男山の花婿さんは
前回12月18日のブログの続きです。「目で見る気仙沼の歴史」に紹介されていた嫁入行列の行き先についてです。行列の写真を再掲しておきます。

「目で見る気仙沼の歴史」p148より
12月18日ブログ「男山への嫁入行列」
斉直商店を出た花嫁が向かう先は男山本店ですが、花婿はどなたなのか。前回のブログでは、男山本店の現代表、菅原昭彦さんの祖父にあたる菅原克己さん、つまり、気仙沼市長もつとめた菅原雅(まさし)さんのお父様ではないか、と記しました。それは、気仙沼市史の記述からの推測でした。
気仙沼市史第5巻「産業編(上)」の「醸造業の変遷」(p393)での男山菅原家に関する記述を引用します。
◇男山菅原家 (現 (株)男山本店)
男山は明治10年の創業で、初代菅原嘉吉は、気仙沼町八日町に居をかまえ、石灰業を主業としていた。
2代目昭治は石灰業の行き先に不安を感じ、山の権利を譲渡して酒造業に転換して行く。明治36年あたりから酒小売業を営んでいたが、明治41年に濁酒製造免許を受けて醸造を始めた。そして大正元年町内入沢に酒蔵を建て清酒醸造に乗り出した。(この後の、屋号、酒銘にもなっている「男山」の由来は略します)
昭和20年に3代目(酒造の2代目)克己が免許を継承、経営の伸長に努め、4代目雅が気仙沼市長を勤めた48年から現役に復帰して第一線の指揮をとったこともあった。
現在は4代目雅である。(以下略。引用は以上)
つまり、菅原家は、嘉吉〜昭治〜克己〜雅、そして現在の社長である昭彦さんへと継承されてきたことになります。
ということになると、昭和3、4年に斉直商店からお嫁さんをもらうとなると、昭治さんでは古すぎるし、雅さんでもないし。そんなことから、お婿さんは、菅原克己さんに決定。
とはいうものの、なにか勘違いしている可能性もありますね。どなたか、菅原昭彦さんにお会いしたら、こうたずねてもらえませんでしょうか。
〈あんだいのお祖母さんは、斉直さんからだったべが〉
どうぞよろしく。
男山本店ウェブサイト

「目で見る気仙沼の歴史」p148より
12月18日ブログ「男山への嫁入行列」
斉直商店を出た花嫁が向かう先は男山本店ですが、花婿はどなたなのか。前回のブログでは、男山本店の現代表、菅原昭彦さんの祖父にあたる菅原克己さん、つまり、気仙沼市長もつとめた菅原雅(まさし)さんのお父様ではないか、と記しました。それは、気仙沼市史の記述からの推測でした。
気仙沼市史第5巻「産業編(上)」の「醸造業の変遷」(p393)での男山菅原家に関する記述を引用します。
◇男山菅原家 (現 (株)男山本店)
男山は明治10年の創業で、初代菅原嘉吉は、気仙沼町八日町に居をかまえ、石灰業を主業としていた。
2代目昭治は石灰業の行き先に不安を感じ、山の権利を譲渡して酒造業に転換して行く。明治36年あたりから酒小売業を営んでいたが、明治41年に濁酒製造免許を受けて醸造を始めた。そして大正元年町内入沢に酒蔵を建て清酒醸造に乗り出した。(この後の、屋号、酒銘にもなっている「男山」の由来は略します)
昭和20年に3代目(酒造の2代目)克己が免許を継承、経営の伸長に努め、4代目雅が気仙沼市長を勤めた48年から現役に復帰して第一線の指揮をとったこともあった。
現在は4代目雅である。(以下略。引用は以上)
つまり、菅原家は、嘉吉〜昭治〜克己〜雅、そして現在の社長である昭彦さんへと継承されてきたことになります。
ということになると、昭和3、4年に斉直商店からお嫁さんをもらうとなると、昭治さんでは古すぎるし、雅さんでもないし。そんなことから、お婿さんは、菅原克己さんに決定。
とはいうものの、なにか勘違いしている可能性もありますね。どなたか、菅原昭彦さんにお会いしたら、こうたずねてもらえませんでしょうか。
〈あんだいのお祖母さんは、斉直さんからだったべが〉
どうぞよろしく。
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