出光丸の見学会

本日紹介する写真は、うつっている人以外は、同級生でも案外知らないかもしれません。1966年12月11日、私たち気仙沼中学3年生が、横浜での巨大タンカー出光丸の見学会に招待されたときの記念写真です。

出光丸3 (クリックで拡大)

1960年代、石油の採掘から販売までを〈石油メジャー〉と呼ばれた欧米の国際石油資本が独占していました。これに対して、出光佐三社長ひきいる出光興産は、日本の民族系資本として独自の石油調達につとめ、当時として世界最大の石油タンカー「出光丸」を石川島播磨重工横浜造船所で建造しました。そして、〈海事思想の普及〉という趣旨で、全国の中学生1万5千名を見学会に招待したのです。

12月10日、私たちは、同じく招待された東北地方の生徒を各駅でのせた国鉄(現JR)の見学会専用の夜行列車にのりこみ、翌日午前中に横浜へ到着しました。きれいな紙箱に入ったホットドッグとテトラパックのミルクがランチとして配布されました。

竣工したばかりの出光丸は大きかった。全長342m。船腹に設けられた仮設のスロープをのぼるのですが、かなりの高さがあるのです。5~6階建てのビルぐらいだったでしょうか。ほかの細かなことは覚えていないのですが、操舵室でみた操舵輪が直径40cmほどの小さなものだったことに驚いた記憶があります。

さて、この記念写真。1列目で旗を持っている右側が私。3年8組からはほかに中井殖君と清水真味さんが参加しています。たぶん各クラス2名に生徒会役員3名を加えて25名となったのでしょう。最後列右端は引率してくれた桜田千代喜先生です。

見学会の3カ月ほど後、私たち気中20回生は、PTAの寄付によって結成されたブラスバンドの演奏で送られ卒業しました。気仙沼も好景気だったのでしょう。この時代が、5年ほど続いた〈いざなぎ景気〉のなかにあったことを知るのは、ずっとあとになってからのことです。ましてや、後年の〈バブル景気〉やその崩壊など、知るよしもありません。
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tag : 気仙沼 気中20 出光丸 いざなぎ景気 出光興産

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まとめtyaiました【出光丸の見学会】

本日紹介する写真は、うつっている人以外は、同級生でも案外知らないかもしれません。1966年12月11日、私たち気仙沼中学3年生が、横浜での巨大タンカー出光丸の見学会に招待されたときの記念写真です。 (クリックで拡大)1960年代、石油の採掘から販売までを〈石油メジ?...

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懐かしい

非常に羨ましい写真です。実は私もこの出光丸に参加した一人です。新潟県の見附市立葛巻中学校の代表として一人で夜行列車で見学したものです。たしか全校生徒からは誰も応募する人がなく、一人で寂しく参加しました。今回たまたま{海賊と呼ばれた男}という本を読んで出光商店の出光佐三の事を知りこの気仙沼20のブログを見た次第です。私も写真を撮られた記憶があればよいのですが。どこに尋ねたら良いでしょうか?
記憶が呼び戻されて、とにかくおおきな大きなタンカーでしたね。甲板はとてつもなく大きくて圧倒されました。
プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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