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「町民歌」の作曲者

気仙沼町制50周年記念として1942/昭和17年に発表された「気仙沼町民歌」の復元に関して、昨年10月に3つのブログ記事でお伝えしました。本日はその後のお話です。

先月3月20日の三陸新報につぎの投稿記事が掲載されました。投稿者は荒木英夫さんです。荒木さんは元気仙沼図書館の館長をつとめた方で、このブログを書くにあたって大変お世話になっている「気仙沼文化史年表」の著者でもあります。


町民歌1
町民歌2

三陸新報3月20日掲載投稿記事


投稿記事の内容を要約すれば、つぎのようなことです。

荒木さんはかつて、『気仙沼市史 補遺編 スポーツ・芸術』のなかで「気仙沼町民歌」の作曲者を栗原勉さんとして紹介しました。しかし、新しい資料などによって、作曲者は童謡や校歌などの作曲で知られる下総皖一(しもおさ・かんいち)であろうと。

新しい資料は、〈土井晩翠作詞の「気仙沼町民歌を復元する会〉(以下、復元の会)から提供されました。同会が、町民歌を復元しCDとしたことが報じられたのは昨年10月のこと。このブログでも紹介しました。また、これに先立ち、市史記述に基づいて、栗原勉さんの子息である秋夫さんが復元CDを作成したこともありました。

こうしたことを受けて荒木さんは、つぎのように記しています。〈父上を作曲者として誇りにしておられた秋夫さんと、二つの名前の特定のため多くの時間を費やしてしまった「復元の会」とには大変ご迷惑をかけることになり、申し訳ない次第である〉と。

◎作曲者が下総皖一であるとする資料

作曲者が栗原勉さんではなく、下総皖一であることを示す新しい資料としてつぎの内容が記されています。

①加藤清翠筆の「気仙沼町民歌」を子息の護郎(呉石)さんが保存しており、そこでは作曲者を下総皖一としている
②昭和59(1984)年9月20日「気仙沼かほく」の土井晩翠記事には、町民歌作者は下総となっていた
③吉田広志さん所有の楽譜では下総作曲としてある
④明治44年から昭和25年まで40年間にわたり、毎日の天気を記録した小野寺新吉さんが、その記録の欄外に昭和17(1942)年11月25日付「朝日新聞」記事として、「気仙沼町では11月25日、新穀感謝祭奉納音楽会を開催、土井晩翠氏作詞、下総皖一氏作曲の町民歌を披露した」と記していた

荒木さんは、この④朝日新聞の記述が当時書かれた信用できる記事だと思うとしています。朝日新聞の現物記事も確認されているとのこと。

◎海洋少年団/軍歌集

荒木さんが、市史の該当記事のなかで気仙沼町民歌の作曲者を栗原勉さんとしたのは、もちろん理由があってのことです。典拠は、戦時中に気仙沼海洋少年団がつくった小さな軍歌集に収録された気仙沼町民歌です。

その軍歌集は、昭和45(1970)年ごろ、大鍋屋旅館の熊谷真人さんの画像が図書館に寄贈されたときの古書のなかにあったそうです。熊谷真人さんは、熊谷登小野寺五典さんの祖父と記事にありました。熊谷昇君(3年11組)のお父さんでしょう。

荒木さんが戦後に気仙沼に引き揚げてきたときに初めて目にし、〈当時の戦意高揚のにおいがなく、今でも通用する歌だと思ったので、歌詞を求める人もあろうと、郷土資料として保存しておいた〉そうです。そして、気仙沼市史の補遺編にもその内容を収録したと。

〈熊谷真人さんの画像が図書館に寄贈されたときの古書〉という記述がちょっとわかりにくいのですが、肖像画かなにかを図書館に寄贈するとき、それと一緒に寄贈された古書ということと思います。

◎残る疑問

新資料がみつかり、それまでの歴史的な定説が修正されることはよくあることです。今回の荒木さんの投稿記事の主旨は、気仙沼町民歌の作曲者について、〈復元の会〉の努力によって新資料が見つかり、そこから作曲者は下総皖一と推測されるということです。

そしてもうひとつ。荒木さんとしては、上述した市史の記述を基にして町民歌の復元CDを制作した栗原秋夫さんに対しての〈申し訳ない〉という気持ちの表明だったでしょう。末尾には秋夫さんに再び〈お気の毒な事をしてしまった〉と記しています。私は、この文章を読んで、歴史の記述に対する真摯な態度とともに、関係者に対する荒木さんの誠実な姿勢を感じました。

こうして作曲者は栗原勉さんではなく、下総皖一さんらしいというところまではたどりつきました。しかしまだ疑問は残ります。荒木さんも記しているように、なぜ栗原さんが作曲者として伝えられるようになったのか。そのあたりの詳しい事情は、さらに新しい資料の出現を待つしかないでしょう。

◎これまでの経緯紹介

このブログでは昨年10月に3回にわたり、気仙沼町民歌に関する記事を掲載しました。いずれも作曲者を栗原勉さんとしての紹介です。

これらのブログを書いた当時、いくつか知りたいことがあり、〈土井晩翠作詞の「気仙沼町民歌を復元する会〉の藤田孝子さんに連絡し、電話でお話しすることができました。そのときにはすでに、どうも作曲者は下総皖一さんらしいので、いまいろいろと資料を確認しているところと話しておられました。

複数の資料を丁寧にそして慎重に読み取り、荒木さんにお伝えし、本日紹介した三陸新報投稿記事掲載に至ったということだと思います。復元の会の皆さま、ご苦労さまでした。

そして荒木さんにも御礼を。市史において気仙沼町民歌の歌詞が収録されているのは、補遺編「芸術」第3章「音楽」第5節「郷土の歌」です。また、第3章「音楽」第4節「洋楽」中の、鼎浦楽団に関する記述のなかにも、同曲の作詞・作曲者名がありました。

新資料によって市史に記された町民歌の作曲者がどうも違うようだということになっても、市史における「洋楽」「郷土の歌」記述の基本的価値が減じることはないでしょう。

以上、長くなってしまいましたが、今後、「気仙沼町民歌」についてネットで検索する方もいらっしゃるだろうと思い、少し詳しく紹介させていただきました。

市史に限らず、史実を正確に記述するというのは本当に手間のかかることだなということを再認識させられたということもお伝えしたく。

①2020年10月2日ブログ「気仙沼町民歌復元」
②2020年10月6日ブログ「2つの町民歌復元」
③2020年10月9日ブログ「町民歌発表会写真」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼町民歌

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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