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97年前の気仙沼

「てれまさむね」は、NHKテレビが平日の夕方に宮城県内で放送している地域情報番組です。同番組が6月21日(金)に「とくばん!てれまさむねin気仙沼」と題し、午後6時過ぎから約2時間の特別番組を放送してくれました。

宮城県域放送ということで東京では見られなかったわけですが、斉吉商店の〈ばっぱ〉こと斉藤貞子さんによる料理や、魚市場前に設けられる鶴亀の湯・鶴亀食堂のことなども紹介されたようです。そして小山隆市君(3年6組)の長男 裕隆さんのブログで知ったのですが、大正11年の気仙沼映像も紹介されたとのこと。

番組サイトをみたら〈NHKに眠る気仙沼の過去の「お宝」映像〉とありました。番組では気仙沼映像遺産「海と共に生きる人々」ということで4分ほどの放映だったようですが、元々の映像はこのブログでも紹介した大正11年(1922年)制作の「気仙沼港 実況」。約30分の記録映画です。

大正11年は1922年。97年前の気仙沼の繁栄を伝える映像ということですね。2013年に2度にわけて紹介したブログを本日はひとつにまとめて以下に再掲します。


◎2013年4月15日ブログ
「大正11年の気仙沼」     

気仙沼〈気楽会〉のブログで〈ともゆき〉さんという方が珍しい映像を紹介していました。親御さんが15年ほど前の気仙沼のイベントで入手したらしい〈大正時代の気仙沼〉というビデオテープ映像です。

この約30分の映像を見ていたら、どこかで見たことのあるカットが随所に出てきます。もしやと思って調べてみたら、やはりそうでした。1977年に気仙沼商工会議所が発行した『けせんぬま写真帖』で紹介されている主要な写真がこの記録映画からとった画像だったのです。

フィルムタイトル
フィルムタイトル(『けせんぬま写真帖』から)

ブログに紹介されている映像には題名部分が省略されていますが、『けせんぬま写真帖』によればタイトルは「気仙沼港 実況」。制作年は大正11年(1922年)です。映画の主催者名は〈ミドリ会〉(翠会)となっています。この映画の製作にまつわる話はまた明日詳しく紹介しますので、まずは映像をご覧ください。気楽会の〈ともゆき〉さんがユーチューブにもあげてくれました。




ブログ「気楽会の気仙沼日記」

この映画の後半では気仙沼の様々な商家が紹介されています。その名をひろっておきましょう。

富田本店、坂本塩店、トミセン(富田専三郎商店)、博愛舎、浜田屋商店、浜松、村伝、斎直呉服展、酢屋本店、静光館、清水屋、川村履物店、いせかん、千葉医院、日新堂、藤村鉄工所、気仙銀行、小山仕立店、菅原旅館、石田菓子店、気仙沼倉庫、大鍋屋旅館、八十八銀行、松山呉服店、気仙沼商会、木田屋、宮井常蔵、斎藤医院、七十七銀行、藤田屋商店、若生(商店)、栄亭、新●館、船渡活眼印刷所、関屋株式店、横千代呉服店、盛岡銀行、大森薬房、佐藤美髪店、谷村商店、望洋館、桜寿し、新白玉、嶋忠履物店、千葉喜商店、大内薬舗、萬栄堂、森田医院、上武川商店、竹尾商店、気仙沼電気、常磐屋、古川屋、玉屋

私が知っている名も多いのですが、まったく聞いたことのない名前もまじっています。『けせんぬま写真帖』によれば、ここで紹介された店が映画製作に協賛したようです。当時の繁盛店、老舗ということでしょう。

しかし、映像に登場する各店舗の様子を見ていると、当時の気仙沼がいかに活気にあふれ繁栄していたかがよくわかりますね。明日は、この映画の製作にまつわる話を『けせんぬま写真帖』から。

気楽会の〈ともゆき〉さん、貴重な映像紹介ありがとうございました。


◎2013年4月16日ブログ
「気仙沼港 実況」      

きのうのブログで紹介した大正11年の気仙沼の映像、いかがだったでしょうか。この映画「気仙沼港 実況」の映像を主に使って編集されたのが『けせんぬま写真帖』です。昭和52年に、気仙沼市商店街連合会創立20周年記念出版として気仙沼商工会議所から発行されています。全256頁・定価2000円。私は妻の実家(気仙沼市南町)にあったものをもらいうけていました。

けせんぬま写真帖
『けせんぬま写真帖』表紙

この写真帖に私たちが気仙沼高校に通ったころに国語を教えていた広野武蔵先生が「気仙沼港・実況」という文章を寄せています。映画「気仙沼港 実況」を製作したのが、広野先生の父上、広野貞助さん(3代目広野太兵衛)なのです。

紹介した映像の冒頭では少し欠けて読みにくいのですが、撮影趣旨書の最後には、「翠会 代表者 広野貞助」とあります。また、『気仙沼文化年表』(荒木英夫編2003年刊)には、〈水産品評会の記念に広野太兵衛が活動写真「気仙沼港実況」を製作〉との記述がありました。

上記の広野先生の寄稿文から映画製作に関わる部分を紹介します。

「さて、この実写フィルムは、南町にあった常設映画館恵比寿館を経営していた父・太兵衛が製作を企て、これを全三巻にまとめて公開したもので、製作の動機というのは……

鮎貝盛徳町長の時代から新沼綱五郎氏が町長となった大正11年11月、本吉郡物産共進会が開かれた。会場は小学校と水産学校で町全体が祭り気分にわいた。軒先に紅白の幕、大提灯、軒花。町内を山車が練り回り、湾内では大島神社のみこしまつり、そして現気高(気仙沼高校)の中納言原では気仙沼2、千厩、高田の4チーム参加の野球大会があった。こうした行事を中心に、気仙沼の発展ぶりを広く紹介しようというものであった。東京から撮影技師を招いて蒸気ポンプもまじった消防演習、魚海岸の水揚げ風景、軍人分会の訓練、協賛商店の撮影などを先行し、祭り自体は即日上映という当時としてはアッと驚くにたる手段をとった。写真に詳しい父が、技師と二人で活動フィルムを現像、乾燥し焼付を一気にやってのけたのである。写真そのものがまだ珍しかった時代、ましてや活動写真の登場である。果たして人気ふっとう、『大入』がつづいたという。なにせ、当時はカタカタとやかましい音を出す手回し時代、映写機がそれなら、説明(せりふ)はすべてこれ弁士によるものであった。

このフィルムの制作費は、次の協賛団体、商店等がそれぞれの宣伝費として拠出したようだ。すなわち………」(として昨日紹介した商店等の名が続きます)引用は以上

太兵衛さんは、気仙沼を代表する経済人であったと同時に、たいへんな文化人、趣味人でもあったようです。気仙沼市立図書館も、明治40年に太兵衛氏寄贈の図書、雑誌をもとに気仙沼小学校旧校舎(市内八日町)におかれた児童図書館が発祥です。

気仙沼文化史年表の索引で広野太兵衛(3代)の項目をみると、児童図書館創設・恵比寿館経営・翠会自動車部設立・麻屋開業・映写機寄贈・気仙沼トラック創設・「読書クラブ」・海洋少年団長・大島小に図書寄贈と続きます。1971年没。〈当地方の文化導入の功労者〉との記述がありました。

太兵衛さんと、気仙沼市長をつとめた広野善兵衛さんとの関係がよくわかりませんでしたが、菅野青顔さんの追悼集の中で広野武蔵先生が「三弟の市長」と書いていました。善兵衛さんは太兵衛さんの弟さんだったのですね。

〈気楽会〉のブログがきっかけで知った大正11年の気仙沼の映像。これを見れば誰もが当時の気仙沼の繁栄を感じることでしょう。しかしその7年前、大正4年3月には古町製材所から出火しての大火によって、八日町、三日町、南町など市の中心部のほとんどが焼け野原となりました。映像にうつる商家の多くはその気仙沼大火で一度焼け落ちながらも復興した店舗なのです。おそるべし気仙沼のパワー。海がもたらした豊かな富の蓄積がその復興を支えたのでしょう。年表の記述を追っていくと、経済だけでなく文化的にも豊かだったように感じられます。ベルエポック。気仙沼の古き〈よき時代〉だったのかもしれません。

(再掲内容は以上)

裕隆さんのブログで紹介されていた〈てれまさむね〉の放送画面には〈廣野純朗さん〉の名がありました。広野貞助さん(3代目広野太兵衛)のお孫さんで、この映像の著作権継承者ということだと思います。たしか私たちのひとつ上の学年でしょう。気中19回、気高21回生。

〈てれまさむね〉では、NHKに眠る気仙沼の過去の「お宝」映像ということでしたが、このフィルムそのものは気仙沼市役所にあずけてあると聞いたおぼえもあります。実際のところどうなっているのかわかりませんが、この機会に公式あるいは準公式の扱いでYouTubeに再アップロードされるとうれしいなと。しかしとりあえずこうして大正11年/1922年の気仙沼の映像を見ることができてよかった。

話を映像の中身にもどしますが、上記のブログにも記したように、そこにうつるのは大正4年の大火から7年後の気仙沼です。消防演習は大火を繰り返してはならないという町の人たちの思いを込めたものだったはず。しかし、それから7年後の1929年/昭和4年2月には昭和の気仙沼大火を引き起こしてしまいました。

映像の7年前と7年後のそれぞれに気仙沼の大火があったことに、今回はじめて気づきました。ふたつの大火のちょうど中間時期に撮影された気仙沼の繁栄記録映像といってよいのかもしれません。

映像は約30分とすこし長いのですが、土日の休みもあることですし。どうぞ97年前の気仙沼を〈ちょいのぞき〉していただければと。今週はこれにて。


2016年10月14日ブログ「大正の気仙沼大火」
 
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ジャンル : 地域情報

tag : 大正11年 気仙沼港実況

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気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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