員だった石原氏が選挙応援で気仙沼を訪れたとき。〈会場の2階が落ちるのではないかと心配した〉そうですから市民会館でしょうかね。その後、ヨットマンでもあった石原さんをマグロ船見学に案内し、船橋にて航海計器のことなどの話を聞いたそうです。

この選挙は、宮澤喜一内閣時代の1993年7月18日投票の衆議院選挙でしょう。選挙後、日本新党代表の細川護煕さんを首班とする細川内閣が誕生しました。当時、菅原市長は政治に関わっていません。トーメン(現豊田通商)の商社マンとしてオランダ/ロッテルダム駐在後に退社、1992年に気仙沼に戻って「カクダイ」菅長水産に勤務していました。「菅長」の名は、市長の祖父である菅原長之助さんのお名前からだと思います。

そんなことを考えると、石原さんを案内したのは、カクダイさんの漁船「長功丸」だったかもしれませんね。勝手な想像です。

なお、この衆議院選挙では、私たちの世代には懐かしい菊池福治郎さんが返り咲き当選を果たしました。その福治郎さんは2004年に78歳でお亡くなりになっています。

2度目は平成23年4月5日、ご自身の選挙期間中にもかかわらず東日本大震災の被災地をヘリコプターで歴訪したときのこと。気仙沼市には五右衛門ヶ原に防災服姿で降り立ったそうです。

このときの選挙は都知事選挙です。投票日は4月10日で石原さんが当選。次点は東国原英夫さんでした。

気仙沼を訪れたときの石原都知事の写真を朝日新聞が伝えています。知事の背後には鹿折地区に打ち上げられた第18共徳丸がうつっています。

朝日新聞2月2日配信記事写真

3度目は、平成24年2月14日。菅原市長は、気仙沼に対するご支援への御礼に石原知事を訪ねました。同行したのは当時、市議会議長だった臼井真人君(3年2組)です。この訪問時には、市長から職員派遣のお願いなどもしたようです。これに対して石原知事は前向きに対応してくれました。その後に市と都で協議し、気仙沼派遣の任期付き職員を新たに採用するという方法で長期にわたり大勢の派遣を実行してくださったのです。

◎気仙沼中央公民館からの救出

このブログでは、震災時に東京都副知事だった猪瀬直樹さんの英断によって、気仙沼中央公民館に避難していた446人が無事に救出されたことを紹介してきました。猪瀬さん、そして東京消防庁の皆さんの判断や行動は、石原知事の都政であったればこそ。そうしたことを踏まえての、菅原市長や臼井議長の知事訪問だったでしょう。

気仙沼中央公民館からの避難者救出についてはつぎのブログに記しております。

2012年3月12日ブログ「猪瀬さんに感謝」

こうして、東日本大震災時に気仙沼市が大変お世話になった石原慎太郎さんです。そのご冥福を心からお祈りいたします。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 石原慎太郎

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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