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みなとまつり回顧

7月17日のブログでは、気仙沼みなとまつりに関する私の思い出を紹介しましたが本日紹介するのは、7月19日(日)の三陸新報/暑中特集号に掲載された「みなとまつり回顧録」昭和編①です。


回顧録

三陸新報7月19日記事の一部イメージ


リード文を引用させてもらいます。筆者は三浦一樹さんです。

〈気仙沼みなとまつりが今年、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となった。68回を数える中で、中止は東日本大震災があった2011年以来、2度目。市内最大のイベントだけに、寂しさを感じる市民も少なくない。一方で、祭りが始まった経緯や歴史を知る人はどれくらいいるだろうか。この機会に、昭和、平成、令和と時代とともに歩んできた、祭りの歴史を振り返ってみたい。〉(引用は以上)

記事で紹介されている写真は、1958年のみなとまつりとのこと。第8回目ということになりますね。写真から受ける印象ではもっとあとのような感じもするのですが。

軒花(のきばな)がなつかしい。経澤鉄工所、千葉鉄工所の名前が見えるので、魚町のホテル望洋/以前の望洋舘の下あたり、現在の〈コの字岸壁〉のあたりかと思ったのですが、少し自信がない。なんか港町の風景にも思えるし。

ということで臼井真人君(3年2組)にメールで聞いてみたら、やはり望洋下とのこと。〈弘君にも確認しました〉と。弘君は、福寿水産の臼井弘君(4組)。この写真でいえば右方向に今も会社と自宅があります。

さらに私の興味を引いたのは、写真左側に紹介されている第1回気仙沼みなとまつりについての1951年7月26日付けの三陸新報紙面です。その下部3段分を使っての広告を拡大してみましょう。


拡大


気仙沼・津谷・鹿折が町役場、新月・大谷・階上・松岩・唐桑が村役場となっています。当時の気仙沼町長は宮井誠三郎さんです。

気仙沼町が鹿折町と松岩村と合併して気仙沼市となったのは、この2年後の1953年(昭和28年)6月1日のことです。大島村も一緒に合併する案があったのですが実現せず。初代市長は町長だった宮井誠三郎さん。

広告のなかに気仙沼町漁業協同組合の名も。前身は気仙沼水産倉庫で、1950年10月に気仙沼町漁業協同組合となりました。組合長の名がちょっと読みづらいのですが村米(むらよね)の村上米蔵さんかな。

漁協の左隣にある麻屋商店は現在のアサヤさん。当時の社長は廣野善兵衛さんです。宮井市長のあと、第2代市長もつとめました。アサヤ現専務の廣野一誠さんの曾祖父です。

三陸新報の記事には、気仙沼商工会議所名誉会頭の臼井賢志さん(78)と前気仙沼漁業協同組合組合長の佐藤亮輔さん(79)お二人の話が紹介されています。

初代の気仙沼青年会議所理事長でその後に気仙沼市長もつとめた男山本店/菅原雅さんにまつわる話や、みなとまつりの〈海上うんづら〉は、臼井賢志さんを中心に佐藤亮輔さんら青年会議所のメンバーで企画したものといったことも記されていました。

この連載「みなとまつり回顧録」は好企画ですね。これからの記事も楽しみです。


7月17日ブログ「みなとまつり資料」
 
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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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