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水産高校の沿革抄

昨年末12月24日のブログ「長井時計店1953」では、昭和28年/1953年の魚町旧ナガイ時計店前での「気水生実習製造商品の路上販売」を紹介しました。

この記事を書きながら、これまで気水/宮城県気仙沼水産高等学校、つまり現在の宮城県気仙沼向洋高等学校の歴史をきちんと紹介していなかったことに気づきました。ということで、本日は同校の沿革を。

気仙沼向洋高校のウェブサイトにある「沿革」をクリックすると「沿革抄(PDF)」を見ることができます。同校の歴史/沿革の抜粋ですね。

向洋沿革

沿革抄の一部イメージ


これによれば、宮城県気仙沼向洋高等学校は、明治34年(1901年)4月に、気仙沼町立水産補修学校として開校しました。町役場の一部を仮校舎としたとあります。1901年創立ということは昨年で120周年ということになりますね。

その後、郡立本吉水産学校、宮城県水産講習所、宮城県水産試験場気仙沼分場講習部、そしてふたたび宮城県水産講習所などに移管や改組がなされています。その後はつぎのようなこと。

昭和20年(1945)4月 所管を農林省より教学科に移され、宮城県気仙沼水産学校となる
昭和23年(1948)4月 学制改革により宮城県気仙沼水産高等学校に昇格
昭和24年(1949)2月 水産製造科増設認可

この沿革を見るかぎり、昭和の風情カレンダーの写真にあった魚町ナガイ時計店前で売られていたのは、昭和24年に増設された水産製造科の実習でつくられたものではないかと。科の増設から4年後ということになりますね。完成度がかなりあがってきたころでしょうか。

なお、この沿革抄になぜか記載がないのですが、階上地区に移転する前まで一景島地区にあった校舎が落成したのは、気仙沼文化史年表によれば昭和24年(1949)8月15日です。

この後、機関科と無線専攻科の認可は昭和29年2月、漁業専攻科は同じく31年3月、無線通信科は38年3月となっています。

時計をすこし早回しすると、階上地区への校舎移転は昭和52年(1977)4月です。これに先立ち、昭和46年2月には学校移転用地の階上塩田跡の埋立工事起工式 がおこなわれています。あの場所は塩田跡地だったのです。

そして平成6年(1994)4月1日に、校名を宮城県気仙沼向洋高等学校に変更。同時に3学科(情報海洋科・産業経済科・機械技術科)全科男女共学となりました。

それから17年後の2011年については年表形式で。

平成23年/2011年

3月 東日本大震災により校舎に甚大な被害を受ける
5月 仮設校舎建設までの間、学科ごとに3校(気仙沼西高・本吉響高・米谷工業高)に分かれて教育活動を再開
11月 気仙沼高校第二運動場に仮設校舎完成・移転

階上地区の被災した旧校舎がいま、気仙沼市東日本大震災遺構として保存されているのは皆さんご承知のとおりです。

そして、階上・長磯牧通地区に現在の校舎が完成したのは平成30年7月のことです。

平成30年/2018年

7月19日 新校舎完成
7月20日 新校舎供用開始
7月24日 仮設校舎閉校舎式
8月24日 新校舎入校舎式および完成披露会

以上が同校沿革抄内容からの紹介です。

記事をまとめていて感じたのは、沿革に校舎建設や移転に関する情報が少ないことです。水産学校や水産講習所は、現在のK-port(ケーポート)やかもめ食堂があるあたりにあったはずですが、記載がありません。一景島の校舎についても、上述したとおりです。

またあらためて情報を整理してみようと思っています。本日は、沿革抄からの抜粋情報として紹介いたしました。どうぞよろしく。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼水産高校気仙沼向洋高校

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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