大西隆先生と震災
日本学術会議の会員候補6人が任命されなかった問題が注目を集めています。きのう10月6日の朝、テレビ朝日「モーニングショー」でもこの問題をとりあげていました。
冒頭部分を見逃しましたが、画面には日本学術会議の会長をつとめたことがある大西隆さんの顔がうつっていました。スタジオ出演ではなくリモートでの参加です。
大西さんは22期と23期の日本学術会議の会長をつとめました。2011年10月から2017年9月までの6年間です。その後の24期会長は前京都大学総長でゴリラ研究でも知られる山極寿一さん。現25期は2015年にノーベル物理学賞を受けた梶田隆章さんです。
大西さんは、テレビ朝日社員コメンテーター玉川徹さんらの質問に対して、明解かつ的確に答えていました。番組が用意したパネル中の予算額など、視聴者が誤解しそうなことに対しては発言を求めてわかりやすく説明するといったことも。
玉川さんは、大西さんが会長をつとめていたときに、政府(官邸)から求められて会員定員以上の候補者名簿を提出したかどうかについても質問していました。
これはきのうの朝に新事実として報道されたこと。これについても大西さんはきわめて率直にその経緯と当時の会長としての自身の判断、官邸とのやりとりを話されていました。
その会長としての考えに対する評価は人によっていろいろでしょうが、私は科学者の言葉というのはこういうものなのかと感心しました。発言内容など細かなことは省略します。
そして番組がつぎの話題に移ったころ、突然思い出したのです。〈大西さんは、気仙沼市の震災復興会議メンバーではなかったか〉と。
やはりそうでした。2011年6月19日に第1回会議が開催されていますが、その構成員名簿をみると、大西さんの名が7人の学識経験者のひとりとして名簿の上から3人目にあります。名簿は五十音順でしょう。この復興会議の4か月後に日本学術会議会長となりました。

市サイト/第1回 気仙沼市震災復興会議より
そして、2012年3月18日には日本計画行政学会の復興フォーラムが気仙沼で開かれましたが、この学会の会長をつとめていたのも大西さんでした。復興フォーラムについてはつぎのブログで記しています。
2012年3月24日ブログ「大西隆教授の話」
私は、このブログで大西さんをつぎのように紹介しました。
〈この学会の大西隆会長は、東京大学教授で国土計画や地域開発、都市開発が専門です。政府の東日本大震災復興構想会議委員もつとめるなど、この分野での権威者のひとりといってもよいでしょう。昨年10月には、日本を代表する科学者団体「日本学術会議」の会長にも選出されました。そして大西教授は、気仙沼市の震災復興会議の委員もつとめてくださいました。〉
そして、復興フォーラムについての三陸新報記事をうけてつぎのように。
〈大西教授は、過去の大津波の教訓が生かされなかった事例を紹介しながら、「宮古市田老の巨大防潮堤のように、津波を人工的に防ごうとしてもできなかった。防災施設と避難、まちづくりを合わせた『減災』の考え方が重要」とアドバイスしたといいます。また、公的資金を活用して新産業を立ち上げる「復興まちづくり会社」の設立も提案したとのこと〉
この8年前の自分が書いた文章を読むと、当時の〈巨大すぎる防潮堤〉への疑問というか懐疑的な気持ちを思い出します。ブログ記事をつぎのように結んでいます。
〈防潮堤の限界と〈減災〉の考え方の大切さを語る大西教授。そのアドバイスは、きょう24日午後一時からの「魚町・南町まちづくりコンペ」審査にどのように反映されるでしょうか〉
参考まで付け加えておくと、この「魚町・南町内湾地区復興まちづくりコンペ」の2012年4月29日の審査委員会で最優秀とされた案は、大林組と建設コンサルタント会社・エイト日本技術開発が共同で提案した「直立浮上式防波堤」を設置する案でした。
しかし、この案がそのまま実施案になったわけではありません。市は最終選考に残った5案を中心に具体的な検討に入り、住民とのまちづくりの協議に生かすことになったのです。
「直立浮上式防波堤」案は久しぶりに思い出しました。本当にいろんなことがありましたね。
モーニングショーの話から、ちょっと話が長くなってしまいました。この辺にしておきましょう。
最後になりましたが、大西隆先生の気仙沼復興へのご支援に御礼を申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2015年12月8日ブログ「震災復興会議とは」
冒頭部分を見逃しましたが、画面には日本学術会議の会長をつとめたことがある大西隆さんの顔がうつっていました。スタジオ出演ではなくリモートでの参加です。
大西さんは22期と23期の日本学術会議の会長をつとめました。2011年10月から2017年9月までの6年間です。その後の24期会長は前京都大学総長でゴリラ研究でも知られる山極寿一さん。現25期は2015年にノーベル物理学賞を受けた梶田隆章さんです。
大西さんは、テレビ朝日社員コメンテーター玉川徹さんらの質問に対して、明解かつ的確に答えていました。番組が用意したパネル中の予算額など、視聴者が誤解しそうなことに対しては発言を求めてわかりやすく説明するといったことも。
玉川さんは、大西さんが会長をつとめていたときに、政府(官邸)から求められて会員定員以上の候補者名簿を提出したかどうかについても質問していました。
これはきのうの朝に新事実として報道されたこと。これについても大西さんはきわめて率直にその経緯と当時の会長としての自身の判断、官邸とのやりとりを話されていました。
その会長としての考えに対する評価は人によっていろいろでしょうが、私は科学者の言葉というのはこういうものなのかと感心しました。発言内容など細かなことは省略します。
そして番組がつぎの話題に移ったころ、突然思い出したのです。〈大西さんは、気仙沼市の震災復興会議メンバーではなかったか〉と。
やはりそうでした。2011年6月19日に第1回会議が開催されていますが、その構成員名簿をみると、大西さんの名が7人の学識経験者のひとりとして名簿の上から3人目にあります。名簿は五十音順でしょう。この復興会議の4か月後に日本学術会議会長となりました。

市サイト/第1回 気仙沼市震災復興会議より
そして、2012年3月18日には日本計画行政学会の復興フォーラムが気仙沼で開かれましたが、この学会の会長をつとめていたのも大西さんでした。復興フォーラムについてはつぎのブログで記しています。
2012年3月24日ブログ「大西隆教授の話」
私は、このブログで大西さんをつぎのように紹介しました。
〈この学会の大西隆会長は、東京大学教授で国土計画や地域開発、都市開発が専門です。政府の東日本大震災復興構想会議委員もつとめるなど、この分野での権威者のひとりといってもよいでしょう。昨年10月には、日本を代表する科学者団体「日本学術会議」の会長にも選出されました。そして大西教授は、気仙沼市の震災復興会議の委員もつとめてくださいました。〉
そして、復興フォーラムについての三陸新報記事をうけてつぎのように。
〈大西教授は、過去の大津波の教訓が生かされなかった事例を紹介しながら、「宮古市田老の巨大防潮堤のように、津波を人工的に防ごうとしてもできなかった。防災施設と避難、まちづくりを合わせた『減災』の考え方が重要」とアドバイスしたといいます。また、公的資金を活用して新産業を立ち上げる「復興まちづくり会社」の設立も提案したとのこと〉
この8年前の自分が書いた文章を読むと、当時の〈巨大すぎる防潮堤〉への疑問というか懐疑的な気持ちを思い出します。ブログ記事をつぎのように結んでいます。
〈防潮堤の限界と〈減災〉の考え方の大切さを語る大西教授。そのアドバイスは、きょう24日午後一時からの「魚町・南町まちづくりコンペ」審査にどのように反映されるでしょうか〉
参考まで付け加えておくと、この「魚町・南町内湾地区復興まちづくりコンペ」の2012年4月29日の審査委員会で最優秀とされた案は、大林組と建設コンサルタント会社・エイト日本技術開発が共同で提案した「直立浮上式防波堤」を設置する案でした。
しかし、この案がそのまま実施案になったわけではありません。市は最終選考に残った5案を中心に具体的な検討に入り、住民とのまちづくりの協議に生かすことになったのです。
「直立浮上式防波堤」案は久しぶりに思い出しました。本当にいろんなことがありましたね。
モーニングショーの話から、ちょっと話が長くなってしまいました。この辺にしておきましょう。
最後になりましたが、大西隆先生の気仙沼復興へのご支援に御礼を申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2015年12月8日ブログ「震災復興会議とは」
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tag : 大西隆 日本学術会議 気仙沼市震災復興会議