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山下清さん作品展

7月12日のNHK-BS「プレミアムカフェ 山下清の愛したニッポン」を見ました。これは、2008年のNHKドキュメンタリー「山下清の愛したニッポン」のアンコール放送。

タイトル

番組タイトル(放送画面より)


番組サイトより、紹介文を引用します。

「鮮やかな色彩の貼り絵で描かれた日本の風景。画家・山下清の作品は、時代を超えて日本人の心を動かし続けている。全国を放浪する清に、人々は食べ物や宿を提供した。そこで見聞きした風景や出来事を、後から驚異的な記憶力で再現したのが清の画であった。彼が歩き、描いた懐の深いニッポンはまだ存在するのか。一人の天才画家が歩いた人生と創作の道のりをたどり直す。」(引用は以上)

2008年の放送を見たような記憶もあるのですが、今回の再放送で山下清さんの実像をあらためて知ることができたように思います。

山下清さんは気仙沼を訪れたことがあります。「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)につぎのように記されていました。

昭和43年(1968年)6月11日
放浪の画家山下清 作品展のため来市

この作品展は、市内八日町(大堀銀座交差点角)の藤崎デパートで開催されました。

私が気仙沼高校2年生のときのことで、どのような作品が並んでいたかの記憶はないのですが、記念に山下さんの点描の絵葉書を買いました。

サインペンで山下さんの手書き署名が入っていたのですが、もしかするとご本人がいて署名してもらったのかもしれません。この葉書を長いあいだ持っていたのですが、今は見当たりません。

気仙沼を訪れた1968年は山下さんにとってどのような時期だっただろう。Wikipediaの記述を読んでおどろきました。

晩年は、『東海道五十三次』の制作を志して、東京から京都までのスケッチ旅行に出掛け、およそ5年の歳月をかけて55枚の作品を遺したそうです。しかし、気仙沼訪問の年1968年(昭和43年)に、高血圧による眼底出血に見舞われたというのです。気仙沼を訪問した6月の後のことでしょう。

そして、1971年(昭和46年)7月12日、脳出血のため49歳で死去。気仙沼訪問は46歳のときだったのですね。

1922年/大正11年生まれですから、来年は生誕100年。再放送は、その作品に対する再評価の機運があるからかもしれません。

しかしなあ、1968年6月に私が見たはずの山下清作品の記憶が完全に失われているのがなんとも情けない。お粗末です。山下さん流に〈兵隊の位でいえば〉、三等兵といったところでしょう。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 山下清

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

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