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港町ブルース物語

2月16日のブログで、震災で被災した港町ブルースの歌碑の再建計画を紹介しました。本日は関連記事ということで、森進一さんが歌う「港町ブルース」に関してこれまでに書いた2つのブログを再掲します。

1つ目は2016年5月10日ブログ「港町ブルース逸話」です。先日のブログ末尾にリンクを貼っておいた同年5月9日「港町ブルース歌碑」翌日のブログ。つまり、5月9日から11日まで3回連続で港町ブルースのことを書いたことになります。


◎港町ブルース逸話

2016年5月10日ブログ再掲

きのう5月9日のブログで〈港町ブルース歌碑〉のことを書きましたが、本日はその続きということで、この曲をめぐるいくつかの逸話(いつわ)、エピソードを。まずは2011年10月の朝日新聞記事。


朝日新聞

朝日新聞2011年10月22日配信記事より(画像クリックで記事にジャンプ)


森さんが2000年10月9日の歌碑除幕式に列席されたことは昨日も書きましたが、震災後の2011年10月22日にも気仙沼を訪問してくれたのですね。朝日新聞によれば、雨の降るなか、津波で傾いた歌碑の前で150人ほどのファンに地元の人100人が加わり、〈港町ブルース〉を合唱したとのことです。森さんは震災後の5月にも気仙沼を訪れています。

つぎは作詞者の話。深津武志さんというお名前に聞き覚えがないなと思っていたのですが、ウィキペディアによれば雑誌『平凡』による歌募集への応募作なのですね。その歌詞をなかにし礼さんが補作しました。

そして、私が気仙沼高校3年になった1969年4月に森進一さんの〈港町ブルース〉がシングル・レコードとして発売されたのです。この曲は5週間にわたりオリコンチャートの第1位にランクされるなど、森さんのシングル盤では最高の100万枚をこえるいわゆるミリオンセラーとなりました(売上250万枚との報道もあるらしい)。同年開催の日本レコード大賞では最優秀歌唱賞を、日本有線大賞では大賞をそれぞれ受賞しています。

また森さんは、震災の年2011年のNHK紅白歌合戦で、震災復興支援をテーマとして1969年以来42年ぶりに〈港町ブルース〉を歌いました。

歌碑の建立は「港町ブルース歌碑建立実行委員会」(委員長は当時の商工会議所会頭の臼井賢志さん)を中心とする地元有志によっておこなわれたそうです。なお、あのプロペラスクリューが印象的な歌碑のデザインは、気仙沼で美術家としても活動している常山俊明さんの作品です。常山さんは私たちより5学年下となります。

ウィキペディアの記述に、発売6年後1975年3月の面白いエピソードがありました。NHK放送開始50周年の記念式典がNHKホールで行われ、特別来賓として出席した昭和天皇・皇后両陛下を前に森さんが〈港町ブルース〉を披露したのですが、〈宮古 釜石 気仙沼〉を2回繰り返して歌ってしまったというのです。森さんにとっても、2番最後の〈けっせんんっぬまぁ〜〜〉が、キメの歌詞として脳に刻みこまれていたのでしょう。

私にとっては、〈気仙沼〉が2度繰り返されたという、面白いというかほほえましい話なのですが、森さんご本人にとっては〈やってしまった〉感が強かったことでしょう。いまだに忘れられない〈港町ブルース〉だと思います。森さん、いろいろとありがとうございました。(再掲内容は以上)

2つ目の再掲記事は、翌日5月11日のもの。前日のブログを見た「(気中)31回生11組20番」さんのコメントを紹介しました。題して「思い出のブルース」。そこには私の知らなかったエピソードが記されていたのです。以下に再掲します。

◎思い出のブルース

2016年5月11日ブログ再掲

きのう5月10日のブログ「港町ブルース逸話」に、「(気中)31回生11組20番」さんからコメントを頂戴しました。それによれば、森進一さんが昭和天皇・皇后両陛下を前に〈港町ブルース〉を披露したときに、〈宮古 釜石 気仙沼〉を2度繰り返してしまったというのは有名な話とのこと。以下にコメントを再録させてもらいます。  


・港町ブルースの思い出

こんにちは。 ご無沙汰しています。 2度繰り返したエピソードは有名ですよね。当時テレビで観ていて、2回歌った!と、びっくりした記憶があります。

このレコードは、初めて定価で買ったレコードで、5年の時だったと思います。定価と理(ことわり)を入れたのは、藤崎の催しで、ジュークボックスの払い下げのレコードを買ったのが初レコード購入だったからです。ちなみに購入したのは、ぴんからトリオの女のみちと、あのねのねの赤とんぼの唄です(笑)。1枚100円でした。

また、真偽は定かではありませんが、元歌詞は、宮古・釜石・大船渡だったのを、渡辺プロダクションとつながりを持つ土地の有力者が、気仙沼に換えさせた!と、父から聞いてます。

港町としての大船渡の知名度が、当時どういう位置付けかは判りませんが、1969年(昭和44年)の気仙沼港は、魚市場開設以来初の100億円を越え、サンマの水揚げも全国一をキープし(翌年花咲港に首位を譲りますが…)、少なくとも漁港としての格は気仙沼の方が上だったことを思えば、箔を付けるためのネタだった要素も否めませんが…?

レコードリリースが4月で、5月31日には、海難防止チャリティーショウにゲストで招かれ気中体育館で歌の披露もあったようです。(商工20年のあゆみ 昭和46年8月発刊より)

港町ブルースは、気仙沼に生まれ育ったことを、意識させてくれた唄だったように思います。(コメント引用は以上)

このコメントの中にある渡辺プロダクションとのつながりというのは、境和夫さんのことでしょう。気仙沼高校2回生ですので私たちの20年先輩にあたる方で、渡辺プロダクションの幹部だったと聞いています。

調べてみると、1975年から1981年までTBS系列で放送された渡辺プロダクション制作のテレビ番組「笑って笑って60分」のプロデューサーとして境和夫さんのお名前がありました。このバラエティ番組は、小松政夫さんと伊東四朗さんによるコント〈小松の親分さん〉でも有名ですね。ニンドスハッカッカ、ヒジリキホッキョッキョ(笑)。

コメントにあった歌詞の変更についての真偽について私はわかりません。しかし、森進一さんは渡辺プロダクションに所属していましたから、歌詞について境さんの意向が働いたというのもありうる話です。1969年5月の海難遺児救済チャリティーショーの開催やその後の気仙沼訪問なども境さんと森さんの関係があってのことかもしれませんね。

31回生さん、おかげさまで気仙沼と〈港町ブルース〉との関係について理解が深まったように思います。ありがとうございました。(再掲内容は以上)

ちょっと長くなりましたが、土日もあるから、ま、いいかと。私が「港町ブルース」について知っている、二、三の事柄ということで。今週はこれにて。

歌詞の補作をしてくださった、なかにし礼さんについての思い出話はまたあらためて。

2月16日ブログ「港町ブルース再建」

◎新規コロナ感染者

きのう2月18日、気仙沼市での新規感染者1名が発表されました。県の発表によれば10代女性とのこと。既感染者との接触歴ありとのことです。2月6日に3名の感染が発表されてから12日ぶりのこと。累計感染者数を示すことの意味はあまりなくなってきましたが、66例となりました。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 港町ブルース 森進一

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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