日本民俗学会会長
きのう10月21日の三陸新報にうれしいニュースが掲載されていました。気仙沼出身の川島秀一さんが、日本民俗学会の会長に選任されました。これはすごいことでしょう。

三陸新報10月21日記事の一部イメージ
川島秀一さんは一つ下の気中21回生。魚町のご近所でしたからよく知っています。それだけに、この会長選任の報にふれて驚き、そして喜んだのです。
◎日本民俗学会
記事によれば、川島さんは2014年から同学会の理事をつとめており、このほど開かれた総会で会長に選ばれたそうです。
同学会のサイトを見てみると、総会は10月11日に東京で開催されたようです。会長は、評議員会の推薦を得て、理事会の決議によって理事のなかから選任されます。任期は2年。
同学会は1949年(昭和24年)に発足しました。民俗学研究者の全国的な学会として、現在、約2300名の会員を擁しています。
その前身は、1935年(昭和10年)に柳田國男(やなぎた くにお)の還暦を機に開催された民俗学講習会に参集した、全国の研究者の要望によって結成された「民間伝承の会」とのことですから、わが国の民俗学の歴史とともにあった学会です。
◎川島秀一さん略歴
三陸新報記事では川島さんの略歴をつぎのように紹介しています。
〈川島さんは元気仙沼市職員で、リアス・アーク美術館の副館長などを務めた。現在、福島県相馬郡新地町在住。日本カツオ学会会長も務めている〉
ちょっと略歴すぎるかな。私の知る範囲で補足しておきましょう。
生まれも育ちも気仙沼市魚町。気仙沼小・気中・気高から法政大学へ。卒業後、東北大学附属図書館の司書をつとめたあと、市職員として気仙沼市史編纂室へ。18年間で計10冊の市史の編集を担当したとのこと。そして気仙沼市図書館司書を経て、リアス・アーク美術館に勤務し、東日本大震災時には副館長でした。2010年には、博士号(文学)を取得しています。
震災後、2012年4月に神奈川大学特任教授として日本常民文化研究所に属しましたが、2013年4月には東北大学 災害科学国際研究所の教授となり、5年後2018年3月に定年で退官しました。現在は同研究所のシニア研究員です。
◎新地町の秀ちゃん
2018年4月、川島さんは福島県相馬郡新地町(しんちまち)の災害町営住宅に移り住み、漁師見習として新しい暮らしを始めました。漁師町に暮らし、そして漁にも従事しながら、〈海の習俗/漁師の民俗〉の研究というか体験と記録をおこなっているのでしょう。このあたりのことはつぎのブログで紹介しました。地元では「秀ちゃんは新地の宝」との声も。
2018年4月9日ブログ「川島さんの再出発」
新地町での暮らしもすでに2年。その様子は、三陸新報での連載寄稿「漁村を訪ねて」でも報告されています。7月には〈新地の食と暮らし〉と題し、新地の漁や食文化について記していました。
こうした新地町での川島さんの活動や行動は、民俗学におけるフィールドワーク(現地調査)やエスノグラフィー(行動観察調査)といったことに対する私の印象をはるかに超えたものです。なにか川島さんの研究の新しい世界が切り拓かれつつあるのだろうと感じています。
◎「野の学問」としての民俗学
記事では、川島さんの抱負をつぎのように紹介していました。
〈 コロナ禍の新たな時代を迎え、会議の持ち方や研究、学会の形を模索しなければならない。「野の学問」であったはずの民俗学が、地方では衰微しつつある。オンラインが普及し、地方の研究者が参加しやすくなったことでコロナ禍を逆手に、東京中心ではない本来の民俗学の在り方を考えることができれば 〉と。
〈「野の学問」であったはずの民俗学〉という言葉が印象に残りました。
いろいろと大変なことも多いなかでの日本民俗学会の会長選任。〈おめでとう〉という言葉はなにか似つかわしくありませんね。しかし、私をはじめ、川島さんを知る気仙沼の多くの人が喜び、そして誇りに思っていることでしょう。
秀一さん、歴史ある日本民俗学会の会長選任を知り、大変うれしく思いました。さらに忙しくなることと思いますが、どうぞ健康にも留意されて、益々のご活躍を。どうぞよろしく。
2018年7月に日本経済新聞文化欄に掲載された川島さんの寄稿文についてはつぎのブログにて。
2018年7月27日ブログ「川島秀一 日経寄稿」

三陸新報10月21日記事の一部イメージ
川島秀一さんは一つ下の気中21回生。魚町のご近所でしたからよく知っています。それだけに、この会長選任の報にふれて驚き、そして喜んだのです。
◎日本民俗学会
記事によれば、川島さんは2014年から同学会の理事をつとめており、このほど開かれた総会で会長に選ばれたそうです。
同学会のサイトを見てみると、総会は10月11日に東京で開催されたようです。会長は、評議員会の推薦を得て、理事会の決議によって理事のなかから選任されます。任期は2年。
同学会は1949年(昭和24年)に発足しました。民俗学研究者の全国的な学会として、現在、約2300名の会員を擁しています。
その前身は、1935年(昭和10年)に柳田國男(やなぎた くにお)の還暦を機に開催された民俗学講習会に参集した、全国の研究者の要望によって結成された「民間伝承の会」とのことですから、わが国の民俗学の歴史とともにあった学会です。
◎川島秀一さん略歴
三陸新報記事では川島さんの略歴をつぎのように紹介しています。
〈川島さんは元気仙沼市職員で、リアス・アーク美術館の副館長などを務めた。現在、福島県相馬郡新地町在住。日本カツオ学会会長も務めている〉
ちょっと略歴すぎるかな。私の知る範囲で補足しておきましょう。
生まれも育ちも気仙沼市魚町。気仙沼小・気中・気高から法政大学へ。卒業後、東北大学附属図書館の司書をつとめたあと、市職員として気仙沼市史編纂室へ。18年間で計10冊の市史の編集を担当したとのこと。そして気仙沼市図書館司書を経て、リアス・アーク美術館に勤務し、東日本大震災時には副館長でした。2010年には、博士号(文学)を取得しています。
震災後、2012年4月に神奈川大学特任教授として日本常民文化研究所に属しましたが、2013年4月には東北大学 災害科学国際研究所の教授となり、5年後2018年3月に定年で退官しました。現在は同研究所のシニア研究員です。
◎新地町の秀ちゃん
2018年4月、川島さんは福島県相馬郡新地町(しんちまち)の災害町営住宅に移り住み、漁師見習として新しい暮らしを始めました。漁師町に暮らし、そして漁にも従事しながら、〈海の習俗/漁師の民俗〉の研究というか体験と記録をおこなっているのでしょう。このあたりのことはつぎのブログで紹介しました。地元では「秀ちゃんは新地の宝」との声も。
2018年4月9日ブログ「川島さんの再出発」
新地町での暮らしもすでに2年。その様子は、三陸新報での連載寄稿「漁村を訪ねて」でも報告されています。7月には〈新地の食と暮らし〉と題し、新地の漁や食文化について記していました。
こうした新地町での川島さんの活動や行動は、民俗学におけるフィールドワーク(現地調査)やエスノグラフィー(行動観察調査)といったことに対する私の印象をはるかに超えたものです。なにか川島さんの研究の新しい世界が切り拓かれつつあるのだろうと感じています。
◎「野の学問」としての民俗学
記事では、川島さんの抱負をつぎのように紹介していました。
〈 コロナ禍の新たな時代を迎え、会議の持ち方や研究、学会の形を模索しなければならない。「野の学問」であったはずの民俗学が、地方では衰微しつつある。オンラインが普及し、地方の研究者が参加しやすくなったことでコロナ禍を逆手に、東京中心ではない本来の民俗学の在り方を考えることができれば 〉と。
〈「野の学問」であったはずの民俗学〉という言葉が印象に残りました。
いろいろと大変なことも多いなかでの日本民俗学会の会長選任。〈おめでとう〉という言葉はなにか似つかわしくありませんね。しかし、私をはじめ、川島さんを知る気仙沼の多くの人が喜び、そして誇りに思っていることでしょう。
秀一さん、歴史ある日本民俗学会の会長選任を知り、大変うれしく思いました。さらに忙しくなることと思いますが、どうぞ健康にも留意されて、益々のご活躍を。どうぞよろしく。
2018年7月に日本経済新聞文化欄に掲載された川島さんの寄稿文についてはつぎのブログにて。
2018年7月27日ブログ「川島秀一 日経寄稿」
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