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気仙沼人「EMMA」

きのうの話の続きです。昨年末のNHK紅白歌合戦に登場したDJ EMMAさんが気仙沼出身だという話。

私がEMMAさんを知ったのは、震災前の三陸新報記事。たしかシリーズ記事〈リレー随想〉だったと思います。その回の筆者はDJを趣味としていて、地元気仙沼の先輩に有名なDJ EMMAさんがいると書いていたのです。10年以上前のことです。探せばその記事のスクラップがあるはず。

そして高校生だった息子に〈DJ EMMA〉を知ってるかと聞いたところ、知ってるよと。ハウスとかクラブ系のDJだよね、みたいなことだったと思います。その当時、ネットで調べたら著名なディスコの名がならんでいるので驚きました。

Wikipediaの記述を一部要約すればつぎのようなことです。

〈1985年より音楽活動を始め、主に東京のクラブにてDJとして活動を行う。1990年にはスペインのイビサ、1991年以降にはイタリア、イギリスにてプレイを行い、名実ともに日本を代表するハウスDJとしての地位を獲得。さらに、1994年には当時の日本でも屈指のディスコと呼ばれていた芝浦GOLDのレジデントDJに就任し、GOLDが閉鎖されるまでDJプレイを行っている〉

レジデントDJというのは、ゲストDJに対しての名称で、ディスコやクラブなどのハコ付きという意味あいでしょう。所属とか専属的な。Wikipediaの記述にはその後、六本木VELVET、西麻布YELLOW、新宿LIQUID ROOMなど、華やかな名前が続きます。

1995年にはいまも続くミックスアルバム「EMMA HOUSE」の1作目を、2016年には、同シリーズ20作目となる「EMMA HOUSE XX ~30th Anniversary」をリリースしています。これらの作品紹介でEMMAさんに冠せられるのは「日本のハウス・シーンの重鎮」「KING OF HOUSE」など。



Amazonサイトより

EMMAさんが気仙沼で「jamming with DJ EMMA」と題してのライブセッションを催したことがあります。2016年4月16日のこと。会場は、南町の主婦の店跡地2階(菓子舗サイトウ)でした。この年に50歳となりました。

この後にも(記憶がちょっと定かではないのですが)、気仙沼の南町「バレンタイン」(同級生にひもづけておくと、3年4組/熊谷武敏君のお兄さんの店)での地元ゆかりのミュージシャンらのライブセッションに参加したことがあるはずです。三陸新報の小さな記事がその様子を紹介していたのです。ジャズピアニスト岡本優子さんもいたはず。私がおどろいたのは記事に〈DJ EMMAさんも歌声を披露した〉というような記述があったこと。そりゃあ、EMMAさんも歌うだろうけど。もしかしてDJのEMMAさんが歌ったということがニュースなのか(笑)。

前置きが長くなりましたが、気仙沼出身のEMMAさんの実家はどの辺だったのか。詳細は略しますが、いろんな情報を総合しての私の推測を記しておきます。

地区は鹿折(ししおり)だと思います。普通に考えて鹿折小学校から鹿折中学。高校は気仙沼高校。37回生。私たちは22回生ですので、15年後輩です。年齢は53歳。ここまでにしておきます。繰り返しますがあくまで私の推測。

私が知る鹿折地区の実家住所情報からは、大震災の津波での実家/ご家族の被災がとても心配になりますが、詳しいことはわかりません。

2013年3月の「Mastered」(以前のEYESCREAM.JP)サイトのインタビュー記事のなかに震災/復興に関する記述がありました。EMMAさんが仙台で新たにスタートさせたイベント「EMMA HOUSE興」に関する質問に次のように答えています。

DJ EMMA:「困っている人たちを助けたい」とか「東北地方を元気にしたい」というよりは、「もう後悔するのは嫌だな」と思ったんです。あの震災をきっかけに自分が出来なかったこととか、やろうとは思いつつも先延ばしにしてきたことがいっぱい蘇ってきて。3.11以降、自分の中でも色々なことが変わったんですが、そういうやり残したことを埋めたい衝動から生まれたのが『EMMA HOUSE興』というイベントです。もちろん、東京と比較すれば絶対数も圧倒的に少ないけれど、それでも頑張ってクラブを続けたり、DJをやろうとしている人たちがいて、そういう人達と”地方でもちゃんと出来るんだ”ってことを一緒に示したかった。(引用は以上)

このEMMAさんの言葉は、気仙沼で音楽をやっている人たちにも心強いメッセージになると思います。

GOLDやVELVET、YELLOW、LIQUID ROOMなど、華やかなディスコ/クラブ名がならび、2019年末は紅白のステージへ。鹿折の同級生たちが〈EMMAも、とおぐさ行ってしまった〉と思ってもしかたがないパターンですが、どうも違うようです。気持ちの根っこには自分が育った気仙沼の風土がしっかりとあるように感じます。

きのうのブログで〈紅白に出てたDJ EMMAが気仙沼出身だって知ってましたか〉ぐらいの感じで書き始めたのですが、調べているといろんなことがわかってきて長くなってしまいました。

最後に紹介したインタビュー記事などを読むと、EMMAさんの長い音楽活動と社会の変化というのはやはり無縁ではないのだなと感じます。そして、紅白出演に対してのネット上での反応を見ると、DJ EMMAさんやMISIAさんが、LGBTの人たちの活動にこれまでも共感をもって接してきたことがうかがわれ大変うれしく思いました。 

大トリの白組「嵐」の前にこのMISIA/DJ EMMAのステージをもってきたNHKの度量にも拍手。冒険だったとおもいますよ。〈嵐の前の静けさ〉どころか、レインボーフラッグを背景にしての嵐のような強いメッセージでした。

という感じで、2回にわたってしまったエンマさんの話は終了です。

EMMAさん、NHK紅白はお疲れさまでした。ますますのご活躍を期待しております。ありがとうございました。

1月8日ブログ「紅白のEMMAさん」
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : EMMA MISIA

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たしかご実家は薬局だったと本人から聞いた事があります。今から22年ぐらい前ですが…

Re: タイトルなし

それはたぶん話があっていますね。ご本人から聞いた話ということですから間違うはずもないのですが。私の知っている住所に薬局がありました。細かな話はこれくらいにしておきますが。ありがとうございます。
プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/68~69歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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