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ストーブ支援の縁

4月6日(土)、このブログでもお伝えした目黒の「桜まつり」に菊田裕美君(3年1組)と。秋山 (斎藤) 裕子さん(6組)も来てくれました。わたくし小田(8組)は夫婦で。目黒川の桜はこんな感じ。会場は右岸奥に見える緑色のネットの下あたりです。

目黒川

良く晴れた日で会場は大賑わい。ここ数年では一番のお天気だった思います。会場中央部のテント下に気仙沼物産展とならんでテーブル席が用意されています。写真にうつるテントの左後側が気仙沼物産展ゾーン。

会場

私たち4人もなんとか空いた席に座ることができたのですが、そこで思いがけない出会いがありました。

私の隣に座っていた年輩の男性から〈どちらから〉とたずねられました。私は〈世田谷区なのですが、出身が気仙沼。4人全員とも生まれも育ちも気仙沼です〉と答えると、とても驚いて〈3月11日には気仙沼の追悼式典にも行ってきたよ〉と言うのです。〈雨だった〉とも。こちらも驚いた。

その方は山科久夫さん。頂いた名刺には〈目黒建設業防災連絡協議会 会長〉と記してありました。そして2011年3月11日の震災時のことを話してくれたのです。まずはその時の写真を。妻撮影。

乾杯

右端から左に裕子さん、小田、山科会長、会長のお友達、裕美君です。話の内容を少し補足しながらまとめるとつぎのようなことでした。

3月11日の震災直後、気仙沼市の菅原市長から目黒区の青木区長に支援の電話があったそうです。石油ストーブがなんとかならないか。避難所を少しでも暖めたい。電気は使えないので電池式のストーブをと。山科会長のところにもそのお願いが伝えられストーブを集めました。いろんなルートで呼びかけた結果、集まったストーブが62台。3月14日には会長らが手配したトラックで気仙沼に届けられました。目黒区の資料によれば、4台のトラックにはストーブのほか、灯油20リットル入り24個、毛布730枚、大人用紙オムツ960枚、サバイバルブランケット1250個、アルファー米4550食、ビスケット 1024食、飲料水500ミリリットル入り1344本が積まれていました。

気仙沼からの帰路もトラック用の軽油の入手とかいろいろと大変だったらしい。そして目黒区から気仙沼への救援物資輸送は、この後も3月23・26日、4月5・19・28日、5月4・28日、6月5日と繰り返し行われたのです。つぎの資料に詳しく記されています。

目黒区役所資料:目黒区からの救援物資の輸送

山科さんの名刺の裏側には、〈目黒建設業協会 会長〉〈目黒防災協力会 会長〉などの役職名も記されていました。さまざまなお世話役をつとめているのでしょう。そんなこともあってか、話をしている途中に〈かいちょー〉と声をかけながら山科さんのところに来る方も多かった。目黒区議の選挙が近いせいか、現区議や都議が挨拶におとずれるのです。そのたびに会長から〈この人たちは気仙沼出身で〉と紹介されるので、私も〈震災の際には気仙沼が大変お世話になりました〉と御礼を。

そんなこんなで山科会長との話は1時間ほどでしたでしょうか。途中で裕美君が気を利かせて追加のビールやワインを差し入れてくれたりしたこともあって、話はとどまらず(笑)。

震災から8年。目黒に咲き誇る桜の下で歓談しながらの乾杯は、目黒から気仙沼へトラックで運ばれた石油ストーブのご縁によるもの。山科会長、ありがとうございました。また、目黒区の皆様による気仙沼への長年にわたるご支援、ご協力に心からお礼を申し上げます。
 
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テーマ : 気仙沼
ジャンル : 地域情報

tag : 桜まつり 目黒区

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プロフィール

気中20回生支援会

Author:気中20回生支援会
東日本大震災で被災した気仙沼中学校第20回卒業生(1967年3月卒/67~68歳)たちを支援する首都圏在住同級生を中心としたグループです。魚町出身東京在住の3年8組小田が書いています。

twitter:@kechu20

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