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元艦長の公開書簡

2月12日のブログ「尾形英夫さんの話」のなかで触れようと思いながら、長くなるのでとりあえずやめた話があります。本日はそのことを。

2月10日で、「えひめ丸」の事故から20年となったそうです。多くのメディアがそのことを伝えていました。この日、ハワイでは慰霊の式典がおこなわれたそうです。ここで紹介するのはNHK国際部のツイートです。


愛媛県の宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がハワイ沖でアメリカ軍の潜水艦「グリーンビル」に衝突され、教員5人と生徒4人が亡くなったのは2001年2月10日のことでした。

そして当時、「(愛媛)県・被害者グループ弁護団」の団長として米海軍との補償交渉にあたったのが、守屋洋さんの三陸新報投稿記事2回目で紹介されていた気仙沼出身の弁護士、畠山保雄(もりお)さんです。気仙沼高校3回生。私の19年先輩にあたります。

2020年12月25日ブログ「畠山保雄さんの話」

守屋さんは投稿記事のなかで、えひめ丸に関する畠山さんとのやりとりをつぎのように紹介していました。

「アメリカ側との交渉で最も苦労したのは何かね」と尋ねたところ、「文化の違いだね。日本の常識はアメリカには通用しないし、アメリカの常識は日本側としては受け入れがたい。そのあたりを摺り合わせるのに苦労したよ」ということだった。(引用は以上)

◎元艦長の公開書簡

2月9日の愛媛新聞ONLINEでは、事故時の原潜艦長だったスコット・ワルドさん(61)から犠牲者、遺族、被害者への公開書簡を紹介しています。

愛媛新聞ONLINE2月9日配信記事

そのなかでワルドさんは、「もっと早く会えるよう努めるべきだった。申し訳ない」と謝罪しています。事故後、直接謝罪しないワドル氏に遺族らは憤り、関係者からは日米の文化の違いとも受け止められたとのことですが「上官に止められていた。もっと謝罪の機会を求めるべきだった。速やかな謝罪が重要なことは十分理解していた」と悔いたそうです。

これらの記事を読むと、20年前に日米文化のはざまにあって畠山弁護団長がどんなに苦労されたかと。そして、この元艦長の書簡を畠山さんが読むことができたならばなあとも。

畠山さんは、えひめ丸事故の10年後2011年9月にお亡くなりになりました。78歳。まだまだ、その活躍を期待されていたことでしょう。あらためて、ご冥福を祈ります。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 畠山保雄 守屋洋 えひめ丸

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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