守屋洋さんの投稿
三陸新報に興味深い投稿記事が掲載されていました。筆者は、守屋洋(もりやひろし)さんです。10月27・28・30日・31日・
11月1日と5回にわたって掲載されました。
1回目の記事を紹介します。

三陸新報10月27日記事の一部イメージ
守屋さんは、気仙沼市階上出身。気仙沼高校3回生ですから、私たちの19年先輩です。守屋さんの肩書きに「中国文学者」とあります。Amazonの「守屋洋」著者別ページを見てもらえれば、その著作数の多さにみな圧倒されることでしょう。
Amazon「守屋洋」ページ
Amazonでの著者プロフィールはつぎのとおり。
1932年、宮城県生まれ。東京都立大学中国文学科修士課程修了。現在、中国文学の第一人者として著述、講演等で活躍中。研究のための学問ではなく、現代社会の中で中国古典の知恵がどう生かされているのかを語り、難解になりがちな中国古典を平易な語り口でわかりやすく説く。SBI大学院で経営者・リーダー向けに中国古典の講義を続けるなど、広く支持されている。(引用は以上)
中国文学者、著述家として長く活動している守屋さんのプロフィールにいつのころだったか「SBI大学院教授」という記述が加わりました。その経緯が、1回目の投稿に記されていました。SBIホールディングスの北尾𠮷孝さんとのご縁だったのですね。北尾さんの中国古典好きはよく知られた話。守屋洋さんの著作の愛読者のひとりでもあったのでしょう。
私が驚いたのは、守屋さんの年齢が88歳と記してあったことです。投稿記事の冒頭に〈これまで本業としてきた書くことや、話すことからは、ほぼ引退した〉と書かれていましたが、文章からはまだまだお元気な様子がうかがえます。なによりのこと。
記事の末尾にはつぎのように記されていました。
〈今しばらくはこんな仕事を続けながら、老いと向き合っていこうと、覚悟を固めているところである〉
なお、守屋さんの投稿記事タイトルは「残目録あれこれ」。「残日録(ざんじつろく)」は知っていたものの、「残目録」という言葉は初めて目にしました。不勉強で、どのような意味なのかはわかりません。
本日ご紹介したのは、第1回目の投稿記事ですが、各回とも興味深い内容でした。あらためて紹介しようと思っています。
11月1日と5回にわたって掲載されました。
1回目の記事を紹介します。

三陸新報10月27日記事の一部イメージ
守屋さんは、気仙沼市階上出身。気仙沼高校3回生ですから、私たちの19年先輩です。守屋さんの肩書きに「中国文学者」とあります。Amazonの「守屋洋」著者別ページを見てもらえれば、その著作数の多さにみな圧倒されることでしょう。
Amazon「守屋洋」ページ
Amazonでの著者プロフィールはつぎのとおり。
1932年、宮城県生まれ。東京都立大学中国文学科修士課程修了。現在、中国文学の第一人者として著述、講演等で活躍中。研究のための学問ではなく、現代社会の中で中国古典の知恵がどう生かされているのかを語り、難解になりがちな中国古典を平易な語り口でわかりやすく説く。SBI大学院で経営者・リーダー向けに中国古典の講義を続けるなど、広く支持されている。(引用は以上)
中国文学者、著述家として長く活動している守屋さんのプロフィールにいつのころだったか「SBI大学院教授」という記述が加わりました。その経緯が、1回目の投稿に記されていました。SBIホールディングスの北尾𠮷孝さんとのご縁だったのですね。北尾さんの中国古典好きはよく知られた話。守屋洋さんの著作の愛読者のひとりでもあったのでしょう。
私が驚いたのは、守屋さんの年齢が88歳と記してあったことです。投稿記事の冒頭に〈これまで本業としてきた書くことや、話すことからは、ほぼ引退した〉と書かれていましたが、文章からはまだまだお元気な様子がうかがえます。なによりのこと。
記事の末尾にはつぎのように記されていました。
〈今しばらくはこんな仕事を続けながら、老いと向き合っていこうと、覚悟を固めているところである〉
なお、守屋さんの投稿記事タイトルは「残目録あれこれ」。「残日録(ざんじつろく)」は知っていたものの、「残目録」という言葉は初めて目にしました。不勉強で、どのような意味なのかはわかりません。
本日ご紹介したのは、第1回目の投稿記事ですが、各回とも興味深い内容でした。あらためて紹介しようと思っています。
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