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唐桑物語Part5

4月7日発売の雑誌『世界』(岩波書店)5月号「唐桑物語~海と生きる100年の知恵」の第5回目は「漁業が培う造船魂」。これが最終回となります。

今回、紹介されるのは、江戸時代から続く船大工一族の七代目で、今はエンジニアとして建築界との協業で活躍する「高橋工業」の高橋和志(55歳)さんです。

世界5 (誌面イメージ)

高橋さんの一族は、唐桑の船主さんの依頼で木造の大型鰹船を戦前から多くてがけてきたそうです。大正初めに、この地方で頭領と呼ばれた「船匠」六名のひとり曾祖父の千松。この時代は木造和船。関東大震災後には小笠原諸島父島で15トン級の漁船を10隻完成させたといいます。祖父清志の代にはミッドウェイ沖で尾長鮪の漁場が見つかり、気仙沼でも150トン級の大型漁船が造られていきます。そして戦時中は、地元造船所7社は気仙沼造船鉄工所として統合されるのです。

戦後、祖父と父の吉四郎は、鮭鱒漁用の北洋船を造ります。まずは96トン級の木造船です。その後は鉄船へ。その仕事を通じて気仙沼に腕のいい溶接工が育ったのです。
鰹の一本釣りから近海での木肌鮪を追う延縄(はえなわ)漁への移行。そして遠洋へと漁場が遠くなるなかで、造船所は船頭たちと知恵を絞り漁船に多くの工夫をこらします。そして1970年代、高橋造船は従業員100人を超す当地最大の造船所となります。半数は溶接工だったといいます。

しかし、1977年の海洋法条約締結で、各国は200海里宣言をして漁場が制限されていきます。そして80年には第2次オイルショック。重油価格は暴騰し、多くの船主が廃業しました。そして売掛金を回収できず高橋造船は黒字倒産するのです。

その後、高橋和志さんは1985年に兄弟で高橋工業を設立。造船でつちかった鉄板の加工技術は多くの建築家からも信頼されていました。その仕事と活躍ぶりは別の機会に紹介しましょう。そして昨年の大津波。波路上(はじかみ)地区の社屋工場は崩壊したのです。

高橋和志さんはいまたった4人で新しい一歩を踏み出そうとしています。筆者である瀬戸山玄(せとやま ふかし)さんは、連載の最後をその高橋さんの言葉で結んでいます。

「故郷は人の繋がりで存在できる。そこで家系を繋ぐためにも、生き抜かなければなりません。その為の仕事なのです」


この連載には、唐桑を中心とした気仙沼の漁業の歴史とそれを紡いだ多くの人の物語がまとめられていました。はじめて知ったことも沢山あり、学ぶところの多い力のこもった連載でした。瀬戸山さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。
「唐桑物語」。副題の「海と生きる100年の知恵」という言葉が胸にしみます。

唐桑物語1
唐桑物語2
唐桑物語3
唐桑物語4
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tag : 気仙沼 気中20 世界 唐桑物語 瀬戸山玄 さんま寄席 高橋和志 高橋工業 森は海の恋人

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まとめteみた.【唐桑物語Part5】

発売中の雑誌『世界』(岩波書店)5月号「唐桑物語~海と生きる100年の知恵」の第5回目は「漁業が培う造船魂」。これが最終回となります。今回、紹介されるのは、江戸時代から続く船大工一族の七代目で志(55歳)さんです。(誌面イメージ)高橋さんの一族は、唐桑の船主?...

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Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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