和田さんのピック
11月15日まで渋谷PARCO8階の「ほぼ日曜日」で、『表紙はうたう 完全版』刊行記念原画展「和田誠さんと。」が開催されていました。週刊文春の表紙絵の展覧会です。私は11月13日に滑り込みセーフ。
会場には、週刊文春の表紙を飾った和田さんの絵がいろいろと。会場は、写真撮影が許可されており、そのブログ紹介も構わないとのこと。
本日は、会場で私が気に入った一枚を紹介します。週刊文春1991年8月8日号の絵。タイトルは「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」です。

ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(週刊文春 1991年8月8日号表紙原画)
このタイトルはもちろん、ビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」。ジョージ・ハリソンの作詞・作曲で、ギターソロはエリック・クラプトン。
この絵、ギターピックがとてもきれいですね。私は、友達からもらったFender/テレキャスターを持っています。そして、それに合わせたわけでもないのですが、絵の中にあったFenderピックの色違いを持っています。琥珀模様。なぜか気に入りました。150円ぐらいだったでしょうか。Fenderのロゴがなんかかっこいいと思ったのでしょう。
この絵に描かれたいろんなピックは、和田さんのものとも思えません。私は長男の唱(しょう)さんの持ち物を借りたのではないかと。
◎和田唱さん
和田唱さんは、バンドTRICERATOPS(トライセラトップス)でギターとボーカルを担当しています。私が唱さんを知ったのは、2001年に始まった小田和正さんのテレビ音楽番組「クリスマスの贈り物」です。2011年に唱さんが登場していますから、きっとこの回を見たのでしょう。
昨年12月25日深夜(クリスマスイブの深夜)放送の「クリスマスの贈り物2019」にも登場。3回目だったようです。唱さんらの「ムービーハーモニー」を聴いて、映画が大好きで自ら監督をつとめたこともある和田誠さんを思い出した方も多かったでしょう。10月7日に亡くなったばかりでしたから。
唱さんはギターもうまいしボーカルもいい。顔は父親と母親/平野レミさんが半々という感じ。ほかのミュージシャンとのハーモニーも実にいいのです。なんというか、私はさすがだなと。アーチストの血筋というものを感じました。
唱さんは1975年生まれのようです。すると、紹介した週刊文春の絵が描かれた1991年のときは、16歳ぐらいでしょうか。なんかいい感じですね。いろんなピックをああでもないこうでもないと試すお年頃。
あくまで私の妄想に過ぎないのですが、そんな息子さんのピックを55歳ごろの和田誠さんが借りて絵を描いたと。私にはそんな風景が見えてくるのです。
週刊文春では毎号、「表紙はうたう」と題して和田誠さんによる絵の解説が記されています。このギターピックの絵、そして「While My Guitar Gently Weeps」についてどのようなことを書いていたのでしょうか。それが知りたい。
11月9日ブログ「和田誠さんの葉書」
最後に訂正。11月9日のブログで、〈私は和田誠さんが1977年に週刊文春の表紙を書き始めたときから毎週、活版頁を抜き取って表紙とグラビア部分を数年間にわたって保存してきました。大学生のときのこと〉と書きました。しかし計算し直すと、1977年時は25歳。就職間もないころでした。
貯まった抜き取りを気仙沼の実家に送ったのは、卒業後に住んだ三鷹から荻窪に引っ越すタイミングだったかも。お詫びして訂正します。どうぞよろしく。
会場には、週刊文春の表紙を飾った和田さんの絵がいろいろと。会場は、写真撮影が許可されており、そのブログ紹介も構わないとのこと。
本日は、会場で私が気に入った一枚を紹介します。週刊文春1991年8月8日号の絵。タイトルは「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」です。

ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(週刊文春 1991年8月8日号表紙原画)
このタイトルはもちろん、ビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」。ジョージ・ハリソンの作詞・作曲で、ギターソロはエリック・クラプトン。
この絵、ギターピックがとてもきれいですね。私は、友達からもらったFender/テレキャスターを持っています。そして、それに合わせたわけでもないのですが、絵の中にあったFenderピックの色違いを持っています。琥珀模様。なぜか気に入りました。150円ぐらいだったでしょうか。Fenderのロゴがなんかかっこいいと思ったのでしょう。
この絵に描かれたいろんなピックは、和田さんのものとも思えません。私は長男の唱(しょう)さんの持ち物を借りたのではないかと。
◎和田唱さん
和田唱さんは、バンドTRICERATOPS(トライセラトップス)でギターとボーカルを担当しています。私が唱さんを知ったのは、2001年に始まった小田和正さんのテレビ音楽番組「クリスマスの贈り物」です。2011年に唱さんが登場していますから、きっとこの回を見たのでしょう。
昨年12月25日深夜(クリスマスイブの深夜)放送の「クリスマスの贈り物2019」にも登場。3回目だったようです。唱さんらの「ムービーハーモニー」を聴いて、映画が大好きで自ら監督をつとめたこともある和田誠さんを思い出した方も多かったでしょう。10月7日に亡くなったばかりでしたから。
唱さんはギターもうまいしボーカルもいい。顔は父親と母親/平野レミさんが半々という感じ。ほかのミュージシャンとのハーモニーも実にいいのです。なんというか、私はさすがだなと。アーチストの血筋というものを感じました。
唱さんは1975年生まれのようです。すると、紹介した週刊文春の絵が描かれた1991年のときは、16歳ぐらいでしょうか。なんかいい感じですね。いろんなピックをああでもないこうでもないと試すお年頃。
あくまで私の妄想に過ぎないのですが、そんな息子さんのピックを55歳ごろの和田誠さんが借りて絵を描いたと。私にはそんな風景が見えてくるのです。
週刊文春では毎号、「表紙はうたう」と題して和田誠さんによる絵の解説が記されています。このギターピックの絵、そして「While My Guitar Gently Weeps」についてどのようなことを書いていたのでしょうか。それが知りたい。
11月9日ブログ「和田誠さんの葉書」
最後に訂正。11月9日のブログで、〈私は和田誠さんが1977年に週刊文春の表紙を書き始めたときから毎週、活版頁を抜き取って表紙とグラビア部分を数年間にわたって保存してきました。大学生のときのこと〉と書きました。しかし計算し直すと、1977年時は25歳。就職間もないころでした。
貯まった抜き取りを気仙沼の実家に送ったのは、卒業後に住んだ三鷹から荻窪に引っ越すタイミングだったかも。お詫びして訂正します。どうぞよろしく。
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