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ブルーインパルス

5月29日、新型コロナに対応する医療従事者などに敬意と感謝を示すために、航空自衛隊のアクロバットチーム「ブルーインパルス」が、東京の空を飛行しました。

私はこの日の昼過ぎに仕事場に出ていました。うまくいけば渋谷方面から新宿方向に向かう〈感謝飛行〉をみることができるなと。そして、12:50。ジェット機接近の音がしたので部屋の外に出ると、背後からあっという間に新宿の都庁方向にとびさっていきました。その時の写真を一枚。


ブルーインパルス


11分後には2周目の飛来。前回より少し東よりのコースで新宿方向へ。なんか、その音とスピードで、〈いいもの見せてもらった〉なと。

この日、ブルーインパルス6機は埼玉県狭山市の入間(いるま)基地から飛び立ちましたが、その所属は宮城県東松島市矢本町の松島基地です。戦前は、大日本帝国海軍の飛行場でした。松島海軍航空隊矢本飛行場。

◎気仙沼小学校修学旅行

「松島基地」ときくと、私はすぐに「矢本飛行場」という名前が頭にうかびます。気仙沼小学校のたぶん6年生のとき、仙台方面への修学旅行で矢本飛行場を見学したのです。1961年/昭和36年の秋ごろでしょうか。自衛隊の基地というよりも飛行場の見学という感じで訪れたような記憶がのこっています。

そこで見たジェット戦闘機は「F-86Fセイバー」。「セイバー」は愛称ですが、刀剣のサーベル(Sabre)のことだそうです。機体の金属素材はジュラルミンだったのでしょう。接合のためのリベット部がきれいに研磨されているなど、精密に加工された軽合金がもつ独特の質感にしびれました。

その後に私が書いた矢本飛行場の見学記というか感想文のようなものが、気仙沼小学校の文集に掲載されました。たしか文集の名は「ともだち」だったような。いや「なかよし」だったかな。そんなことがあったので、今でも当時のことが記憶に残っているのだと思います。

矢本飛行場ではもう一機、練習機も見たのですが、こちらの記憶はちょっとあやしい。「T-3」と思っていたのですが、調べてみると、ジェット練習機 「T-33」のようです。ただ、見たのはジェット機ではなく、レシプロ(ピストンエンジン)機であったような気もしたりして。確信がもてません。なお、現在のブルーインパルス機体はT-33の後継機、T-4中等練習機です。

◎松島基地の被災

東日本大震災では松島基地も被災しました。2mを超える津波で、戦闘機、練習機、救難機など28機すべてが水没したといいます。飛行機が流されていく映像をおぼえている人も多いことでしょう。隊員約900名は建物屋上に避難して無事でした。

当時の報道によれば、その3月11日当日、ブルーインパルス全9機のうち1機は松島基地にあり水没。2機は定期修理で松島基地を離れており、残りの6機も福岡県の芦屋基地に移動していて被災をのがれることができました。

6機が福岡県に移動していたのは、3月12日の九州新幹線全線開通の記念飛行をおこなうためでした。しかし震災のために、ブルーインパルスの飛行も含め記念式典はすべて中止。松島基地の駐機場の整備が進み、ブルーインパルスが松島に帰還したのは、2013年3月31日のことです。

◎敬意と感謝

くりかえしになりますが、今回のブルーインパルスの飛行は、新型コロナに対応する医療従事者などに敬意と感謝を示すためにおこなわれました。

ニュース画像で、この「感謝飛行」に病院の屋上で手をふってこたえる医療関係者の姿を見ていると、その思いが届いて本当によかったと思わずにはいられません。

まだまだ大変な日が続くとは思いますが、多くの皆さんの献身的な努力に対して心から御礼を申し上げます。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : ブルーインパルス 新型コロナ

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/68~69歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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