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尾形英夫さんの話

昨年10月から11月にかけて三陸新報に掲載された中国文学者守屋洋さんの全5回の投稿については、これまで3度紹介してきました。守屋さんが、〈コロナ騒ぎで家ばかりにいると、なぜか気仙沼高校で同期だった、友人たちのことが思い出されてならない〉として紹介しているのはまずは畠山保雄さんと田中仙吉さんでした。いずれも弁護士。

そして第4回目の投稿で紹介されているのは尾形英夫さんです。尾形さんは徳間書店の編集者として活躍された方。同社では常務取締役にも就任しています。

まずは三陸新報の投稿記事から。


尾形さん

三陸新報2020年10月31日記事より


冒頭に、〈尾形君は松岩、私は階上で、通う道が同じだった〉とあります。尾形英夫さんは、たぶん松岩小・中から気仙沼高校に進んだのでしょう。そして明治大学へ。

あるとき、ばったりと尾形さんに出会った守屋さんは、〈徳間書店で書籍の編集長をつとめていた村山さんという人物〉を紹介されることになります。

この村山さんは、出版局長をつとめた村山孚(まこと)さんだと思います。中国古典研究家として自著も多く、「神子侃」(かみこただし)という筆名も。

徳間書店の『中国の思想』全13巻は、徳間書店から「中国の思想」刊行委員会編として1973年から74年にわたって刊行されています。その後に改訂版も出て、現在では徳間文庫版も手に入ります。

村山さんと会ってから〈数年後になんとか完結〉という守屋さんの話からすると、尾形さんとばったり出会ったのは今から50年ほど前のことだったのではないかと。守屋さんは30代後半で、『中国の思想』の刊行が開始されたときは40歳ぐらい。まさに脂ののりきったころ。あるいは脂ののりはじめの頃でしょう。ちょっとマグロやメカのようなもの言いですみません。

守屋さんと尾形さんとの邂逅がこのシリーズ発刊の端緒となりました。そして、守屋さん自身も13巻中の第2巻「戦国策」を担当執筆します。〈この一冊がその後長い文章活動を続ける上で、大きな支えになってきた。そのきっかけをつくってくれたのが、尾形君に他ならない。感謝しても感謝しきれないものがある〉と。

◎「アニメージュ」創刊編集長

守屋さんはつぎのように続けます。

〈尾形君はその後も徳間書店にあって、宮崎さんといったか、アニメ界の元老と呼ばれるようになる人物と組んで、アニメ雑誌の編集長を務めた。いわばアニメ隆盛の基をつくった功労者の一人と言ってよい〉

この徳間書店のアニメ雑誌は『アニメージュ』です。尾形さんの発案で創刊されました。創刊のきっかけは、〈小学生だった息子がアニメ好きだったから〉との逸話が残されています。

『アニメージュ』を創刊することになったものの、尾形さんの準備は進みません。そこで白羽の矢がたったのは、現在はスタジオジブリの代表取締役プロデューサーである鈴木敏夫さんです。尾形さんは週刊誌『アサヒ芸能』の編集部時代に鈴木さんと一緒だったことがありました。

といった尾形さんに関する話は、鈴木敏夫さんの著書にいろいろと紹介されており、以前からこのブログで紹介しようと思っていました。しかし、面白い話が多すぎてどうにもまとまらない。尾形英夫さんという方は本当に変わった人だったようです。日をあらためて紹介することにします。本日は、尾形さんがいなければアニメージュに連載された宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』やそのアニメ映画化も、そしてスタジオジブリの設立もなかったということだけをお伝えしておきます。鈴木敏夫さんの話によれば、宮崎駿さんは尾形さんに連れられて気仙沼を訪れたこともあるようです。

話を守屋洋さんの投稿記事にもどしましょう。尾形さんは連載最終回となるこの投稿をつぎのように結んでいます。

〈尾形君よ、やるべきことはやったのである。もって瞑すべきではないか〉

尾形英夫さんは、徳間書店の常務取締役をつとめたあと1994年に退任/退社しました。その後、株式会社TMFという出版・映像などの自身の会社を設立して活動していましたが、2007年1月25日に亡くなりました。73歳でした。

私は、独立する前の会社で徳間書店の仕事をしたことがあります。徳間書店が主催する一大イベント「アニメグランプリ」で販売する「アニメージュ」グッズの開発です。同誌ロゴ入りのファンシー商品などを専門会社に手伝ってもらい20点ぐらいつくったでしょうか。

そのときに、私が気仙沼出身と知った宣伝部の担当者に〈たしか編集長が気仙沼高校だったなあ、紹介しようか〉と言われたことがありました。しかし、なんかそうした先輩後輩といったことが苦手なたちなので丁重にお断りしました。向こうも困るでしょうし。それがどうしたと。

そんなこんなの思い出も30数年前のこととなりました。

守屋洋さんにすれば、気仙沼高校で畠山保雄さんや田中仙吉、そして尾形英夫さんと同じときを過ごしたのは70年も前のこととなります。そのお三方もすでにおらず。いまの心境を思わずにはいられません。

最終回となる5回目投稿記事では、気仙沼高校で2年先輩だった熊谷晃さんのことを書いています。これはまた後日。

2020年11月30日ブログ「守屋洋さんの投稿」
2020年12月25日ブログ「畠山保雄さんの話」
1月12日ブログ「田中仙吉さんの話」

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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 尾形英夫

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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