育美 in SWITCH
3月15日のブログ「わが美しき故郷よ」で、雑誌「SWITCH」(スイッチ)」2011年5月号に掲載された畠山美由紀さんの6頁にわたる記事を紹介しました。そのなかで、同号には熊谷育美さんのインタビュー記事も掲載されているので、日をあらためて紹介しますと。そして本日のご紹介です。
東日本大震災発生からわずか40日後に発行された同号の特集は「2011.3.11-13世界を変えた3日間、それぞれの記録」でした。
育美さんの6頁にわたる記事は、先日紹介した畠山美由紀さんのインタビュー記事と同じく〈言葉で綴る「3日間」、そしてその先〉というテーマでまとめられたもの。8人のアーチストのインタビューで構成されており、ほかの方々は笑福亭鶴瓶、小林武史、山口智子、細野晴臣、曽我部恵一、伊勢谷友介の6氏です。
以下に紹介する頁画像は、読んでもらうというよりも、「SWITCH」誌が2011年5月号でこれだけの頁をさいて育美さんの話、そして気仙沼の被災のことを取り上げてくれたことを知っていただきたく。写真は、育美さんのマネージャーである真田さんが撮影したとのことです。



2011年3月11日に育美さんは、サンドウィッチマンさんの番組ロケにレポーター役で参加していました。そして地震と津波。高台にある自宅に避難することができました。その日、知人なども含めて13人が熊谷宅に泊まります。しかし、両親からは〈逃げた〉との連絡は受けてはいたものの合流できず。両親、つまり熊谷孝良君(3年3組)と奥さんに合流できたのは3月13日のことでした。
育美さんは、3月23日に香港でおこなわれる「香港アジアポップミュージックフェスティバル」に日本代表として出演する予定でした。そして3月15日に車で秋田に向かい、16日に飛行機で東京へ。しかし、被害の大きさが次第に明らかになるなどしており、出演を断念します。その決断までの育美さんの葛藤が率直に語られています。記事最後の言葉を引用します。
〈 実際に震災直後に避難している時は、音楽のことなんて考えられなかった。それまで私は常に音楽がある生活を送ってきたけれど、その時は音楽を聴こうなんて思いもしなかったし、ましてや歌をうたおうなんて……。みんなでか細い声で語り合うことしかできない。その時は、音楽って無力だなって思っちゃったんですよね。
でももう少し時間が経てば、きっとまた必要になってくると思う。だから、今は曲を作りたいなって思っているんです。言葉は、まだ出てこないけれど。〉
記事の引用は以上です。
この2011年5月号の編集長は菅原豪さんです。菅原さんは、同年1月に副編集長から編集長になったと思います。10年経ったいま読み直してみても実に力の入った編集だなと。
そして「SWITCH」発行人/創刊編集長で、現在また編集長をつとめる新井敏記(あらいとしのり)さんは、2017年3月号の特集「ほぼ糸井重里」の取材で気仙沼を訪れているはずです。下記のブログで紹介しております。
新井敏記さん、菅原豪さんはじめ「SWITCH」の皆さまに御礼を。いろいろとありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2017年2月21日ブログ「気仙沼in SWITCH」
◎新規コロナ感染者
きのう4月1日、気仙沼での新規感染者は8名でした。過去最多。内訳は未就学児、20代男性会社員、20代女性会社員3名、40代女性会社員、40代自営業女性(*)再掲、50代無職女性。*1名を除きすべて既感染者との接触歴ありとのことです。
東日本大震災発生からわずか40日後に発行された同号の特集は「2011.3.11-13世界を変えた3日間、それぞれの記録」でした。
育美さんの6頁にわたる記事は、先日紹介した畠山美由紀さんのインタビュー記事と同じく〈言葉で綴る「3日間」、そしてその先〉というテーマでまとめられたもの。8人のアーチストのインタビューで構成されており、ほかの方々は笑福亭鶴瓶、小林武史、山口智子、細野晴臣、曽我部恵一、伊勢谷友介の6氏です。
以下に紹介する頁画像は、読んでもらうというよりも、「SWITCH」誌が2011年5月号でこれだけの頁をさいて育美さんの話、そして気仙沼の被災のことを取り上げてくれたことを知っていただきたく。写真は、育美さんのマネージャーである真田さんが撮影したとのことです。



2011年3月11日に育美さんは、サンドウィッチマンさんの番組ロケにレポーター役で参加していました。そして地震と津波。高台にある自宅に避難することができました。その日、知人なども含めて13人が熊谷宅に泊まります。しかし、両親からは〈逃げた〉との連絡は受けてはいたものの合流できず。両親、つまり熊谷孝良君(3年3組)と奥さんに合流できたのは3月13日のことでした。
育美さんは、3月23日に香港でおこなわれる「香港アジアポップミュージックフェスティバル」に日本代表として出演する予定でした。そして3月15日に車で秋田に向かい、16日に飛行機で東京へ。しかし、被害の大きさが次第に明らかになるなどしており、出演を断念します。その決断までの育美さんの葛藤が率直に語られています。記事最後の言葉を引用します。
〈 実際に震災直後に避難している時は、音楽のことなんて考えられなかった。それまで私は常に音楽がある生活を送ってきたけれど、その時は音楽を聴こうなんて思いもしなかったし、ましてや歌をうたおうなんて……。みんなでか細い声で語り合うことしかできない。その時は、音楽って無力だなって思っちゃったんですよね。
でももう少し時間が経てば、きっとまた必要になってくると思う。だから、今は曲を作りたいなって思っているんです。言葉は、まだ出てこないけれど。〉
記事の引用は以上です。
この2011年5月号の編集長は菅原豪さんです。菅原さんは、同年1月に副編集長から編集長になったと思います。10年経ったいま読み直してみても実に力の入った編集だなと。
そして「SWITCH」発行人/創刊編集長で、現在また編集長をつとめる新井敏記(あらいとしのり)さんは、2017年3月号の特集「ほぼ糸井重里」の取材で気仙沼を訪れているはずです。下記のブログで紹介しております。
新井敏記さん、菅原豪さんはじめ「SWITCH」の皆さまに御礼を。いろいろとありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2017年2月21日ブログ「気仙沼in SWITCH」
◎新規コロナ感染者
きのう4月1日、気仙沼での新規感染者は8名でした。過去最多。内訳は未就学児、20代男性会社員、20代女性会社員3名、40代女性会社員、40代自営業女性(*)再掲、50代無職女性。*1名を除きすべて既感染者との接触歴ありとのことです。
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