唐桑物語Part4

3月8日発売の雑誌『世界』(岩波書店)4月号「唐桑物語~海と生きる100年の知恵」の第4回目は「〈もまれ牡蠣〉へのまなざし」。

唐桑物語4(誌面イメージ)

今回は、牡蠣養殖家である畠山政則さんの話です。政則さんは57歳。文章は、つぎのように始まります。
〈庭先に立てば宿浦の入り江が右に、舞根(もうね)の湾口が正面に、大島と唐桑半島を隔てる急流・大島瀬戸が左に望める。そんな地先で牡蠣とホタテとワカメを育ててきた〉
きれいな風景が目に浮かびます。

政則さんは気仙沼水産高校を卒業後、北洋漁船に乗り込みます。しかしその6年後の帰省中、近海の船で父上が事故にあいます。それを機に畠山さんは船を降り、24歳の冬から牡蠣養殖業に専念するのです。

その後、牡蠣にまつわる様々な話が紹介されますが、略します。
表題にある〈もまれ牡蠣〉とは、牡蠣に対する〈ショック療法〉。まず、タネ牡蠣の初期段階で日光にあてたり、一年過ぎた牡蠣を30秒ほどお湯に浸したりします。そして、はじめは内湾で育てた牡蠣を徐々に沖合に移し潮の流れで刺激することにより、身を引き締めるのだそうです。だから〈もまれ牡蠣〉。

唐桑の牡蠣の養殖いかだ600台のうち、津波にあいながらも4台だけが残りました。そのうち2台は伊豆の潜水士10名が回収した政則さんのいかだでした。

政則さんら漁協唐桑支所は、一口オーナー制度などの支援を受け、昨年6月にはタネ牡蠣の仕込みと、膨大なロープ類やアンカー手配を無事にすませました。そして夏には、広島から、牡蠣いかだ100台分の資材提供と人員応援があったそうです。

3月7日深夜のNHKテレビのドキュメント「フェイス」〈カキ屋たちの復興〉でも、この広島の牡蠣養殖家たちの唐桑支援を紹介していました。支援作業をおえて唐桑から去る日、広島のまとめ役だった人が、唐桑側の世話役のTシャツに「これからもライバル」と書いていたことを思い出しました。

筆者の瀬戸山玄(せとやま・ふかし)さんは今回の連載記事を〈全国からの資金と物資とボランティアたちに支えられ、唐桑のプロたちは新しいまなざしで養殖の世界と向き合いはじめている〉と結んでいます。

市場では競争関係にあるだろう広島からの応援。そしてオーナー制度やボランティアの方々の支援。本当にありがとうございます。

3月18日NHKニュース映像(畠山政則さんがコメントしています)
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助
ジャンル : 福祉・ボランティア

tag : 気仙沼 気中20 畠山政則 雑誌世界 唐桑 瀬戸山玄 森は海の恋人

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/65~66歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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