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追悼 大林宣彦さん

4月10日、映画監督の大林宣彦さんがこの世を去りました。2016年に肺がんで余命宣告を受けながらも、映画製作を続けていたのは皆さんご存じのとおりです。そしてついに。82歳でした。

一昨年だったか、大林監督を追ったNHKのドキュメンタリー番組が印象に残っています。調べてみると2018年10月放送の「それでも僕は映画を撮る~監督・大林宣彦 80歳の決意」でした。


大林宣彦

NHKドキュメンタリー/同番組サイトより

「転校生」「時をかける少女」などをはじめ、大林監督のいわゆる劇場用映画は、その後のテレビ放映も含めきちんと見た記憶がありません。しかし、大林さんの〈自主制作映画〉はたぶん2本見ています。

私は気仙沼高校を卒業したあと、仙台で2年間の〈浪人〉生活をおくりました。本来であれば受験勉強にいそしまなければならないのですが、予備校をさぼって東一番丁にあった名画座などに通う楽しさをおぼえてしまいました。

さらには自主上映会などものぞくようになったのですが、そのなかにたぶん「大林宣彦特集」のような会があったのでしょう。Wikipediaの作品リストを参考にすると、つぎの2本を見たと思います。

「伝説の午後・いつか見たドラキュラ」(1966年/16mm/38分)
「遥かなるあこがれギロチン恋の旅」(1968年/16mm/70分)

当時、大林宣彦さんは、自主制作映画のまさに先駆者でした。大林さんは1938年生まれですので、上記の映画は、28歳とか30歳のときの作品だったのですね。若い。そして大林さんの活躍は、その後の若い映像作家が世に出るための扉を開いてくれたのです。

いろんなことを思い出します。浪人時代に見逃した自主制作映画もありました。たとえば「おかしさに彩られた悲しみのバラード」(1968年/16mm)。原正孝さんが麻布高校時代に制作し、草月アート・センター主催の(第1回)フィルム・アート・フェスティヴァル東京'68でグランプリを受賞した作品です。なんというか、このタイトルだけでもう胸がいっぱいになります。

2010年5月に73歳で亡くなったアーチスト荒川修作さんの「Why not」もその頃の仙台で見ています。近年は〈幻の長編映画〉と呼ばれていたのですね。この作品は〈アンダーグラウンドフィルム〉とか〈実験映画〉という言葉がにあいます。

そんなこんな、いったい自分はどうなっていくんだろうという不安な気分や、50年前に仙台の街にもふいていたサブカルチャーの風を思い出しつつ。

大林宣彦さんのご冥福を祈ります。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 大林宣彦

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/69~70歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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