わが美しき故郷よ
3月11日、気仙沼市復興祈念公園のモニュメント「祈りの帆(セイル)」点灯式がおこなわれました。私は東京でYouTubeライブ配信映像を見ておりましたが、畠山美由紀さんの歌が本当に素晴らしかった。
いまでも当日のアーカイブ映像を視聴することができるので、記事の最後に紹介します。
ライブ配信で、畠山美由紀さんの挨拶がおわり、歌唱場所となる四阿(あずまや)に移動する時間とライブ終了後の2度、畠山美由紀さんによる詩の朗読が流れました。これは2011年12月にリリースされた美由紀さんのアルバム「わが美しき故郷(こきょう)よ」に収録されている朗読です。
私がこの詩を知ったのは、畠山美由紀さんの公式ブログ「Monday Chronicle」でした。震災の直後3月25日に「故郷、気仙沼へ。詩を書きました。」とのタイトルで投稿しています。
◎雑誌「SWITCH」2011年5月号
そして1か月後、この詩は雑誌「SWITCH」(スイッチ)」2011年5月号(4/20発売)にも掲載されました。気仙沼出身のイラストレーター奥原しんこさんの絵とともに。
この5月号の特集は「2011.3.11-13世界を変えた3日間、それぞれの記録」。目次ページには〈けっして3月11日以前の世界に戻ることはない。もはや同じ思いで世界を見ることはできないし、生きていくことはない。世界を変えた3月11日からの表現者たちの心の動きを追った〉とありました。
本日は、その中から6頁にわたる畠山美由紀の記事を紹介させていただきます。まずは初めの4頁。「わが美しき故郷よ」クレジット表記は、詩:畠山美由紀 絵:奥原しんこ。

本記事画像はすべて雑誌「SWITCH」2011年5月号より

美由紀さんのアルバム「わが美しき故郷よ」がリリースされたのは2011年12月7日です。楽曲「我が美しき故郷よ」とともに、上記の詩の朗読も収録されました。
美由紀さんの朗読は、全国放送のアナウンサーがこの文章を読むのとはちがい、ちょっと気仙沼弁の読み方やがまじります。それが決してわざとらしくなく、それだけにしみじみと聞く人に伝わってきます。
◎美由紀さんインタビュー
「SWITCH」記事の続く2頁は美由紀さんのインタビューです。

この記事によれば、2011年3月11日に美由紀さんは東京/下北沢のスタジオでマネージャーそしてギタリスト小池龍平さんと3人でリハーサルをしていたそうです。小池さんは点灯式でもギターの伴奏とともにきれいなハーモニーを聞かせてくれましたね。
美由紀さんは震災の日、鎌倉の自宅に帰ることはできず近くの友人宅に泊めてもらったそうです。夜のテレビ映像で気仙沼の火災映像を見て、〈もうだダメだ……〉という言葉が口から出たことだけを覚えているとのこと。
その後の詳細は略しますが、面瀬小学校の北方に暮らしていた美由紀さんの両親が自宅で無事と確認できたのは3月17日のことでした。
インタビュー頁の左下につぎの記述がありました。「前ページの詩は、地震後、故郷を思い、書き記したもので、絵は畠山と同世代の気仙沼出身のイラストレーター、奥原しんこが、畠山の詩を読み、その風景をともに感じながら描いたものである。」
なお、この畠山美由紀さんのページの前には熊谷育美さんの6頁にわたるインタビュー記事が掲載されています。日をあらためて紹介します。
◎点灯式ライブ映像
最後に3月11日の「祈りの帆」点灯式ライブ配信アーカイブ映像を紹介します。美由紀さんのライブ映像の一部はこんな感じ。内湾の向こうに見えるのが気仙沼湾横断橋「かなえおおはし」です。

映像後半にある美由紀さんのライブは28分ごろから3曲で1曲目は「花は咲く」です。
この曲のあと、美由紀さんは陣山の祈念公園から内湾の風景をながめながらつぎのように語っていました。感きわまりつつ語る言葉に、私は(もらいなきしながら)歌が大丈夫かなとも。
(つぎの2曲は)〈まさにこの風景を頭に描いてつくりました。あの……。……。亡くなった皆さんに、私たち、なんとか毎日こうやってがんばってますから、どうぞ安らかでいてくださいって、言いたいです。いつか、まだ会いましょうねって〉
この美由紀さんの言葉の書き取りにあえて濁音を入れたところがありますが、気仙沼の人ならその語りのニュアンスをわかってくれることでしょう。そんなことも含めて、どうぞお聴きください。全体50分間のうちの28分ごろからが美由紀さんのライブです。
畠山美由紀さん、ありがとうございました。美由紀さんの言葉と歌、本当に心にしみました。
いまでも当日のアーカイブ映像を視聴することができるので、記事の最後に紹介します。
ライブ配信で、畠山美由紀さんの挨拶がおわり、歌唱場所となる四阿(あずまや)に移動する時間とライブ終了後の2度、畠山美由紀さんによる詩の朗読が流れました。これは2011年12月にリリースされた美由紀さんのアルバム「わが美しき故郷(こきょう)よ」に収録されている朗読です。
私がこの詩を知ったのは、畠山美由紀さんの公式ブログ「Monday Chronicle」でした。震災の直後3月25日に「故郷、気仙沼へ。詩を書きました。」とのタイトルで投稿しています。
◎雑誌「SWITCH」2011年5月号
そして1か月後、この詩は雑誌「SWITCH」(スイッチ)」2011年5月号(4/20発売)にも掲載されました。気仙沼出身のイラストレーター奥原しんこさんの絵とともに。
この5月号の特集は「2011.3.11-13世界を変えた3日間、それぞれの記録」。目次ページには〈けっして3月11日以前の世界に戻ることはない。もはや同じ思いで世界を見ることはできないし、生きていくことはない。世界を変えた3月11日からの表現者たちの心の動きを追った〉とありました。
本日は、その中から6頁にわたる畠山美由紀の記事を紹介させていただきます。まずは初めの4頁。「わが美しき故郷よ」クレジット表記は、詩:畠山美由紀 絵:奥原しんこ。

本記事画像はすべて雑誌「SWITCH」2011年5月号より

美由紀さんのアルバム「わが美しき故郷よ」がリリースされたのは2011年12月7日です。楽曲「我が美しき故郷よ」とともに、上記の詩の朗読も収録されました。
美由紀さんの朗読は、全国放送のアナウンサーがこの文章を読むのとはちがい、ちょっと気仙沼弁の読み方やがまじります。それが決してわざとらしくなく、それだけにしみじみと聞く人に伝わってきます。
◎美由紀さんインタビュー
「SWITCH」記事の続く2頁は美由紀さんのインタビューです。

この記事によれば、2011年3月11日に美由紀さんは東京/下北沢のスタジオでマネージャーそしてギタリスト小池龍平さんと3人でリハーサルをしていたそうです。小池さんは点灯式でもギターの伴奏とともにきれいなハーモニーを聞かせてくれましたね。
美由紀さんは震災の日、鎌倉の自宅に帰ることはできず近くの友人宅に泊めてもらったそうです。夜のテレビ映像で気仙沼の火災映像を見て、〈もうだダメだ……〉という言葉が口から出たことだけを覚えているとのこと。
その後の詳細は略しますが、面瀬小学校の北方に暮らしていた美由紀さんの両親が自宅で無事と確認できたのは3月17日のことでした。
インタビュー頁の左下につぎの記述がありました。「前ページの詩は、地震後、故郷を思い、書き記したもので、絵は畠山と同世代の気仙沼出身のイラストレーター、奥原しんこが、畠山の詩を読み、その風景をともに感じながら描いたものである。」
なお、この畠山美由紀さんのページの前には熊谷育美さんの6頁にわたるインタビュー記事が掲載されています。日をあらためて紹介します。
◎点灯式ライブ映像
最後に3月11日の「祈りの帆」点灯式ライブ配信アーカイブ映像を紹介します。美由紀さんのライブ映像の一部はこんな感じ。内湾の向こうに見えるのが気仙沼湾横断橋「かなえおおはし」です。

映像後半にある美由紀さんのライブは28分ごろから3曲で1曲目は「花は咲く」です。
この曲のあと、美由紀さんは陣山の祈念公園から内湾の風景をながめながらつぎのように語っていました。感きわまりつつ語る言葉に、私は(もらいなきしながら)歌が大丈夫かなとも。
(つぎの2曲は)〈まさにこの風景を頭に描いてつくりました。あの……。……。亡くなった皆さんに、私たち、なんとか毎日こうやってがんばってますから、どうぞ安らかでいてくださいって、言いたいです。いつか、まだ会いましょうねって〉
この美由紀さんの言葉の書き取りにあえて濁音を入れたところがありますが、気仙沼の人ならその語りのニュアンスをわかってくれることでしょう。そんなことも含めて、どうぞお聴きください。全体50分間のうちの28分ごろからが美由紀さんのライブです。
畠山美由紀さん、ありがとうございました。美由紀さんの言葉と歌、本当に心にしみました。
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tag : 畠山美由紀気仙沼市復興祈念公園