fc2ブログ

萬有流転「小野良」

先週金曜日のブログで、小野良組の創業者である小野寺良助さんについて、気仙沼市史の中にあった良助翁胸像の銘文を紹介しましたが、もうひとつ大変興味深い文章を見つけていました。それは菅野青顔さんによる追悼の文章です。

菅野青顔さんは、気仙沼図書館初代専任館長であったと同時に、三陸新報1面コラム「萬有流転」(ばんゆうるてん)を長く執筆した方としても知られています。私は、もしかすると青顔さんが小野良さんのことを書いているかもしれないと思い、手元にある「菅野青顔の萬有流転」(昭和55年3月 三陸新報社刊)を調べてみたのです。

やはりありました。下巻のP332-333。

萬有流転

「菅野青顔の萬有流転」より


◎1977年2月5日「萬有流転」

これは昭和52(1977)年2月5日三陸新報「萬有流転」の文章です。前半部を引用します。

〈 全国的に知られている大土建屋《小野良組》の創立者小野寺良助翁は病気療養中だったが、3日午前3時45分、急性心不全のため88年の生涯の幕を閉じた。丈夫で居れば本紙(三陸新報)連載「矍鑠」欄を飾る筆頭の人物だったのにと惜しまれるものがある。

小野良翁は青年時代から一方の雄として有名だった。太っ腹で、親分肌で、才腕の美丈夫。これが《小野良》という人物を形成してきた根幹ではなかったか!。こういう男に惚れない女があったら片輪者にきまっている。《小野良》という我等の大先輩は、いわば男ぼれのする男の中の男であった。晩年にいたるまで。あらゆる分野にわたって尽くしてきた数々の功績に就いては、他に語る人が沢山あろうから、余はここに、強いて余の恥をさらすようなことを書いて故人を偲ぶよすがとしたい。〉(後略、引用は以上)

一部、近年は使用が不適当とされる用語もありますが、あえて原文のままとしております。また、三陸新報の連載名「矍鑠」は〈かくしゃく〉ですね。元気なご老人を紹介する記事があったのでしょう。

さて、引用部の続きですが、要約すればつぎのようなことです。

青顔さんが大気新聞の記者だった頃の話。小野良組に3名の暴れん坊がおり、毎晩のようにレストラン「世界」にあらわれてはあらしまわっていた。

ある夜、その3人と渡り合いになった青顔さんらは、勝つには勝った。しかし、青顔さんはコガネ洋服店にて16円50銭で買ったばかりの三つ揃いをワカメのようにされてしまった。

翌日、大気新聞社に訪ねてきた三浦百郎さんと昨夜の乱闘事件について話していると、3人があらわれて、勝負をつけるから決闘の場所を指定しろという。

百郎さんが「やんべ、やんべ」というので、夜の8時と定め、少林寺山の釈迦堂前で待っていったが、相手の3人は姿を見せなかった。

なぜかといえば、この出入りを知った小野良さんが事前に3人を呼んで、決闘を中止させたのだ。小野良さんは、「きさまたちが、たばになってかかっても、あの二人には勝てないぞ、下手をすると殺されるぞ!」と、青顔さんと百郎さんの実力とは逆のことを言ったとのこと。

もし小野良さんがいなかったらどうなっていただろう。いま思ってもゾッとするものがある。といったような話です。


◎昭和初期/気仙沼町の風景

三浦百郎(ひゃくろう)さんは、歌人としても知られた方。気仙沼町総務課長などを経て町教育長や、文化財保護委員会委員長、市史編纂委員長などもつとめた、気仙沼を代表する文化人のおひとりです。

小野寺良助さんは明治22年生まれ。青顔さんは明治36年生まれですから14歳ほど年下です。

青顔さんが大気新聞にいたのは昭和4年から14年/36歳ぐらいまでのことですから、まだまだ若かったころの話です。その青顔さんが、というかあの青顔さんが〈才腕の美丈夫〉〈大先輩〉〈男の中の男〉と評するのですから、その人物像が胸像銘文よりもリアルにうかびあがってきます。

また、こうした良助さんの話を知ると、その子息であった俳優「小野良」こと小野寺良正さんもさぞかしと思えてくるのです。そうでなければ日活の俳優として活躍することもなかったでしょう。

萬有流転文中に登場する〈コガネ洋服店〉や〈世界〉といった店名もなつかしい。現在の〈割烹 世界〉さんは、当時、レストランだったのですね。店主の坂本恪さんは明治23年生まれといいますから、小野良さんのひとつ下。気仙沼の〈風流人〉として知られていた方です。青顔さんは〈オヤジ〉として親しく接していたそうです。

なお、上掲の「菅野青顔の萬有流転」画像の右頁に一部がうつる追悼文には、「摩訶止観」(まかしかん)「竹林無想庵」「辻潤」などの書名、人名が見てとれます。これは、小野寺良助さんと同じ昭和52(1977)年の1月11日に74歳で亡くなった、気仙沼の天台宗別格本山「観音寺」貫主であった鮎貝真観大僧正を追悼するものです。

ずいぶんと話が長くなってしまいました。ここまでしておきましょう。

小野寺良助さんや菅野青顔さんがまだ若く元気だった時代。「萬有流転」の文章のなかに、昭和初期における活気にみちた気仙沼町の空気を感じることができました。その気分を少しでもお伝えしたく。

9月4日ブログ「小野良組100周年」
2016年5月20日ブログ「菅野青顔図書館長」
 
スポンサーサイト



テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 小野寺良助菅野青顔

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

気中20/小田

Author:気中20/小田
このブログは、東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/71~72歳)たちを支援する首都圏在住者「気中20回生支援会」ブログとして始めました。いまは、気仙沼出身東京在住者による気仙沼情報ブログとして、魚町育ちの小田(気中3年8組)が書いています。

Twitter: @kechu20

最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
03 | 2024/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示