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郷土の歴史を知る

気仙沼での郷土史に関する講演会や学習会が開かれたという新聞記事を目にすることがあります。さほど珍しいことでもないのでしょう。しかし、地元紙「三陸新報」さんの同日紙面に、ふたつの催事が紹介されることはちょっとめずらしいのではないかと。

12月8日の三陸新報に掲載されたふたつの記事を紹介します。


◎田束山の歴史を紐解く

田束山(たつがねさん)は、本吉郡南三陸町と気仙沼市本吉町にまたがる山です。気仙沼市立小泉公民館で開かれたのは、郷土史講話「田束山の歴史を紐解く」。講師は、歌津地区復興支援の会「一燈」の小野寺寛代表でした。


12:8田束山

三陸新報12月8日記事の一部イメージ


田束山は、山岳信仰の霊山としても知られています。小野寺さんによれば、奥州藤原家は、清水寺、寂光寺、金峰寺の3寺院を建てるなどして修験者を受け入れ、多いときで千人ほどが修行していたとのこと。千人という数字に驚かされました。

また、田束山一帯から採れる「本吉金」が「気仙金」「磐井金」と並んで奥州藤原氏の黄金文化を支えたとも。そして、現在は仙台市博物館に収蔵されている武蔵坊弁慶の長刀(薙刀/なぎなた)は、もとは寂光寺にあったものだそうです。ネットで調べてみると、寂光寺に伝来していたものを伊達家が召し上げたものであるようです。


◎気仙沼大島/崎浜ものがたり

12月5日に大島の長命寺で開かれたのは、崎浜美和会による文化講演会「崎浜ものがたり」です。講師は、地区の民俗誌「崎浜の民俗」を刊行した神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科の小野寺祐紀さん。崎浜地区は気仙沼大島の南西部。住所でいうと気仙沼市駒形などです。

12:8崎浜

三陸新報12月8日記事より


小野寺さんによれば、日本に残る文献のなかで「崎浜」が登場したのは1700年代とみられ、その頃から地域の呼称として親しまれていたのではないかと。これはあくまで大島の崎浜のことだと思います。

「崎浜」という地域名称は唐桑町にもありますし、全国各地にある地域名。そんな「崎の浜」の意味なども語られたことでしょう。

講演会では、1970年代に地区内で撮影された岩ノリ採りの記録映像も紹介されたそうです。半世紀前の映像を見て、自分の若かりしころを思い出した方も多かったのではないでしょうか。

なお、「崎浜美和会」の「美和」の読みが「びわ」であることを知ったのは、このブログで美和太鼓を紹介したときのことでした。気仙沼にあまたある太鼓、うちばやし団体の活動も、地域の歴史や文化伝承の大きな役割を担っているのでしょう。

2017年11月10日ブログ「民俗芸能の集い2」

 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 田束山 崎浜

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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