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「鼎ヶ浦」の表記

きのう1月5日のブログで「広報けせんぬま」元旦号に掲載されていた小山謙一君の記事について記しました。本日は、同号の別の記事を紹介します。


愛称

広報けせんぬま」2021年1月1日号より


気仙沼湾横断橋の愛称が「かなえおおはし」に決定したという話です。その内容は、12月29日のブログで紹介した三陸新報記事とほぼ同じです。

2020年12月29日のブログ 「かなえおおはし」

私が「広報けせんぬま」の記事で注目したのは、下部の「鼎が浦」の説明文です。

横断橋の愛称を伝える記事などで私が気になっていたのは、「かなえがうら」の表記が「鼎が浦」となっていることでした。私だけでなく、そう思った人も多いのではないでしょうか。ここはやはり「鼎ヶ浦」あるいは「鼎ケ浦」にすべきではないかと。もちろんその発音は「かなえがうら」です。

広報けせんぬまでの「鼎が浦」説明文の末尾に、〈『気仙沼市史Ⅶ民俗宗教編』より抜粋〉とありました。ありゃま、市史では「鼎が浦」としているのだろうか。ということで市史第7巻のページをめくってみると、ありました。p273。

「気仙沼市内の地名」という小見出しでの記述のなかに、「鼎が浦」を見出し語にしての説明がありました。その内容は「広報けせんぬま」のとおり。市史の〈である〉調を〈ですます〉調に代えているぐらいの違いで省略はありません。

気仙沼市の広報担当者が「鼎が浦」としたのは、この市史の表記を典拠としたのでしょう。これはこれでひとつの判断です。しかしさかのぼって、この市史の見出し語は「鼎ヶ浦」にしたほうがよかったと思うのですが、どうでしょう。こうした分野に詳しい方に聞いてみたいところです。

ほかの地名では「鶴ヶ浦(つるがうら)」「君ヶ鼻山(きみがはなやま)」「笹ヶ陣(ささがじん)」となっていて、「ヶ」を「が」と表記している例は本文も含めてありませんでした。

◎鼎が浦高等学校

「かなえ」と聞くと、鼎が浦高校を思い出すという方も多いことでしょう。同校は2005年に旧気仙沼高校(男子校)と統合して、新しい気仙沼高校(男女共学)となりました。こちらは、「鼎ヶ浦高校」ではなく「鼎が浦高校」です。「鼎ヶ浦高校」と書くとおこられます(笑)。

読みやすくするために「が」としたのだと思います。念のため気仙沼市史第6巻「教育・文化編」を調べてみたのですが、「鼎が浦高校」がなぜ「が」の表記を採用したのかはわかりませんでした。しかし、別のおもしろい話がありました。

同校50周年誌に掲載された庄司善助第3代校長の回顧によれば、〈「鼎」の字は当用漢字表にないので仮名書きではどうかとの県よりの照会もあった〉といいます。しかし、県教委に出向いて説明し、校長の意向に沿って「鼎が浦高等学校」と決定されたとのこと。

参考まで記しておくと、庄司校長の回顧文はつぎのように続いています。〈現校名が果たして一番良い名前だったのかどうかと反省めいた気持ちを覚えると共に命名に責任を感じている〉(市史第6巻p295)

県教委がいうところのかな書きの校名が「かなえがうら高等学校」なのか「かなえが浦高等学校」なのか定かではありませんが、ひとつのこぼれ話として記しておきます。

なお三陸新報の記事によれば、気仙沼湾横断橋の愛称を応募案にあった「かなえ大橋」や「鼎大橋」ではなく「かなえおおはし」としたのは、「やわらかさを表現した」とのことです。これについても思うところはあるのですが省略。

ちょっと長くなりましたが、なんだかんだ、やはりネーミングはむずかしい。だから面白いということで、本日はおしまい。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 気仙沼湾横断橋 かなえおおはし

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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