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「大空詩人」永井淑

5月22日の三陸新報「論説」に、「大空詩人」 永井淑(ながい・よし)さんの名があったことに驚きました。久しぶりに聞いたお名前です。

5:22大空詩人

三陸新報5月22日記事の一部イメージ


私がこの詩というか言葉を永井淑さんの風貌とともに親しく思い出すのは、『目で見る気仙沼の歴史』(1972年 気仙沼ライオンズクラブ発行)のつぎの記事をよく見ていたからです。


大空詩人

『目で見る気仙沼の歴史』 p186より


この写真で永井さんを囲んでいるのは、気仙沼小学校の子供たちなのですが、この中には、私の一年先輩に似た人がいます。永井さんの気仙沼図書館訪問は今から60年前の1961年5月。私が気仙沼小学校4年のときのことですから、時代感が一致しますね。もしかすると同級生がいるかもしれません。

◎気仙沼図書館公式Facebook

さて、三陸新報の論説では、「大空詩人」永井淑さんと気仙沼のご縁を紹介しながら、読書の意義と図書館の役割の重要性を述べています。気仙沼市図書館の巡回移動図書館車「おおぞら号」の名は、この大空詩人にちなむものとのこと。

永井淑さんに関する説明は気仙沼図書館の公式Facebookのつぎの記事を参照していると思います。



このFacebook画像から、「大空詩人」永井さんの詩/言葉を引用します。

図書館へ行く道をきいている
あのおじさんは きっと
好い人にちがいない!

気仙沼と全世界の図書館さまへ
永井 淑(大空詩人)
一九六一・五・廿七

〈ちがいない〉の後にあるのは〈!〉ですよね。三陸新報/論説や気仙沼図書館Facebook、そして『目で見る気仙沼の歴史』でも、この〈!〉を省略しているのはなぜでしょう。私はとても大事な感嘆符だと思うのですが。わざわざ太くしているし。

また「大空詩人」の原文は「大空の詩人」であるようにも見えます。日付は画像がちょっと不鮮明ですが廿七でしょう。これは27のこと。

◎気仙沼文化史年表

参考まで、「気仙沼文化史年表」(荒木英夫著)での永井淑関連事項を引用しておきます。4項目ありました。

1959年9月8日「大空詩人 永井淑 菅野青顔を訪問」
1961年5月25日「大空詩人永井淑が来訪 市図書館に詩を贈る」
1969年5月9日「寅卯会が図書館新築記念に永井淑の詩碑を建立」
1970年10月4日「大空詩人永井淑来市、図書館の歌碑と対面」


市図書館に詩を贈ったのが1961年5月25日としてありますが、上述したようにこれは5月27日かもしれません。念のため。


◎Wikipedia記載内容

『目で見る気仙沼の歴史』の説明文によれば、マンドリンを弾きながら永井さんが歌っているのは『良寛さん』とのこと。

その姿は、子どもたちと遊ぶ良寛さんの姿と重なってくるような気もするのですが、永井さんの生涯は、少なくとも獄中生活を送るまでは相当に激しいものであったようです。それはWikipediaでの記載内容をちょっとのぞいてみるだけでも、わかるでしょう。

また、その内なる激しさは、永井淑さんと菅野青顔さんとの関係が、ともにダダイスト辻潤(つじ・じゅん)を敬愛していたことからも容易にうかがえます。半端(はんぱ)であるわけがないのです。

こうしていろいろ書いているうちに、村の子供と遊ぶ優しいおじいさん、好々爺(こうこうや)に見える良寛さんが、〈風狂〉の人であったことを思い出しました。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 永井叔菅野青顔

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気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

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