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魚町土地区画整理

気仙沼市の魚町・南町地区土地区画整理事業における全宅地の引き渡しが完了したそうです。12月8日の三陸新報が伝えています。


引き渡し
三陸新報12月8日記事の一部イメージ



引き渡しが残っていたのは、神明崎に近い魚町地内の4区画です。これが11月27日に地権者に引き渡されたことにより、全289区画の引き渡しが完了したとのこと。

この最後の4区間のあたりは、小さな頃に遊んだ神明崎やお神明さんの近くですからよく知っています。

記事写真の右側から左手前の順にいえば、角に海藻類を扱っていた斉富商店さんがあって、全漁連の冷凍庫ビル、遠間さん宅、製氷会社(確定できませんが、市史に「朝日製氷所」の名があります)などが並んでいたはず。(追記:3年2組の臼井真人君の話では、私たちが知る当時の製氷工場はニチレイで、その後、内の脇に移転したとのこと。いろいろと変遷があるようです)


◎遠間の缶詰工場

遠間家宅がここにあったことになんの不思議もありません。私の記憶にはないのですが、昭和初期、ここには遠間さんの缶詰工場があったのです。遠間章次さんが、合名会社遠間缶詰所を設立したのは、気仙沼文化史年表によれば昭和3年/1928年のこと。工場建設もそれから間もないことではないでしょうか。

遠間章次さんは、南町の劇場・映画館「鼎座」をつくったことでも知られています。

2014年7月18日ブログ「気仙沼の映画館史」でも紹介しましたが、遠間さんらは大正3年8月に株式会社鼎座を創立し、南町に鼎座を新築しましたが、開館をまたず大正4年3月の大火で焼失。その後、仮小屋で営業しましたが、これも昭和4年の大火で焼失。しかし翌年/昭和5年11月に新たな建物を再興し、多くの映画や芝居・演劇を上演しました。昭和39年4月に閉館。

気仙沼市史第4巻では、明治期の実業家のひとりとして遠間章次さんを紹介していますが、その中に〈大正3年 長男章一(明治40年生まれ)のため映画劇場鼎座を建てた〉との記述がありました。

そんなことで、鼎座があった南町の丸光デパート近辺や、土地区画整理での最後の引き渡し宅地となった神明崎あたりは、遠間章次さんの事業展開ゆかりの地であったのです。

震災後に気仙沼に帰り神明崎近辺を歩いたときに、ああ、斉富さんちも遠間さんちもすっかり津波でやられてしまったんだなあと感じたことを思い出します。

震災から間もなく10年。魚町の神明崎付近の新しい風景を楽しみにすることといたしましょう。

7月14日ブログ「魚町復興経過写真」
 
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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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